※本記事は(上)(下)の2本となっております。

投資から「意味」を分離しよう~「老後資金」「初心者向け」「ESG投資」は適切か?(下)を読む

人間は「意味」にこだわる

 人は、様々な物事に意味を与える生き物だ。大きくは人生や仕事に意味を持ちたがるし、小さな出来事にでも意味や物語を求めようとすることがある。

 意味にはポジティブな側面がある。意味はしばしば行動に目的を与えるし、物事の理解や記憶に意味が有効な場合がしばしばある。そして、概して言うなら、意味を考えることが得意な人は「頭のいい人」だ。

 しかし、お金の世界、特に投資の世界では、「意味」が合理的な行動からの乖離を生むことがある。従って、自分が過剰な意味に捕らわれていないかを時々セルフチェックすることが有効だ。

 本稿では、投資にあって有害な役割を果たしかねない「意味」を複数取り上げて検討する。

 予め大まかな構図を要約しておこう。

  1. もともと「お金」は非常に自由度の高い存在である。
  2. 一方、お金は単純に額が大きい方が、価値が高い。
  3. そして、お金はあくまでも目的を達成するための「手段」にすぎない。
  4. 従って、投資にあっては、効率よくお金を増やすことに集中することが望ましい。
  5. しかし、投資プロセスのあちこちに付随することがある「意味」が、しばしば合理的行動の邪魔をしかねない。
  6. 加えて、ビジネスのコンテクストでは「意味」を利用する人がしばしば存在する。

 それでは、どんな「意味」が合理的な投資の邪魔をするのか見てみよう。4つのグループに分類してみた。

【1】資金使途の「意味」が投資の邪魔をする

 お金のいいところは、使い道を後から自由に決められることだ。お金で何でも買える訳ではないが、多くの物やサービスを買うことが出来る。従って、お金の運用、或いは運用のための投資にあっては(注)、単純に効率が良いことが好ましく、その結果得たお金の使い道は、必要なときに自由に決めたらいい。

(注) 筆者は常日頃と同じく本稿にあっても、「運用」という言葉を広い意味の金融資産運用全般、「投資」を運用のリスクを伴う資金の提供という意味で使っている。この使い方だと、「貯蓄」にはリスクを取らない金融資産運用、「投機」には金融的な賭けといった意味が割り当てられる。

 上記は、少し考えると理解できるはずの常識的な意見だ。しかし、現実の投資の場にあって、投資家は自身で気づかぬうちにしばしばこの常識から逸脱した行動を取る。

 資金使途の「意味」が運用を歪める場合があることを筆者が強く意識したのは、あるセミナーでFP(ファイナンシャル・プランナー)の不適切なレクチャーを聞いた時だった。彼は、聴衆に、「あなたの将来の夢を語って下さい。そのために必要なお金に言わば色を着けましょう。そして、それぞれのお金に合った運用対象を考えましょう。…」と言って、お金の運用の入門講座を始めたのだった。そして、来年の旅行代は銀行預金、数年後の子供の入学金はバランス型の投資信託、老後の資金は株式に投資する投資信託と外国債券といった具合に、資金使途別に運用商品を当てはめる方法を説明した。

 このような方法を使うと、運用が細切れになって全体のバランスが不適切になり易いし、個々の商品の選択も効率の良い商品と異なったものになりやすい。ただでさえ、分散投資が不足したり、あるいは不必要に複雑になったりしやすい個人の資産運用には全く不適切だ。

 運用方法として非効率的であり不合理だと指摘したのだが、このFP氏は、適切な反論ができなかったものの、方法自体の非は頑として認めたくないようだった。運用自体の理解が乏しく、語るべき内容の少ない彼にとっては、顧客と話の接点を作る上でこの方法は具合が良かったのだろう。また、顧客は自分自身の「夢」に対して否定的な印象を持ちにくいから、ビジネス的にも好都合な話法だったのかも知れない。

 FPの相談や金融機関の商品セールスの他に、資金使途と運用手段を結びつけることが不適切になる例は、生命保険の世界でもよく見られる。「この子の将来の学費のために学資保険に加入しよう」と考えて、運用商品として効率の悪い学資保険に入るようなケースが典型的だ。同じだけのお金をもっと効率のいい運用に回して、将来の学費に充てる方がいい。また、「個人年金保険」といった商品の分類やネーミングの「老後に備える自分の年金のようなものとして」という「意味」に引きずられて、実質的な手数料が大きく非効率的な保険に加入するような例でも、「意味」が悪く作用している。

 実はこの種の「意味」が悪く作用するのは、日本のFPや生命保険の顧客に対してだけではない。近年、米国の主に富裕層向けのファイナンシャル・コンサルティングの方法論として有名な「ゴールベースド・アプローチ(Goal-based Approach)」も、お金持ちに将来の夢を語らせて、その実現のための運用をサポートすると標榜しているのだが、実体は単なる「営業話法」の一つに過ぎない。お金持ちは「夢」を語ると気持ちがいいだろうし、プライベート・バンカーと自称する金融マンは顧客の話を通じて営業上有益な情報の収集が出来る。サービスの提供形態がラップ運用になって過剰な手数料が掛かり、運用プロセスのブラックボックス化が起きやすい分、先の日本のFPさんよりもたちが悪いかも知れない。

 ゴールベースド・アプローチを「米国の先進的な方法論」として崇める向きがあるので、注意されたい。全く馬鹿馬鹿しい誤解である。

【2】投資家の属性の「意味」が投資の邪魔をする

 仮に、読者が投資に詳しくて雑誌などのメディアから投資について取材を受ける立場にあるとしよう。おそらく、取材を受けるケースの過半が「何らかの属性を持つ人に対してどう投資をしたらいいかをアドバイスして下さい」という設定に基づくものだろう。設定されている属性は様々だ。「退職者」、「新入社員」、「45歳の男性」、「20代の女性」、「投資初心者」、「投資の中上級者」、「後期高齢者とその家族」、「富裕層」、「投資を始めるサラリーマン」、…、等々幾らでもある。筆者は、今挙げた例の取材を全て経験している。こうした取材を受ける際に感じるのは、取材する側が「投資する個人のタイプによって、適切な投資法、ないしは投資対象が異なるはずだ」という前提を当然だと思っているらしいことだ。あたかも、年齢や性別、体型などによって似合う服が異なるのと同様のことのように、「投資家のタイプ」に合った投資手法や投資商品があると思っているようだ。

 しかし、一つの質問を考えてみよう。

「初心者の投資家は運用効率が悪い投資商品に投資してもいいのでしょうか?」

 この質問の「初心者の」を、「退職者である」とか「サラリーマンの」とか様々に入れ替えて考えてみて欲しい。

 答えは何れも「止めて下さい。それは残念です!」だろう。

 殆どの投資家にとって、運用金額の大きさと、その中でどのくらいの大きさのリスクを取るかにちがいがあっても、リスク・テイクの大きさに対して最も効率のいい運用が好ましいはずだ。本来、難しい話ではない。

 厳密に言うと、リスクの大きさではなく質に差が生じることはある。例えば、勤務先の会社の株式は原則としてリスクの集中の点で好ましくない投資対象だが、勤めている会社が異なると、その対象が異なるという程度の差はある。

 しかし、例えば、つみたてNISA(ニーサ:少額投資非課税制度)の中で投資すべき商品が、投資家が勤めている会社によって異なるということは、ほぼありそうにない。

 現実には、投資家の好みや性格が投資する商品の選択に影響することはあろうが、厳しく言うと投資する個人の好みは運用の効率には関係ない。好みを生かすことよりは、好みに影響されることで運用の効率を落としていないかを反省することの方が、(つまらないかもしれないけれども)有益な場合が多いはずだ。

 金融機関が従うべき金融商品取引法にあっては、投資家の属性に適合した商品を勧めなければならない、通称「適合性の原則」があるが、この原則を厳密に適用すると、セールスマンが投資家に勧めることのできる商品の数はごく限られたもの(せいぜい数個?)になるはずだ。

 リスクの大きさは、リスクを取る商品への投資の「金額」で調整できるので(この点はしばしば見落とされる)、リスクに対して一番効率のいい単独の商品ないし商品の組み合わせがあれば、リスクを取る投資の対象はそれだけで十分だ。他の商品に用はない。

 ここでも、運用商品を提供する側の事情を考えると、見通しが良くなる。「投資家のタイプによって、異なる運用商品がピッタリになる」というストーリーは、非効率的な(大半は売り手にとって収益のより大きい)運用商品を売るためのフィクションに過ぎないのだ。投資家の側では、このストーリーに付き合う必要はない。

 尚、「投資家のタイプ別」のマネー運用特集を組むメディアは愚かなのかが次の疑問となるかも知れないが、これは「その通り!」と「メディアは金融機関から広告を取るから」という答えの2つに理由が分岐しそうだ(「両方!」もあるかも知れない)。

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