中国共産党が企業に対してかける「圧力」

中国当局が国内最大の音声プラットフォーム、喜馬拉雅(シマラヤ)に対して米国での新規株式公開(IPO)を取りやめ、香港市場に上場するように求めていると、3人の関係筋が話した。当局が民間のメディアやインターネット事業の管理を強化しようとしている姿勢が浮き彫りとなった」

 5月28日、英ロイター社が香港発で報じたこの記事「中国当局、音声メディア大手に香港上場要求=関係筋」を眺めながら、私は昨今の中国を取り巻くあらゆる事象や問題について、思いを巡らさずにはいられませんでした。

 上海を拠点とするシマラヤが提供するアプリ「シマラヤFM」は、中国人の間では大人気で、音楽、書籍、エンターテインメント、英語や子供向けなどのオンライン教育を含め、多種多様なコンテンツを音声で届けるプラットフォーム。私自身は使用していませんが、日ごろ付き合いのある多くの著名知識人や文化人がチャンネルを開設し、日本で言うところのユーチューバーのような感覚で、日々、変幻自在に配信しているようです。

 その規模感は「さすが中国」といったところ。同ウェブサイトをのぞき込んで、人気チャンネルの登録数を調べてみました。

 しばしば国際世論や中国のニュースで話題になる「環球時報(Global Times)」の編集長で、中国と海外との関係に関する解説が人気を誇る胡錫進(フー・シージン)氏が1.6億人、ニュースチャンネル「東方新聞」が5.4億人と上位に君臨しています。

 また、1,000万を超えるチャンネルも数多く、100万超えはざらです。

 このように見ると、やはり、中国というマーケットを理解する最大の要素の一つが「規模感」にあります。一つの商品、サービスにいったん火が付けば、14億人の巨大市場の中で、それを超えて一気に広がり、その後は上場に向けてまっしぐら、なんていう状況だとすら感じさせます。

 前述のロイターの記事によれば、シマラヤは、4月下旬にニューヨーク証券取引所にIPO(新規株式公開)を申請。米国市場に上場後、約5億ドルを調達する狙いだったものの、CAC(中国サイバースペース管理局)などの当局者から、香港市場に上場するように圧力を受けたといいます。

 現在、「CACと協議中で、今後2週間で上場先を最終的に決める」(ロイター)といいます。近いうちに、シマラヤの上場をめぐる動向がニュースとして転がり込んでくるかもしれません。

米国上場“阻止”から透ける中国当局の戦略

 この「特ダネ」記事を読みながら、私は2つの点を考えました。

 1点目は、米中の戦略的競争関係が、バイデン米政権になっても激化の一途をたどり、中国企業の活動に影響を及ぼしていること。特に現状、米中当局、特に中国側の米国側への不信から、高度な科学技術を駆使する企業の活動がほんろうされています。

 中国政府は、自国企業が米国市場に上場することで、米国政府の監視、監査下に置かれることを懸念しています。

 ニューヨーク証券取引所に上場するアリババ(BABA)や、ナスダックに上場する百度(BIDU)を含め、中国が国として重視するデータを扱う企業であればなおさらで、シマラヤの動向に対しても、当局は「経済安全保障」の観点からも、警戒を強めているのだと思います。

 と同時に、習近平(シー・ジンピン)体制下で、言論、信仰を含めた政治的自由への抑圧が高まる中、中国当局は、自らの懐にしまい込んでおきたいメディア、インターネット産業の上場先が、競争国である米国になることを、これまで以上に抑制したいと考えているのでしょう。

 2点目が、中国当局がそのような懸念を増大させている事態を、当事者としての企業は十二分に直視し、かつ、自らの身を守りながら収益を拡大させるという観点から、“中国の特色ある忖度(そんたく)”をしているという現状です。

 ロイター記事には、中国当局がシマラヤ社に「要求」とあります。

 私がこれまで中国当局と付き合ってきた経験と感覚によれば、政府の民間の企業や個人に対する圧力のかけ方はさまざまです。政府官僚が直接言ってくる場合もあれば、第三者を通じて伝えてくる場合もある。また、書面で送ってくる場合もあれば、対面でさりげなくほのめかすこともある。そして、「要求」する場合もあれば、「提案」する場合もある。企業の関連活動を停止に追い込むこともあれば、よく分からないまま、許可が下りないような場合もあるのです。

 ただ、これらは総じて「圧力」であり、中国の企業家や個人は、そうした多種多様な当局からの圧力を(1)敏感に感じ取り、(2)それが何を意味するかを判断し、(3)どう行動すべきかを決断する能力と感性に非常に長けているというのが私の経験値に基づいた見方です。

 彼ら・彼女らが神経を研ぎ澄ましている最大の要因は、やはり歴史を通じて、中国人が直面してきた、厳しい政治環境に見いだせます。

 情報統制がはびこり、常に政治的監視下にある、だからこそ自らの身を守るため、収益を拡大するために、情報収集や人脈構築にはものすごい労力と資金を投入する、という立ち回りです。

 一時、日本で流行した「メディアリテラシー」なんていう言葉は、中国人にとってはDNAに張り巡らされた血液のようなもの。私は、中国人の最も長けた能力がネットワーキングとインテリジェンスだと考えてきましたが、監視・統制・抑圧が常態化、構造化した、「一寸先は闇であり、死」が当たり前の社会で生きてきたからこその処世術なのだといえるでしょう。

ジャック・マーも例外ではない

 当局からの「圧力」に対して、前述した(1)、(2)、(3)を行使するという意味で言えば、本レポートでその動向を扱ってきたジャック・マー(馬雲)氏も例外ではありません。

 というより、「最先端」を行っています。自らにとって「お上」に当たる中国共産党の政治的立場や戦略的意向は、マー氏、および同氏が創始したアリババ社が生き残り、育っていく上で、最も切実に意識、重視、そして警戒しなければならない対象にほかならないのです。

 最近、アリババ社が独禁法違反で罰金を与えられたり、傘下にあるアント・フィナンシャル社の上海、香港同時IPOが延期になったりしたこともあり、マー氏と共産党指導部との間の関係についてさまざまな憶測が飛び交ってきました。

 中国市場に投資してきた機関投資家から、時折、私が受ける質問には以下のようなものがあります。

「習近平とジャック・マーの関係はどうなのですか?」

「ジャック・マーはニューヨークに飛んで、習近平に代わってトランプと会談し、米中関係を安定させようと尽力したのに、習近平はそんなマーを見捨てたのですか?」

「李克強(リー・カーチャン)はジャック・マーをどう見ているのですか?」

「習近平とジャック・マーの関係が悪くなったのなら、同じように習近平との関係がギクシャクしている李克強とマーが接近しているのではないですか?」

 これらの疑問、理解できなくはありません。非常に複雑かつ特殊な「中国政治経済学」を理解する上で、中国における政治と経済の関係、政府と市場の関係、党と企業家の関係を現実的に解釈する上で、重要な問題提起であることに疑いはありません。

 マー氏と党の関係性を整理することは、中国における政治と経済、政府と市場、党と企業家の関係を理解すること、言い換えれば、中国という独特な政治体制下におけるマーケットの動向と本質をあぶりだす作業にほかならないのです。

ジャック・マーと習近平・李克強との関係

 ここからは、上記の問題提起にも出てきた、習近平、李克強両指導者とマー氏の連動状況をレビューしていきます。

 マー氏が作ったアリババは、2014年、ニューヨーク証券取引所に上場しました。当時、250億ドルという、当時史上最大のIPOとして話題を呼んだことは、記憶に新しいでしょう。

 ここで私が指摘したい経緯は、マー氏、アリババ社は、習近平政権発足(2012年秋~2013年春)後、本格的に、中国製の上場企業としてグローバルに発展するためのきっかけをつかんだという点です。

 私なりに解釈すれば、習近平政権とマー氏&アリババ社は、よい悪いかは別として、もはや運命共同体であるということです。

 マー氏にとって、習近平総書記は後ろ盾にも、足かせにもなり得る。常時は両方の要素が共存し、状況やテーマ次第では、どちらかに転がる。そんな関係性です。

 2014年10月31日、李克強首相が、中国共産党の権力の象徴・中枢である中南海にマー氏らを招待し、経済情勢をテーマに座談会を主催しました。その席で、マー氏は李首相に次のように報告しています。

「タオバオ(筆者注:アリババ社が運営するオンラインモール)には2.5万人の従業員しかいませんが、タオバオで店舗を開く900万の会社にサービスを行っています。その中で、アクティブストアは300万社以上。今年、タオバオが中国全体の社会消費小売総額に占める割合は10%を超える見込みです」

 これに対し、李首相は「900万社か。それは少なくとも1,000万以上の雇用をもたらす。それに、物流や宅配を含めれば、さらに多くなるな」と返しました。

 また、この座談会がマー氏の主導する「ダブルイレブン(W11)」(筆者注:11月11日、「独身を祝う日」)前夜だったこともあり、マー氏は李首相に、自らが「中国消費者の日」と定義づけたこの日のイベントについて説明。この日1日におけるタオバオでの販売額が300億元(約4,500億円)を突破する見込みだと誇った上で、「総理、これは伝統的なビジネスモデルでは考えられない場面ですよ」と踏み込むと、李首相は、「あなたは消費の時点というものを創造した!」とマー氏の功績とアリババの業績を称賛しました。

 勢いづいたマー氏は、李首相に対して、「私たち民営企業家は、政府からもっと信頼されることを望んでいるのですよ」とお願いすると、李首相は「今日、貴方をここに招待して座談しているという事実が、我々の信頼を代表しているではないか。民営企業家に対して、政府は信じるだけではなく、頼らなくてはならないほどだ!」と返している。

 党と企業家という文脈から見て、李克強とジャック・マーが持ちつ持たれつの、互いに互いを必要とする運命共同体の関係にある実態が見て取れるでしょう。

 次に、マー氏と習総書記との関係です。

 2015年9月、習総書記は米国を公式訪問。これに、中国の国有、民間を含めた15企業のトップが随行しました。

 マー氏は企業家訪米団の筆頭(ほかにはテンセント、百度、レノボ、中国工商銀行など)で、元米財務長官ヘンリー・ポールソン氏が主催した米中企業家座談会に招待され、アマゾン、アップル、マイクロソフト、IBM社らのトップと会談しています。

 そして同年12月、習総書記が古巣の浙江省烏鎮を視察。「インターネットの光」博覧会を訪れ、真っ先にアリババ社のブースにやってきました。そこに現れたマー氏自らが「ガイド」を務め、同社の商品やサービスを説明していました。

 また、2016年5月、習総書記は北京で「サイバーセキュリティと情報化」をテーマにした、政治的に最高レベルの座談会を開きましたが、そこにもマー氏が招待されていました。

 2017年1月10日、マー氏はニューヨークにあるトランプタワーを訪れ、間もなく米大統領に就任するトランプ氏と会談。その後、二人は並んで記者団の前に姿を現し、米国の中小企業がアリババ社のプラットフォームを通じて中国へのセールスを可能にすることで、米国で100万人の雇用を創出する計画について話し合ったと説明。トランプ氏はマー氏について次のように語っています。

「彼は、世界で最も偉大な起業家の1人だ。アメリカを愛し、そして、中国を愛している」

中国企業家としての処世術

 このように振り返ると、マー氏が、習近平政権の経済、外交、そして安全保障をめぐる政策に相当深い次元で関与してきたことがわかります。

 李首相との会談では、マー氏は同首相が関心、懸念を持つ消費や雇用という分野で当局を手伝う、恩を売る、貸しを作ろうとしている奮闘ぶりが見て取れます。

 さらに、習主席の“特使”とまでは言えないものの、習近平政権が当時懸念していたトランプ時代を迎える直前に行ったトランプ氏との会談は、米中関係を安定的に管理するために、一企業家としてできることを実行したのでしょう。李首相との会談同様、当局に手伝う、恩を売る、貸しを作ろうと奮闘しているのです。

 マー氏と中国共産党が、敵か味方かという二項対立的な局面を超えて、持ちつ持たれつの、互いに利用し合う、必要とする関係性にある、というのが実態といえるでしょう。

 党がマー氏の上に立っているという究極的構造に変わりはありませんが、時と場合によって、両者がそれぞれの思惑でバランスを取りながら、右へ左へ、上に下に揺れ動いているイメージです。

 以前、本連載でも言及しましたが、以上の理由と構造から、マー氏、アリババ社が、どこまで行っても「中国企業」としての自覚を持って、グローバルな成長を追求することで、中国経済に貢献する、その過程で、中国共産党の政治的関心を断じて尊重する姿勢に変化が生じることはないでしょう。

 と同時に、中国共産党側も、同氏、同社がそのような姿勢を堅持する限り、同社の成長を見届け、手を差し伸べ、恩を売り、貸しを作ろうとするでしょう。両者をつなげているのが、14億の中国人民。党は政治的に、マー氏は経済的に取り込まなくてはならない最大の標的です。人民が両者の間に君臨している限り、双方が互いを手放すことはないでしょう。

 私が、アント・フィナンシャル社が遅かれ早かれ上場すると考える最大の根拠がここにあります。

 そして、マー氏は中国でごまんといる企業家の一人、アリババ社は中国でごまんとある企業の1社に過ぎません。マー氏に個性的、独創的な考えや動きがあるのは論を待たないですが、絶対多数の中国企業、実業家はマー氏と同じように、党との関係を常に意識し、党が現在何を求め、何に悩んでいるのかを敏感に感じ取り、自らの経営判断につなげているのです。

 5月末、中国の電子商取引大手JDドット・コム(09618:香港)の物流部門であるJDロジスティクス(02618:香港)が香港市場に上場しました。近年でいえば、アリババ(09988:香港)百度(09888:香港)も、米国に続いて香港に重複上場しています。

 米中戦略的競争関係がもはや既定路線となり、そんな中、米国が民主化活動で揺れる香港を通じて中国共産党に圧力をかけようとしている。香港では『国家安全法』が施行され、選挙制度の見直しを経て、この国際自由都市が果たして、引き続き国際金融センターとして機能していくのかが懸念されている。こういった情勢の中、習近平、李克強両指導者も香港の混乱と衰退、そしてそれが中国経済、そして中国という国家の信用に及ぼす悪影響を懸念している。

 そんな心配はない。香港市場は、引き続き中国経済の成長のうまみを吸い上げる中継地だ。

 勢いのある大手民間企業は「お上」である党に対して、自らの行動でそう証明しようとしているのです。これらの企業が、相次いで香港市場へ上場するのには、共産党に恩を売り、貸しを作るという意図が込められているということです。それだけではありませんが、それこそが中国企業の処世術なのです。