前回お話した日本政府の外国人旅行者を増やす目標(2020年までに訪日外国人旅行者4000万人、消費額8兆円)は、昨年11月に安倍首相が掲げた経済目標(2020年までに名目GDP600兆円)に関係してきます。

東京オリンピック・パラリンピックが開かれる2020年までに名目GDP(名目国内総生産)を600兆円にするという目標は、2014年度名目GDP 491兆円を前提に、ここから110兆円増やすという目標です。その増やす内訳も以下の通り提示されています。安倍政権が、今後、財政政策を含めどのような政策を行うかを探る上で参考になります。

2020年
名目GDP

600兆円
上積み
110兆円
経済成長 60兆円
賃金・物価上昇など
50兆円
2014年度
名目GDP  491兆円

経済成長60兆円の内訳は以下の通りです。

経済成長

60兆円
TPPによる輸出の増加 25兆円
東京五輪・パラリンピックに
向けた建設投資
10兆円
訪日外国人による消費 5兆~8兆円
子育て・介護の民間サービス 8兆~15兆円

この内訳をみていきます。TPPの経済効果については、昨年12月に政府は「実質GDPは2.6%増、約14兆円の拡大効果、雇用は約80万人増」と分析していますが、この600兆円目標では25兆円となっています。目標が提示されたのは11月であることや、分析と目標の違いによって数字が違うのかもしれませんが、いずれにしろTPPが各国で発効されない限り、効果を享受することは出来ません。また発効時期が遅れれば遅れる程、効果の発生時期が遅れることになります。

次に東京五輪・パラリンピックに向けた建設投資10兆円については、これはほぼ確実に実行されることが予想され達成率が高いかもしれません。不動産の上昇や人件費の上昇が加われば10兆円を超える可能性があるかもしれません。

加えて、GDPSの拡大が見込まれるかもしれません。GDPSとは、国内スポーツ総生産という概念です。国内スポーツ産業の規模を示す指標として早大スポーツ研究所と日本政策投資銀行が試算したところによると、産業として開拓余地のあるGDPSは2012年度で5.5兆円とのことです。内訳は以下の通りとなっています。

GDPS(国内スポーツ総生産)の内訳(2012年度)

施設 2.1兆円 ゴルフ場や練習所、フィットネスクラブ
小売り 1.7兆円 スポーツ用品、スポーツグッズ
旅行 0.7兆円  
情報 0.6兆円 放送、新聞など
興行 0.3兆円 プロ野球、Jリーグ、相撲など
その他合計 5.5兆円  

興行や情報が上位ではなく、ゴルフ場や練習所、フィットネスクラブなどの施設、小売りが大きく占めていることがわかります。これらは、今後、オリンピックムードが盛り上がってくる中で、拡大していくことは十分予想されます。スポーツ産業の名目GDPに占める割合は、米国の2.9%、英国の2.6%に比べ、日本は1.2%にとどまっており、各国と比較しても日本はまだまだ成長の余地がありそうです。仮に英米並みとなれば、今の倍、つまり後5、6兆円の拡大が見込まれるかもしれません。

訪日外国人による消費の増加5兆~8兆円は、前回お話した通り訪日旅行者数が4000万人を前提にした消費8兆円となりますが、円安か円高かで消費の勢いは変わり、訪日客数の72%を占める東アジア(中国・韓国・台湾・香港)の景気動向、特に中国の景気動向によって訪日旅行者数や消費の勢いは変わってきます。訪日旅行者数はここ数年のように30~50%という勢いでなくても年率15%で伸びていけばよいので、ハードルは非常に高いとは思いませんが、国内の受けいれ態勢が追いつくのかどうか注目です。

子育て・介護の民間サービス8兆~15兆円については、出生率1.8、介護離職率ゼロが前提の試算のようですが、アベノミクスの最重点施策であり、国民の切迫した要望も政権に届いているため、実現可能性はかなり高いのではないでしょうか。この政策が後回しになれば、日本の未来はないということにもなりかねません。

このように見てみると、経済成長60兆円の内訳では、TPP効果が最も心配な項目ということがわかります。また、110兆円の嵩上げの内、賃金・物価上昇などによる50兆円が最も実現可能性が低い項目になりそうです。経済が成長し、賃金が増え、消費に回り、物価を押し上げるという好循環になってこないと、この50兆円達成のハードルはかなり高くなりそうです。

現状をみてみますと、今年のベア上昇率は鈍化し、今年度の企業業績も円安から円高への影響と、中国をはじめとした新興国経済の景気減速から業績の伸びも鈍る可能性があります。そうすると賃金の伸びはなくなり、消費は伸びません。また、世界景気全体が伸び悩んでいるため、石油や資源などの価格は上がらず、金利は低下し、物価が上昇しづらい環境が当面は続きそうな状況です。

これらの経済環境を踏まえて、経済界の中には「この600兆円という目標はあり得ない数字」と実現性に疑問を投げかける人は少なくありません。確かに、2020年までに600兆円の名目GDPを達成するためには約3%の成長を毎年続けていかなければなりません。ここ数年の名目GDPは2012年度0%、2013年度1.7%、2014年度1.5%と3%には届いていません。また、2015年後半の四半期ベースでみても、盛り返した7-9月期は年率2.6%でしたが、10-12月期は▲0.9%となっています。更に4月に発表されたIMF(国際通貨基金)の経済見通しによると、日本の2016年GDPは0.5%、2017年はマイナスの0.1%と予測しています。前回1月時点の予測と比べても、2016年はアジア向け輸出の減速や個人消費の停滞で▲0.5%の大幅な下方修正となっています。更に2017年も消費税増税の影響から、▲0.4%の下方修正となっており、欧米と比べてマイナス成長を予測しています。これでは5年連続3%の道のりは遠く、600兆円目標はかなり高いハードルとなります。

安倍首相が自ら提示した600兆円目標に対して、どのような政策を行ってくるかが今後の注目です。アベノミクスでは、日銀の異次元緩和によって円安と株高(あるいは円安から株高)を演出しましたが、現時点ではその効果は剥落してきています。また前回のG20では、金融政策だけに頼らずあらゆる政策で対応すべきとの共同声明が発せられ、金融政策一本やりに釘を刺されています。更に安倍首相は、アベノミクスを支えてきた円安を自らの発言で断ってしまいました。4月5日付ウォールストリート・ジャーナルに、安倍首相が「通貨安競争は絶対避けなければならない」「恣意的な為替市場への介入は慎まなければならない」と発言したインタビュー記事が掲載されました。首相自ら円安を誘発するような政策や円高を阻止する介入手段を排除したことを海外にアピールしたことになりました。当然のことながら円高が加速しました。

このような状況の中では安倍政権に対しては、財政政策への期待が大きくなってきます。今後は、7月の選挙と財政政策の規模とタイミングにマーケットの注目が集まってきそうです。日銀による追加緩和、特にマイナス金利の拡大は必ずしも円安に動くものではないということを相場は示してきています。また、マイナス金利の悪影響についてもIMFや大手運用会社などから警告が発せられている状況では、政策決定も難しいかもしれません。

600兆円と4000万人、この2つのテーマから今後のシナリを述べてきましたが、皆さんも今後出て来る情報やデータから各テーマの実現性と大きな流れを描いてみて下さい。