プロの仕事現場

今回は、意外に類書が少ない外国為替取引に関する「まともな」書籍をご紹介する。元JPモルガン・チェース銀行為替資金本部副本部長など、31年間にわたって外国為替の世界で実務に携わった著者・富田公彦氏による「なぜ専門家の為替予想は外れるのか」(ぱる出版、2015年10月13日)だ。FX取引に興味を持たれている個人投機家にはもちろん、株式投資家にも相場というものを考える材料が含まれている。

本書の最大の強みは、著者が、富士銀行、JPモルガン・チェース銀行、モルガン・スタンレー、ステートストリートなどの金融機関で為替取引の現場にいた人であることだ。また、富田氏は2006年から2007年まで副社長としてケイマン籍のヘッジファンド経営に関わった経験もお持ちだ。

為替のプロの世界の仕事現場の様子が分かることが、本書の大きな魅力だ。

一方、著者のメッセージは明確だ。あとがきの最後の段落を引用しよう。

「あらためて申し上げます。悪いことは言いません。FXには近づかないで下さい。個人投資家のみなさんの来るべきところではありません。」

つまり、著者は、FX取引をするなと言っている。FX取引を提供する会社に勤める者(筆者は楽天証券の社員であり、当社はFXを扱っている)としては、紹介していいものかと迷う本だが、著者の結論が妥当なものかどうか、検討する価値があると考えたので取り上げることにする。

著者は幾つかの理由を挙げているが、論旨の大筋は、プロが為替取引をしている環境と、個人投機家のFXでは(ちなみにFXの参加者は「個人投資家」ではなく「個人投機家」と呼ぶのが正しいと筆者は考える)、(1)情報の量とスピードに大差があり、加えて(2)自分の資金で参加する個人は所詮他人のお金を扱うプロよりも大きなプレッシャーに晒されていて、あまりにハンディキャップが大きくて、勝負になるはずがないというものだ。

著者から見ると、ディーリングルームから遥かに遅れた情報をパソコンやスマホで知り、相場の予想に全く役立たない専門家のコメントに影響され、今やプロの世界では相手にもされないチャート分析を頼りに売り買いする、個人投機家が哀れでならないようだ。

情報はどの程度の差になるのか?

ちなみに、かつて有名になった「ミセス・ワタナベ」的なFXで大儲けした個人は、何十万、何百万とFXの参加者がいるなら、実力など無くても確率的に存在すると指摘されているが、筆者も、この意見に同意する。

たまたま儲けた個人が、まして本当に儲けたかどうか分からない個人が(両者の本質的差は見かけほど大きくないはずだが)、ブログやメルマガで発信する情報は、それが予想であっても、ノウハウであっても、役に立たないものだと考えておくことが賢明だ。

著者は、為替取引にとって本当に重要な情報は、実際にどのように為替が取引されているかというディーリングルームでしか分からない「場味」(ばあじ)だと考えているようだ。しかし取引の様子に関しては、その情報が外に出て来にくい事に加えて、出て来たとしてもオンラインで流れるニュースでさえ大きなタイムラグを持っている。遅れた情報に基づいて判断する個人投機家が勝てる可能性は乏しいと、著者は判断している。

しかも、個人がニュース収集をずっと続けるのが大変なのに対して、一流の(一口に外資系金融機関と言っても一流と三流の差が大きいのだそうだ)金融機関はチームで情報をフォロー出来る。彼我の差は確かに大きい。

ストラテジストの予想は役に立たない

為替を扱う金融機関には為替の「ストラテジスト」と称する職業がある。著者によると、ストラテジストは「情報の収集と分析をしてくれる人」で、ストラテジストの力量差は金融機関にとって非常に大きいという。

一方、金融機関の中で相場を張っている人には、1銭、2銭の瞬間勝負をしているスポット・ディーラーともう少し長めのスタンスでリスクを取りに行くポジション・テイカーがいるが、共に、ストラテジストの予想を参考にしている人など全くいないともいう。「プロは他人の相場観に頼らない。だからストラテジストの予想をあてにしない」のだというのが端的な説明だ。プロもあてにしないのだから、個人もあてにしない方がいいともいう。

では、なぜストラテジストが存在するのか。それは、一つには顧客サービスのためであり、もう一つには「会社の宣伝のため」だということになる。

ダメな相場予想のパターン

世間に流れる為替相場の情報と予想は、多くが、遅いか、事実と異なるか、論理的に間違っているけれども、もっともらしい。

本書では、ダメな予想のパターンが幾つも紹介されており、これは、株式投資家の参考にもなる。

例えば、代表的なものの一つは「相関関係」によるものだ。例えば、夏場のビールの売り上げとアイスクリームの売り上げにはプラスの相関があろうが、両者の関係は、どちらかがどちらかの原因になっているという因果関係があるのではない。たぶん、「気温」が両者をつなぐ原因であり、ビールの売り上げを予想して、アイスクリームの売り上げを当てることはできないし、気温なら当たるというものでもない。

また、相関関係は時期によって変化する事がしばしばあり、データの見せ方によって印象を相当程度操作出来る。

著者があげている具体例は、米国の長期金利とドル円の為替レートの相関だが、ビールとアイスクリームの例でいう「気温」に相当するのは、「米国の景気」ではないかという。

景気にあって一般に雇用は遅行指標とされるのに、米国の雇用統計が、あたかも景気の先行指標であるかのように材料視される現状は、将来変化するかも知れないという著者の指摘はなかなか興味深い。

後付けでそれなりに理由を考える事は出来るが、確かに、米国のマネーサプライ(M1)が重要だった時代もあれば、雇用統計に注目が集まる時期もあり、長いキャリアを持つ、著者の述懐は興味深い。

相関関係を使って予想を説明する相場見通しの他にも著者が怪しいと見る見通しのパターンが幾つもあり、「トンデモ予想・実例集」としてまとめられているので、是非、本を読んでみて欲しいが、情報そのものの信憑性が疑わしいものとして、「ヘッジファンドの動向」、「投資家の注文」、「市場参加者の利益確定」といった、“誰が売った・誰が買った”といった類いの情報を挙げていることが注目に値する。

著者によると、この種の情報の大半は事実に基づかない作り話だという。主な理由は、顧客の情報を漏らすとクビになるディーリングルームの内部者が顧客情報を漏らすはずがないし、漏らしても利益がないからだ。

この種の情報は、メディアの期待に応えて、適当にコメントを語る便利なコメンテーター的なオジサンが流しているものだという。これは、その通りだろう。また、為替市場は、特定のプレーヤーが単独でトレンドを変えられるほど小さなマーケットではない。

例えば、ヘッジファンドが決算期にどうこうするといった類いの話は、ヘッジファンドは決算期にNAV(純資産評価額)を確定させるだけでいちいち現金化などするはずがないし、そもそも、ヘッジファンドと取引のあるプライム・ブローカーの担当者は顧客情報を少しでも漏らすとクビになるので、出来の悪い作り話だというのが著者の意見だ。

真夏に怪談を聞きたい人に幽霊の話をしてあげるような趣なのだろう。

プロはテクニカル分析を相手にしない

為替にあって、テクニカル分析は、少なくともプロの世界では使われていないと著者は強調する。

著者は、株式市場の世界で出来たテクニカル分析を為替の世界に持ってきても役に立たなかったのだ、とテクニカル分析に対して、幾らか同情的な面も見せているが、株式投資の世界でもテクニカル分析は予測の役には立っていないのだから、深入りしないことが適切だ。

90年代に、外国のある金融機関が、チャート分析を為替取引に応用する大規模な試みを行ったけれども、これは失敗に終わり、その後、テクニカル分析で相場を張る金融機関は無いというのが、長年為替の現場にいた著者の見聞だ。

著者は、テクニカル分析を自分であれこれ研究してダメだと結論したようだが、一つ面白い指摘をしている。

テクニカル分析には「流れに乗ろうというトレンド系」と「逆張りでいこうというオシレーター系」があるが、トレンドに乗るべきなのか、レンジで張るべきなのか、「『今どちらを使うべきなのか』というシグナルを出してくれるテクニカル分析は、自分が必死に勉強した中には存在しませんでした」と書いている。

為替と株のちがい

この本に共感出来るのは、為替取引と株式投資の違いを、株式は資産だが、為替は通貨の交換比のやり取りに過ぎず資産ではないと指摘している点だ。

そして、資産については価格を説明する理論がある程度発達しているが、変動相場制になった1973年からせいぜい40年と少々の為替については、為替レートを説明する理論が未発達なのだという。

確かに、為替レートを説明する理論で多少なりともまともと思えるものは、株価を説明する理論よりも複雑だし、現実の為替レートの動きに対して優れた説明力がある訳ではない(著者は「マネタリー・アプローチ」をある程度は認めている)。

確かに、株式は企業に資本を提供して生産活動に参加して利益の分配を期待する行為であり、為替取引は通貨の交換比と金利をセットでやり取りする基本的にはゼロサムゲームだ。長期的な資産形成に有利なリスクテイクは、理屈上、株式投資の方である。

とはいえ、株式の世界の住人ではない著者は言及を控えているが、株式投資の世界のプレーヤーの価格分析力もたいしたものではない。

本当の儲けの源は?

さて、この本には十分語られていない真実が一つ隠されているように、筆者は思った。プロのディーラーの本当の収益の源について、詳しく書かれていないのだ。

情報に近い距離にいて、優秀で多人数のチームを持ち、情報装備も素晴らしい、一流金融機関のディーラーも相場を当てて儲け続けているわけではないことは、謙虚すぎるくらい率直に書かれている。

それでは、なぜ、一流金融機関は為替取引をビジネスとして行い、収益を上げて、著者を含むディーラーは給料・ボーナスを得る事ができるのか。

高度な組織と情報システムの装備、高学歴の人材、専門的なチームなどによっても、為替相場でコンスタントに儲ける方法は見つかっていない。まして、情報も装備も劣る個人が勝てるはずがないというのが、著者の見立てだ。「勝つ」ことに役立っていないのに、プロの世界の人材・装備などを高く評価し、この点で劣る個人を当然勝てないものとみなす論調は、チャールズ・エリスの「敗者のゲーム」とトーンが似ている。両者共に「プロ」というものを相場の上で過大評価しているきらいが少々ある。

筆者は、装備が高度であろうとなかろうと、人間の判断力は相場というゲームでコンスタントに勝てるほど優れていないので、ドングリの背比べ的な状況が起こっているのだと考えている。相場は案外公平だから、個人投資家は卑屈になる必要はないが、だからといって、勝ちやすいわけでもない。

重要な手掛かりらしい話が載っているのは、筆者が読む限り、FXの必勝法が怪しい事を語っている、この本の192ページの記述だ。

著者は相場と勝負して例外的に儲けている「天才スポットディーラー」の感覚とノウハウが全く言語化不能で著者にも理解出来なかったことを率直に記している。その後の文章を引用する。

「いずれにせよ、相場が大荒れになりほかのディーラーの手がすくんでいる時に、逆にうれしそうに取引する天才君の頭の中身を分けてもらうのはあきらめたほうが良いと思います。
ちなみに、普通のスポット・ディーラーは、相場と勝負をしている訳ではありません。お客さんとの取引の処理を利用して、稼ぐ事が仕事です。自分からリスクを取りに行くのは、得意ではありません。天才君は後輩に向かって『お前、なに客と勝負してんだよ! 相手はマーケットだろ』とよく怒っていました。
ポジション・テイカーという、もう少し長めのスタンスで自分の裁量だけでポジションを取る方のお話しなら参考になるはずです。ただ、残念なことに、ほとんどの方がうまく行かずに去っていかれました。必勝法ものをお書きになるとは思えません。」

分かりやすくするために、敢えて博打と呼ぶが(実際に為替取引は合法的な博打だ)、「博打をさせる人」が儲かる世界であり、「博打をさせて貰う人」は損をしていく世界なのだ。「させる人」が「させて貰う人」からお金を取るのが、経済の常識だ。

世界最大・最高のカジノである為替市場にも同じ原理が働いている。