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著者の愛宕伸康が解説しています。以下のリンクよりご視聴ください。
日銀の植田総裁が正常化と言うのを嫌がったワケ~難しい追加利上げの理由付け~

 日本銀行が先週マイナス金利を解除した後、頭の中でずっと引っかかっていたのが植田和男総裁の「普通の金融政策を行っていく」という言葉です。

 普通の金融政策とはどういう意味か。正常化と言うのを嫌がったことと何か関係があるのか。2006~2007年の利上げを振り返ってピンときました。今年、追加利上げが実施される可能性は低いかもしれません。以下で詳しく解説します。

「普通の金融政策」の意味と植田総裁が「正常化」と言うのを嫌がったワケ

 3月18~19日に行われた金融政策決定会合(MPM)後の記者会見で、植田総裁は記者から「今後の利上げの進め方について何かイメージはあるか」と問われ、以下のように答えました。

物価・経済見通しに従って、適切な政策金利水準を選んでいくということになると思います。ただし、(中略)緩和的な環境を維持するということが大事だということに留意しつつ、普通の金融政策を行っていくということになると思います。
(出所)日本銀行、楽天証券経済研究所作成

 つまり、植田総裁の言う「普通の金融政策」とは、物価・経済見通しに従って適切な政策金利水準を選ぶことであることが分かります。さらに、記者から「今回、正常化に一歩踏み出したということか」と聞かれ、以下のように答えています。

異次元緩和で様々な手段を使ってきましたけれども、現状の経済・物価見通しを前提とし、目標と照らし合わせてみると、そうした異次元の手段は必要なくなって、短期金利という手段を中心に緩和的な環境を維持していくことが適当という判断に至ったということでございます。
(出所)日本銀行、楽天証券経済研究所作成

 さらに記者から繰り返し「正常化」について質問され、以下のように答えました。

正常化という言葉に込める意味は人によって違うと思いますけれども、今回様々な手段はやめたということに尽きるかなと思います。
(出所)日本銀行、楽天証券経済研究所作成

 このように、3月の記者会見では、「正常化」という言葉に対する植田総裁の慎重な姿勢が妙に目立ったわけですが、この一連の発言からは、これから行うのは「普通の金融政策」であって「正常化」そのものが目的ではない、「正常化」という言葉が独り歩きするのはまずい、というニュアンスが伝わってきます。

2006~2007年の利上げの背景~金融不均衡の蓄積への懸念と「のりしろ」~

 実は、2006年3月に量的緩和を解除し、その後同年7月と翌年2月に利上げを実施したときも、正常化そのものを利上げの理由にはしませんでした。まず、7月の利上げですが、以下のような理由が声明文に記載されています。

日本銀行は、これまで長期にわたりゼロ金利を維持してきたが、経済・物価情勢が着実に改善していることから、金融政策面からの刺激効果は次第に強まってきている。このような状況のもとで、これまでの政策金利水準を維持し続けると、結果として、将来、経済・物価が大きく変動する可能性がある。
(出所)日本銀行、楽天証券経済研究所作成

 さらに、下が2007年2月の声明文にある記述です。

経済・物価情勢の改善が展望できることから、現在の政策金利水準を維持した場合、金融政策面からの刺激効果は次第に強まっていくと考えられる。

このような状況のもとで、仮に低金利が経済・物価情勢と離れて長く継続するという期待が定着するような場合には、行き過ぎた金融・経済活動を通じて資金の流れや資源配分に歪みが生じ、息の長い成長が阻害される可能性がある。
(出所)日本銀行、楽天証券経済研究所作成

 ポイントはいずれも金融不均衡の蓄積(バブル)に対する懸念です(下線を引いた箇所)。確かにこの時期、円キャリートレードと呼ばれる、安い円を借りて外貨資産で運用する取引が盛んに行われたり、不動産市場でミニバブルが発生しているといわれたり、韓国では円ベースの住宅ローンが組成されているといった話まで聞かれました。

 米国ではサブプライム住宅ローンによるバブルが発生し、その崩壊がリーマンショックにつながり、世界的な金融危機に発展しました。2006~2007年当時の日銀は金融市場できな臭さが増していることを明らかに感じ取っていましたし、だからこそ何かあった時の「のりしろ」、つまり利下げ対応余力を稼いでおきたいという思いが強かったのかもしれません。

 実際、日銀が2007年2月の後も追加利上げを実施しようとしていたことが、当時の声明文の最後に記述された以下の文言から伝わってきます。

先行きの金融政策運営については、引き続き、極めて低い金利水準による緩和的な金融環境を当面維持しながら、経済・物価情勢の変化に応じて、徐々に金利水準の調整を行うことになると考えられる。
(出所)日本銀行、楽天証券経済研究所作成

2006~2007年と今との大きな違い~金融不均衡への懸念と「2%」~

 2006~2007年当時と比べれば、物価上昇率や為替水準などからみて、今の方がはるかに利上げの環境が整っているように思えます(図表1)。しかし、当時との大きな違いが二つあります。一つは、サブプライム住宅ローンのようなきな臭い話が今のところ聞かれないこと、二つ目は「物価安定の目標」(消費者物価上昇率2%)を設定していることです。

<図表1 各種経済指標の局面比較>

(注)春闘の賃上げ率は連合の最終集計結果(24年は第1回回答集計結果)。潜在成長率とGDPギャップは内閣府推計値。
(出所)総務省、内閣府、厚生労働省、連合、日本銀行、ブルームバーグ、楽天証券経済研究所作成

 バブルの萌芽のようなきな臭い話も伺われず、「物価安定の目標」実現が見通せる状況になったといっても、本当に実現するか確証が持てない今の段階で、正常化だけを理由に追加利上げを行っていくというのは、確かに「2%」が実現しなかったときのリスクが大きすぎ、植田日銀にとって無理筋だということは理解できます。

植田日銀にとって当面のリスクは円安

 となれば、やはり植田総裁が指摘するように、追加利上げの決め手になるのは経済・物価見通しの上振れということになります。しかし、今年1月の「経済・物価情勢の展望」では、2025年度の消費者物価(除く生鮮食品)の見通しが前年比1.8%とすでに2%に近く、これを上方修正するのでしょうか。それはそれで思い切った予測になります。

 あるいは、前回のレポートで指摘した通り、見通しを少しだけ上方修正した上で、「2%」の持続的・安定的な実現の確度が一層高まったと説明するのでしょうか。そうした目線で改めて植田総裁の下の発言を読むと、なんとなくその可能性を考えているようにも感じます。

2%の持続的・安定的実現の確率という観点で申し上げれば、まだ100%ではないわけですけれども、だんだん上昇してきて(中略)、大規模緩和の解除に必要な、ある種の閾値を超えたということで、今回の判断に至ったということでございます。

さらに、それが上昇するということになれば、見通しが変わったという言い方になるかと思いますが(中略)、また政策金利水準の引き上げにつながるということになるかと思います。
(出所)日本銀行、楽天証券経済研究所作成

 植田総裁は、経済・物価見通しの上方修正までして追加利上げなどしたくないと思っているのではないでしょうか。実際、インフレ率が「2%」に収束していくか分からないわけですし、欧米景気や政治の不確実性、海外中央銀行の動きなどを踏まえれば、当面、このまま様子を見るのがベスト・プラクティスといえます。

 問題は為替です。為替が過度に円安に振れるようなことがあれば、輸入物価の上昇を通じて再びインフレ圧力が強まり、消費などをますます抑制することになります。為替が政策変更の直接的な理由になることはありませんが、日銀の背中を押すことはあり得ます。その場合は、経済・物価見通しの上振れが表の理由、円安抑止が裏の理由ということになります。