中国が東京五輪を異常なまでに注視してきた理由
東京五輪が閉幕しました。私も日本に滞在し、テレビ画面を通じて各試合を観戦していました。
新型コロナウイルス感染緊急事態宣言の発出、無観客下での開催、しかも、開催期間中に新型コロナの感染状況が急拡大したということもあり、日々異様な雰囲気を感じずにはいられませんでした。五輪史上、類のない異例の開催だったと言えるでしょう。まだパラ五輪を残してはいますが、夏季五輪は3年後の2024年、パリに引き継がれることになります。
約半年前も一度、本連載で扱ったことがありますが、中国は東京五輪をめぐる動向を異常なまでの関心を持って注視してきました。「中国の特色ある社会主義」という体制の下、五輪のような国家大事に「挙国一致」体制で挑み、好成績を残すことで国威発揚につながり、人民の国家への忠誠がより高まるというお国柄です。
ただ、今回の東京五輪に対する中国の注視度は、例年の五輪をはるかに上回るものでした。その理由は三つあります。
(1)新型コロナウイルスが原因で1年延期になった東京五輪が無事開催されるか否か、どのように開催されるか
(2)それを受けて、約半年後に控える北京冬季五輪の円満な開催に向けてどうつなげるか
(3)その過程で、IOC(国際オリンピック委員会)、特にバッハ会長との関係をどう管理するか
中国として最も見たくないのは、半年後の来年2022年北京冬季五輪に対する大規模なボイコット運動が勃発する事態です。新疆ウイグル人権問題、新型コロナウイルスの発生源問題、香港問題などを含め、欧米を中心に、中国と国際社会との関係が緊張している現状下ではなおさらです。中国は今後、五輪参加ボイコットを回避するために、あらゆる手段を講じていくのでしょう。
例えば、東京五輪は何はともあれ開催された、次は半年後の北京だ、新型コロナウイルスは変異株を含め依然猛威を振るっているが、人類共通の敵に打ち勝ったことを証明するために、五輪という平和の祭典を通じて、各国が結束していかなければならない、といった類いのメッセージを中国はあらゆる場面で出していくでしょう。その思惑は、東京五輪をうまく踏み台にして、北京五輪につなげたいということです。
中国・中国人は東京五輪をどう見て、どう語ったか?
ここからは、今回の東京五輪を中国がどう見て、どう語ったのかを見ていきたいと思います。
まず、人民の愛国心やナショナリズムに関する世論の動きです。
卓球混合ダブルスで、水谷隼・伊藤美誠選手が中国の許昕(シュー・シン)・劉詩雯(リュウ・シーウェン)選手を決勝で下し、金メダルをとったこと、また体操男子個人総合で橋本大輝選手が金メダルを、肖若騰(シャオ・ルオタン)選手が銅メダルを獲得したことなどに、中国のネット世論は強くかみつき、日本の選手にひぼう中傷を浴びせるような場面も見られました。
また、日本チームの闘う姿勢やレフェリーの審判が公平さに欠けるという類いの主張や批判が至るところで見られました。
やはり、卓球や体操といった競技は中国のお家芸ですから、日本に負けたとなると、人民のナショナリズム、場合によっては反日感情に一気に火がついてしまいます。
幸いだったのは、当の中国人メダリストたちは冷静に対応していたことです。彼ら、彼女らは、試合の結果を真摯(しんし)に受け止め、共に闘った日本人選手に敬意を表していました。
近年、中国のマーケットや世論を観察しながらしばしば感じることですが、中国国内あるいは国境を越えて事件が起きたとしても、ネット上の世論がヒートアップする一方で、当事者としての企業や個人は冷静に物事に対処する傾向が見られます。昨今物議を醸している、当局によるITや教育業界への規制策を受けた、該当企業側の対応を含めて、です。要するに、「中国は…」「中国人は…」とひとくくりで語ることはできないということです。この点は、私たちが中国という巨大マーケットを理解し、投資する上でプリンシプルにすべきだと思います。
2020年11月、王毅(ワンイー)国務委員兼外相が訪日し、茂木敏充外相と会談をした際、「中日が五輪をめぐる協力を通じて、両国民の友好を促進し、アジアの国際五輪事業への貢献度を向上させることを願っている」と語っていますが、これが中国共産党指導部の基本的なスタンスです。それは、当局の統制下にある中国メディアが東京五輪を報じる上でのボトムラインになります。要するに、決してネガティブキャンペーンはせず、開催にあたっての日本の努力を、前向きに評価することを前提にしているということです。
新華社通信の報道を見てみましょう。
8月8日の閉会式後、「シンプルだが簡単ではなかった:東京五輪が感動の中で閉幕」という記事を配信。「8月7日夜、台風が突如東京を襲った。8日午後、東京五輪閉会式まで3時間となったところで、雨は収まり、雲も散り、東京湾上には虹が現れた」という冒頭から始まります。記事は、閉会式では、男子陸上100メートル準決勝で9.83秒という驚異的なアジア新記録を打ち立て決勝へと進んだ蘇炳添(スー・ビンティエン)が旗手を務めたこと、東京五輪を通じて、中国は金メダル、メダル数ともに第2位だったことなど中国チームの様子も描写しつつ、次の言葉で記事を結んでいます。
「会場の人々は現場を離れたくなさそうであった。今夜の東京は五輪に忘れることのできない思い出を残した。世界に素晴らしい祝福を送り届けた」
また、同日に配信された新華社の評論記事では、東京五輪が閉幕した8月8日という日が中国にとって特別であることを提起しています。2008年8月8日は北京五輪開会式の日に当たること、6カ月経てば北京冬季五輪、次は中国の番だという論調で書かれています。
これらの記事はいわゆるプロパガンダ(宣伝工作)と言われるもので、共産党・政府の政治的立場を代弁するものです。これだけでなく、中国メディアは、日本国民は緊急事態宣言下の五輪開催に複雑な思いを抱いていること、多くの国民が閉会式を評価していないこと、東京五輪は歴史上最高額を投入し、損失も最大であったことなども詳細に報じています。直近で言えば、五輪報道に関わったテレビ朝日の職員10名が、閉幕後、都内で飲食会合を開き、うち一人が店の外に転落し負傷したことさえも報じており、異例の状況下で開催された東京五輪が、決して「よかった」「素晴らしかった」では片づけられないものであったことは、中国世論に広範に伝わったと思います。
半年後の北京冬季五輪、マーケットへの不安要素
不安要素1:新型コロナの感染状況
今後の展開ですが、東京五輪が閉幕した今、新華社の報道にもあるように、中国は「次は北京冬季五輪だ」という姿勢で、挙国一致で半年後の五輪に挑むでしょう。北京冬季五輪が中国経済やマーケットにどれだけの恩恵をもたらすかは、今回の東京五輪同様、依然不確定です。中国でも新型コロナデルタ変異株が流行し始めています。厳格に敷かれている入国規制は来年2月まで続くことは必至でしょう。少なくとも、通常の五輪開催時のような経済効果は見込めません。無観客になる、あるいは観客の出入りを制限する可能性も十分にあります。やはり、中国内外のコロナ次第だと言えるでしょう。
不安要素2:新疆ウイグル問題などをめぐる中国と西側諸国との関係悪化
もう一つ、マーケットへの不安要素としては、国際関係が挙げられます。上記のボイコット問題です。王毅外相のコメントを踏襲するものですが、7月20日、中国外交部の趙立堅(ジャオ・リージェン)報道官が記者会見にて、「相互に支持し、五輪開催を成功させることは、中日両国の指導者間における重要な合意事項である」と主張し、中国として日本側の五輪開催を支持していく立場を表明しています。裏を返せば、中国が北京冬季五輪を開催するに際しては、しっかり支持するようにという外交的圧力をかけているということです。
仮に日本が今後、新疆ウイグル、香港問題などで、欧米と歩調を合わせながら中国をけん制、批判、制裁するようになり、北京冬季五輪への影響も免れないような事態になれば、中国は日本を激しく非難し、日中関係は悪化するでしょう。日中ビジネスへの影響は必至ですし、中国の消費者の日本企業、商品への不買運動なども起こるかもしれません。これからの半年間、中国と米欧日との地政学的関係には緊張が続くでしょう。その都度マーケットを揺さぶっていくのは必至ですから、注意してみていく必要があります。本連載でも随時報告していきます。
不安要素3:中国とIOCとの関係
最後に、北京五輪を開催する上で、中国共産党として最も取り込んでおきたいのはやはりIOC、特にバッハ会長です。日本でも物議を醸しましたが、7月13日、同会長が東京都内で橋本聖子JOC(日本オリンピック委員会)会長と面会した際に、「最も大事なのはチャイニーズピープル」と言い間違えたように、中国が相当程度バッハ会長と意思疎通を図り、五輪を円満に成功させようとしているのかが見て取れます。
中国としては、西側諸国との関係が悪化しても、北京五輪の開催に支障が出ないように、バッハ会長をグリップし続けようとするでしょう。裏を返せば、IOCが中国の問題行動や西側との関係悪化に「加担」しているという構造ですから、不安要素と言わざるを得ません。
一方で、仮に、バッハ会長率いるIOCが、西側諸国を中心とした国際社会の要望や主張を真剣に受け止め、重い腰を上げ、新疆ウイグルや香港における人権を重んじるべきだ、南シナ海や台湾海峡においても自制的な政策を取るべきだ、国内における自由を拡大していくべきだといった点を、五輪開催にあたり中国共産党指導部に要請し、結果、中国の国内外における政策や言動が自制的、温和的なものになれば、マーケットへの好材料と化すでしょう。この意味で、各国政府は、中国が現在置かれたこのような状況を踏まえて、IOCと連携しつつ、バッハ会長に健全な圧力をかけることで、「平和」な世の中を創造していくべきだと考えます。
本コンテンツは情報の提供を目的としており、投資その他の行動を勧誘する目的で、作成したものではありません。銘柄の選択、売買価格等の投資の最終決定は、お客様ご自身でご判断いただきますようお願いいたします。本コンテンツの情報は、弊社が信頼できると判断した情報源から入手したものですが、その情報源の確実性を保証したものではありません。本コンテンツの記載内容に関するご質問・ご照会等には一切お答え致しかねますので予めご了承お願い致します。また、本コンテンツの記載内容は、予告なしに変更することがあります。