景気の停滞感を象徴する足元の物価動向

 ここのところ、「中国経済はデフレに陥っているのではないか?」という議論が日本でも活発に行われるようになった。バブル崩壊後、長らくデフレを経験し、「デフレスパイラル」、「デフレマインド」といった言葉がはやった日本だからこそ、他のどの国よりも、お隣中国経済のデフレ動向に敏感なのでしょう。中国を自らに当てはめ、中国経済の「日本化」(ジャパナイゼーション)といった比喩すら見受けられます。

 4-6月期以降における中国の物価動向を見てみましょう。

  消費者物価(CPI) 生産者物価(PPI)
7月 ▲0.3% ▲4.4%
6月 0.0% ▲5.4%
5月 0.2% ▲4.6%
4月 0.1% ▲3.6%
中国国家統計局の発表を基に筆者作成。
数字は前年同月比 ▲はマイナス

 特に注目すべきなのがCPI(消費者物価指数)ですが、中国政府が今年のCPI上昇率目標を「3.0%前後」と設定している中、足元は横ばいどころか下落に転じています。今週末、9月9日に発表される予定の8月の数値にも注目したいですが、少なくともこれらの数値だけから判断すると、中国で物価は上昇していない、インフレは起こっていないと言えます。

 私が中国の政府系シンクタンクや政府にアドバイスをする立場にある経済学者らと議論してきたところによると、中国の潜在成長率は5.5%程度だと試算されており、李強(リー・チャン)首相率いる中国政府もそのように認識しているようです。

 そんな政府が設定したGDP(国内総生産)成長率目標は、昨年が5.5%前後、経済活動に深刻なダメージを与えた「ゼロコロナ」策などの影響もあり、結果的に3.0%しか成長せずに、今年は5.0%前後に下方修正していますが、これらの目標設定からしても、潜在成長率が5.5%前後というのはそんなに的外れな数値ではないのでしょう。

 問題は、潜在成長率が5%を超えている状況下で、インフレが起こっていないどころか、デフレ傾向が見いだせる昨今の中国経済ということでしょう。今年年初、新型コロナウイルスの感染拡大を徹底的に封じ込める「ゼロコロナ」策が解除されたものの、3年続いたコロナ禍で、経済、市場、経営者、消費者がいかに疲弊、困窮してきたか、経済を正常に立て直すことがいかに難しいかを物語っているようです。

 資産運用に野心的な中国の投資家たちも、所持金をどこに投資していいのか迷っている空気感が日本にまで伝わってくる今日この頃です。

中国政府は「デフレ疑惑」をどう思っているのか?

 中国国家統計局が4-6月期の主要経済統計を発表時に開いた記者会見において、中国の記者から「6月のCPIは横ばいで、PPIは5.4%下がりました。デフレ時代の到来を意味しているのですか?」という質問がありました。それに対して、同局の付凌暉(フー・リンフイ)報道官は次のように答えています。

「足元、中国経済にデフレ現象は存在しないし、次の段階でも出現しない。物価が段階的に低レベルにあることは確かだが、経済成長、通貨供給といった関連指標からすれば、中国の経済がデフレ状況にあるというのは実態に符合しない見方である」

 今年の上半期、中国のCPIは0.7%の上昇(1-3月は1.3%)ということで、通年目標である3.0%には遠く及ばない状況が続いています。その背景として、付報道官は、4つの特徴を挙げています。

1.食料価格の下落
2.エネルギー価格の下落
3.サービス価格は若干上昇
4.核心的なCPI数値は基本的に安定

 足元の物価低迷は「国内、海外におけるあらゆる要素が複合的に作用した結果であり、段階的なものである」というのが中国政府の公式見解のようです。一方、次のようにも語っています。

「3年続いたコロナ禍から、国民や企業の収入は一定の影響を受けた。市場の需要が回復するのにも一定の時間を要する。生産、需要間の回復が同時進行ではないことも、昨今のCPI低迷を引き起こしていると言える」

 中国経済が、需要不足という構造的苦境から抜け出せていないこと、海外から流入する影響、そして昨年同時期のCPI数値が高めだったことも、足元の物価低迷に影響していると説明しています。

 このように見ると、中国政府として「デフレではない、デフレは起こらない」とは主張するものの、
『それが段階的、一時的、暫定的なものだったとしても、デフレ的な現象は一定程度存在している。それが中国経済の持続的成長に与え得る影響については警戒し、対応策を考え、実行する必要がある』という認識を抱いている」というのが私の解釈です。

インフレ、景気過熱、バブルを警戒する中国政府

 中国政府は足元、「デフレ傾向にある経済」をどれだけ深刻に捉えているのでしょうか。

 統計局報道官が公式見解として述べるように、昨今の「物価低迷は一時的なもの」というのが中国政府の立場です。実際にそう考えているのでしょう。その意味で、今年下半期を通じて、あるいは来年にかけて、CPI上昇率が横ばい、下落するような状況が続けば、それは「一時的」ではなく「構造的」な現象になりますから、中国政府の読みは外れることになります。

 実際、中国経済を俯瞰(ふかん)すると、工業生産、個人消費、不動産市場、失業率、為替レートなどを含め、停滞感、不況感をほうふつとさせる数値がずらっと並んでおり、デフレ傾向からの脱却という意味で、予断を許さない状況が続くことは間違いないでしょう。

 一方で、中国政府の経済認識をきちんと押さえておく必要があるとも私は思っています。

 リーマンショックを挟み、過去20年中国政府の景気への反応や対応を観察してきた経験則からすると、中国政府は(1)インフレ、(2)景気過熱、(3)バブル(特に不動産)に対する許容度、忍耐力が弱い、というのが私の現時点での判断です。

 要するに中国政府は、

・世界経済、中国経済が相互依存する中、どのような状況、段階、局面にあったとしても、基本的な姿勢として、金融政策を引き締めなければならないほど極端なインフレが起きるくらいなら、デフレ基調のほうがマシ。

・景気が過熱するくらいなら、若干冷え込んでいるくらいの方がマシ。

・不動産バブルが形成される(その後崩壊)くらいなら、住宅価格が横ばい、下落するくらいのほうがマシ。

 だと考える傾向にあるということです。

 そう考える背景には、(1)、(2)、(3)がそれぞれ、あるいは同時発生的に起こることは、14億という巨大な船を運行させなければならない中国としては、不安要素が増大し、状況次第では、社会不安、政治不安につながりかねない、という彼らなりの経験則が作用しているようです。

「物価が急騰すれば人民は暴れる、だが物価下落で人民が暴れることはない。」

 そのように考えているようです。

 もちろん昨今、中国の人々が、全体的に物価が下がっていると感じているかどうかは別問題ですし(実際そうは思っていないでしょう)

「物価は急騰するより下落するほうがマシ」というマインドセットと、経済の持続的成長の間に存在する矛盾にどう対処すべきか、というのもまた別問題と言えます。

 今週末に発表されるCPI、PPI統計に注目したいと思います。