今日のまとめ
- タイ陸軍が戒厳令を発令した
- 投資家はタイの戒厳令には慣れている
- タイは外国から侵略されたことがないので政治に継続性がある
- 都市部と農村部がライバル関係を形成している
- 憲法改正で農村部の発言力が強まった
タイ陸軍が戒厳令を発令
先週、タイ陸軍が戒厳令を発令し、憲法を停止しました。
インラック前首相支持派と反対派の間での政権抗争が長期化し、民主主義が機能不全の様相を呈しはじめたことに対し、陸軍が我慢しきれなくなったというのがその理由です。
タイ陸軍による戒厳令発令は1932年以降12回目です。しばしば戒厳令が発令されるので、投資家は慣れっこになっています。
その意味では戒厳令がマーケットに与える影響は限定的だと思われます。
タイの政治
タイは東南アジアの国々の中で唯一、外国から侵略されなかった国です。それと同時にタイの側から周辺国へ侵略を企てることも一度もありませんでした。このため同国の政治にはユニークな継続性があります。
バンコクを中心とする地域は、昔、サイアム(Siam)と呼ばれ、現在でも経済の中心となっています。
一方、北部のチェンマイなどから成る地域はかつてタイ王国と呼ばれ、サイアムとはライバル関係にありました。
この北部地域はミャンマーやカンボジアという近隣国と国境を接しており、それがゆえに外国と交渉を持ってきた伝統があります。タイ王国はそれらの近隣諸国に武力で立ち向かうというよりは、むしろ柔軟な外交で均衡を維持してきました。
南と北の対立
1970年代以降、タイ経済が高度成長期に入るとバンコク周辺の都市部の所得が上昇し、北部との経済格差が広がりました。
南部では海外からの観光客の到着で国際化が進み、豊かで、開明的なインテリ層が出来上がりました。軍部や王室や中央官僚は、皆、そういう価値観を共有しています。そのバンコクで勢力をもっているのが現在、野党の立場にあるタイ民主党です。
これに対して北部の農村は、ずっと「自分たちは取り残されている」という疎外感を味わってきました。
憲法改正のきっかけ
1997年にタイでバーツ危機が発生し経済が混乱すると、タイ政府は外資を呼び戻し、経済を立て直すために政治改革を断行しました。憲法改正による民主化の推進は、そういう意図の下で行われたのです。
その結果、これまで民意が反映されにくかった北部や農村地域の有権者の声が影響力を増しました。その際、実業界から政治家に転身したタクシン・シナワット元首相が登場したわけです。
彼はビジネスマン特有の駆け引きの上手さと、北部地方のしっかりとした支持基盤を武器とし、選挙に勝ちます。
北部の利害を代弁するリーダーの登場は、南部のサイアムの伝統を継ぐバンコクのエスタブリッシュメントにとって脅威となりました。
案の定、タクシン元首相は軍部の勢力を抑え込みにかかります。これに危機感を抱いたエスタブリッシュメント側は汚職容疑でタクシン元首相を国外追放にします。
しかしタクシン支持派の支持基盤は衰えず、タクシン元首相の妹、インラックが首相になり、国外追放になっているタクシンの帰国実現に向けて働きかけます。その彼女も今年5月7日に閣僚人事が憲法違反だったという疑惑をかけられ、首相の職を失っています。
インラック元首相が更迭されたとはいえ、タクシン派の支持母体であるタイ貢献党は現在も与党の地位を保持しており、7月20日の選挙では再び巻き返しを狙っています。
このようにタイの政治は中央と地方の長年のライバル意識によって綱引き状態になっているのです。
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