今回のサマリー
●イスラエル情勢は高をくくる段階ではない。
●投資家としてリスクの広がり3段階、投資マネーの反応3段階を踏まえる。
●しかし地政学的リスクにかかわらず、株式は秋相場の連騰。この切り返しをどう捉える。
●緊急時の避難、そして勝機をつかむための行動ルールを作る
「世界の火薬庫」の有事
高金利過敏症の米株式相場を、新たな地政学リスクが襲いました。10月7日、イスラエルが、パレスチナ自治区を実効支配するハマスによる大規模なテロ攻撃を受けたのです。イスラエルはこれを戦争行為として、徹底した反撃に出ています。日本がのんびり過ごしていた3連休中、欧米では、ニュース・メディアがイスラエル情勢一色と言って過言でないほどで、不安と緊張でピリピリした空気感でした。
しかし週明けの米国株は、最初こそうろたえ気味に反落したものの、すぐに切り返して、その後は続伸しています。有事など危急時に投資家はどう対応すべきか、当レポートは地政学リスクの投資トリセツです。
今回のイスラエル情勢を軸に、「世界の火薬庫」とさえ言われる中東の地政学の構図を整理します。なお、筆者は中東の専門家でも地政学の専門家でもないことを、まずお断りしておきます。投資家としての観点で解説しつつも、この戦争が早く終息することを願う気持ちを、皆さまと共有します。
有事拡大の3段階を注視
パレスチナ自治領ガザ地区はイスラエルとエジプトに挟まれた位置にあります。そこを実効支配する武装勢力ハマスは、常にイスラエルと敵対してきました。そのハマスが7日に、数千発のロケット砲をイスラエルに打ち込み、地上から、空から、海から奇襲してきたのです。
イスラエルと全面戦争になっても、ハマスの戦力では勝てないと言われます。それでもこれだけの戦闘行為に及んだ背景は、イスラエルがアラブ諸国のスンニ派盟主サウジアラビアと国交正常化するのを阻止しなければならないという危機感が指摘されます。サウジは国交の条件として、イスラエルにパレスチナとの関係の安定を求めていました。ハマスはアラブ対イスラエルの構図を喚起して、サウジを引き離すことを狙っている、と言われます。
中東は「世界の火薬庫」と言われ、一触即発で戦禍が広がりかねない地政学にあります。投資家としてウオッチするには、以下の3段階で影響度の次元が異なることを踏まえておきます。
(1)イスラエル対ハマス
(2)イスラエル対イラン
(3)米欧と中露の関与
イスラエルは、ハマスを背後で支援するのは、アラブ諸国シーア派盟主とされるイランと見なしています。イスラエル対イランの戦争となれば、戦禍ははるかに大きくなり、原油相場が急騰するでしょう。
イスラエルを支持するのは米国と西欧です。一方、ロシアや中国は、イスラエルとハマスに自制を求める声明を出してこそいるものの、米軍がイスラエル支援に向かい、東アジアやウクライナへの関与が弱まることに期待があると目されます。
つまり、上述の3段階の一線を一つ越える度に、原油相場への影響、さらに米国のイスラエル支援による米財政赤字拡大、国債金利上昇、さらに中東のみならず欧州、アジアの地政学リスクの高まりというリスクの広がりと強大化が懸念されます。
緊急時に投資マネーはどう動く
地政学リスクなどショックが市場を襲うとき、市場への影響は、投資マネーが以下の3段階のどこまでの対応になるかを検討します。
第1段階:逃げる(避難する)
不測のショック時に、投資家はまず損害を被り得る投資ポジションを削減し、安全資産の現金、国債、金などに避難します。
今回は中東の有事として、原油価格が上昇しました。安全資産の金も値上がりしました。米国では、国債金利が低下し、リスク資産の株は売られました(詳細は動画で解説しています)。しかし、この時点での有事リスクの広がりは、まだ(1)イスラエル対ハマスまでであり、市場は、(2)対イラン、(3)大国の関与への広がりを具体的に織り込めません。このため、各市場の1次反応は限定的でした。むしろリスク資産の株式は、下落を切り返して、急速に反発しています。その背景事情は後段で解説します。
第2段階:止まる(動けない)
世界へ影響するほどの有事では、金融・投資マネーは、必要な避難をした後、身動きしにくくなります。この時、資金繰りに窮するのは債務に依存する国や企業などとなり、それらの資産は劣勢になります。図1は、2001年9月11日に米国が同時多発テロ攻撃に見舞われた時、為替市場で主要通貨がどう動いたかを示しています。債権国通貨のスイスフランや円、債権債務トントンでも二大通貨の一方であるユーロが上昇し、米国対比で債務ポジションが大きい加ドル、豪ドル、NZドルが下落しました。
近年は、ドルの信認が上がり、「有事のドル買い」も起こり得る現象です。今回、かつてほど債権国通貨の効力がない円は、「有事のドル」と見合って、ほとんど反応しませんでした。その後、米国債の金利低下を見てから軟化する程度にとどまり、スイスフラン上昇の初期微動に遅れをとっています。なお、これら通貨の反応は、第2段階の債権・債務間圧力ではなく、第1段階の逃避反応のうちと言えます。
第3段階:ファンダメンタルズ次第
地政学的リスクが、世界の経済・金融に影響を及ぼし、ファンダメンタルズが変化すると、それに見合って市場は動きます。
以上、緊急事態における投資マネーの反応は、現時点のイスラエル情勢では、第1段階の初期微動程度にとどまり、第2段階、第3段階へは、市場が具体的に織り込めない(認識上の)距離感があります。
図1:2001年9月11日米同時多発テロ時の為替相場
米国株は逆風に負けず秋相場へ
米国株は、9月には高金利に悩まされて下落しました。10月に入ると、3~12日には金利動向に影響する雇用・インフレ指標の発表が続くため、このハードルを越えてからが、秋相場らしいリズムになるかと想定して臨みました。そこに突然、中東の地政学リスク発生が重なり、場面場面で緊張しながら、相場をウオッチしました。その上で、その時々の幸運な巡り合わせと、秋相場へ投資家の旺盛な買い意欲を確認し、前向きスタンスを維持しています。その経緯をご案内します。
図2は、米10年国債(価格)とナスダック総合指数(1時間ローソク足)を並べています。9月後半は、米国債の価格低下(金利上昇)に沿って、あるいはそれ以上に、株は売られました。それが10月に入った2日、国債相場下落(金利上昇)にもかかわらず、株は堅調でした。実は、大手投資銀行がエヌビディア株を推奨し、AI(人工知能)関連としてGAFAM5社も連れ高になり、指数全体を押し上げたのです。
国債相場から乖離(かいり)した株高、6社以外の株式相場の重さを勘案して、3日JOLTS求人数、4日ADP雇用者数とISMサービス業景況指数、5日失業保険申請・給付、6日雇用統計というハードルの前では、相場の反落リスクに備えました。実際、指標の強弱に応じて、株価は神経質にひどく高下しました。しかし図の通り、金利対比で株式は見事に底堅さを保ちました。
株式相場は、この水準を越えたら底割れで急落かという分水嶺(ぶんすいれい)でたびたび踏みとどまりました。背景でサポートになった1つは、10月からの季節的な買い意向が旺盛だったことです。特に業者推奨のエヌビディアが買われることで、市場で不必要に弱気が広がらずに済んだことも大きいと思われました。
別の背景は、FRB(米連邦制度理事会)当局者から、「これ以上の利上げは必要ない」と示唆(しさ)するハト寄り発言が、本当に相場の分水嶺ギリギリラインで繰り返された幸運です。6日の雇用統計による株安、9日の地政学リスクによる株安も、彼らのハト寄り発言をきっかけに切り返しました。国債金利が低下し、株式相場は秋の買い意欲から来る出遅れ焦燥も手伝い、連騰するに至っています。
図2:ナスダック指数と米国債10年価格(紫、右軸)
緊急対応の投資トリセツ
地政学的リスクが現実のものとなり、市場をショックが襲う事態への投資家の対応は、当レポートで整理してきたように、まず、地政学的問題のリスクの構図を整理することから始まります。今回は(1)イスラエル対ハマス、(2)イスラエル対イラン、(3)米欧と中露の大国の関与、という3段階で、まずマグニチュードを分類しました。現時点はまだ(1)にとどまっています。
その上で、投資マネーの動きが、第1段階ではリスク投資削減と安全資産への逃避、第2段階では金融が滞ることの相場への圧力、第3段階が経済ファンダメンタルズの変化で捉えます。今回は第1段階の限定的な初期微動にとどまっています。
その上で、踏まえてほしいのは、「正常性バイアス」です。これは、災害時にもかかわらず、日常的な感覚のままに、自分は大丈夫だろうとか、警報も誤報かもしれない、避難も多分また無駄足だろう、とか勝手に判断すると、致命的な事態に巻き込まれるかもしれないという戒めとして語られることが多い心理現象です。
しかし、自然災害と異なり、投資において致命的な事態にはそうそう巡り合わないでしょう。そうなると、ショック性の相場下落には、不安とともに、「ここは買いの好機かもしれない」という欲も伴うものです。この思いが、相場の切り返しを見て、焦燥的な追っかけ買いも生み出すのです。
地政学リスクの危険度と、ショック性の相場下落のチャンスを、どう見比べたらよいでしょうか。単純に「有事は買い」と割り切りたくはありません。ここが分かれ道というような一般化されたルールはないのです。そうであればこそ、有事リスクの段階分け、投資マネーの対応の段階分けをご案内した次第です。
ただし、これらを考える時に徹底してほしいのは、リスクを前にうろたえるのではなく、リスクに主体的に関わってサバイバルに奔走するレスキュー隊員の目線で行動ルールを備えることです。リスクには臆病なほど慎重に、勝機への切り替えは果敢になるためのイメージを思い描いてみてください。
■著者・田中泰輔の『逃げて勝つ 投資の鉄則』(日本経済新聞出版刊)が発売中です!
本コンテンツは情報の提供を目的としており、投資その他の行動を勧誘する目的で、作成したものではありません。銘柄の選択、売買価格等の投資の最終決定は、お客様ご自身でご判断いただきますようお願いいたします。本コンテンツの情報は、弊社が信頼できると判断した情報源から入手したものですが、その情報源の確実性を保証したものではありません。本コンテンツの記載内容に関するご質問・ご照会等には一切お答え致しかねますので予めご了承お願い致します。また、本コンテンツの記載内容は、予告なしに変更することがあります。