退職金増税と決まったわけではない…が大騒ぎ
6月、株高で気を良くしているところに不安を投じた話題が「退職金課税見直し」というものです。
2023年の骨太の方針(経済財政運営と改革の基本方針2023)に、退職金課税の見直しが掲げられ、すわ「退職金の非課税枠の縮小化」と騒がれているわけですが、本当でしょうか。
現状をまず確認してみましょう。現状の退職所得控除枠は勤続年数が20年までは年40万円、21年目以降は年70万円となっており、転退職をするとまたゼロからカウントすることになります[iDeCo(イデコ:個人型確定拠出年金)や企業型確定拠出年金は60歳未満で受け取れないので、カウントが継続される]。
一つの会社で40年勤めると2,200万円と十分な非課税枠ですが、2社に20年ずつ勤めると1,600万円分しかありません。これは本人の転職意思を妨げる一定の抑止効果を税制が示していることになります。
骨太の方針の中ではこう記載されています。
「…自己都合退職の場合の退職金の減額といった労働慣行の見直しに向けた「モデル就業規則」の改正や退職所得課税制度の見直しを行う。…」
これだけでは、減額ともなんとも書かれているわけではありません。仮に転退職に中立的なものとするなら、「勤続40年の時代だと考えるなら年55万円の退職所得控除で統一。むしろ70歳現役社会の到来(22歳から48年働く社会)を念頭に年57.5万円だっていい(つまり平均値でフラットにする)」と私は理解します。
しかし、どうも世の中は「20年以上働いても年40万円しか退職所得控除が増えないようにする=実質退職金増税だ」と騒いでいるようです。
確かに気になるのはこの退職所得控除の見直しがiDeCoの非課税枠にも影響することです。
会社の勤続実態とは関係なく、iDeCoへ拠出をした年数がiDeCoの一時金受け取り時の非課税枠になりますから、退職所得控除が縮小するということになれば、iDeCoの課税範囲も拡大するということになります。
このテーマ、実際のところ、どのような可能性が考えられるでしょうか。実は私、テレビ局からの取材依頼があってコメント準備をしていたのですが、タイミングが合わずお流れになってしまったので、ここで考え方を紹介してみたいと思います。
(参考)内閣府 骨太方針2023
連合は「年60万円フラット」を提案、そうカンタンに「年40万円フラット」にはならないのでは
さて、骨太方針、つまり最後に公開された資料では「退職所得課税制度の見直しを行う」とあっさりとした指摘ですが、議論の経過をみると、いくつかの方向が分かります。
例えば、経済財政諮問会議の第9回では勤続20年超の増額について「…これが自らの選択による労働移動の円滑化を阻害しているとの指摘がある。制度変更に伴う影響に留意しつつ、本税制の見直しを行う。」という表現をしています。
こちらも主たる指摘は「20年以上働き続けないと枠が増えないのはおかしい」というところにあり、40万円フラットに変更すべし、とはしていません。
実際、日本労働組合総連合会(連合)は労働組合側の意見として、「今後、退職所得課税を見直すのであれば、この点に配慮しつつ、勤続 1 年あたりの控除額を一律(年 60 万円)とすべきである。」としています。「年40万円で統一するのは許さないぞ」というわけです。
そもそもでいうと退職金課税は、応能税、つまり税を負担できる力「担税力」に応じて課税をするアプローチです。無収入の人(および低所得者の人)は所得税が課税されず、高所得者ほど税率が高まるのは、所得に対して税金を課すことに相当性があると考えられているからです。
金額だけでみれば退職金はまとまった高額収入ですから担税力はあるといえます。
一方で、「退職所得は老後の生活保障的な最後の所得」であり「担税力は他の所得と比べてかなり低い」(1966年12月中間答申)というような考え方も過去示されており、これが一定の非課税枠を設定し、分離課税する理由でもあります。
「一律に年40万円の引き下げ」を今年の議論だけで実現、実行するのは正直無理筋ではないかというのが印象です。
(参考)
(2)退職所得課税制度等の見直し
退職所得課税については、勤続20年を境に、勤続1年当たりの控除額が40万円から70万円に増額されるところ、これが自らの選択による労働移動の円滑化を阻害しているとの指摘がある。制度変更に伴う影響に留意しつつ、本税制の見直しを行う。
個人が掛金を拠出・運用し、転職時に年金資産を持ち運びできるiDeCo(個人型確定拠出年金)について、拠出限度額の引上げ及び受給開始年齢の上限の引上げについて、来年の公的年金の財政検証に併せて結論を得る。
連合 第19回新しい資本主義実現会議「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画2023改訂版(案)」に対する意見書
○退職金は、賃金の後払いと長年の勤労に対する報償的給与としての性格を踏まえ、退職所得控除や分離課税などが講じられている。今後、退職所得課税を見直すのであれば、この点に配慮しつつ、勤続 1 年あたりの控除額を一律(年 60 万円)とすべきである。
多くの否定的反応が退職金課税強化を遅らせるか
ロジックとしていえば「勤続年数によらず年40万円に統一」は乱暴です。
また、多くの人がSNS(交流サイト)やブログ、あるいはニュース報道で不満の意を示すことは、退職金増税は国民に受けがよくないことを強く伝えることになるので、SNSやメディアの反応を見る限り、簡単に引き下げとはいかないように思います。
影響に配慮しつつ慎重に議論を、とか書いている資料もあるわけで、そう簡単に退職所得控除の総枠減少とはならないと思います。
一方で、退職所得課税の強化は団塊世代のリタイア時期にも何度も持ち上がったテーマなので、絶対にありえない、とも言えないのが微妙なところです。
例えば、「企業年金受け取りに対する課税より、退職一時金課税のほうが緩いので、多くの人が一時金で受け取り、企業年金制度が機能していない。だから一時金のほうの課税を強化するのが順番だ」というロジックなんかは、一見するともっともらしいので、退職金増税を応援してしまうことになります。
ちなみに私は、現状の「40万・70万」の壁をフラットにしつつ(とりあえず単純な中間値である年55万円)、金額ベースではしばらく据え置くことが良策であると思います。
一見すると退職金増税は回避され、むしろ国民に優しい制度になったように映ります。一方で40年で2,200万円の非課税枠というのは、インフレが10年も進めば実質的に縮小することになり、長い目で見ると「実質増税」になります。
現状の「40万・70万円」は昭和の末期に整備した枠組みで、たまたま30年間インフレがなかったために増額の必要性がなかったわけですから、物価上昇が続いていくうちに「同額の枠も実質縮小する」ことになるわけです。
実は、退職所得控除の枠は「今よりももっと増やせ!」と遠慮なく主張してもいいくらいです。連合の「年60万円でもいいはずだ」というのはあながち悪い意見ではないように思います。
あるいは、「退職金・企業年金等控除」ということで、「会社員は人生で総額2,500万円まではいつもらおうとも非課税。かつ年金・一時金のもらい方のどちらでも非課税」とする方法もあり、とても合理的な解決策になり得ますが、新規控除枠を設定するのはハードルが高すぎるでしょう(企業年金等控除の概念については、日本年金学会で私が提案したことがあります。お暇な方はネットで検索してみてください)。
先行するべきは「自己都合退職時の減額慣行」かも
この骨太方針、ほとんど注目されていませんが、退職所得課税の見直しの前段に書かれた「自己都合退職の場合の退職金の減額といった労働慣行の見直し」のほうが重要ではないかと考えてます。
確定拠出年金制度を除く退職金や企業年金については、「自己都合退職時は支給額を減額する」という規定を設けるのが一般的です。もともと勤続年数が短い人は退職金額も少ないのですが、これをさらにカットするわけです。
退職金のカットは二段階に分かれていて
- 一定勤続年数以下の場合、そもそも退職金無支給とする(勤続3年を区切りとすることが多い)
- 自己都合退職の場合、会社都合退職(解雇や定年退職)より支給額を減額しペナルティとする(勤続年数が短いほど減額率がキツくなる)
という方法で減額をします。
いずれも短期離職者については会社への貢献度が低いこと、自己都合退職をする者へのペナルティ(および長期在職者への優遇措置)として設けられているわけですが、時代に即していないことは明らかでしょう。
今世紀に入って創設された企業型の確定拠出年金(DC)が、3年以上勤続している者については退職事由を問わず全額を持ち運びしてよいとしているのと対照的です(懲戒解雇者であっても支給しなければならない)。
退職金には「賃金の後払い」としての性格がある一方で、会社としては長期勤続・精励を促す目的もあり、「働き方に中立である」というのはそう簡単ではありません。しかし、会社にとって都合が良すぎるのもバランスに欠けますから、時代に応じた見直しは必要でしょう。
こちらは就業規則モデルが見直されることなどで、短期離職者への退職金のペナルティ機能は好ましくない人事制度アプローチであることを早急に示してほしいと思います。
また、日本経済団体連合会や連合も、何かしらのメッセージを発信してほしいところです。なぜなら法律が制限しにくいところだからです(労働法は退職金について微に入り細にわたり規定することはしにくいため)。
まとめ:個人にとって無視できない「運用枠」
私たち個人にとっては、金額ベースでみて退職金・企業年金制度は大きな資産形成枠です。中堅企業でもモデル退職金が1,000万円、大企業であれば2,000万円を超えることがあるわけですから、つみたてNISA(ニーサ:少額投資非課税制度)数十年分に匹敵する資産形成が会社内で行われているわけです。
転退職者への中立的な取り扱い(少なくとも不利益度合いを縮小する)、老後の重要な収入源に対する適切な課税のあり方についてはしっかり議論し、結論を得てほしいと思います。
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