破綻した米銀が持っていた、日本にもある「病」

 2023年5月上旬にこの原稿を書いている。米国では、シリコンバレー銀行、シグネチャー銀行が経営破綻し、ファーストリパブリック銀行がJPモルガンチェース銀行に吸収される形で救済された。こちらも、実質的には経営破綻だ。

 3行には、債券投資で損失を抱えた状態で、資金が流出して、持ちこたえられなくなった共通点がある。

 因みに、2008年のリーマンショックの際、金融機関は、大手も含めて不良な住宅ローンを複雑な証券化商品の形で抱えていたので、大手金融機関も信用できなかった。また、どの金融機関が幾ら損を抱えているのかが、お互いに把握できない「疑心暗鬼」の状態があった。今回は、銀行の損失の仕組みが分かりやすいことに加えて、特に大手銀行はリーマンショック後の規制強化でかつてよりも自己資本を手厚く積んでいるので、「全面的な危機は起こりにくい」とは言える。

 但し、銀行は債券投資で大きな含み損を抱えていて、この状態で資金流出が起こると、債券換金の必要性から含み損が実現損に変わって、たちまち自己資本不足に陥り、経営危機に瀕する構造を変えようがない。「とりつけ」は銀行ビジネスに於ける本源的なリスクの一つだ。

 ところで、まだ破綻していない銀行も含めて、含み損を抱えた債券ポートフォリオの債券は「満期保有」を前提に、会計上、時価評価による損益のブレを反映しなくてもいいことになっている。率直に言って、銀行の監督をこんな「ザル基準」でやってはいけないと筆者は思う。

 しかし、毎期毎期の時価評価を避けつつ、収益を計画的に計上してそれで良しとする制度は、日米の別を問わず、「現場」の人気が高い。

 なぜか?

 一つには、毎期毎期の損益のブレを気にせずに経営や運用が出来るからであり、もう一つには「現場ベース」ではこの制度を悪用することが可能だからだ。

 一連の制度設計とそこに関わる人間模様全体を「時価評価回避の病」と名付けておく。

「時価評価回避」の悪用方法

 筆者は長年、時価評価を回避しようとする、金融機関の上司、各種の運用委員会の「有識者」、などと時価評価回避がいかに危険で悪いことかと訴えて、いわば戦ってきたので、時価評価回避病の患者の行動様式が良く分かる。

 簡単な例を作る。例えば、高クレジットの10年債を持ちきりにする運用がベンチマークの長期運用資金があるとしよう。しかし、昨今の金融市場では、短期金利も10年程度の長期金利もほぼゼロに貼り付きプラスの利回りが出なかった。それでも、期間収益を上げたいとした場合に、運用現場はどうするか。

 例えば、クレジットの条件を緩めて「デフォルトしないことにして」少し利回りのある債券を買う手もあるし、もっと素朴には、資金の一部で「20年国債を買いたい」と考えることもある。国債ならデフォルトはないだろうと言いやすいから、この「20年国債投資案」はいかにもありそうだ。

 運用委員会が存在している資金なら、運用現場はこう提案するかも知れない。

「運用資産の1割程度20年国債を買いたい。もちろん、持ちきりが前提です。今後、金利が上昇する事があるかも知れませんが、途中で20年債の価格が下がっても、持ちきりで満期保有分類なので損は表面化しません。また、この運用資金が急激に流出するようなことは考えられません」。

 20年国債の利回りなど、極めてささやかなのだが、リスクを制度に押しつけて隠蔽し、毎期毎期の収益を運用益として得たような顔をするのだから、これは「モラル・ハザード」の始まりである。

 米銀の場合は、以下のような事情だったと推測される。

 損失の仕組みは以下のようなものだ。FRBによる急激な金融引き締めが行われる前の長短金利が共に低い状態にあって、多くの米銀は「それでも相対的に利回りが高い」長期の債券を買い込んだ。期間収益を上げないと株主に文句を言われるし、個々の銀行マンもボーナスを得られないから、やってしまった。

 ところがインフレ対策で金融引き締めが始まり、先ず長期債の利回りの急上昇(債券価格は大幅下落)が起こった。多くの銀行は大きな含み損を抱えたまま「満期まで我慢してやり過ごす」つもりでいる。

 ところが、シリコンバレー銀行のように、預金が急激に流出するとこれに対応するためには、債券を売らなければならなくなるが、この際に含み損が現実の損として表面化して、銀行の評判悪化を招く。

 また、含み損のある債券ポートフォリオを我慢する資金のコストだが、これは主にFRBの政策金利に連動する短期金利のコストだ。資金を集めるためには、世間並みの預金金利が必要だ。現在、10年程度の長期債の利回りが3%台半ばである一方、もともと抱えていた債券ポートフォリオの利回りはたぶんもっと低い。しかし、金融引き締めによって短期金利は5%台に上昇しており、銀行の「我慢のコスト」は高い。

 5月5日に行われたFRBの0.25%乗り上げは、インフレ対策の建前は分からなくもないが、米銀の台所事情を考えると「中央銀行マンとは、ずいぶん強情なものだなあ」との印象を禁じ得ない。金利の構造を考えると、現状で既に信用拡大にブレーキが掛かる状況のはずだが、データに基づくインフレ率と政策金利の関係が気になるのだろうし、「金融政策は銀行経営のためにあるのではない」といった建前も大切なのだろう。

 先の20年債の投資案に話を戻す。

 20年債に投資して何年か後に金利が上昇したとしよう。この場合、「我慢のコスト」に近いものの資金は払わなければならない。仮に短期金利でも3〜4%の利回りが得られる時に、利回り1%で買った20年債を持ち続けることは、毎年、その金利差分を損しているに等しい。これを「満期保有」を理由に損ではないと言い張るのは「かなり悪い人間」だ。

 こういう人には、資金運用の仕事に関わって欲しくない。

 そもそも、債券を「時価評価」することに何の不都合もないはずなのだ。10年債の持ちきりであれば、債券価格の値上がり・値下がりで、毎期の損益は揺れるが、10年後の最終的な損益は購入時の最終利回りに一致する。

 運用期間途中の債券価格の変動は、運用の経済実態を反映しており、「毎期の収益のブレに一喜一憂しない」という身勝手な態度よりも、「現実を正しく見ておく」ことの方が運用管理としては遙かに誠実で健全だ。

 また、そもそも他人様のお金を「満期まで絶対に売らない」という前提で扱うことにも問題がある。例えば、買った時に「高クレジットの債券」でも、保有期間中に格付けが低下することがあり得る。運用判断として売却が必要になる場合があるし、最終的にデフォルトすることもあるだろう。この場合、運用の報告として、途中経過の値下がりを金主に伝えることがより適切なはずだ。

「時価評価の回避」には一片の正当性もない。

時価評価回避から歪む資産運用

 法人の資金運用の場合、時価評価の対象外の部分でリスクを取りながら運用を歪ませて行くことがしばしば起こる。

 1990年代に破綻した複数の生損保の運用がまさにそうだった。何社かは、最後には、意図的に当面の収益を出して、実質的な損失を時価評価の対象外とするように設計された仕組み債で決算を取り繕って1、2年延命して損失を拡げた上で破綻した。

 余談だが、率直に言って、この種の仕組み債の商売は売り手側の証券会社にとって大いに儲かった。しかし、明らかに反社会的なビジネスだ。当時、筆者は直接の担当ではなかったが、セールスに協力したことがある。これは、かつて、筆者が外資系の証券会社を辞めようと思った動機の一つだ。

 個人投資家の場合にも、配当や分配金を重視し、時価での部分解約を回避したがることによる運用効率の低下や、そもそもポートフォリオの時価をよく見ようとしない「現実逃避」がしばしば見られる。「株主優待があるから、株式の時価は気にしない」といった態度で、優待要因によって歪んだポートフォリオを持っていたりするケースもある。

 将来、最も心配なのは、資産を取り崩す際に、手持ちの投信の基準価額や株式の株価が気になって必要額を淡々と現金化できないような投資家になってしまうことだ。この点が歪むと、損失が大きい。

 損得はお金で済む話なのだし、人生には証券価格の変化以上のリスク要因がたくさんある。読者には、証券価格を常に時価評価して何とも思わないくらいの「時価評価耐性」を是非身につけて欲しい。

 尚、金融機関の経営、何らかの金融サービス・金融商品、「○○ファンド」と称するような投資案件、などが「おかしくなる」場合には、ほぼ必ず、先ず、時価評価の回避やごまかしが生じている。銀行の不良債権問題も、証券会社の「飛ばし」も、マドフの詐欺事件も、「ワインファンド」のようなインチキ投資案件も、よく見ると「時価評価」に疑問が見つかったはずだ。各種の金融問題や、社会を見る場合のご参考とされたい。