「ウォール街のランダムウォーカー」11版翻訳出版

投資啓蒙書の名著、「ウォール街のランダムウォーカー」(バートン・マルキール著、井手正介訳、日本経済新聞社)の原著最新版である第11版の翻訳が出版された。同書の前の版は、この連載で何度も取り上げているが、この本は、株式市場の歴史、投資理論、投資の方法が網羅された、この分野では、抜群の書籍である。初版は1973年に出ており、その後、何度も改定を繰り返して今日に至る。

初版が出版されてから、時間が経過したことで、市場の変化もあったが、投資理論にも大きな変化があった。

初版出版の当時は、アカデミックには「効率的市場」の理論を伴うモダン・ポートフォリオ理論が颯爽と登場し、この新理論が旧来のウォールストリートのプロ達の手法(テクニカル分析やファンダメンタル分析)を攻撃するという図式だった。しかし、その後、特に効率的市場の理論は、行動ファイナンスという新しい学説の批判を受けるようになり、効率的市場理論の立場に立つマルキールは、ウォールストリート流を攻撃する一方で、行動ファイナンスに対するディフェンスにも回らなければならない立場にも立つようになった。

これに伴い「ウォール街のランダムウォーカー」は投資理論の解説書としての内容を充実させながらも、攻守双方のトーンと議論が入り交じった、些か複雑な筋の本になって行った。

訳書の前回の版と比較すると、今回の版では、行動ファイナンスに関する議論の決着のさせ方が大幅に変化していることと、個人投資家に対する投資ガイドの部分がより充実したことが大きな変化だ。

この本は、そこそこに大部の本(翻訳で約500ページ)だが細部に亘って読み込む価値のある本なので、本連載でも、今後、何度か取り上げて内容を検討したいと思っている。

「市場の効率性」をどう擁護したか

市場の効率性を擁護する議論にあって、マルキールが、(A)「情報が速やかに価格に織り込まれて、正しい価格が実現すること」と、(B)「アクティブ運用が市場平均に勝てないこと」との、市場の効率性の二つの定義を混ぜながら議論を進めている点は、基本的に前回の版と変わらない。

(B)が妥当であることを以て、(A)でもある、と言おうとしているように筆者には読める。

しかし、論理的には無理をしている。(A)(B)とは、内容的に一致するものではなく、「(A)ではないけれども、(B)である」という事態が論理的にあり得て、現実の市場はこの状態だと考えられる。しかし、市場の効率性の本来の条件は(A)なのだ。

現実の市場は、市場はしばしば大規模に価格形成を間違えるが、これを利用する投資家の能力には、十分大きく且つ安定した差がない、ということだ。つまり、市場は効率的ではないが、非効率性を安定的に利用できる主体が無いということなのだ。

一方、市場が効率的であってもなくても、市場に参加する投資家の平均ポートフォリオを持つ運用は、(1)常に平均的なリターンが得られること、(2)取引コスト(手数料、マーケットインパクト、税金)が小さいこと、を理由にアクティブ運用に対して有利であり、アクティブ運用にあっては、これまでのところ、コンスタントに市場平均に勝てる手法が存在しない。

アクティブ投資家は、いわば市場平均を中心として偏りを持ちながら、ゼロサムゲームをしていると考えることができる。結果的に勝ったアクティブ運用のプラスのアクティブリターンを払っているのは、マイナスのアクティブリターンに陥った別のアクティブ運用者なのだ。

先の(A)(B)との関係を、マルキールは正確に見ていないように筆者は思うが、(B)が起こることの理由と仕組みを、「ウォール街のランダムウォーカー」の最新版は、かなり上手く説明しているように思う。

行動ファイナンスを説明する第10章に続いて、前回版では、第11章で「(B)なのだから、効率的市場の理論は正しいのだ」という空回り気味の議論で結論を出そうとしていたが、今回は、行動ファイナンスに依拠する典型的なアクティブ運用を形式化した「スマートベータ運用」を検証して、アクティブ運用が市場平均に「勝ちにくい」構造にあることを、要領よく見せている。

総合的に見て、前記の論理的な不満は残るものの、前回版と比較して、議論の進め方の納得性が大幅に高まった。

また、米国市場に於ける現実のスマートベータ運用の商品(主にETF)を紹介しているので、興味を持った投資家が、現実のファンドを買う事が出来るという意味で実用的な投資のガイドブックになっている。

スマートベータ運用のメニュー

さて、今回の版では、行動ファイナンスを生かした運用哲学を体現したスマートベータ運用を複数テストしている。

マルキールは第11章の最初の方で、スマートベータには、確たる定義がないと言っているが、後の言及では、繰り返し、スマートベータ運用がアクティブ運用であることを確認している。

スマートベータ運用は、投資するポートフォリオのハンドリングがルール化されているので、ある種のパッシブ運用のように見えるが、ベンチマークと異なるリスクを取ることから間違いなく「アクティブ運用」であり、投資銘柄とウェイトの変化に応じて売買が発生する点もアクティブ運用と同様だ。端的に言って、スマートベータ運用は、「薄めの味付けのアクティブ運用」なのである。

「ウォール街のランダムウォーカー」の今回の版で取り上げた、スマートベータ運用の主なものと、具体的な投資商品は以下の通りだ(投資コンセプト→運用商品【ティッカー・コード】)。

  • (1)PER,PBRによるバリュー投資→VIGAX
  • (2)小型株効果→IWN
  • (3)モメンタム投資→AMOMX
  • (4)低ボラティリティ(≒低β)→SPLV
  • (5)ファンダメンタル指数→PRF
  • (6)(投資銘柄のウェイトが)等金額投資→EWRI

詳しくは本書を読んで頂きたいが、過去をなるべく長い期間で振り返ると、何れの運用も「いい時もあるが、そうでない時もある」といった結果に落ち着いている。

例えば、1930年代から、過去数十年のパフォーマンスを見るとバリュー株運用(利益或いは資産に対して割安な銘柄に重点投資する運用法)は、特段に優れたパフォーマンスではない。「ファーマとフレンチが強いバリュー株効果を確認した1960年代以降は、バリュー株が概して好成績を上げ続けた「特殊な」時期だったという方が適切ではなかろうか」というマルキールの感想には、少なからぬ説得力がある。「なるほど、そういうことだったか」。

スマートベータ運用の中で、ビジネス的にもっとも成功しているのは、ファンダメンタル指数だが、同指数のベンチマークに対する超過リターンは、2009年に集中しており、それは、金融危機で破綻の淵にあるかに見えた銀行株に集中投資していたことによってもたらされた、と指摘されている。たった2銘柄に15%も集中投資して「当てた」パフォーマンスが大きかったのであって、それ以外の期間ではこのいかにも「もっともらしい」指数はベンチマークに勝っていない。

マルキールは、最新のスマートベータ運用を、具体的な投資商品も含めて、丁寧に紹介しているが、彼の結論は、「時価総額加重のインデックスファンドに投資するのがいい」というものだ。

筆者も、市場が(先の(A)の意味で)効率的であろうとなかろうと、ライバルの平均を持つことになる、時価総額加重のインデックスファンドの運用パフォーマンス競争ゲームに於ける優位性には同意する。

ところで、現在話題に上っているスマートベータ運用は、ほとんど何らかの属性(≒ファクター)に大なり方なりウェイトを掛けて、ベンチマークに対するインデックス運用に「味付け」したものだが、例えば、先の(1)(6)は、筆者がファンドマネージャーの仕事をしていた1990年代の前半くらいの時期に、何れも普通の「クオンツ運用」として、コンピューター上や現実に資金を使って試したことがあるものだ。当時は、「ファクター・ティルト」運用と呼んでいたが、形式的な株価指数が介在する現在のスマートベータ運用よりも、柔軟で高度なポートフォリオ管理がなされていた。

過去の経験から言うと、(1)運用のアイデアというものには「意外に進歩がないものだ」、(2)一つの手だけでずっと勝ち続けようとするのは「それは、無理だろう」、という二つの感想を抱く。率直に言って、ファンドマネージャーとしては、(何れも単純な)同じ手で勝ち続けられるはずがない、と思う。

たとえば、バリュー系(割安型)の運用戦略を採ると、1980年代から1995年くらいまでは好結果を出せたはずだが、同じ運用戦略では、1997年~1999年の3年間の「国際優良株相場」(ソニー、ホンダなどが買われた)から「IT株相場」(ソフトバンク、光通信がスターだった)辺りに大敗したはずだ。その後、2000年代に入って、「ITバブル」が弾けた場面で、バリュー型の運用は再びベンチマークに大きく勝つはずだが、現実問題として、その時までファンドマネージャーとして首がつながっているかが問題だろう。実際に、この間に、運用哲学の看板替えを行った運用会社が少なからずあった。

「ウォール街のランダムウォーカー」第11版が語るように、あるスマートベータ運用が勝っているときには、その反対側に特色を持つアクティブ運用がマイナスのリターンに陥っている。スマートベータ運用が「ファクター・ティルト」運用だとすると、個々のファンドマネジャーレベルでは重点を置くファクターを時々入れ替えたいところだが、それが「当たる」かどうかは、人によるだろうし、入れ替えには少なくとも売買コストが掛かるので、結局、「時価総額ウェイトで平均を持つ」という戦略は、運用ゲームの戦い方として無難で且つ優れている。

加えて、重点を置く(「ティルトする」)ファクターを時期によって変えると、「この運用者は、運用スタイルに安定性がない」と運用コンサルタント(率直に言って、役に立たないが、年金基金などスポンサー側には重用されることがある)に判断されて、ビジネス上拙いという理由もプロの運用者にはある。

運用スタイルにこだわらなくてもいい個人投資家は、時々の判断で、スマートベータ運用を行う投資商品を乗り換える自由があるが、「当て続ける」ことは難しいし、同じ運用にずっと賭け続けて好結果を得ることができるとは期待しない方がいい。

尚、これは、株式市場が「効率的」だからそうなるのではなく、単に、人間(投資家)が平等に下手だというだけのことだ。アクティブ運用のチャンスである、ミスプライスは市場の方々で頻繁に起こっているのだが、人間はこれを正確には認識できないのだ。