現在のドル円は昨年のドル円と比べると、環境が2点異なっています。

  • 120~125円台で動いていたドル円のレンジが105~110円のレンジに円高に移動
  • ドル円に対する見方が日米で不協和音を発している

① の背景は、(1)米国の景気低迷と利上げ観測の後退、(2)中国経済の失速(3)原油の急落が主な要因ですが、イエレン議長が利上げに慎重な姿勢を示している理由に「海外経済のリスク」を上げています。「海外経済リスク」とは、名指しこそしていませんが中国経済の失速となります。中国経済の失速が大きく報道されていた時は、米国の景気も昨年12月に利上げするほど順調でしたが、中国経済の失速に歯止めがかかり、ようやく横ばい状況になった時には今度は米国が停滞し始めてきました。原油も30ドル割れから反発しましたが、40ドル以上に戻したとは言え、昨年の100ドル前後から比べると半値以下の水準です。従って、①を生じさせた環境はまだ続きそうな状況のため、再び120円に戻すようなことは今のところはなさそうです。

② の背景は、日銀の異次元緩和によって、ドル円が80円台から100円台、110円台、120円台と、どんどん円安に動いても米国からは何らアベノミクスや日銀に対する批判はありませんでした。ところが、米国の利上げ期待から実際の利上げに進む過程でドル高が進行し、米国企業の減益要因としてドル高のマイナス面が鮮明になってくると米国のスタンスは変わりました。米国は、ドル高は米国の不利益と言い始めてきました。イエレン議長が今年になってから利上げに慎重な姿勢に転じた背景もドル高が一つの理由との見方があります。更に利上げをすることはドル高がさらに進み、米国企業の収益力が低下し、米国経済の減速要因となるからです。そして、この米国の利上げ観測の後退はドル安をもたらし、ドル円も円高に進みました。4月の日銀の追加緩和が見送られると円高が加速し、110円を割れてきました。そして110円を割れてくると、黒田バズーカ砲第二弾の効果が剥落してくることになるため、日本政府から市場に対する牽制発言が頻繁に発せられるようになりました。しかし、この日本の発言に対して米国から、「待った!」がかかりました。

米国 「秩序的」 vs 日本 「為替介入で対応」

4月半ば頃からの日米当局者のやり取りをみると火花を散らしていることがよくわかります。

4月15日 ルー財務長官(円高について)「市場の動きは秩序的」

4月29日 米財務省が半期為替報告書で日本を「監視リスト」に指定

4月30日 麻生財務相(監視リスト指定を受けて)「我々の対応を制限することは全くない」

5月3日 麻生財務相「必要な時にはしっかり対応」

5月9日 麻生財務相「急激な変動には介入の用意がある」

5月13日 ルー財務長官(20-21日のG7会議では)「通貨安競争の回避を再確認する」

米国は、これまではアベノミクスによる円安は為替誘導ではないと黙認していましたが、円高が加速し、日本が介入をちらつかせると、そのことに対してカウンター発言が見られるようになってきました。これら一連の発言のポイントは、米国は「現在の円高進行は秩序的な動きであり、投機的な動きではない。従って意図的な為替対策はすべきではない」との主張に対し、日本は「投機的な動きに対しては為替介入の用意がある。介入で対応する」との主張です。米国「秩序的」vs日本「為替介入で対応」となっています。更に米国側からは日本に対してより強い牽制球を4月29日に投げてきました。それは米財務省が米議会に半期に一度報告する「為替報告書」です。

米財務省の「為替報告書」

米財務省は、これまでも半期に一度(4月、10月)「為替報告書」を作成し、米議会に報告していました。中国の元安誘導がよくやり玉に上がっていました。ところが、今回の報告書では、2月に成立した「貿易円滑化・貿易執行法」に基づき、対米貿易黒字国を「監視リスト」に指定しました。貿易黒字を稼ぐために不当な通貨安誘導に動いた国や地域を「為替操作国」として認定して制裁を発動する仕組みです。不当な「監視リスト」対象国に対しては、米国が掲げる3条件全てに抵触すれば米国は2国間協議で是正策を求め、改善できなければ制裁対象とするとのことです。今回の「監視リスト」対象国は、日本、ドイツ、中国、韓国、台湾の5か国。そしてその3条件とは以下のようになります。

条 件 日本 ドイツ 中国 韓国 台湾
①対米貿易黒字が年200億ドル超 
②経常黒字がGDPの3%超
③一方的な為替介入による外貨買いがGDPの2%超

現時点では3条件全てに抵触する対象国はないようです。しかし、日本が介入を行えば3条件全てに抵触することになります。但し、介入金額がGDPの2%超ですので、約10兆円の介入金額となります。これは下表で過去の介入実績が示すように、かなり巨額の介入金額なのでよっぽどの円高にならない限り、巨額介入は行われないことが予想されます。従って日本が制裁対象国になる可能性は低いですが、おそらく介入を行えば、金額の規模にかかわらず米財務省のみならず米議会からも厳しい批判が飛んでくることは予想されます。これらは円高要因となるので注意が必要です。

政府・日銀による主な円売り・ドル買い介入

時  期 介入規模 当時の為替レート
2001年 9/17~9/28 3兆2107億円 118円台(米同時テロを受けたドル売り圧力の増大)
2003~04年 5/8~3/16 32兆8697億円 106~118円台(イラク情勢の緊迫化)
2010年 9/15 2兆1249億円 84円台(欧州の金融不安)
2011年 3/18 6925億円 81円台(東日本大震災)
8/4 4兆5129億円 77円台(欧米経済の先行き不安)
10/31~11/4 9兆 916億円 76~77円台(オセアニア市場で戦後
円の最高値(ドルの最安値)を更新)

そもそも介入は、自国通貨を売ると相手国通貨を買うことになります。逆に自国通貨を買う場合は相手国通貨を売ることになります。ドル円の場合は、円売り介入は、円を売ってドルを買うことになります。従って相手国の同意が必要というのが国際ルールのようです。どの程度縛りがあるのかわかりませんが、相手国が嫌がっているのに無理やり自国判断のみで介入を行うと、制裁を受けることになったり、今後の協調行動に支障をきたすことになります。従って、麻生財務相がいくら強気の姿勢で臨んでいても、介入実現の可能性は低いというのが市場の大半の見方です。麻生財務相はそのことも分かっていて、しかし、弱気な姿勢を見せるとその隙をつかれるため、強気な口先介入だけを行っているのかもしれません。

日米の不協和音は為替市場ではかなり織り込まれてきましたが、G7の会議や声明文で米国の主張が通り日本が受け入れる場合、あるいは欧州からも批判が相次いだことによって日本が介入に対するトーンを下げる場合には、円高に狙われやすくなることは留意しておいた方がよさそうです。また、ルー財務長官の来日によって日米当局者の発言する時間帯が同じ時間帯になるため、東京市場で相場が乱高下する可能性が高まることも留意しておく必要があります。

そして、もし、万が一介入が実施された時は、一回目の介入は必ず効きますので、介入に立ち向かうことは避けた方がよさそうです。これは、実際にマーケットで介入実施場面を体験した長年の経験による教訓です。その後は介入とマーケットの思惑との心理戦になりますが、必ずしも介入が勝つということはないです。しかし、渦中においてはどの水準で介入が終わるのか、いつ終わるのかは全くわからないのも実情です。もうマーケットでは、日米当局者だけではなく、マーケット参加者も含めた心理戦が始まっているのかもしれません。