1962(昭和37)年10月22日
キューバ危機、米ソ開戦リスクに動揺
1962(昭和37)年10月22日、ソ連の親密国キューバへのミサイル基地建設が判明し、J.F.ケネディ米大統領が海上封鎖を実施すると発表しました。米ソの対立は深刻化し、世界は核戦争の恐怖に震えました。
キューバは1959年の社会主義革命後、ソ連に急接近。1962年には軍事同盟を締結し、ソ連から資材を搬入して核ミサイル基地の建設を始めました。米国本土がミサイルの射程内に収まるものでした。
米国は10月14日にミサイル基地建設現場を空撮。写真解析でソ連製核ミサイルの存在が判明すると、同月22日にケネディ大統領がキューバ封鎖を発表しました。しかし、武器や基地建設用の資材を積んだソ連の輸送船は、米国がカリブ海の公海に設定した封鎖線を目指して航行を続け、軍事衝突は現実味を増していきました。
こうした中、米ソは水面下で衝突回避に向けた妥協点を模索し、接触を重ねました。最終的にソ連のフルシチョフ首相がキューバ行きの輸送船に帰還を命じ、最悪の事態を回避しました。
1962年10月22日の日経平均株価終値は
1,255円57銭
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