主要国でじわじわ上昇する「エンゲル係数」

 最近、複数の主要メディアが、「エンゲル係数」を取り上げています。足元の物価高を説明する一つのモノサシとして使われる同係数は、家計に占める食費÷国内家計最終消費支出で算出します。以下のとおり、日本を含めた西側の先進国で上昇傾向が鮮明になっています。

図:エンゲル係数(家計に占める食費 ÷ 国内家計最終消費支出)

出所:総務省およびOECDのデータを基に筆者作成

 総務省のウェブサイトには、「エンゲル係数は、消費支出に占める食料費の割合であり、一般にエンゲル係数が低いほど生活水準が高いとされています」と書かれています。逆に、同係数が高ければ、家計に占める食費の割合が高く、それ以外の支出が抑制的になり、生活の水準が低くなることを意味します。

 生活水準が高い人の中には、ESG(環境・社会・企業統治)の考え方を重視し、あえて多めに食費を払う人もいるかもしれません。また、高級志向故、食費が大きくなる場合もあるかもしれません。

 こうした生活水準や意識が高い人たちが同係数を上昇させているという発想もあろうかと思いますが、世界の名だたる複数の主要国で、共通してエンゲル係数の上昇が見られていることを考えれば、生活水準や意識が高い人の件は例外の域を超えず、世界を巻き込んだ大きな潮流をきっかけとした根本的な事象が、同係数の上昇を継続させていると考えるのが自然でしょう。

 グラフのとおり、同係数の上昇は2010年ごろから、目立ち始めています。本レポートの後半で、2010年を起点としたエンゲル係数の上昇の背景について筆者の考えを述べます。まずは、エンゲル係数の動向を一段、深堀します。

食品の小売価格高は世界各地で起きている

 以下は、主要国における国民一人当たりの家計に占める食費と国内家計最終消費支出を比較したグラフです。

 2010年の各数値が2022年に、どの方向に動いたかを確認できます。縦軸が国民一人当たりの家計に占める食費、横軸が国民一人当たりの国内家計最終消費支出です。右に動けば動くほど、最終支出(支出の総額)が増えたことを、上に動けば動くほど、家計に占める食費が増えたことを意味します。

 米国、オーストラリア、カナダ、英国、ドイツは、右上に動きました。食費の増加と同時に、支出の総額が増えたことを示すこの動きは、食料の小売価格上昇による負担を軽減すべく、金銭的面の付与を中心とした支援が行われたことを示唆しています。特に動きが大きかった米国では比較的、その規模が大きかったと考えられます。

 スウェーデンとフランスは、わずかに左上に動きました。食費の増加と同時に、支出の総額が減少したことを示すこの動きは、食料の小売価格を抑制する政策がとられたものの、わずかならその規模が足りていなかったことを示唆しています。

図:国民一人当たりの食費と国内家計最終消費支出(2010年と2022年) 単位:ドル

出所:OECD、世界銀行、Investing.comのデータを基に筆者作成

 国によって動く方向と動きの程度に差が生じたのは、支援の方法や規模が異なるためだと考えられますが、「食費の増加」は上記のどの国でも発生しています。この点から、2010年以降目立っているエンゲル係数の上昇は、世界全体を網羅した事象が関わっていると言えます。

食品小売価格を動かす要因は需要ではない

 以下は、食品の小売価格が決まるまでの流れを示した資料です。川上には、農産物やエネルギーの生産者がいます。彼らが生産する生産物が食材となったり、それを輸送する際の燃料になったり、加工する際に用いられる電気を起こす源になったりします。

 外国で流通する際に決定する国際価格、運賃や保険料を含み、為替の影響を受けた輸入価格、流通業者や加工業者の間で売買される際の卸売価格、そして消費者がスーパーマーケットやレストランなど直に食品を消費する際の小売価格が存在します。食品の小売価格は、末端の価格だと言えます。

図:食品の小売価格が決まるまでの流れ(原材料が外国で生産されていた場合)

主所:筆者作成

 末端の価格を動かすのは、その時の需要と供給の状態ですが、影響が大きいのは供給です。

 世界屈指の輸入国であり消費国である日本で暮らしていると、小売価格を決めているのは需要だと思い込んでしまいがちですが、昨今、各種コーヒーショップで提供されているコーヒーやパンの小売価格や、スーパーマーケットで売られている食用油、各種お菓子の価格が上昇しているのは(価格を据え置き、量を減らす「ステルス値上げ」を含む)、需要が旺盛だからではありません。上の図に書いた輸入価格が上昇しているためです。

 輸入価格は、先ほど述べたとおり国際価格に運賃や保険料を加味し、為替の影響を考慮した価格です。円安が進行したり、航路・空路などに支障が生じるなどして保険料が上がったりした場合も、輸入価格は上昇します。そして何より影響が大きいのが、国際価格の変動です。

 国際市場の分析なくして、食品小売価格の動向やエンゲル係数の動向を考えることはできません(特に日本では)。以下のとおり、食品小売価格を含む社会一般の多数の事象が川下であること、金融政策は物価対策、景気対策などの人為的な調整が川中であること、そしてこれらを網羅するように影響力を行使するのがコモディティ(国際商品)であることを、心にとめておくべきです。

図:コモディティが川上にあることのイメージ

出所:筆者作成

世界の民主主義は2010年ごろにピークアウト

 以下は、食品小売価格に大きな影響を与え得るコモディティ(国際商品)価格の動向です。原油は高止まりしており、液化天然ガス(LNG)、コーヒー、カカオ、小麦、砂糖は底値水準を切り上げています。

 いずれも、2010年ごろ以降続いている長期視点の事象です。短期的な価格の上下はもちろんありますが、長期視点で言えば、2010年ごろに市場の構造に変化をもたらす大きな事象が目立ち始めたと考えられます。

図:各種コモディティ価格(過去約40年間)

出所:世界銀行のデータを基に筆者作成

 2010年ごろ以降に目立ち始めた市場の構造を変える大きな事象は、以下の指数に注目することで確認できます。V-Dem研究所(スウェーデン)が公表している、世界各国の民主主義に関わる情報を数値化した自由民主主義指数です。

 民主主義の根幹に関わる、公正な選挙、表現の自由、法の支配が守られているかなどを数値化したこの指数は、0と1の間で決定し、0に接近すればするほど自由で民主的な度合いが低いことを、1に接近すればするほど自由で民主的な度合いが高いことを意味します。

 以下のグラフは、過去120年間(1903~2023年まで)の世界平均の推移です。

図:自由民主主義指数(世界平均)(1903~2023年)

出所:V-Dem研究所のデータより筆者作成

 第一次世界大戦後、第二次世界大戦後、冷戦終結後に上昇したことが分かります。民主主義を掲げ、建設的な話し合いを経て世界が平和に向かう機運が高まった時代です。逆に、第二次世界大戦や東西冷戦のさなかは低下しました。こうした動きより、同指数はこの100年超、おおむね世界の民主主義の動向を反映してきたと言えます。

 同指数の低下は、民主主義の行き詰まりや、西側の相対的な影響力低下が始まっていることを示唆しています。それはつまり、非西側の相対的な影響力増加、世界分断・分裂の深化が始まっていることを示唆していると言えます。

世界分裂が食品小売価格を押し上げている

 2010年ごろから世界分断・分裂が目立ちはじめた背景には、ESG(環境・社会・ガバナンス)とSNSの世界的な普及が挙げられます。

 ESGは、企業が環境や社会問題に取り組む姿勢を評価する投資手法として普及しましたが、2023年にはESG投資からの資金流出が過去最大規模に達したり、米国の金融大手のCEOが「もうESGという言葉は使わない」と発言したりするなど、岐路に差し掛かっています。

 このことは、行き過ぎた環境保護や行き過ぎた人権保護が、ESGを提唱する西側と、産油国や専制的な体制を敷く国が多い非西側との間で、分断・分断が進んできたことを示唆しています。

 SNSは、感情優先、建設的な議論なしが許される世界であるため、民意が濁流と化す場になり得ます。2010年ごろ以降、武力衝突を伴う政権転覆が相次いだアラブの春やBREXIT、2016年・2024年のトランプ氏の米大統領選挙の勝利など、民主的かどうか議論が必要な大きな出来事が起きています。

 最近では、SNS上で偽情報が横行したり、誹謗中傷が相次いだりして、建設的な議論ができなくなるケースが散見され、社会問題が発生しています。SNS起因の民主主義の後退は、民主正義と考える西側の影響力後退、ひいては非西側の台頭を許すきっかけになり得ます。

図:2010年ごろ以降の世界分断発生とコモディティ(国際商品)価格上昇の背景

出所:筆者作成

 世界分裂・分断は、戦争や資源国の出し渋りの直接的なきっかけになり得ます。そして戦争や資源国の出し渋りは、コモディティ(国際商品)の価格を上昇させるきっかけになります。

 世界で分断・分裂が目立つことで、「自国第一主義」が目立ちやすくなります。そうすると、自国の「食やエネルギーの安全保障」を訴える国が増えやすくなります。その結果、資源を武器として利用する国が増えやすくなります。実際に今まさに、人為的な「減産」は原油で、政治的意図を持った「輸出制限」は小麦などの農産物で断続的に行われています。

 こうした主要な生産国による「資源の武器利用」は、コモディティ(国際商品)の需給を引き締める大きな要因になっています。武器利用の原因である分断・分裂が、2010年以降の世界規模の大きな潮流の中で起きたことを考えると、早期に武器利用をやめさせることは困難だと言わざるを得ません。

 それはすなわち、各種コモディティ(国際商品)市場に、強い上昇圧力が長期にわたりかかり続けること、ひいては「エンゲル係数」の上昇が継続する可能性があることを意味します。

[参考]コモディティ関連の投資商品例

投資信託(NISA成長投資枠 対象)

SMTAMコモディティ・オープン

海外ETF

インベスコDB コモディティ・インデックス・トラッキング・ファンド(DBC)
iPathブルームバーグ・コモディティ指数トータルリターンETN(DJP)
iシェアーズ S&P GSCI コモディティ・インデックス・トラスト(GSG)