【質問】山崎元さんの本やコラムは大体読んでいる40代独身女(子なし)です。仕事に追われ少ない休日は趣味のゲームと睡眠で、いつも覇気溢れる山崎さんとは関わる事のない人種だと思います。山崎さんの本やコラムなどを読んでいると自信に満ちた言葉を羨ましく思う時があります。強い心や自信の持ち方など御教授願います。これからもご自愛ください。
【回答】実は、私は、自信を持っておらず、自己評価の低い性格です。
せっかくご質問を頂いたので、たまには「自分語り」をしてみたいと思います。
コラムの文章や動画の話しぶりなどから、私のことを、「自信家で、強気の人物」だと思う人がいるかも知れませんが、私自身は、どちらかというと悲観的で、何よりも自分に対する評価の低い性格なのです。
自己評価の低さを露骨に言語化すると「自分は、せいぜい頑張っても普通くらいなのだ」という気分です。たとえば、容姿で言うと、自分は幸い背の低いチビではないけれども、顔やセンスは良くないし、せいぜいキチンと身繕いして普通並みに受け入れて貰えるくらいの外見だろうか(「普通」に自信があるわけではない)、と感じているわけです。「頭の良し悪し」とか「モテ具合」とかについても、同様です。
容姿・頭・モテ、などは自分で勝手に思い込めば、案外それで通る属性ですが、自分自身に対するナチュラルな相対感覚が「中の下」くらいなのです。この感覚は、自分よりもものを知らない人や自分が気づく程度のことに気づかない人のことを「普通未満の明らかに劣る人」と評価することに繋がります。自分にも他人にも優しくない「嫌な性格」だと自分でも思います。
自分にも他人にも厳しいことが、キャリアや職業上プラスに働いた面はありました。しかし、他方でマイナス面も実に大きかった。多すぎる転職回数も、偉くもお金持ちにもならなかったこれまでの人生も、多くはこの性格に起因しています。本人にとっては、決して幸せな性格ではありませんでした。
性格形成の責任は大半が自分自身にあったと思いますが、一部は、厳しい母親に「安心させないように」育てられた幼少期に起因するように思っています。
さて、それでは、自己評価の低い性格である私が、なぜ強気な自信家に見えるのでしょうか。理由が二つあるように思います。
一つは、私が主に仕事のフィールドにしている「お金」の問題は、前提をはっきりさせると必ず答えがあって、二説の良し悪しが数字で評価出来るような、結論が明確な世界だからです。正解が明確で、ダメな意見は「バカの値段」が数字で分かるような世界です。もちろん、長年同じ問題を考えて来た蓄積があってのことではありますが、自分に懐疑的で弱気な私でも、多くの意見を自信を持って言うことが出来るのです。論理で答えがハッキリしている世界でなら、反対者が多くても自説に自信を持つことが出来る。しかも、反対者達が烏合の衆に見えるおまけ付きです。
もう一つは、私が、方法論として、「自分が間違えていたら、訂正すればいい」との割り切りを持っているからでしょう。これは、元々の自己評価が高くないことをプラスに使えている例かも知れません。
自分の意見を訂正する勇気があるからといって、必ずしも意見を表明しなくてもいいわけですが、「思ったことは、是非言いたい」と常に感じているのは、私が、他人に興味があり、他人に働きかけることや、他人から評価されることに関心が高い「外向性」を持っているからだろうと思います。
こうしたあれこれが、(1)正しくて、(2)できれば面白いことを、(3)なるべくたくさんの人に伝えたい、という私の行動の3原則につながっているのだと自分では理解しています。
だから、どうだ、ということは何もないのですが、私が「自信に満ちている」のではないこと、それなりに苦労しながら自分の性格と折り合いをつけていること、を知ってもらうと少し満足です。
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