相談の対価を両サイドから見る

株式を買うにしても、投資信託を買うにしても、個人投資家が証券会社の担当者にあれこれと「相談」することはある。そして、相談に納得したか、或いは、納得しなくとも相手に手間を掛けさせたことの代償として、証券会社に手数料収入が発生する注文を出す個人投資家が少なくない。

例えば、同じ株式や投資信託を買うにしても、ネット証券で買うと手数料が非常に低廉ないしはゼロなのに、対面営業の証券会社窓口で買うと、それなりの手数料が掛かるのが普通だ。証券仲介業を営むファイナンシャル・アドバイザー(FA)を通して投資をする場合にも、顧客は、FAに手数料を払うが、その手数料支払いと自分を納得させる理由は「相談の対価」ということだろう。

「相談」には、運用の「考え方」の相談もあるだろうし、投資判断のための「情報」を求める相談もあるだろう。

さて、この「相談」に本当にどれほどの価値があるかはさておき、相談の対価はどのように決まってどう払われるものであることがフェアなのだろうか。

筆者の思うに、アドバイス手数料のフェアな対価の根拠には二つの要素がある。一つには、そのアドバイスが受容者にもたらす経済的価値から計算されるいわば需要側基準の手数料であり、もう一つには、アドバイスの供給者が情報を生産しほどほどの利益を得るために必要な供給側基準の手数料だ。

かつて、株式の委託売買で固定手数料が幅を利かせていた1990年代までは、証券会社は、個人相手はもちろん、機関投資家相手からでも、相当程度決まった高水準の手数料を取ることが出来た。

自らの恥をさらす話だが、1980年代、1990年代に、機関投資家側でファンドマネージャーの仕事をしていた筆者は、それなりにコストが掛かっているはずの証券会社のアナリストのレポートも、時には、夜のミーティング(要は接待)も、証券会社から表面上は無料で提供して貰っていた。

しかし、自分のファンド(日本株のアクティブ・ファンドの運用者だった)から証券会社に発注する株式の売買では、レポートや飲食のコストの何倍もの手数料を証券会社に提供していたのが経済的な事実だ。ある意味では、自分が運用するファンドの最終投資家が負担してくれるリスクと手数料のおかげで、レポートを読み(あまり役に立たなかったが)、時には美味しいご飯を食べていた(接待を受ける回数は、同僚よりも圧倒的に少なかったが、時に接待を受けたのは事実だ)。

筆者よりも上の世代のファンドマネージャーでは、証券会社から儲かることが確実な新発の株式や転換社債などを個人的に割り当てられる場合もあったし、ロイターなどの情報機器の契約料を一定以上の発注を見合いとして証券会社に払わせるような運用会社もあった。

アドバイスの対価はどこから払う?

「ご飯」その他の話は脇に置くとして、投資の情報やアドバイスの対価は、自分が行う売買に対して(主として)比例的に掛かる委託売買手数料を通じた支払いが適切なのか。あるいは、例えば、定額の情報提供料を別途支払う方がいいのか。

そして、この関係を「個人投資家VS金融機関」に敷衍した時に、個人が金融機関からアドバイスを得て(投資家の得ではない「営業トーク」であることが多いが)、その価値を納得し、その対価を支払おうとした時に、果たして、運用資産額や売買する資産額に比例する「手数料に込み」なのがいいのか、或いは、「アドバイス自体の対価を別途支払う」のと、どちらがいいのだろうか。

良し悪し以前に、どちらが実現するのかについては、運用商品の売り手側と、最終的な投資家である買い手側との力関係によって異なる。

そして、同じ日本の運用会社でも、一基金に対して多くの運用会社が殺到する公的・私的な年金運用のフィー(手数料)は安いが、強力な販売会社(同時に親会社でもある)によって手数料の高い投資信託を売って貰える投資信託の場合は随分高い手数料が設定できるといった差がある。

世界全体の運用業界についても言える事だが、「名誉は年金運用で、お金は投資信託で」が普通だ。

つまり、投資信託に付き合うことが多い個人投資家は、あまり得な立場にはないということだ。

「アクティブ・ファンドの場合、銘柄調査その他にコストが掛かるので、運用管理手数料が高いのは仕方が無い」と本気で思っているおめでたい投資家は、

投資顧問業協会の「投資運用業者要覧」で、大手の運用会社が年金基金等に向けて運用する際の手数料率表を見てみて欲しい(例えば、国内株式特化型なら100億円超200億円未満の資産に対する運用手数料は、税抜きで0.15%くらいだ)。断っておくが、これは「定価」であって、相手によっては更に割引された料率が適用される場合もある。

そして、運用会社の損得以前に、端的に言って、個人投資家は、運用商品を販売する金融機関に対して手数料を払い過ぎだろう。

金融商品・サービスの売り手側から見ると、運用資産額に対して比例的に手数料を取る形の方が、明らかに多くの手数料を取ることが出来るのだ。

顧客側の意識の上では、アドバイスに関しては無料が得だと思う一方、商品の購入に掛かるコストとアドバイスの価値を合計して、対価の正当性の観点から検討するケースは少ない。そして、無料のアドバイスを受けているような気分は、アドバイザー兼商品の売り手から、恩や親切を受けているような気持ちにつながりやすい。そして、商品を購入する時のコストは印象として将来の損益の変動の中に紛れ込んでしまいがちなので、あまり気にならない。

かくして、リスクのある商品・サービスを、アドバイスと商品をまとめて売るビジネス・モデルが、売り手側にとって好都合なものとなる。よく聞くキャッチ・フレーズである「貯蓄から、投資へ」は、売り手側の本音に翻訳すると、「もっと手数料を取りやすい運用へいらっしゃい」ということなのだ。

コンサルティングのアンバンドル化

読者は、運用に対するアドバイスの対価が、運用資産の残高に比例する手数料であったり、あるいは売り買いする金額に比例して掛かる売買手数料から支払われるものなのだとすると、その金額について納得できるだろうか。

「金額に応じたメリットを得るのだから(注;常に得られるとは限りませんが…)、運用資産額比例のアドバイス料支払いでいいのではないか」と思う方は、お人柄はいいのかも知れないが、経済人の判断としては全く甘いと言わざるを得ない。

個人投資家の側が経済的なメリットを最大化する上で鍵になる概念は「コンサルティングのアンバンドル化」だ(「アンバンドル」とは、もともと組み合わせられているものを、別々に扱うことを指す)。筆者は、あるフリーの証券アナリストのフェイスブック・コメントを見ていて、この概念の素晴らしさに気が付いたのだが、お金の運用については、「相談する先」と「商品を購入する先」を意識的に分離して、それぞれを最適なものにしようとすることが決定的に重要であり効果的だ。

合理的な個人投資家は、「相談は無料だったけれども、購入した運用商品では相当の手数料を払った」というような状態に陥ることを、意識的に避けなければならない。

例えば、運用について相談したいことがある場合、(1)運用方法・運用商品の選択に関する相談は信頼できるファイナンシャル・プランナーに相応の相談料を払って行い、(2)相談を踏まえて自分が買いたいと思う運用商品を最適な金融機関で購入する、というステップを踏むことが効果的且つ安全なのだ。

曲者なのは、金融機関の窓口では「相談は無料」がしばしば存在することだ。しかし、無料の相談であっても、間違った情報・知識を提供されたり(ダメな金融商品を紹介されるとは、そういうことだ)、相談に応じてくれた相手に精神的な負い目を負ったりといった、「金融消費者として不利で危険な状況」に陥るケースが少なくない。

筆者が日頃から言うように、退職金が振り込まれた銀行に相談して、退職金の運用を決めて、その銀行で運用商品を購入することは、よくあるけれども、最低の運用デビューの一つだ。

また、運用に関して「コンサルティングのアンバンドル化」は、アドバイスの提供者にとって、今までよりも儲けにくくなるだけであって、本質的に何らアンフェアでは無い。価値のあるアドバイスが出来るアドバイザーは、顧客が認めてくれる価値に応じて、顧客が納得してくれる対価を堂々と受け取るといい。

運用ビジネスに関しても、コンサルティングのアンバンドル化が進むと、あたかも経営コンサルタントの報酬に上下大きな差が付くようになるのではないだろうか。これは、知識やスキルがあってもなくても、同じ金融マンなら、アドバイスに対する対価は皆同じといった状況よりも、売り手側の個人にとってフェアな競争環境だ。

金融庁も、投資に掛かる間接コストを削減して、投資家自身がもっと儲かるようにしたいと考えているのなら、コンサルティング、即ち運用アドバイスを、運用商品の販売からアンバンドル化する方策を考えるといい。