「個人資産運用の一般理論」はどこにあるか

先日、金融学会のパネルディスカッションで、金融教育にあってその困難は、金融教育の提供方法が難しいことの外に、たとえば資産運用の方法についてもパーソナル・ファイナンスの研究自体が十分完成していないことに問題がある、と述べた。

この時のイメージは、高度で厳密な個人の資産運用方法が先ずあって、そのエッセンスを損なわないように簡素化することで個人に伝えるべき「運用の簡便法」が出来て、それを学校教育からテレビに至る様々なチャネルで提供していくといい、というものだった。

ところが、ここ数日考えているのだが、もちろん、個人が直面する様々な要素を反映した厳密な方法は研究されて然るべきだが、個人の資産運用の骨格をなす方法論は案外単純で、この方法論を取りだして、必要があればアレンジを加えることが適切なのではないか、という気がしてきた。もともと正しい個人の資産運用法自体が単純なのではないか、という可能性が気になり始めたのだ。

どの個人の資産運用にも当てはまる、言わば「個人の資産運用の一般理論」とでも呼べる方法論があれば素晴らしいが、それは、案外簡単に手の届くところにあるのではないか。

そのためには、世間一般だけでなく、自分自身も囚われている、一見「常識」に見えて、しかし、よく考えてみると正しくなかったり、意味がなかったりする幾つかの先入観を無力化する必要があるように思われる。

本稿は、「個人の資産運用の一般理論」を確立するために必要な論理的前提条件の整備を意図するものだ。

筆者は、これまでに長らく資産運用に関連する仕事に携わり、ファンドマネジャーや投資関連の調査の仕事をして来たにもかかわらず、恥ずかしながら、それでも、正しくない先入観を幾つか持っていた。そして、それらが誤りであることを、過去に分かったり、つい最近分かったりして来たのが現実である。まだ本質の全てに辿り着いたという確信は持てずにいるが、いわば、時間を掛けて薄皮を剥ぐように、有害な先入観はその姿を表した。

例えば、読者は、「短期の運用と、長期の運用とでは、運用の内容が異なる」、「お金の運用にあたっては、運用の目的を明確にしなければならない」、「投資家の熟練度によって、投資すべき商品が変わる」といった意見の幾つかに、「その通りだ」と思われないだろうか。だとしたら、読者の先入観の「毒出し」はまだ十分ではない。

疑うべき七つの「運用常識」

【疑うべき運用常識一】お金の運用にあっては、運用の「目的」を明確に意識すべきだ

家の購入資金なのか、老後の備えなのか、インフレヘッジなのか、お金の運用にあたっては、その目的をしっかり考えて、明確にしておくべきだ、という話をよく聞く。FPの相談でも、相談者の将来の夢を言語化させることがよくあるようだし、これを金融サービスの話法として体系化したのが近年米国のプライベートバンクの世界で流行っている「ゴール・ベースド・アプローチ」(顧客の人生のゴール:目標に応じた金融サービスを提供する話法)だ。

しかし、こうした話は怪しくないか。

そもそも、誰でも、お金の運用の目的は、「お金を増やすこと」に決まっている。これこそが、お金の運用の第一目的であり、そこに将来の資金使途や、まして人生への思いなどが絡む必要はない。

例えば、「将来のインフレに備えるために資産運用が必要だ」とは、運用業界でよく使われる台詞だが、運用でインフレよりも儲かったとして困る人はいないし、逆に、自分が取る事の出来る範囲のリスクで最善の運用を行っても将来のインフレに負けるのだとすれば、生活を縮小するなり、将来の稼ぎを増やす努力をするまでのことだ。

「将来のインフレ」と並ぶ運用業界の二大商材のもう一方の雄である「老後不安」にしても同じ事だ。予定した老後の生活費以上に運用で儲かれば、贅沢するなり、相続するなり、寄付するなりすればいいだけのことで、誰も困らない。逆に、運用の努力では希望する生活費を賄う資産を作ることができそうにない場合、現役時代の生活を切り詰めるなり、老後にも働くなり、運用以外の何らかの行動が必要になるだけだ。

人は、その時にある資産で、その時に可能なリスクの範囲で、可能な限り効率よくお金を増やしたらいい。ただそれだけの事ではないだろうか。

正直に言うと、筆者の場合、適切なお金の運用法が将来の目的と関係無いということが、すっきりと分かるようになったのは、近年になってからだ。

【疑うべき運用常識二】資金の使途別に異なる運用を用意すべきだ

資金の使い道別に、資産運用を行わなければならないという考え方は完全におかしい。なぜならば、お金の使い道は後から自由に変更することができるからだ。

使い道を後で柔軟に決めることが出来る柔軟性はお金の大きな長所だが、狭義の資産運用だけではなく、保険の意思決定にあっても意識すべきだ。各種の生命保険も、がん保険のような医療保険も、「平均的には」加入者にとって相当に不利な賭として設計されている(そうでないと、保険会社が潰れてしまう)。十分な金融資産を持っていれば保険は不要だ。保険に入ったつもりで、保険料相当額を貯蓄ないし投資している方が、保険に入るよりも遙かに賢い場合が多い。

普通の人にとって、生命保険が必要なのは、貧乏な夫婦に子供が生まれた場合くらいだ。この場合、一家の稼ぎ手が、最小限の死亡保障の保険に入ることを検討してもいい(10年かせいぜい20年程度の掛け捨ての保険で余計な特約のないシンプルで保険料の安い物を選ぶべきだ)。

【疑うべき運用常識三】リスクの大きさに応じて投資すべき運用商品は異なる

リスクの大きさのコントロールは、投資対象となる運用商品の種類ではなく、リスク資産に投資する金額でコントロールするのが、正しい。

同じ期間にあって、負担するリスク当たりの期待リターンが最も良い資産があれば(現実的には二、三の資産の組み合わせだろうが)、大きなリスクを取りたい人も、小さなリスクにとどめたい人も、投資すべき対象は同じだ。異なるのは、投資金額だけである。

この点は、運用を考える上で盲点になりやすい。

【疑うべき運用常識四】運用資金の大きさによって、運用内容は異なる

運用にあって、お金にはスケールの自由度がある。たとえば、100万円株式を持つのも、1億円株式を持つのも、同じ時期に同じ銘柄を持つのであれば、リスクとリターンは基本的に同じだ。

「庶民」と「お金持ち」で適切な運用内容が大きく異なるかというと、案外そうではない。お金持ちの方が分散投資の自由度が少々大きいことと、悪い金融マンが寄って来やすいことに差がある程度の違いだ。両者にとって適切な運用は、金額に差があっても、内容的には同じでいいはずだ。

【疑うべき運用常識五】運用計画の「期間」は、資金を運用する期間によって異なる

資産運用の計画を立てる単位となる期間を決定するものは、負債の時間的長さや運用期間によるのではなく、運用するポートフォリオに可能な変化のスピードによるべきである。これを決定するものは、主に取引のコストと環境の変化のスピードである。

たとえば、長期の年金資金の運用であっても、取引コストがゼロであるなら(実際にはあり得ないが)、運用計画の期間は、極端な話、一日でもいい。

現実には、個人の場合、毎日運用内容を検討し調整するのは面倒だし、小さくても取引コストが掛かるとすると、これを年率化した時のコストの影響は大きいので、運用計画を作る時間的な単位は、現実的には一年程度になる場合が多いだろう。

巨額の年金積立金のような資金の場合、売買が取引価格に与える影響(マーケット・インパクト)が大きいので、ポートフォリオの調整には、一年単位よりはもう少し長い期間が必要な場合があるかも知れないが、数年あれば、相当な規模の調整が可能である。

年金の将来の支払い義務のような運用に伴う資金の負債(ライアビリティ)は、資産と共に時価評価し、資産と負債の評価額の差に注目すればいい。

負債の期間が長いからといって、資産側の運用計画の期間を長くしようとするのは、間違いだ。

ちなみに、筆者がこの点に気付いたのは、二十数年前にコンピューターを使って、いわゆるクオンツ運用のシミュレーションをしていた時のことだ。ある種の運用では、手数料コストを小さく設定して、頻繁にリバランスを行うと、計算上高いリターンが得られるが、現実に必要な売買コストを仮定すると、なかなか上手く行かないことが多かった。そして、売買コストの大小によって、最適なリバランスの間隔は変化した。これが、筆者にとって、「運用資金の長さ」が「運用計画の長さ」を決めるのではないと気付いた直接の切っ掛けだった。

ちなみに、運用における負債側の考慮については、負債のキャッシュフローの時価評価を反映すれば、その影響を考慮することができる。

多くの個人投資家にとって、売買金額当たりのコストの影響は似たようなものなので、運用計画を考える時間単位は似たようなものだろう。この点の共通化が成立すると、「個人資産運用の一般理論」はぐっと実現に近づく。

【疑うべき運用常識六】運用商品の選択にあっては、市場見通しと運用巧拙の評価が大事だ

アセットアロケーションに於いて同じカテゴリーの運用商品(たとえば「国内株式」に投資する商品)を比較する際に最も重要なのは「実質的な手数料」の大小だ。同一カテゴリーの商品の場合、市場全体のリターンは共通だし、運用の巧拙は事前には評価できないので、投資家の側で改善できる差は手数料だけになる。

運用商品を評価・選択する場合に、市場全体に対する予想やまして運用の巧拙に対する事前の評価を、実質的な手数料と「混ぜて」評価しないことが重要だ。

同一カテゴリーの他の商品よりも手数料の高い商品は、それだけで投資対象から除外できる。ファンドマネジャーをやっていると気付きたくない話だが、金融論的に、これは真理だ。

運用の巧拙の事前評価のような、本来投資家には不可能な要素を運用商品の選択に反映させようという考え方は適切ではない。尚、運用の巧拙の事前評価は、専門家にも不可能であり、可能だと称する人は怪しむべきだ。

【疑うべき運用常識七】投資家のタイプによって、適切な運用の内容が異なる

どのような投資家も、自分にとって適切なリスクテイクの金額が異なるとしても、リスク当たりのリターンが最も効率的なリスク資産投資(おそらくは複数のリスク資産への投資の組み合わせ)を好むはずだ。初心者でも、ベテランでも、若い人でも、高齢者であっても、リスクに対する態度に違いがあっても、それは同じであるべきだ。

違いは、運用資金の規模やリスクに対する態度の違いによる、リスク資産への投資額の大小であって、リスク資産に投資する際の商品選択ではない。

「個人資産運用の一般理論」完成に向けて

本稿で取り上げた諸前提への「疑い」が正しいとすると、個人投資家にあって、リスク資産への投資額は異なるとしても、投資の内容は基本的に同じものになる可能性が大きい。

「個人資産運用の一般理論」の大雑把な完成形は、概念的にも、現実にも、案外近い場所にありそうに思われる。理論の完成のためには、金融・運用ビジネスの慣行や影響を合理的に疑うことが、引き続き重要であるように思われる。