存在感を増すヘッジファンド

過去20年くらいの間、世界の運用界にあって、ヘッジファンドと呼ばれる運用形式が存在感を増している。ヘッジファンドは、多くが、金融規制の緩いケイマンのような国に籍を置く私募形式の投資信託で、レバレッジを利用することと、商品などいわゆる非伝統的な資産も運用対象に加える場合があること、成功報酬型の手数料を設けていることが主な特色だ。

例によって、海外で生まれて育ったビジネス形態だが、日本に拠点があり、日本人が運用する、「和製ヘッジファンド」もそれなりにある。但し、和製ヘッジファンドであっても、ファンドそのものの登録は外国籍であったり、社員や本社がシンガポールなど、法人税・所得税の税率が低い地域に根拠を移したりしていることが多い。

1980年代の後半から、1990年代にかけて、ジョージ・ソロス氏が名を馳せた。また、LTCM(注;正式にはLong-Term Capital Managementという名前だったが、長くは続かなかった。日本の、「日本長期信用銀行」とよく似ている!) が華々しく登場した後に、1998年に破綻し、話題になった。その後も、ヘッジファンドの運用資産は拡大傾向にあるようだし、頻繁に話題にもなる。

但し、本稿は、ヘッジファンドそのものの分類的解説を目的としていないし、正直にいって、筆者は、年金基金や、まして国家ファンドのような投資家がヘッジファンドに資金を委託する事に対して懐疑的である。

ここでは、ヘッジファンドのビジネス的な位置づけを考えたい。

金融ビジネスの世界にあって、ヘッジファンドは、利潤率が低下した年金運用マーケットに於ける運用業界側のイノベーションの一つだったと位置づけていいと思う。

伝統的な資産(内外の株式・債券)の運用による年金運用は、基金側の交渉力が強く、フィーの水準が低く、かなりの額の運用資産を集めることが出来ないと収益化できないビジネスだ。加えて、年金運用ビジネスでは、組織やシステムに対する顧客や制度の要求が厳しく、手間とコストが掛かる。仮に、0.3%(税抜き)のフィーでお金を集めることができても、1000億円集めたとして、年間3億円の収入に過ぎない。

ところが、ヘッジファンドだと俗にいう「2の20」(固定手数料が2%で、成功報酬が値上がり益の20%)といった水準であれば、100億円集めて、2割のパフォーマンスが出ると、それだけで6億円になる。参入障壁はぐっと下がるし、運がいいと短期間で結構な儲けを得ることが出来る。これなら、日本でも運用会社を始めてみようかという気になる人がいるのではないか。実際に、和製ヘッジファンドもかなりの数ある。

もっとスケールの大きな話をすると、海外の有名ヘッジファンドの中には、兆円単位の運用資産を有する会社もあり、ヘッジファンドのファンドマネジャーの中には年収が数十億円、数百億円の単位になる高額所得者が何十人かいるはずだ。

何とも美味しい商売ではないか! その秘密は何なのだろうか。

旨みの鍵は成功報酬

鍵は、成功報酬という仕組みの旨味にある。たとえば、1000億円のファンドがあって、値上がり益の20%という成功報酬があるとしよう。一年後、ファンドの運用収益率が20%なら、成功報酬は40億円だ。ファンドが値下がりした場合には、成功報酬はゼロだが、損失に対する罰金を払わなければいけないわけではない。成功報酬は、ファンドの資産価値を原資産とするコール・オプションと同等のものなのだ。この成功報酬は、行使価格はファンドの資産額、期間が一年というコール・オプションを「ファンド金額×二〇%」持っているのと同価値だ。

では、成功報酬は、契約を得て、これから運用する時点で、通常の年率何パーセントという運用資産額に比例した手数料に換算するとどのくらいの価値を持つのだろうか。成功報酬はコール・オプションなので、オプション価格の評価を考えることによって、その価値を考えることができる。

オプションの価値は、原資産のボラティリティ、期間、配当、金利などを仮定すると計算することができるが、最も大きな要素は、原資産のボラティリティ(即ちリスク)だ。リスクを決めると、あらまし計算することができる。

たとえば、日経平均のインデックス・ファンドと同じ運用をするだけというヘッジファンドを考えてみよう。計算を簡単にするために、日経平均のボラティリティは20%で、金利も配当もゼロとする。ブラック・ショールズ式でオプション価値を計算するiPHONEの「CPSolve」という筆者の手元にあるアプリで、原資産価格と行使価格を共に100と置いて計算すると、7.79という答えが出た。ここで考えるヘッジファンドの成功報酬は、ファンドの資産額に対して20%だから、1.594%、数字を丸めて、約1.6%ということになる。

日経平均のポートフォリオを持つ、あるいは、日経平均先物で買い建てを持つだけで実質的に年率一・六%の手数料を得られるというのは、運用側にとって、それだけで「美味しい」条件だが、ヘッジファンドの旨味は、これにとどまらない。

ヘッジファンドは、レバレッジを使うことが出来る。これは、運用者側にとって、自分が持っているオプションの原資産のボラティリティを「自分の手で」勝手に拡大することができることを意味する。5倍のレバレッジをかけるなら、成功報酬契約の価値は、ファンドの運用資産額の7.79%相当のものになる。1000億円のファンドなら、約80億円だ。

もちろん、日経平均先物を買い建てするだけという運用に対して、こうした条件を受け入れるスポンサーはどこにもいないだろうが、「特別な情報収集に基づいてマクロ経済を読んでリスクを取る」とか、「最新の金融テクノロジーに基づく運用モデルとトレーシング・システムで運用する」とか、運用ビジネス側から見ると、潜在顧客を騙すためのカモフラージュ方法はいくらでもある。賢明な読者は、もうこのビジネスの本質がお分かりだろう。

ビジネスとしてのヘッジファンドが儲かるのは、顧客が愚かだからだ。もう少し丁寧にいうと、あまりに有利な条件をスポンサーが、運用者に与えるから、ヘッジファンドは旨味のある商売なのだ。

推測するに、多くの顧客は、一つにはヘッジファンドの運用能力に大きな(たぶん過大な)期待を寄せているし、もう一つには、たぶん自分が与えている契約の実質的な価値を理解していないのだろう。

もう一〇年くらい前のことだが、ある企業の年金基金の常務理事さんから、「運用結果がマイナスでも運用会社に運用報酬を払わなければならないことには納得しがたい。その点、成功報酬なら、儲かった場合だけ報酬をたくさん払うのだからフェアだね」という言葉を聞いたことがある。お気持ちは分からないでもないのだが、運用業界側から耳を澄ますと、これが典型的な「カモの鳴き声」である。損のリスクはそのまま自分が負担しながら、値上がりの相当部分を放棄して、しかもリスクの大きさを勝手に変えられているのだから、ひどく不利な条件を飲んでいることに気付かねばならない。

金融取引の世界では、一方が儲けている時、他方が必ず損をしている。これは、物理の世界の質量保存の法則の経済版のような、重要な真理だが、運用ビジネス側にとっては、顧客に気づいて欲しくない原則だ。ヘッジファンドというビジネスは、無理解な顧客の膨大な潜在的損失によって成り立っていると考えていいだろう。もともと運用ビジネス全体にそういった側面はあるのだが、ヘッジファンドにおいて、それがいわば濃縮されて強く表れている。

運用報酬の実質的な大きさを顧客側が理解しないままに契約しているのだとすると、ある種の詐欺の臭いがするが、年金基金のような投資家は内外共に一応は「プロ」と位置づけられているので、ヘッジファンドは今のところ十分合法だ。ただ、その儲けの構造は、顧客側の無理解に支えられた、案外チープな「合法的金融詐欺」のようなものだ、というくらいに考えておくのが適当だと思う。もちろん、納得して契約する顧客がいて、契約に従って、報酬を貰うのだから、旨味がありすぎるからといって、ヘッジファンド業者が悪いことをしている訳ではない。極めて経済合理的な行動だ。

それにしても、どうしてかくも多くの顧客が多額のお金をヘッジファンドに預けるのか。これは、合理性の観点から考えると不思議だが、世間常識的な想像力を働かせて、運用業のビジネス・モデルが基本的に宗教と同一であることを考えるなら、そう不思議でもない。人は、自分にとって都合のいい何かを「信じたい生き物」なのである。

ヘッジファンドは正当化できるか

諺に「盗人にも三分の理」という。合法な合意に基づく契約である、ということ以外に、ヘッジファンドの存在を正当化できる言い分はないのか。

一つには、ヘッジファンドは、「アクティブ・リスクだけ」を売っているので、その運用の価値を認める人にとって価格が高くても当然だという側面がある。商品として例えば「カルピスウォーター」とカルピスの原液とでは、同じ容量でも値段が違って当然だ、という理屈であり、これはある程度認めてもよかろう。但し、(一)価値のあるアクティブ運用が可能か、(二)可能であるとして事前にその運用を見分けることができるか、さらに、本当にそうなら、(三)どうして運用者自身が自分の手金だけで運用しないのかについては、大いに考える価値がある。ちなみに、これらの中で、最も深く考える価値のある問題は(二)だ。

年金等のスポンサー側では、ヘッジファンドのファンドマネジャーは、「プロの運用力なんて、プロにだって分からないのだから、素人にわかるはずはない。でも、まあ、有利なオプションをタダでくれるというのだから、ありがたく貰っておきましょう」と心の中でつぶやいて、心中でペロリと舌を出しながら、ありがたく頭を下げて契約を頂く。そのようなものだと、想像しておけばいいだろう。

もっとも、ヘッジファンドは「偉そう」で「稀少性」があることが商売上のチャームポイントなので、契約を取る時にファンドマネジャーが文字通り頭を下げるとは限らない。「特別に少しだけ運用してやる」という態度で胸を張るかも知れないが、この態度も「営業用」だと理解しておこう。

ヘッジファンドが主張できそうなもう一つの言い分は、ヘッジファンドは確かに大きなリスクを取ったトレードを行うが、大銀行のように政府の保護を受けながら、同時にリスクを取るような卑怯なことをしているのではない、というものだ。確かに、自分で責任を取る分には、ヘッジファンド自身も、その投資家も、悪いことをしているわけではないし、自由だ。勝ったら大儲け、負けたら清算、という勝負の仕方は爽やかでさえある。

しかし、融資や出資を通じて銀行システムとヘッジファンドが実質的につながるチャネルは幾らでもあるし、もちろん金融市場では参加者がみなつながっている。小さいうちはピュアかも知れないが、大きくなってくると、ヘッジファンドの行動や成否が市場や金融システムに好ましくない影響を与える可能性が出てくる。

古くはLTCMの運用破綻時にニューヨーク連銀が仲介して金融機関からのつなぎ融資を決めて、ポジションの清算で協調するアレンジを行って、LTCMに関連する取引を持つ金融機関を実質的に救ったことがあった。また、二〇〇八年に発生した金融危機にあって、BNPパリバ銀行傘下のヘッジファンドが運用不調に陥って解約をストップした所謂「パリバ・ショック」は世界の金融市場に大きな影響を与えた、「リーマン・ショック」の前座が十分務まる大事件だった。

ヘッジファンドなら何をやってもいい、というほど、現代の金融市場の懐は大きくない。