GPIFの運用計画の真の「見所」

現在、株式市場ではGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が近々発表すると予想されている新しい運用計画に、特に資産配分を示す「基本ポートフォリオ」に注目が集まっている。

市場の材料としては、株式市場への直接の資金流入額に「国内株式」に何%配分するか、また、為替市場の需給に影響する「外国債券」、「外国株式」への配分が何%となるかが注目の的だ。もちろん、市場関係者の関心が、リスク資産への配分結果に及ぶことは当然なのだが、実は、GPIFが新しく発表する運用計画で、最も「面白い」ポイントは、国内債券であり、特にその期待リターンだ。

端的にいって、発表される新計画で債券の期待リターンが1%を超えていたら、運用委員会は何も分かっていない、と笑ってもいい。

GPIFは国内債券の比率を50%前後まで低下させるものと思われるが、それでも運用資産の半分近くを占める国内債券の期待リターンの影響は大きい。GPIFは公的年金の財政検証の結果を受けて、「賃金上昇率+1.7%」という運用目標を与えられているが(注:本当のところは、いきなりリターンで目標を与えるやり方自体が運用常識に外れている)、これと辻褄を合わせるためには、債券には出来れば2%くらいの期待リターンが欲しいところだ。しかし、現状では日銀の金融緩和政策による長期債購入の影響もあって、10年国債の利回りでも0.5%前後に過ぎない。

GPIFが国内債券の期待リターンを上げるためには、運用計画が想定する運用期間を10年以上の「長期」として、政府の経済見通しが想定するインフレ率の回復、実質金利の上昇などが実現するものとして、長い期間を平均すると高い運用利回りがあるのだという想定をするしかない。

この場合、「今後数年のうちに、金融緩和政策が終わり、長期金利が上昇するなら、その初期の過程では債券ポートフォリオは債券価格が下落して、一時的にはマイナス・リターンの可能性もあるが、その後、高い利回りで運用することが出来れば、それなりの利回りがあってもおかしくない。文句があるなら、政府の長期経済見通しに言ってくれ」とでも、開き直るのだろうか。ついでに、「年金は長期の運用だ。運用計画の想定期間は、かなり長いものと考えるのが妥当だ」とでも付け加えたら、いかにも辻褄合わせの言い訳らしく聞こえる。

ここまで「想定」して目標数字との辻褄を合わせるなら、ご苦労様と言いたい気分にもなるが、どう考えても、この説明はおかしい。

どこがおかしいか、お分かりだろうか?

取引コストの影響

年金の積立金が長い期間にわたって運用されなければならないことは確かだ。数年で破綻されては国民が困る。しかし、「今」の運用計画を策定するにあたって、10年も20年もの期間を想定して、その期間の平均像を「今」のポートフォリオに当てはめることが妥当なわけではない。

アセット・アロケーションは、ポートフォリオに対して「効用=期待リターン−リスク拒否度×リスク−取引コスト」(注;リスク拒否度は正の定数。リスクは分散で測る事が多い。期待リターンと取引コストは年率化する)といった形の効用関数を設定して、この効用関数の値が最大になるように、資産クラスのウェイトを決定することで達成される。この理屈は、GPIFのような巨額のポートフォリオでも、個人投資家の少額のポートフォリオでも同じだ。

効用関数に対するコストの効き方は次のようなものだ。たとえば、資産Aを10%減らして資産Bを10%買い増しする入れ替えを考える場合、共に売買額の1%のコスト(手数料とマーケットインパクトを合わせた実質コスト)が掛かるとすると、全資産の20%の金額に1%のコストが掛かるので、この入れ替えは0.2%期待リターンを引き下げるコストとして効用関数に影響する。

GPIFの場合、売買手数料は小さいが、1%の配分変更が1兆3千億円の売買を生むのでマーケットインパクトの影響はそれなりに大きい。とはいえ、年間に2〜3%レベルの資産入れ替えは可能だろうし、現実に、それ以上の変更を短期間に行おうとしているのが、今回の基本ポートフォリオ変更だ。

仮に1アセットクラス当たり年間3%の変更ができるとなると、5年でプラス・マイナス15%の配分比率変更が可能だ。1アセットクラス当たりこれだけの変動が可能なら、GPIFとしても、十分な変更幅だろう。ならば、GPIFが想定する「運用期間」はせいぜい現時点から5年程度先までの運用環境の平均像ということになろう。

10年も、20年もの期間の「平均」を想定して、あたかもそれが続くかのような前提で基本ポートフォリオを考えるのは、明らかに間違いだ。

3秒で分かる思考実験

運用期間の想定に納得出来ない向きは、仮に「売買コストが・ゼロで、ポートフォリオの調整に時間もかからない」という状況で、ポートフォリオをどう動かしたらいいか、頭の中で考えて見るといい。3秒で理屈が分かるのではないだろうか。

コスト・ゼロ&調整時間ゼロの場合、アセットアロケーションは期待リターンやリスクの変化が少しでもあれば毎日変更しても構わないし、極端なはなしをすると毎分変更しても構わない。

しかし、現実がそうならないのは、一つには毎日変更する場合年率化された売買コストが膨大で、多少の期待リターンの変化があってもこれを吸収してしまうからだ。

別の例を考えてみよう。仮に、株価高騰が必至と思われる重要情報が明日発表されるという確度の高い情報を持っている投資家がいた場合、この人は、多少の値上がりは気にせずにこの銘柄を買おうとするのではないか(注:この情報がインサイダー情報に当たる場合は犯罪なので、買ってはいけない!)。これは、短期的な値上がり益と売買コストを比較した場合に、前者が大きく上回ると予想するからだ。

それでは、年金運用のアセット・アロケーションが、そう頻繁には変化しない現実的な理由をコスト以外にもう一つ挙げておこう。

それは、期待リターンやリスクが大きく変動したと判断出来るような「情報」を年金基金も運用会社もはっきり言うと「そもそも持っていない」ことが多いし、「少なくとも、頻繁には得ていない」からだ。童話の「裸の王様」のような趣の話だが、GPIFに限らず、これが機関投資家の現実である。

過去及び現在の私も含めて、年金基金関係者も、ファンドマネジャーも、(1)何となく理屈を付けながら、(2)その時点で常識とされる知識の範囲内で、(3)社会的なバランスを取りながら、(4)「適当に」アセット・アロケーションを決めている、のが現実だ。

但し、通常のベンチマークで見て、現在の国内債券ポートフォリオの期待リターンが2%もある筈といった「明らかな現実」を無視するのは、「(2)その時点で常識とされる知識の範囲内」を逸脱する行為なので、「不適当」になる。

GPIFと個人の良い運用のために

GPIFの場合、(1)当たる確度がごく小さい政府の長期経済見通しをもとに、(2)利回りの目標を押しつけられる形で、運用計画を考えなければならないという、そもそも不適切な(運用常識を逸脱した)プロセスに組み込まれている点に不幸がある。

仮に、現状のような金額の積立金の運用を行うとしても、許容可能なリスクの中で、リスクとリターンのバランスを考えて具体的なポートフォリオと共に運用利回りの現実的な想定を行うべきだし、年金財政もそうした前提の下に検証されるべきだ。これは、個人や私企業の資金運用の常識を考えると、明らかなことだろう。

もっとも、この不幸は、これまでGPIFが適切な反論を展開してこなかったことや、政府に運用常識を啓蒙しなかったことの結果でもある。その背景には、期待リターンの想定のような運用結果に直結する部分の責任を、政府の長期経済見通しに転嫁しておきたいとする、一種の責任回避行動があったように思うが、これは、日本の公的年金全体に関わる大きな問題だ。

加えて、日本の公的年金には、現在GPIFが抱えて運用しているほどの積立金が不要・不適切だという、より根本的な問題もある。

個人投資家の場合、GPIFほどマーケット・インパクトを心配しなくてもいいが、視点を長期にあっても、短期にあっても、期待リターンに決定的に影響するような情報を頻繁に得ることがない点は、年金運用の場合と一緒だろう。そして、長期で良さそうなことを、短期でもやる以上に優れた運用が考えられないのが現実だ。

たとえば、株価が割安だと思っても、それが「いつ」上昇するかは分からないので、ともかく保有している以上に良い方法がない。結局、売買コストが決定的に影響するほどの短期でない限り、運用期間が短期でも長期でも、やることは同じになる。

但し、個人の場合でも、市場にありもしない期待リターン(「希望リターン」と呼ぶべきか)を想定してはいけないのは、GPIFの場合と同様だ。そして、リターンを考える以前に、(不愉快であっても)リスクの想定をしなければならないことも、覚えて置きたい。

個人投資家は、市場の材料としてだけGPIFに注目するのではなく、反面教師としてGPIFの運用計画に注目するといい。新基本ポートフォリオの発表前から、非現実的な計画であることを予想するのは、GPIFの運用委員会に対して失礼かも知れないが、メンバーが入れ替わったからといって急に直るものでもなさそうなので、本稿は、予め見所について述べておくものだ。

もちろん、GPIFが「現実的」で「納得性の高い」新基本ポートフォリオを示すなら、それは、大いに結構な話だ。