病気と療養の概要

 筆者は昨年、癌に罹った。食道癌である。本稿執筆の時点で(2023年1月下旬)、手術からの回復過程にあるが、再発防止目的の薬剤を投与するために一月に1、2度通院している。癌は全てが投資やお金と関係する訳ではないが、本人にとって不確実性下の意思決定問題である点が投資と似ている。

 今回は、自分で癌に罹り、治療に臨んでみて、何を感じ且つ考えたかについて率直に書いてみよう。今後に公開する動画で、筆者の風貌が少し変わっている(数キロ痩せて、髪の毛が減っている)理由の説明にもなるだろう。

 尚、投資の文章では末尾などに「投資判断はご自身で行って下さい」としばしば注記されているが、本稿の性質もそれに似ている。筆者の治療方針の選択や意思決定は一例であって、他人にも適合すると推奨するものではない。また本文中で病院名や医師名(筆者は両方に満足している)を伏せるが、これは不測の影響を避けるためだ(同病を治療したい等の事情で知りたい方は編集部に問い合わせて下さい。お答えします)。

 はじめに筆者の癌の経過を簡単に書く。

 昨年の7月頃から、自覚症状としては喉の具合が少々悪かった。軽く腫れているような気がして、細菌の感染を疑い、近所の内科、次には耳鼻科を訪ねた。耳鼻科では内視鏡で喉を見て貰ったが問題はなかった。

 8月に入ってから、念のため食道から下も診て貰おうと思い、自宅近所の胃腸病院で診察を受けたら、検査担当の医師が妙に張り切って写真を撮り始めた。「まず間違いなく食道癌です。食道は当病院では手に負えないので、大学病院を紹介します。どこがいいですか?」と言われて、会社のオフィスから便利な場所にある大学病院の名前を挙げたら、紹介状を書いてくれた。内視鏡で撮影した画像のCD−ROMが入った封書だ。

 まったくの当てずっぽうだったのだが、病院の選択は結果的に「当たり」だった。結果的に食道癌の症例が豊富で手術経験が豊富な医師がいる病院を選んでいた。当該病院が食道癌の治療で定評があることは、高校時代の同級生で医師の友人複数から「おそらくベストの選択だ」と評価を聞いた。友人の一人が、知り合いの医師経由で病院の近況を調べて、良い主治医を紹介してくれた。ここまでは、当てずっぽうが当たった「幸運」と、関係者に「知り合いのヤマザキという人物が行くのでよろしく」と一言伝えて貰ったレベルの「口利き」があるが、特別な調査をしたり、事前にコネがあったりしたわけではない。一般論として病院の選択は、同業者(医師)の評判を聞くといいと思う。知りたいのは、主に症例数と執刀医の評判・経歴だ。複数の意見を聞きたい。

 筆者の癌はステージⅢ(病巣が臓器の筋肉層に収まっていないが、遠隔転移はない)で、症状的には食物が通らなくなる寸前だった。

 食道癌の標準治療には、近年変化があり、先に抗がん剤(3剤を使う)の治療を2クール行って、その後に手術ないし放射線治療を行う。概ね2週間の間隔で、入院して第一回の抗癌剤投与、退院して休み、再び入院して2度目の抗癌剤投与、退院して休んで、手術のために入院、と治療は続く。筆者は、抗癌剤、手術共に経過が順調で入院日数の合計は40日程度だった。

 手術を受けたのは2022年10月27日だ。手術は、食道の大半と胃の上部の一部を切除して、胃を持ち上げて食道の位置につなぎ、胃部から喉に至るリンパ節を廓清する大がかりなものだが、手術ロボット「ダビンチ」や胸腔鏡を使う手術で、想像よりも身体へのダメージは小さい。手術の翌日には体に確か9本ほど管がつながっていたが、立ち上がって100mほど歩く事が出来た。退院は術後13日目だった。

 現在、術後3ヶ月近くになるが、一回当たりの食事の量が以前の三分の一程度なのと(今後増える予定だが元には戻らない)、手術の後遺症で空咳が出やすい(数ヶ月続くことがあるらしいが、ほぼ軽快した)ことを除いて術前と大きな変化はない。体力は7割くらい回復したと感じる。生活や仕事に大きな支障はない。

 再発予防のための投薬があと1年ほど続き、検査が3ヶ月に一度程度向こう数年続く予定だ。

 将来については、ごく大まかに言って、現状の延長線上で癌は問題にならずに一応「治った」と感じられるケースが半分、再発や転移が問題になるケースが半分くらいの見通しだ。食道癌は再発や転移が起こりやすい癌だとされている。再発は2年以内に起こることが多く、「安心」はできないのだが、さりとて「今」の段階で心配しても予防や治療上出来ることはない。従って、心配することに利益はない。ビジネスで言う「プランB」的な困った時の戦略を持っていればいいので、日頃は身体の将来について強く心配はしていない。後で説明するような「修正された時間感覚」を持ちつつ、本人なりの「普通どおり」で生活している。

情報•判断•処理の能力とコスト

 癌患者になって、投資とよく似ていると思ったのは、情報収集と判断に関わるあれこれだ。

 情報は欲しいのだが、情報は判断とセットではじめて有益になり得るものであって、判断できない情報や判断に時間が掛かり過ぎる情報は却って邪魔になる。しかも、癌患者の時間は限られており、判断のタイミングを自分で自由に決められない場合が多い。

 理想を言うと、必要或いは有効で役に立つ情報だけを、信頼できる判断の根拠とセットで速やかに入手したい。

 しかし、自分の処理能力と持ち時間に対して、癌に関わる情報ははっきり言って過多だ。書店にもネット上にも、治療法の選択に関わる情報だけでも多くのものがあって、もちろんそれらの有効性を試してみて確認することなど出来ない。

 加えて、「私は癌になりました」と伝えると、多くの「親切な人」が群がってきて各種の情報をもたらしてくれる。治療に役立つ可能性があるものだけでも、身内や知り合いの名医、海外の富裕層が使う治療薬、癌が治る生活習慣、癌に有効だとされる各種のサプリメント、身体に良い水、良い治療法が書かれた書籍、癌が治った身内のエピソード、最近書かれた論文、マッサージの達人、など多くの情報の提供を受けた。

 大半が好意によるもので、感謝している。営利目的の混じるものは殆どなかったが、広く知らせたわけではないのに、多くの情報が集まる。

 しかし、集まった情報の全てについて判断する時間はないし、お礼を伝えることだけについても時間とエネルギーを要する。また、治療法について迷いが生じた精神状態に陥るのは良くない。こうした状況を考えて、筆者は、少なくとも治療の方針が固まるまで自分の癌について対外的に知らせないこととした。お見舞いへの対応や、SNS等を通じたメッセージに対する返信の時間と手間を節約したいという目的もあった。

 病気と治療方法に関する基本的な知識は、「食道癌診療ガイドライン」、「臨床・病理 食道癌取扱い規約」(共に金原出版株式会社)に頼ることにした。食道癌の「ガイドライン」と「規約」は2022年が改訂年に当たっていて、ガイドラインはネット上に検討用のドラフトが載っていたので、これを参照した。個々の論文までチェックする時間と能力は筆者にないが、論文に書かれたエビデンスが尊重された記述になっているので、医師に質問する時の予習にも具合がいい。「ガイドライン」の生存率のデータなどを調べて具体的に質問すると医師も答えやすいし、自分が治療方針を考えたり、将来の計画を考えたりする際の判断の参考にもなる。

 また、同年の秋にはちょうど食道学会が開かれていたので、医療に土地勘のある知人の紹介で発表の動画を見た。専門的な議論が分かるわけではないが、自分の執刀医の発表を見て納得したかった。

 世間には「標準治療ばかりが癌治療ではない」という意見があり、実際に標準治療以外の治療が奏功しているケースもあるのだろうが、判断の方法と時間がない情報については諦めることにした。また、世間に流通している治療の選択肢の中には、「上手く行ったケースが過剰に強調されているもの」や「楽に結果が得られそうで魅力的なもの」などがあり、これらの情報を検討していると迷いが生じる可能性がない訳ではない。この辺りの情報の価値と判断する側の心理の関係は投資の世界によく似ている。「素晴らしい実績のアクティブ・ファンド」や「容易に儲かる投資のノウハウ」のようなものが、つい魅力的に思える場合はあるのが生身の人間としては普通だろう。危ない、危ない。

 加えて、治療方針に関する相談相手を、「自分が直接知っていて直接利害関係がない医療のプロ」数人に絞り込んだ。科学者、放射線科医、内科医が一人ずつと彼らが紹介してくれた医師複数だ。この方針も正解だったように思うし、良い知人を持っていた筆者は幸運だった。投資の世界で言うと、ファイナンス学者、ファンドマネージャー、金融マン、FP、税理士、などの有能なプロだが商売の利害関係の一切ない相談相手が親しい友人にいたようなものだ。

 投資の世界の情報には、(1)知識やノウハウに関わる情報と(2)投資対象に関わる(直接損益につながり得る)情報とがある。

 先ず、何れの情報も、「判断できる自分の能力と時間」が無い場合は、情報収集自体に意味がないことを知って欲しい。あなた自身が理解できない情報を知っても意味がないのだという宣告は残酷かも知れないが、事実だ。

 加えて、情報が多量に集まった事実自体が、過信を生んだり、情報の量自体が処理と判断の時間を圧迫する弊害にも気づくべきだろう。

 また、特に悩ましいのが上記の(1)に類する情報だ。投資家が初期の段階で正しい知識とノウハウに接して理解するのか、誤った知識を先入観として持って回り道をするのかで「大差」が生じてしまい、時には回復不能の状態に陥ることもある。行政も含めて、いわゆる投資教育を提供する側も大いに気をつけて工夫する必要がある。

 何れにせよ、情報は多く得られる方がいいと言い切れるものではない。処理・判断の能力と時間を伴わない情報は無益だし、時には有害なのだ。この事情は、病気でも、投資でも一緒だ。

癌の費用と「がん保険」

※注:自分の癌について「癌」、「がん保険」について「がん」と書き分けている。

 話題が癌となると、がん保険に興味を覚える読者がいらっしゃるだろう。また、そもそも筆者が選んだような治療には費用がどれくらい掛かるものなのか。

 筆者が8月の下旬に食道癌だと診断されてから、病院や薬局などに支払った医療費はざっくり合計して200万円程度だ。過去に歯科医院に支払った金額を大幅に下回る。

 抗癌剤の治療、比較的大規模な手術、合計約40日の入院が主な細目だが、手術や抗癌剤は健康保険の対象なので病院で支払った金額の上限は健康保険の高額療養費制度で決められた額が上限であり、200万円の大半は個室(シャワー付き)の費用だ。個室にした理由は、パソコンを持ち込んで原稿書きやメールのやりとりやオンライン会議などの仕事がしやすいことと、消灯時間が自由であることなどを考慮したものだ。部屋代を原稿料で稼げたというほど仕事をしたわけではないが、良かったと思っている。但し、4人一部屋を選んでいたら、医療費の支払いは前記の3分の1以下だったろう。

 民間の保険会社のがん保険には入っていなかった(著書などで書いている通りでホッとしている)。振り返ると、かつて、若いサラリーマン時代に3、4年程度団体保険のがん保険に加入していたことがあるのだが、30年くらい前に解約しており、現在は健康保険だけだ。

 がん保険に入っていたら、診断給付金○○万円、入院費一日×万円という調子で保険金が支払われて、かなりの助けになったはずだ。しかし、これは癌になってから振り返って計算する結果論であり、「意思決定として」がん保険に入っておく方が正しかったということを意味しない。また、想像上の結果論としても今回の癌に伴う給付が、過去に支払ったであろう保険料を十分上回るかどうかについては自信がない。

 仮に時間を巻き戻すとして、或いは現在筆者が若いサラリーマンだと仮定して、がん保険に加入するか否かを考えると、筆者の発癌確率が平均並みから大きく外れないとすると、がん保険に入ることは「意思決定として損」だ(そうでないなら、保険会社が潰れてしまう!)。

 問題は、筆者が癌を発症した時にその治療費を問題なく払えるか否かである。この点に関しては、今回もそうであったように健康保険の高額療養費制度があれば問題なく支払いが可能だと考えていいだろう。

 だとすると、少なくとも損得の問題としては、がん保険に加入しないことが正しいと考えられる。

 因みに筆者がこれまでに書いたり話したりしてきたこととの関連では、今回癌になってみて、公的年金の受け取り時期の問題が少々微妙になった。これまでは、世間の平均余命ベース(つまり生命表ベース)で考えると、公的年金の受給開始を遅らせて年金額を増やす方が(期待値としては得になるくらい長生きするので)得な決定のはずだったが、今回の発癌で筆者の余命の期待値は大幅に縮んでいるはずだから、公的年金はむしろ早く貰い始める方が得になる公算が大きい。但し、当面年金以外の所得がそこそこにあるので、税金を考えると、今から公的年金を受け取り始めるのは、やはり得ではないかも知れない。

髪の毛や酒の「真の損得勘定」

 癌と診断されて意外に気になったのは髪の毛のことだった。髪が抜けたら人前に出る仕事がしにくくなるだろうし、外見の印象がすっかり変わってしまうということが、後から振り返ると過剰なくらい気になったのだ。手術が上手く行くかとか、抗癌剤が効くかといった問題については、自分で改善出来ることが殆どないので、髪の毛の問題をどうするかに意識が向いたということがあったかも知れない。

 筆者が利用する抗癌剤では、髪の毛が抜けることがほぼ不可避で、また髪の毛が抜けるとしても頭皮がツルツルに見えるようにすっかり抜けて、その後に一斉に生えてくるといった「ドラマのような綺麗な抜け方・生え方はしない」(病院の某看護師の言)と想定しなければならなかった。

 実際に髪が大量に抜けたのは、一回目の入院の数日後からで、抜け方は「まだら」で確かに綺麗とは言えない状態になった。事前に用意していたバリカンで残った毛をごくごく短く刈って、ニット帽を被ることにした。

 髪の毛が抜ける前には、動画で撮りだめが利くものを数本撮った。「いつ復帰できるか、分からないな」とやや暗い気持ちになった。

 しかし、坊主頭で過ごすうちに、次第に自分が坊主頭であることに慣れてきた。鏡を見慣れたのだと言っていいかも知れない。「これで不都合はないではないか」と思い始めた。

 まだらに伸びてくる髪の毛を何度かバリカンで刈り揃えて時々坊主頭をリセットしていたのだが、毛が抜け始めてから4ヶ月程度経った本稿執筆時点では、「密度」がかなり回復してきたことが実感され、そろそろ元の状態を目指して毛を伸ばせるかと思える段階に至っている(現在毛足は1センチ平均程度)。

 ところが、坊主頭である自分を徐々に不自然だと感じないようになってきた。そして、これでいいと割り切ると、大変便利だ。洗髪は簡単だし、寝癖もすぐに直るから手入れは不要だ。自分でバリカンを使うことに慣れたら、ヘアサロンや理髪店に行く必要もない。

 ヘアサロンや理髪店は、直接支払う料金もさることながら、施術時の時間、前後の移動時間、予約する場合日時を固定されることによる不自由のコストなど、実は「時間」に掛けるコストが大きい。一年に250日働いて一日8時間労働とすると年収1千万円の人の時給は5千円であり、年収が2千万円なら1万円の計算だ。実感として「それほど根を詰めた時間の使い方はしていないから、散髪の時間に問題はない」と思うかも知れないが、時間が掛かっていて、潜在的なコストが発生している事情に変化はない。

 筆者の場合だと、前後の時間も含めると散髪の時間で短い原稿が一本書ける計算だ。同じ時間に対して、お金を支払っているか、収入を得ているかの出入りの差はそれなりに大きい。

 読者にとってどうでもいいはずの筆者の髪の毛の話を詳しく書いている理由は、筆者のかつてのヘアスタイルのコストに相当する支出や時間の無駄を、人はその他の分野でも多く行っているのではないかと思うからだ。

 ビジネスの状況も広く含む「他人からの評価」を考えてみよう。筆者の髪の毛が、年老いた銀行員のような白髪半分の七三分けであろうと、アスリートでもないのに数ミリで揃えた坊主頭であろうと、筆者以外の人にとってはどちらでもいいことだろう。毛が多い方が書き物や話に説得力が生まれるわけでもないだろうし、まして書籍が余計に売れるわけでもない。

「実はどうでもいいこと」を意識しているのは、過剰な自意識と、社会的同調から逸脱することへの恐れ、加えてそれらを巧みに刺激する「マーケティングの魔術」の効果によるものだろう。

 意識を変えて拘りを捨てることで、直接的にコストが節約できたり、時間が節約できたりするケースは少なくないはずだ。ヘアスタイルはその一例であり、他に、ファッションや各種の人付き合いのイベントへの参加などがあるだろう。対象は様々であり得るのだが、「実はどうでもいいこと」を見つけ出して捨てることの効果は実に大きい場合がある。

 さて、筆者にとって、ヘアスタイルよりも費用的にたぶん一桁大きなお金と時間と両方の支出項目が「酒」だった。

 常識的な推測として、酒だけが原因でないとしても、筆者の食道癌に過去の飲酒は関係していただろう。2022年の8月24日に「食道癌です。禁酒して下さい」との宣告を主治医から受けて以来、現在まで全く飲酒していない。

 それまでに、「過去10年間で、全く飲酒していない日は3日あるかないかだ」と言えるくらいお酒を飲んでいた。近年では、新型コロナのワクチン接種一回目の当日に全く飲まなかった日があったことを想い出す程度だ。

 お酒は、それ自体が楽しみだったし、過去に人間関係を拡大する上で大いに役立ったし、趣味的な満足もあった。また、広義のコンサルティングや営業的な活動にあって、飲酒や食事を十分に付き合えることはビジネス上有力な武器だ。

 因みに、飲食の付き合いの効果は過小評価しない方がいい。一緒に飲めない、食べられない人物は、ビジネスなどの相手から見て「つまらない人」であり(たぶん恋愛の相手としても同様だろう)、これを十分にカバーするためには相当に高度な話術や練り込まれた人格が必要だ。相手が飲んだり食べたりに時間だけ付き合ってお金を払えばいいというものではない。美味しい食べ物の味が分かって一緒に食べられる人、お酒の味が分かって一緒に飲める人の価値は他の条件を一定とすると「分からない人」よりも有意に大きいのが現実だ。拙文を読んで禁酒しようとする読者がいたら、「よくよく考えてからにして下さい」と申し上げる。

 しかし他方で、筆者にとって、お酒は、それなりに多大な支出につながっていたし、仕事の時間や体力を奪っていたことのコストも計算すると小さくないはずだった。

 通算の損得はとても計算しきれるものではないが、近年の「飲酒関連評価損益」はマイナスに傾いていたように思う。お金も時間も使いすぎていた。

 医師の指示による強制終了が切っ掛けだが、禁酒はそれなりに苦しいものだと思っていたのだが、それが殆ど苦しくなかったのは自分でも少々意外だった。

 禁断症状的なものは全くなく、宣告を受けた翌日から飲酒を止めた。筆者にとって飲酒は、精神的には強い習慣になっていたが、肉体的な依存性はなかったということだろうか。今もスッキリ理解できているわけではないのだが、飲酒を止めることは案外簡単にできた。

 周囲でお酒を飲む人を見て、「楽しいのだろうなあ」とか「あの酒はこんな香りと味がするはずだ」とかは思うが、どうしても自分も飲みたいというような生理的な欲求は湧かない。

 現在、禁酒によって生じた精神的な「穴」は、珈琲と各種のお茶を、趣味的な要素も含めて熱心に飲むことで一部を埋めている。

 一方、幸い医師に禁止されなかったので飲むことが出来たのだが、珈琲を我慢することはかなり辛いと感じた。実はお酒よりも強い習慣性があったのだろう。珈琲は趣味性の強い嗜好品なので、人によって好みがある。病院の入り口には、世間的には有名な珈琲チェーン店があるのだが、その珈琲はとても飲みたい気がしない。

 入院中は、妻にしばしば珈琲を差し入れて貰った。当時、新型コロナの感染症の問題があって、家族も含めて外部者は一切病室に入ることが出来ず、荷物の手渡しだけが可能だった。

 ある日、妻が珈琲を持って来てくれたのだが、入院フロアの事務職さんが「たぶん、娘さんが珈琲を持ってくれました」と間違えて報告してくれた。このことの効果は絶大で、間違いが時に人を幸せにする場合があることを知った。差し入れの珈琲の頻度と品質が上がることで、筆者もその恩恵を受けた。

 退院すると、いつでも好きな時に、自分の好きなように珈琲を淹れることが出来るのは大変幸せである。

 何でも「お金だけ」で考えるのは良くない習慣だが、ヘアスタイル、ファッション、飲酒、趣味、人付き合い、など様々なものを、潜在的なコストも含めて「お金でも」考えてみると、生活習慣を見直すきっかけになる。「実はどうでもいいこと」を一つ見つけるだけで、生活を大きく改善できる場合がある。

 因みに、筆者は、お酒を止めたことで、大学生の子供一人分の仕送りくらいの費用が浮いたと計算している。子供が大学に行っている間は禁酒すると決めるのが、中間目標としてちょうどいいかも知れない。

時間の最適化としての人生

「初期(内視鏡で切除できるステージⅠ)でもないが、末期(遠隔転移のあるステージⅣ)でもない食道癌」が見つかった時に、筆者は、「仕方がないなあ。治療上やれることをやって、使える時間を有効に使おう」と思った。

 どうして癌に罹ったのか、どうしてもっと早く見つけることが出来なかったのか、等の「後悔」には殆ど意識が向かなかった。日頃から投資について、原稿を書いたり話したりしているせいか、「病気の現状はサンクコスト(埋没費用)だ」と思うことがすんなり出来た。

 当初にネットで見たデータは少し古かった(抗癌剤3剤を手術・放射線前に投与する治療の前のデータだった)ため、5年生存率で30〜40%というデータから、「治療が奏功しない場合は余命1、2年だろうし、まあまあ上手く行くと再発を挟みながら5年程度は粘れるのではないか」というくらいに自分の「持ち時間」を考えた。子供(当時、高3と高1)が大学に入るところまでは見届けられようし、まあまあ元気な期間が1年あれば本の1、2冊くらいは書けるだろう、という程度の「期待」を持った。

 その後、治療法の進歩による生存率データの改善(10%程度)や、手術を終えてみての回復具合などから判断して、「持ち時間」の期待値はもう少し大きな値に修正されているが、今後は、再発の有無に大きく依存する。

 手術や放射線の根治治療を行った食道癌の再発は2年以内が多いのだが、現時点で再発の有無を予想することは出来ないし、再発を起こさないために自分で出来る有効な努力は殆どないので、「心配」をすることに利益はほぼない。

 状況の変化に応じて変わる「持ち時間」の予測値(大まかに最悪に近い場合と平均的な予想値の二つを考える)を前提に、人生計画を修正することになる。

「持ち時間に対して行動を最適化すべく計画を立てる」という考え方は、癌があっても無くても変わらないのだが、癌の状況を前提とすると「持ち時間」をより具体的に考えやすい。もちろん、可能性として癌以外の死因も考え得るのだが、癌によって「持ち時間」の使い方を意識すると、何をしたらいいかの見通しが案外立てやすい。

 故・スティーブ・ジョブズ氏がスタンフォード大学の卒業式で行った有名なスピーチの中に、「今日が人生最後の一日だとしたら、何をするかを考えてみよ」という言葉があるが、「一日」ではないまでも、時間を区切って人生を考えてみることは有益だ。

 治療やその結果の不確実性を伴うので、確実な時間を前提にすることは出来ないのだが、病気の進行や生存期間がある程度具体的に予想しやすい点にあって、癌という病気は案外「付き合いにくい相手ではない」と思う。

 ご自身やご家族が癌に罹った方は、一方的に悲観しないで「持ち時間」を有効に使うことを集中的に考えるといいと思う。

 特に高齢者が心配する「3K」は、「家族、健康、カネ」の3つだという。筆者は今回、健康の重要性を身を以て感じた訳だが、それぞれが大切だ。筆者としては、今後、「持ち時間」を有効に使いながら、読者の「カネ」の増やし方などについて良いお手伝いが出来ると嬉しいと思っている。