今回のサマリー

●米景気後退リスクは、蜃気楼のように、近づくと遠のいて今に至る
●FRB議長の「スタッフはもはや景気後退を予想していない」発言にはちょっと引っかかる
●米景気は、遅行的で緩慢なサービス業、雇用、消費の悪化前に、製造業が持ち直すかがポイント
●一方で、高金利、逆イールド、実質金利上昇の下での銀行貸出など金融指標には危うさも
●とりあえず「FRBには逆らわない」投資アプローチで、何もしないリスクを抑制

景気の崖は蜃気楼か

 最近まで米景気は、利上げの累積効果、銀行の連鎖破綻、ビッグテック企業のリストラなどで、折々に景気後退も間近かと懸念を呼びました。景気悪化は株式にとっては「崖」、逆業績相場に転落するリスクになります。ところが程なくすると、経済は、後退懸念が杞憂(きゆう)に思える底堅さを見せることを繰り返して、今日に至ります。近づくと遠のく蜃気楼(しんきろう)のような状況です。

「スタッフはもはやリセッションを予想していない」

 これはFRB(米連邦準備制度理事会)のパウエル議長が、7月26日のFOMC(米連邦公開市場委員会)後の記者会見で語った言葉です。リセッション、すなわち景気後退が来ないなら、株式市場がこの先に逆業績相場局面の大きな下落に見まわれるリスクは小さくなります。

 米利上げが終了間近になり、逆金融相場の株安が終息して訪れるのが、相場の中間反騰です。今回はそれを生成AIという大テーマが補強しています(図1)。景気悪化が限られるなら、このまま株高サイクルになるでしょうか。景気しっかり、インフレ軟化であれば、「ゴルディロックス(適温相場)」に思えるかもしれません。

 しかし、金利は景気中立とされる2.5%水準を大きく上回り、イールドカーブは逆転(短期金利が長期金利を上回る状態)しており、景気悪化の到来を示唆しています。ここでインフレ率が軟化していくと、「(名目)金利-インフレ率」の実質金利は上昇し、金融引き締め効果を強化すると見られます。

 当レポートは、明暗両にらみが解消されない段階で、パウエル議長の言葉、時間の経過とともに見える景観の変化を踏まえ、蜃気楼のような「景気の崖」の今、そして、そこでの投資対応を考えます。

図1:米株式サイクルの展開イメージ

出所:Bloomberg、田中泰輔リサーチ

パウエル発言の気がかり

 市場での材料解釈は相場次第という面があります。相場が上がれば、上げ材料が証明されたかのように強調され、相場が下がれば、下げ材料が正当化されるといった具合です。

 実は、パウエル議長の「もはやリセッションなし予想」の言葉は、株式市場で最初からはやされたわけではありません。会見では、米景気は陰りもあるが堅調だ、インフレは鈍化の兆しもあるが依然として年+2%目標には程遠い、追加利上げはあり得るがデータ次第、と特段何も語りはしませんでした。    

 それでも相場は言葉尻にいちいち神経質に反応して、高下を繰り返し、パッとしない展開のまま引けました。

 翌27日には、米国の第2四半期GDP(国内総生産)の成長率が前期比年率+2.4%と、市場予想+1.8%を上回った一方、インフレ指標であるデフレーターは予想を下回る鈍化となりました。景気堅調とインフレ鈍化という株式には最善の結果と受け止められ、相場は寄り付きから急伸しましたが、債券市場では金利が上昇し、長期金利が4%台に。これに驚いたように、株式相場は反落しました。

 もっとも、債券の売りも、債券金利に反応した株式の売りも、程良いGDPに対してなら、過剰反応でしょう。28日には、長期金利は3.9%台に下がり、株式も週引けまで高値追いになりました。株高になったことで、パウエル議長の「もはやリセッションなし予想」の発言ばかりが、市況解説の論調に出てきたようです。

 しかし、パウエル議長の言葉には、最初から引っかかるところがありました。「(FRBの)スタッフは」の部分です。「え?そこ?」と言われそうですが、FRBのバーナンキ元議長、イエレン前議長、あるいは植田和男日本銀行総裁など、自らが分析技能を持つトップなら言わない表現だろうと思えたのです。

 パウエル氏は弁護士出身で、経済分析を専門としていません。分析技能を持たないトップに、景気やインフレについて報告する経済分析担当スタッフは、判断を念押しするように問われたら、曖昧さを抑えて、自分なりの見方を強調するでしょう。

 パウエル議長はコロナ禍以降、インフレは一時的と強調し、やがてタカ派に急変、今年初めにはディスインフレと安堵(あんど)を見せ、3月金融危機で利上げの累積効果を気にし、6月には年内2回の利上げ必至と切り返し、今回は景気に自信…と見方を切り替えてきました。コロナ禍という異常時で、是々非々の試行錯誤は致し方なしであり、当たり外れを問題にするつもりはありません。しかし、どうも発言切り替えの明暗コントラストが強すぎないかとは感じてきたところです。

米国経済の現在地

 米経済の見方について、時間の経過と共に、見るべきポイントは切り替わっていきます。踏まえていくべき基本は、景気の好調サイクルでも悪化サイクルでも、全ての指標がシンクロして一緒に動くのではなく、個々の指標が時間差で変化を連ねていく傾向があることです。

 景気過熱、インフレ急伸に対応してFRBが利上げを急ぎ、長短金利が急上昇していく中で、真っ先に反応して悪化に転じたのは住宅です。また、コロナ禍での需要増に応えようと積極的に供給を増やした分野の製造業も、脱コロナと金融引き締めで、先行的に悪化に向かいました(図2)

 もっとも、GDPにおける比重は、住宅部門が数%、製造業も2割ほどです。ここからいよいよ景気悪化かという展開では、GDPのそれぞれ7割強を占め、幾分遅行的にゆっくり変化するサービス業、個人消費の悪化に至るか、その背景として雇用が悪化するか、を見ていくことになります(なお、GDPに占める上記の比重は、個人消費と住宅は需要面、製造業とサービス業は供給面の集計であり、分類項目が異なることをご留意ください)。

 コロナ禍での特殊性は、脱コロナとなったサービス業は、依然回復途上の分野も多く、求人は(鈍化しつつも)依然高水準で、賃金を上げており、それが個人消費を支えている面があります。個人消費は、潤沢な財政給付金の残りや、株高による資産効果もあり、底堅さを保っています。

 一方、インフレが、これら需要の鈍化を待たずに鈍化し始めたことが、株式市場で好感されています。その背景は、そもそも今回の高インフレが、住宅、自動車、燃料など、コロナ禍の特殊事情で供給制約が強まり、コスト・プッシュによるところが大きかったためです。この面が一巡し、現在は、企業の値上げと賃上げのスパイラルの抑制に主眼が置かれていますが、こちらは、景気悪化が深まらなければ、下げ渋る可能性があります。

 気になるのは金融指標です。パウエル議長は会見の中で、信用引き締まり問題に深入りする発言はありませんでした。しかし、高金利、逆イールド、実質金利上昇の下、米銀行の貸出基準は厳格化されたままです。借入需要も減退しており、銀行貸出残高は頭打ちになっています(図3)

図2:米ISM製造業・サービス業景況指数

出所:Bloomberg

図3:米商業銀行貸出・リース残高

出所:Bloomberg

どう読む、どうする

 雇用がしっかりで、サービスも個人消費も落ち込まないうちに、生成AI(人工知能)から始まって製造業も持ち直すという流れになれば、景気は、底浅の調整くらいはあっても、基調的に堅調さを保つと言ってよいでしょう。次の段階として、そのままインフレが鈍化し、金利も下がっていくなら、願ったりかなったりです。

 しかし、景気の堅調は、インフレの下げ渋り、金利の高止まりなどから、信用引き締まりを招くリスクを先送りするだけとの見方は可能です。しかも、今も信用引き締まりはボディーブローのように経済を圧迫しているはずであり、にわかに問題を顕在化させる可能性をくすぶらせているという警戒を、慎重派の筆者は抱き続けています。今後、パウエル議長の発言がまた明暗切り替わる状況を排除していません。

 それでも、サイクル投資の原則の一つは「FRBには逆らわない」です。FRBの見方が、結果として間違っていたとしても、表明された当初には、市場はそれをコンセンサスとして受け入れて動きます。したがって、FRBがリセッションはないと言うなら、それに沿ったサイクル投資の対応を(一部でも)行い、自らが抱く警戒要因に対してより一層の注意を払いながら、時間の経過と共に見方をアップデートしていけば良いだけです。

 このアプローチは、今回のように、生成AIというテーマで、相場の中間反騰が強化されたまま、上昇トレンドが優勢になる可能性に対して、何もしていないリスクを回避するための措置と言えます。工夫としては、短期投資から時間分散投資へつないでいくトレンド追随戦術をご案内してきました。

 8月になり、サマーラリーが一服すれば、相場追認での誇張的な強気も冷静になるでしょう。気持ちを落ち着けて、8~9月辺りに情勢を見ながら、冷静に参入の仕方を思案できるかと期待しています。

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