菅首相訪米にとっての「中国」という意味

 4月16日、米国の首都ワシントンD.C.で日米首脳会談が対面で開催されました。ジョー・バイデン米大統領が今年1月に政権発足後初めての外国首脳として、日本の菅義偉首相をホワイトハウスに招き入れました。

 日本の首相が、米新政権の最初の来客となるのは、1989年、ブッシュ大統領(父)―竹下登会談以来のことです。

 これ自体を誇張的に議論するのは、本質を見誤ることになりかねないと思っていますが、日本にとって、米国との“絆”や同盟関係は、敗戦からの復興、国家の安全と繁栄を促進する上で礎となってきたのは事実です。

 その意味でも、同盟国との関係や連携を重視し、米国のグローバルリーダーシップを再構築する過程にあるバイデン大統領が、米国経済の発展と国家としての信用を取り戻そうと、菅首相を最初に招き入れた意味は小さくありません。

 国内において、新型コロナウイルス対策、経済再生、五輪問題、与党政府関係者のスキャンダルなどで問題が山積みの菅政権ですが、今回の訪米、会談を一つの契機とし、現状打破に臨んでほしいと切に願う次第です。

 4月1日のレポート「米国経済のリアル:現地レポでわかったバイデン政権の温度感と米中対立」で報告したように、先月、私はワシントンD.C.を中心に、米国で取材していましたが、中国問題や日米中関係にまつわる情報収集や意見交換がメインとなりました。

 ホワイトハウス、国務省、国防省などに勤務する政府関係者、大学やシンクタンクに勤務する知識人らと議論を重ねましたが、当時いまだ日程が確定していなかった菅首相の訪米についても、たびたび話が及びました。

 私が交流した政府関係者は、菅首相の訪米や日米首脳会談自体、そして日本の一部関係者が喜んでいるように見受けられる「バイデン政権発足後最初の来賓(らいひん)」といった要素にはほとんど無関心で、もっぱら「中国」を注視していました。ホワイトハウスの幹部が私に語った以下の文言が、そんなバイデン政権の認識や立場を如実に体現しています。

「バイデン大統領はとにかく中国について菅首相と話をしたがっている。中国の脅威や台頭に対処するための日米同盟という理解である。中国に対処する過程で、日米間に認識や立場の違いがあるのは危険で、違いがあるのであればそれを埋める作業が必要だと考えている」

 私自身、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者で、ハーバード大学名誉教授の故エズラ・ヴォ―ゲル氏との共著『リバランス』(ダイヤモンド社、2019年)のサブタイトルで明示していますが、「米中衝突に日本はどう対するか」という点には常に注意を払ってきました。米中間で断続的、構造的、戦略的に展開される競争、対立、衝突(時に協力や連携)を理解し、不確実性やリスクを浮き彫りにするという作業は、日本の平和と繁栄を確保していく上で核心的に重要であるという思いを強くしている今日この頃です。

 このような観点に立ち、本レポートでは以下、菅訪米と中国、という枠組みで、マーケット関係者が押さえておくべきと私が考えるポイントを議論、整理していきます。

「中国」を名指しでけん制し、「台湾」に触れた日米共同声明

 日米首脳会談を、習近平(シー・ジンピン)国家主席率いる中国共産党は固唾(かたず)をのんで見守っていました。特に会談後の共同声明で「中国」をどう記述するかに注目していました。結果、日米首脳共同声明(※1)では「中国」を名指しで批判、けん制しました。

※1:日米首脳共同声明(外務省)

 日米政府は、「経済的なもの及び他の方法による威圧の行使を含む、ルールに基づく国際秩序に合致しない中国の行動」について懸念を共有し、「南シナ海における、中国の不法な海洋権益に関する主張及び活動への反対を改めて表明」し、「香港及び新疆ウイグル自治区における人権状況への深刻な懸念を共有」したなどと声明には書かれています。3月に東京で開催された日米外相、防衛相による安全保障協議委員会(日米「2+2」)(※2)後の共同発表でも、中国を名指しでけん制、批判しましたが、今回の首脳会談はそれを踏襲するものです。

※2:日米安全保障協議委員会(日米「2+2」)(外務省)

 これまで、日米両国は、中国の政策や言動をけん制する際、中国を必要以上に刺激するのは費用対効果が悪いと判断してきたこともあり、名指しを回避してきた経緯がありますが、今後、日米間では、中国への名指し批判が常態化するかもしれません。実際に、私の観察によれば、中国共産党は、自らが同席していない場で中国が議論されること、特に公式文書で名指しされることを極端に嫌う傾向があります。名指しされたかどうかによって、反応や対処の強弱にも著しい変化が起こるのが常です。

 日米首脳共同声明の歴史の中では、1969年の佐藤・ニクソン会談以来、およそ半世紀ぶりに「台湾」に言及したという点も特筆に値します。「日米両国は、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す」と、懸念やコミット(関与)を明記しました。

 中国への名指し、「台湾」への明記を含め、今回の日米首脳会談や共同声明は、中国を刺激する、激怒させるには十分すぎるほどの内容、次元であったといえるのです。

 加えて、今回、共同声明に付随する形で発表された文書「日米競争力・強靱性(コア)パートナーシップ」(※3)でも、中国が赤裸々に意識、けん制されていました。例として、競争力・イノベーションを扱ったこの文書には、次のような記述が含まれています。

※3:日米競争力・強靱性(コア)パートナーシップ(外務省)

・5G及び次世代移動体通信網(6G又は Beyond 5G)を含む安全なネットワーク及び先端的なICTの研究、開発、実証、普及に投資することによって、デジタル分野における競争力を強化

・共通の脅威に対処するための日米両国のパートナーのサイバーセキュリティー能力を構築

・半導体を含む機微なサプライチェーン及び重要技術の育成・保護に関し協力

・共同研究及び研究者の交流を通じた、量子科学技術分野における研究機関間の連携及びパートナーシップを強化

 5G(第5世代移動通信システム)やサイバーセキュリティーは、近年中国が影響力を拡張し、欧米や日本を含めた西側諸国を中心に、国家安全保障の観点から中国の官民一体による動向を警戒してきた経緯があります。半導体に関しては、特に米中“デカップリング”(切り離し)が騒がれるなか、サプライチェーンの問題が顕在化し、経済のブロック化すら起こり得る分野です。量子科学技術分野の研究は、中国共産党が国家戦略の観点から、基礎研究を中心に「十年行動計画」で振興させようとしている分野です。

 日米が首脳会談を通じてこれらの分野における協力や連携を強化するというのは、「中国との競争に打ち勝つ」と明言しているバイデン大統領の政治的意思を踏襲するものであり、中国共産党が「日本は米国の対中封じ込めに加担しようとしている」と受け取るのは必至です。

菅首相訪米で米中対立は激化するか?

 対中国を全面的に打ち出した日米首脳会談を経て、中国外交部は案の定声明文を発表し、自国の立場を主張しました。少し長いですが、中国共産党がどのような文言や言い回しで声明文を発表するのかを紐解くという意味を込めて、全文を翻訳します。

「台湾、釣魚島は中国の領土である。香港、新疆ウイグル自治区は純粋に中国の内政である。中国は南シナ海諸島およびその周辺海域に議論の余地のない主権を擁する。米日共同声明は中国の内政に荒々しく干渉するものであり、国際関係の基本的準則に著しく違反するものだ。中国はそれに対して強烈な不満と断固たる反対を表明する。すでに、外交チャネルを通じて米、日政府に厳正な立場を表明している」

「米日は、口では“自由開放”と言いながら、実際には徒党を組み、仲間を集めて一派を作る“小サークル”を結成し、集団的対抗を扇動している。これは時代の潮流に逆行するやり方であり、本地域、および世界中で平和と発展を求め、協力を促そうとする絶対的多数の国家の共同的期待と相反するものである。世間は、地域の平和と安定を損なうという“米日同盟”の本質と策謀をこれまで以上に明確に認識することになるだけである」

「われわれは米日が中国側の関心を厳粛に扱うこと、一つの中国という原則を守ること、中国の内政干渉および中国の利益を損なうことを直ちに停止することを要求する。中国側は、一切の必要な措置を取ることで、国家の主権、安全、発展利益を断固として守り抜く」

 日本人の感覚からすれば、非常に強い表現に映りますが、文言や内容を含め、中国が従来主張してきた論理や立場を超えるものではなく、「この程度か」と拍子抜けしたというのが私の正直な感想です。また、中国共産党が、相手国を大々的に批判したいとき、往々にして人民日報や新華社といった官製メディアに叩かせるのですが、その特徴や傾向もほとんど見られませんでした。

 中国の自制的とも受け取れる反応が何を意味するか。私は、二つの背景が作用していたと考えています。

 一つには、日米、特に、中国との経済的関係を悪化させたくない日本側の中国に対する一定の配慮です。

 共同声明で台湾へ言及した事実は重いですが、「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す」という内容であり、中国共産党の対台湾政策とエッセンスを共有しています。「台湾海峡」「両岸関係」という文言も、共産党が受け入れられるものです。

 また、政府間の対立が、企業活動にまで影響している新疆ウイグルをめぐる人権問題について、会談後の合同記者会見で、記者からの「ウイグルの人権問題についても日米両政府は深刻な懸念を共有しているが、G7諸国で日本のみが対中制裁を行っていない。こうした点について、バイデン大統領の理解を得ることはできたか」という質問に対し、菅首相は、「わが国の立場や取り組みについてバイデン大統領に説明し、理解を得られたと、このように考えています」と答えています。人権問題への定義、新疆ウイグル問題への対応を含め、日本側が基本的な価値観や考え方は米国と共有しつつも、具体的な対応や取り組みの次元で、国情の違いから、差別化を図るケースもあるという立場を、菅首相からバイデン大統領に直接伝えています。この経緯は、中国共産党からすれば、中国への一定の配慮を意味し、故に、そういうやり取りをした日米首脳会談を、頭ごなしに突き放すのは得策ではないと考えたのでしょう。

 二つめに、中国共産党としても、米国と日本との関係を全面的に悪化させたくない、アジア太平洋地域において「日米同盟vs中国台頭」という構造が既成事実化するのを嫌がっているということです。それによって、外交的に孤立する、中国経済への不確実性やダメージが増すといった懸念あり、また、中国共産党の内部でも、米国や日本との関係を安定的に管理することなしに、中国の近代化や改革開放はあり得ないといった声も小さくありません。

 そんな中国の考えを立証する状況証拠になると私が考えるのが、中国政府が、日米首脳会談と時期を同じくして、バイデン政権で気候変動問題を担当するジョン・ケリー大統領特使の訪中を受け入れ、上海で解振華(シエ・ジェンファ)気候変動担当特使と会談した事実です。会談後、両特使は気候変動に関する共同声明を発表しました。その中で、習近平国家主席の出席いかんが焦点となってきた、バイデン大統領主催の気候変動サミット(4月22~23日)に期待を寄せ、その目標に賛同するとまで明記しました。

 その後、ケリー特使は、韓正(ハン・ジェン)国務院副総理兼政治局常務委員(中国共産党序列7位、上海市元書記)とのオンライン会談に臨み、気候変動の分野における米中間の対話と協力を確認し合いました。中国共産党指導部に、競争や対立が激化するなかにおいても、米国との関係を何とかつなぎとどめておきたいという政治的意思がなければ、日米首脳がかつてないほどに対中けん制で共同作業を進めている最中で、米国との歩み寄りを演じたりはしません。

 そんな党指導部の思惑を裏付けるかのように、筆者が本稿を執筆している4月21日午前現在、習近平国家主席がバイデン大統領の招待に応じる形で、北京からテレビ画面を通じて、22日の気候変動サミットに出席し、重要談話を発表すると、中国外交部の華春瑩(ファー・チュンイン)報道局長が公表しました。

 本連載でも適宜検証してきましたが、バイデン政権発足後の米中関係は、トランプ政権時同様に、戦略的競争を基調に、経済、安全保障、人権といった分野で常に探り合う、罵(ののし)り合う、けん制、警戒、対立し合う関係に終始するでしょう。ただ、そこには、競争のなかに協力あり、対立のなかに対話あり、衝突のなかに連携あり、という前提が横たわっています。そして、トランプ政権と異なる点として、バイデン政権は、プロフェッショナリズム(専門性)への執着という観点を含め、政策の安定性、連続性、予見性を重視する傾向が見出せます。

 そして、中国側もその傾向を歓迎し、米国側との意思疎通に我慢強く付き合っていこうとしているのです。この現状は、米中対立をリスク要因と見なし、嫌がってきたマーケットにとっては、安心材料になり得るといえるでしょうし、米中が目下最も協力する、連携できる可能性のある気候変動という分野に、日本の政府や企業も、きちんとコミットしていくべきだと思います。