東京五輪への道のりを注視する中国
コロナ禍にある日本で本レポートを執筆しています。
東京五輪を約1カ月後に控えるなか、東京都などは依然として緊急事態宣言下にあり、神奈川県などまん延防止等重点措置を取っている自治体も複数あります。
“自粛”という名の下、国民は多大なる我慢と犠牲を強いられていると感じますが、宣言やまん防が再延長される可能性も高いようです。先行きは全く不透明だと言わざるを得ません。
コロナ抑制、ワクチン接種、経済活動の再開、国民生活の正常化などを含め、あらゆる点にちぐはぐさや中途半端感が否めません。菅政権の支持率は低迷し、東京五輪の中止を求める声は世論で広範に存在するように見受けられます。
そんな現状に拍車をかけるように、米国政府は、このタイミングで、日本への渡航禁止勧告を出しました。
IOC(国際オリンピック委員会)のコーツ副会長は、「宣言下でも五輪は開ける」との認識を記者会見で述べましたが、開催地である日本国民の理解を得るどころか、さらなる反感を買う結果に終わったようです。
そんな日本社会の苦境を最も切実に注視しているのが、お隣の中国であるように思われます。キーワードはやはり五輪です。東京夏季五輪から約7カ月後には、北京冬季五輪が開催予定です。
先週公開したレポート「貧するイタリアにつけ込む中国?両国がステークホルダーの理由」でも扱いましたが、中国が五輪開催に当たって最も懸念するのは、新型コロナウイルスをめぐる不確実性ではなく、新疆ウイグル人権問題などが引き金となり、西側諸国を中心に集団的ボイコットが発生してしまう局面です。この意味で、日本とは勝手が異なります。
とはいうものの、五輪を無事開催するために、日本と中国の間で共通する課題も少なくないでしょう。
新型コロナをいかに継続的に抑え込むか、その過程でワクチン接種率を上げ、経済を活性化させるか、IOCとの関係をいかに良好に構築するか、自国民、そして国際社会からの理解をどう得るかなどが挙げられます。
五輪を1カ月後に控えた今になっても、見通しは全く立たず、開催するのか、中止になるのかも分かりません。
総理以下、政府はただ受け身姿勢で、苦し紛れに答弁や対応を繰り返し、IOCとの関係に至っては、言いなりになりつつ、そこにすがることしかできていないように見受けられる日本とは異なり、中国政府は、習近平(シー・ジンピン)国家主席以下、戦略的に攻勢をかけ、主導権を握るべく奔走していると私は捉えています。
本レポートでは、そんな中国の北京冬季五輪開催に向けた動向を、「ワクチン外交」「対IOCロビイング」という2つのケーススタディーから考察し、その上で、マーケットに対するインパクトに関しても分析を加えたいと思います。
中国のワクチン外交。もはや“空気”なんて読んでいる場合ではない
5月に入り、中国政府は、ワクチン外交で大きな成果を挙げました。中国国有製薬大手「中国医薬集団」(シノファーム)が開発した新型コロナウイルスワクチンが、中国製として、また欧米以外のワクチンとして初めて、WHO(世界保健機関)の緊急使用承認を受けました。
ワクチン有効性は79%といいます。これに続けて、近い将来、同じく製薬大手「科興控股生物技術」(シノバック・バイオテック)のワクチンも緊急使用承認を受ける可能性が高いです。
私の考察によれば、中国のワクチン外交はいくつかの段階を踏んできました。言うまでもなく、自国企業による研究開発、そして政府による国内における使用承認が第一歩です。それを後ろ盾に、次の大きな2つの段階へと進みます。
(1)2カ国間関係という枠組みで、各国政府との交渉を通じて中国製ワクチンを、途上国を中心に無償援助、輸出販売をする
(2)多国間関係という枠組み、特にWHOを基軸としたプラットフォームに、中国としての関与・貢献を売り込んでいく
資本、技術、開発などを含めた経済力を武器に、自国の国際的影響力を高めたい中国政府は、(1)(2)をそれぞれ必要不可欠なパーツと見なし、動いています。
昨年10月、中国は新型コロナウイルスワクチンを共同購入・配分する国際的な枠組み「COVAX」に正式に参加しました。
これも上記の(2)をめぐる、中国が自国のワクチン外交の信ぴょう性を担保、向上させるための動きであり、WHOによる中国製ワクチンの使用承認は、COVAX参加に続く一歩であると解釈できます。
シノファームのワクチンは当然COVAXでも供給されることになりますから、中国としては「してやったり」といったところでしょう。
実際に、中国政府はこれまで、自国企業が開発したワクチンがWHOによって使用承認されることを節目となる目標として掲げ、取り組んできました。
自国企業がワクチンを開発し、自国内で新型コロナのまん延を防ぎ、集団免疫を勝ち取る程度の成果では決して満足せず、それを対外的影響力に転化させて、「中国共産党の正統性」は初めて確保されると考えているのです。
そして、共産党結党100周年に当たる今年から、秋に第20回党大会が開催される予定の来年にかけて、その正統性を脅かし得る最大の不安要素が北京冬季五輪をめぐる集団的ボイコットに見出せます。
その最悪の事態が現実化する可能性を少しでも低くするべく、ワクチン外交を通じて対外的な影響力を高め、「中国という国は頼れる国だ」という印象を植え付けておきたいのです。
中国のワクチン外交を引っ張っているのは習近平国家主席です。最近の動向を見てみましょう。5月21日、習主席は、G20(20カ国・地域)議長国イタリアのドラギ首相、フォンデアライエン欧州委員長の招待に応じる形で、北京からオンライン形式で世界保健サミットに出席しました。
発表した談話のなかで、習主席は、「中国自身、生産能力に限りがあり、自国内でも巨大な需要があるなかで、すでに以下の点を承諾あるいは履行している」としました。
- これまでに80以上の途上国にワクチンを無償援助した
- これまでに43の国にワクチンを輸出した
- コロナによる打撃を強く受けた、コロナ抑制と経済再生が急務な途上国に20億ドルの援助を施した
- 150以上の国と13の国際組織にコロナ関連の物資を援助し、世界中に2,800億枚以上のマスク、34億以上の防護服、40億以上の検測容器を供給した
- これからの3年間で、30億ドル以上を投じ、途上国のコロナ抑制と経済再生を援助する
- すでに3億回分以上のワクチンを供給したが、引き続きそれを実行する
- 自国のワクチン開発企業が途上国に技術移転をし、協力して生産を進める
- 新型コロナウイルス用のワクチンに関する知的財産権を免除することを宣言していて、WHOなど国際機関が一日も早く決断するのを支持する
- 中国とアフリカ諸国との間で、41の病院が協力メカニズムを構築した
- 中国が援助する形で「アフリカ疾病予防管理センター」本部の建設工事が昨年末正式に始まった
また、G20が採択した、最貧国の債務償還を暫定的に免除するイニシアチブに中国は全面的に関与しており、その総額13億ドルはG20加盟国のなかで最大であると宣伝しました。
上記の見出しで「もはや“空気”なんて読んでいる場合ではない」と書きました。その背景には、国内的には抑圧的な、対外的には拡張的な政策を続ける習主席が主導する中国のワクチン外交が、本当に透明性を保ち、国際システムやルールを守った形で行われるのかという疑わしさがあります。
ワクチンを援助、提供する代わりに、中国の核心的利益を認めさせようという、バーター取引を目論んでいるのではないかといった疑念は拭われていません。
ただ、自国が新型コロナを抑え込むためにワクチンを開発、供給することで、中国の対外的な信用力や影響力を向上させ、北京冬季五輪を円満に成功させ、来年の党大会を迎えるために、習主席としては、もはやあれこれ細かいことに気を取られている場合ではありません。
なりふり構わず、できることをやっていくしかない。たとえ信用されなくても、前進するしかないという思いなのでしょう。
実際に、中国のコロナ感染者は相当程度、抑制されています。中国政府の発表を元に、最近の感染者数を見てみると、全国合計で、5月20日=24人、21日=10人、22日=19人、23日=18人、24日=15人で、いずれも死亡者は0人。
ワクチンに関しては、5月24日時点において、計5.3億回分が接種されているとのことです。現時点において、1日の接種回数は約1,500万回で、これを2,000万回まで上げる見通しのようです。
以前も本連載で指摘してきたように、コロナ抑制、経済活動の再開を経て、中国の国民生活はかなりの程度で正常化しています。
海外からの逆輸入や変異株のまん延を食い止めるべく、特に入国管理において厳格な措置を取りつつ、北京が五輪を開催する上で安全な場所であること、コロナに打ち勝った中国は五輪を開催するにふさわしい国だということを内外にアピールしていくものと思われます。
中国はバッハIOC会長との関係を“良好”にマネージしている
IOCとの関係をめぐって、意思疎通や政策協調を含めたちぐはぐさが見られ、それらのプロセスが国民の理解を得られていないように見受けられる日本とは異なり、中国は、北京冬季五輪を開催する上でカギを握るIOCとの関係を“良好”にマネージしているとの印象を私は抱いています。
5月7日、習主席が、日本でも度々ニュースに出てくるバッハ会長と電話会談をしました。習主席は、引き続きIOCと協力し、東京五輪の開催を支持すること、ワクチン協力を強化すること、そのうえで、アスリートの安全な参加プロセスを促すことなどを伝えました。
IOCの立場からすれば、当然東京五輪を開催したいでしょうから、それをサポートする意思を示すことで、東京五輪開催をめぐって苦境にあるバッハ会長に恩を売ろうとしているのでしょう。
習主席はまた、来年2月に開催予定の北京冬季五輪を予定通り開催するために、中国政府が各方面の準備を着々と進めている旨を報告しました。
それによれば、現在、すべての会場はすでに竣工(しゅんこう)しており、競技日程や会場運営、セキュリティーなどについても準備が進んでいて、今年の下半期には各種リハーサルを行い、万全の体制で五輪当日を迎えるべく準備を進めているとのことです。
中国外交部の発表によれば、バッハ会長は中国が各国に先んじてコロナ抑制に成功し、経済再生を実現したことを評価。ワクチン供給などで中国政府と協力を強化することを表明し、『五輪憲章』に基づき、五輪の政治化に反対する旨を習主席に伝えたとのことです。
これらのやり取りを見る限り、中国政府は、戦略的ロビイングを通じて、IOC、特にバッハ会長と良好な関係を築いているように見受けられます。
コロナ発生後、WHO、特にテドロス事務局長との関係を重視、工作してきたように、北京冬季五輪の開催に向けて、引き続き、IOC、バッハ会長との関係を慎重かつ大胆にマネージしていくのではないかと思われます。
本レポートの最後に、マーケットへのインパクトについて考えてみます。以下の3点を指摘します。
まず1つ目に、北京冬季五輪開催うんぬんを抜きにして、中国がコロナの抑制に成功し、ワクチン接種率を高め、抑制の確率と強度をさらに上げることで、国民の経済活動が正常化、活性化することは、中国経済の成長にとって前向きな現象であると言えます。
故に、2つ目として、中国が来年2月に北京冬季五輪を開催するという動機から、コロナの抑制と経済再生に向けて全力を挙げることは、マーケットにとってプラス要因と言えるでしょう。ワクチン開発に従事する中国における医療系の銘柄の動きは注目に値します。
3つ目に、前述したように、中国が北京冬季五輪を開催する上で、最大の不安要素はコロナの抑制やワクチン接種の遅れではなく、新疆ウイグル人権問題を含めた政治的要因です。
これらの問題をめぐって、国際社会からの理解を得られるような自制的政策を取ることで、中国の国としての信用度が増すのであれば、それは、特に外国人投資家にとっての、中国マーケットの吸引力という意味で、前向きな動きになるように思います。
海外には、特に個人投資家の間で、中国共産党による高圧的な政策が原因で、中国という国自体を信用できない、投資するにも消極的、慎重にならざるを得ないという関係者が少なくないように見受けられます。
この不都合な現実を改善する上で、北京五輪へ向けた道のりが、一種の緩衝材になるのであれば、それは万人にとって良いことになるはずだと思います。
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