低インフレ・低金利時代の終わり

 インフレが世界的に進行し、主要国の中央銀行が物価高抑制のために急激な金融引き締めを実施しました。2008年のリーマン・ショック以降、低インフレ・低金利が続きましたが、今は高インフレ・高金利の時代への転換期に差し掛かろうとしています。ロシアによるウクライナ侵攻など地政学リスクが高まり、米国の地方銀行やスイスの金融大手の破綻が相次ぎ、景気後退懸念も広がっています。

『世界インフレ時代の経済指標』をこのほど刊行した国際エコノミストのエミン・ユルマズ氏に個人投資家がインフレ時代の相場を判断するための経済指標の読み方のコツや、日米の金融政策の見通しなどを聞きました。

経済指標を自ら読み解くことでインフレ時代の大局観を持つ

――インフレが高止まりしています。何が起きているのでしょうか?

 今はデフレからインフレに移る時代の転換点です。これまでは米国と中国は仲良くしてグローバル化が進み、安い賃金で安い製品を作ることができました。しかし現在、米中は対立し、ロシアによるウクライナ侵攻も起こり、世界は反グローバル化に向かっています。

 サプライチェーン(供給網)は先進国から新興国に移転してきましたが、ここにきて安全保障上の理由から先進国に戻ろうとしています。先進国の人件費の方が高いので生産コストが上がり、インフレの原因になります。

 そうしたインフレを抑えるため、米国の中央銀行に当たるFRB(連邦準備制度理事会)が急激な金融引き締めを実施しました。金融システムや経済全般にストレスがかかっています。世界経済の構造が変わろうとする中で、相場がどこに向かうか見通すには目先のイベントに左右されない「大局観」が必要です。そのためには経済指標を読み解く力が求められています。

『世界インフレ時代の経済指標』では、一般投資家やビジネスパーソン、就活中の学生さん向けに経済指標でこれだけ押さえておけばいいものを選んで紹介しています。経済指標の本はプロ向けのものが多かったのですが、さっと読める内容にしています。

 米国の12指標のほかに、中国やブラジル、インドの指標、景気の先行きを読む上で手掛かりとなる企業やコモディティも取り上げました。時事的なネタではないので、10年後もそのまま使えます。

――自分で経済指標を見て判断する意味はどこにありますか?

 個人投資家には経済指標をツイッターやヤフーの掲示板で見たり、誰かに言われたりしただけといった方もいます。今の金融システムはものすごく脆弱(ぜいじゃく)なので、ここ半年や1年先は大丈夫なのか、どんなリスクがあるのか、自分で判断できるようにならないといけません。

 証券会社などのアナリストやエコノミストは大きな局面で何度も見通しを外しています。株式や投資信託を販売する「セルサイド」の人たちは優秀で能力は疑っていません。しかし、立場上リスクを過小評価しがちで、相場の見方には強気バイアスがかかっています。

 2008年のリーマン・ショックの際も米国の金融システムの話で日本は大丈夫だといった分析が多かったです。今の相場はいろいろなひずみがたまって、一気に崩れてしまいかねないので、自分自身でリスク評価をしないといけない。そのためにこそ経済指標を知らないといけません。

 為替の投資家は特にそうですが、米雇用統計の発表前後で外れたら大損して、当たったら大もうけするといった指標ギャンブルを繰り返しています。経済指標そのものにどういう意味があるのか。過去数カ月のトレンドがどうだったか。

 それに関連する事前に出た指標は何を示唆していたのか、ある程度分からないと、金融機関に支払う取引手数料もかかるので結局、損してしまいます。投資信託やコモディティに投資をしている場合も敏感に見ないといけません。 

――先行指数、一致指数、遅行指数と見分けながら読み解くことは重要でしょうか?

 どの指標が遅行指数か、一致指数か、先行指数か知らない投資家も多いのが現状です。例えば米国の小売売上高だけを見て、米景気がまだ良さそうだと判断して買いに行くと、消費は遅行指数だから、実際の景気はすでに悪化していて損することになりかねません。どの指数が景気の先行き(先行指数)、足元の現状(一致指数)、これまでの状況(遅行指数)を映し出しているのか、把握した上で投資することが大切です。

 今の米国は雇用が極めて強いのに米国の先行指数はずっと下がっています。5月12日に公表されたミシガン大学消費者信頼感指数(速報値)は予想以上に低く、消費者心理が悪化していることを示しています。だけど、まだ雇用は強い。

 雇用は本来一致指数ですが、いまの米国の雇用は遅行指数的な動きをしている可能性があります。パンデミックで多くの人が早期退職して職場を去ったので、企業には人手不足を解消しようという動きがまだ残っています。でも、そうした特殊要因は解消されつつあるので、失業率がこれから上がっていくと思います。

景気動向を敏感に映すのはGAFAMではなく、半導体企業

――景気を判断する上でどの企業に注目したらいいですか?

 半導体関連の企業が最も敏感に景気変動に反応しやすいです。例えば半導体世界大手TSMC(台湾積体電路製造)の受注が低くなったらどうなるか。TSMCに半導体チップを注文しているのはアップルなど米国のメーカーです。

 逆にTSMCはどこに発注しているか、日本の東京エレクトロンやファナックから半導体製造装置を買っている。その仕組みを知らないと、次に何が起きるか分かりません。投資における連想、風が吹けば桶屋がもうかるという発想が最も大事です。

 一方で、「GAFAM」と総称される米ハイテク企業は景気動向に反応が鈍く、先行きを判断する上で参考になりません。今、株価指数は高いけど、一部の銘柄しか買いが入っていません。株価指数の高さだけ見て全体像を間違いがちです。

 GAFAMや景気指数だけを見て投資をすることは、木を見て森を見ず、葉を見て木を見ずです。下げ相場でも株価が上がったり、下がるリスクが高くなったときに買われたりするディフェンシブ銘柄もあります。世の中の流れが理解できないとそういった銘柄への投資は難しくなります。

FRBは失業率が上がらなければ利下げしない

――米国の金融政策を判断する上でどの経済指標に注目したらいいでしょうか?

 FRBは米国の失業率が上がらないと利下げしません。日本銀行も含めて中央銀行には雇用と物価の安定という二つの使命があります。米国の失業率が歴史的に低いレベルで雇用が極めて好調なときに、中央銀行が一番優先させるのは物価の安定です。今の状態でFRBが物価抑制の手を緩めて、利下げすることはありません。

 難しいのは、市場が利下げを見込んでいる間は、FRBが実際に利下げに動くことはないということです。市場が利下げを織り込んで株高が続くと資産インフレになります。そうである以上、FRBはインフレを抑えるため引き締めを続けざるを得なくなります。

 市場は昨年初め、FRBが政策金利をそこまで引き上げることはないと高をくくっていました。今、政策金利は5.0~5.25%の高い水準です。市場が見誤ったのは、2008年のリーマン・ショック以後の金融緩和に慣れきってしまったせいです。

 FRBはここずっと、相場や指標が少し悪くなるとすぐに弱腰になって利上げを止めたり利下げしたりしていました。当時は利下げしてもインフレにならなかったから、問題はありませんでした。

(CPI上昇率は前年同月比、米労働省HPからトウシル作成)

――投資家は景気がクラッシュするリスクにも身構えていないといけませんか?

 少なくともリスクは大きいですよね。クラッシュするとは限らないけど、リスクは過去5年、10年より高まっています。なぜかというと、米中対立やロシアによるウクライナ侵攻など地政学的リスクがあります。

 さらに世界経済を見渡すと新型コロナウイルス禍の後遺症がまだ続いています。40年ぶりの高水準のインフレもしつこく残る中で、FRBが極端な引き締めを短期間でしました。金融システムや経済全般にものすごくストレスがかかって、ひずみを残しています。

 米国の地方銀行がこれだけ相次いで倒産したことは米国の歴史でありませんでした。倒産した銀行の資産規模は小さくありません。リスクが高まる中で、米大統領選が来年あって、与党民主党と野党共和党の対立が続いています。これは警戒した方がいい。備えておけば株価が下がった場合のダメージは少ない。

――米国の物価高については、どういう見方をしていますか?

 米国の物価は、雇用市場がタイトな以上はなかなか下がりにくい。物価高の理由には二つあって、一つは住宅や家賃の価格がまだ高いこと。もう一つはサービス業で引き続き人手が足りないこと。この二つが解決するには、住宅価格が大きく下がって、企業業績が悪化して、人々が大量に解雇されて、失業率が上がってくる。そうするとインフレが大きく下がります。

――GAFAMは従業員を大量に解雇していますが、まだ足りませんか?

 GAFAMは給料が高いので、そういうところが高給取りの従業員を解雇して、ギグワーカーなど給料が安いところに雇用が流れている。米国は失業率が低いけど、人々の所得は、物価の伸びほど上がってはいません。

 それもミシガン大学消費者信頼感指数に表れていて、5年期待インフレが3月時点の3.0%から4月(速報値)は3.2%に上昇しました。消費者は物価がまだ高まると思っている。個別株では、メタ・プラットフォームズ(旧フェイスブック)が従業員を解雇したら株価は上がりましたが、しかし景気全体としては悪くなります。

 今回のシリコンバレー銀行もそうです。シリコンバレーはスタートアップがビジネスをしているところです。スタートアップは、2021年度は絶好調でお金も集まった。SPAC (特別買収目的会社)のような訳が分からないものまで上場しました。

 しかし、昨年はFRBが蛇口を閉め出した時点で、入ってくる資金が細くなり金欠になっています。スタートアップは資金が集まらないからどんどん預金を引き出して運転資金にして、銀行から預金が流出しています。スタートアップやベンチャーの不調に米国の深刻な状況が表れています。

――住宅価格が高いままだということですが、下落の兆候は何を見たら把握できますか?

 新規住宅許可件数です。住宅ローン金利がかかわるため、景気やインフレの動きに対して敏感に反応します。住宅ローン金利が上がると、長期のローンを組んで住宅を買うことが難しくなるため、住宅需要が減り、住宅価格も落ち着いてきます。

 今は米国の1年債に投資をすれば金利が5%付きます。住宅も不動産投資という一つの投資です。キャップレート(不動産投資の期待利回り)がどれくらいか考えたら、不動産投資でリスクを冒す必要はありません。株もそうです。住宅はまだ強いですが、商業用リートや商業用不動産の相場は完全に崩れています。ただでさえ弱かったのが、コロナでさらに需要が減りましたから。

日銀の政策修正、日本国債市場に注目を

――日銀の政策修正はいつありますか? 植田和男総裁は緩和継続の姿勢を示し、意外にハト派だったと受け止められていることも日本株好調の理由の一つになっています。一方、中長期的には大規模緩和からの脱却もテーマです。日銀の政策修正を占う上でどういった指標を見たらいいでしょうか?

 日銀が政策を変えるシナリオは二つ考えられます。一つはインフレが今より進んで、国民に不満がたまって、日銀に政治圧力がかかるとき。もう一つはこのまま日本国債に買い手がいなくなり、日本の債券市場が機能しなくなるとき。

 インフレに関しては、日本人の物価高に対する不満は海外に比べてそんなに高くありません。インフレへの不満が高まったら、自民党政権が転覆する。それだけパワフルです。今の日本は、物価は高くなっているけど、円安で企業業績が好調だったり、コロナ禍後の経済活動が活発化したりしていて、労働者の収入も上がってきています。

 日銀は米国ほどの物価高は起きてないからそこまで切羽詰まっていない。植田総裁はCPI(消費者物価指数)の上昇についてあまり懸念してなく、インフレは一時的で長く続くと思っていないとみています。日本も日銀もマインドはデフレのままで、長い低インフレ時代が続いた後遺症です。

 ただ考えないといけないのは、台湾有事が南シナ海で発生して、中国から日本にモノが来なくなれば、ハイパーインフレ(過度なインフレで、通貨が信用を失い暴落すること)が起きます。日本人は過去30年間のデフレや低インフレにとらわれてしまって、インフレへの危機感がありません。

(生鮮食品を除く総合指数、前年度比の騰落率。2023年度以降は日銀見通し。総務省「全国消費者物価指数」、日銀「経済・物価情勢の展望」(2023年4月)からトウシル作成)

――日銀が保有する日本国債の割合(短期証券を除く)は昨年9月末に初めて発行残高の5割を超え、昨年12月末時点には52%となり、拡大が続いています。

 日銀が唯一、懸念しているのは国債市場をどうするかという話だけです。それ以外はあまり気にしていないと思います。そうなると、日銀は米国みたいなドラスティックな引き上げではなくて、微調整しかしないのではないでしょうか。 

 黒田東彦前総裁は(金融緩和に積極的な)ハト派だったけど、現時点で植田氏は黒田氏ほどハト派だとは思いません。政策修正に動く時期を見ているのでしょう。今は中国の景気が悪く、4月の生産者物価指数は前年同月比3.6%の低下でマイナスになっています。日本もインフレは一時的でもう一回デフレになって、景気が悪くなるかもしれない。日銀は変に引き締めをしなくてもいいと思っている可能性もあります。

 日銀には1980年代後半のバブル経済期に不必要に引き締めを急いで景気をハードランディング(急激な失速)させてしまったトラウマがあることも緩和修正には重しになっています。

 ただ、日銀は今、景気がいいうちに金融政策をある程度正常化させておかないと、またリーマン・ショックのようなことが起きたら、打てる金融政策がありません。米国のFRBは政策金利をリーマン・ショックの一因となったサブプライムローン問題が表面化する前と同じ水準(5.0~5.25%)まで上げました。今後、米景気の悪化が鮮明化しても、景気刺激策として1、2年は利下げを続けられます。

 一方、日銀はマイナス金利政策を続けており、これ以上の利下げ余地はありません。量的緩和、国債やETF(上場投資信託)の購入もしていて、これ以上打つ手がない。今の金融緩和政策は永遠に続けられません。(取材はトウシル編集チーム 田嶋啓人)

 エミン・ユルマズ氏 1980年生まれ。トルコ出身。1997年に日本に留学し、東大院修士課程修了。2006年野村証券。2016年から複眼経済塾取締役・塾頭。近著に『エブリシング・バブルの崩壊』『大インフレ時代!日本株が強い』