長期投資でリスクは減らない

バートン・マルキール「ウォール街のランダムウォーカー」(井出正介訳、日本経済新聞社)は大変優れた資産運用の啓蒙書だ。筆者は多くの人にこの本を読むように勧めているし、大学の少人数の読書会的な授業で、テキストにも採用している。しかし、この本の内容には、一つ深刻な間違いがあると思っている。

それは、「リスクは投資期間に依存する」というタイトルがついた、同書の400ページ以下の一連の記述だ。長期間投資することによってリスクが縮小するので、投資を考える上では期間が重要だと説明されている。このパートは著者の書きぶりから見ても、彼が読者に勧める投資方法にあって重要な考え方だ。

また、401ページに掲載されている米国株のリターンを使って作った「株式投資の投資期間と年平均リターンのちらばり方(1950年~2009年)」のグラフは、投資期間が延長されることによりリスクが縮小することを説得的に説明しているように見える。世間では、このグラフ、あるいは、日本株のリターンなど別のデータを使った同類のグラフが、しばしば「投資期間が長いと大きなリスクを取ってもいい」との結論を導くために使われている。

率直にいって、運用会社や金融機関など、運用商品の売り手側のビジネスにとって好都合な内容だ。特に、だれしもが考える老後に備えた長期間の投資にあっては、「長期間の運用だとリスクが縮小するので」大きなリスクを取る運用商品に投資することができると説得できると具合がよい。大きなリスクを取る商品の運用手数料はそうでない商品に比べて高いからだ。

ところが、この説明は間違いなのだ。運用会社や金融機関には、証券アナリスト資格を持った社員が多数いるはずだ。彼らが、この議論の誤りに気付かないというのは、不思議であると同時に情けない。しかし、定評ある啓蒙書が何度にもわたる改訂を経てなおこの説明と図を載せているので、このことがこの考えに対する一種の「お墨付き」となっているように見える。

マルキールの議論の誤りは、投資期間が異なる運用のリスクを「年率の平均リターンのちらばり方」で見ようとした点にある。リターンの分布がランダムである場合、「年率で見た平均リターンの標準偏差」は、運用期間が1年間で計算された標準偏差を運用期間(年)の平方根分の一で割り算した値になるから、運用期間が延びるほど、縮小するはずだ。例えば、年率で20%(年率標準偏差)のリスクがある資産の5年間の年率平均リターンの標準偏差は約8.94%と計算できる。

リターンをゼロとした場合、1年間の運用でマイナス1標準偏差に相当する運用結果になった場合の資産額は当初の運用資産の80%だが、5年間の運用でマイナス1標準偏差のイベントが起こって8.94%のリターンが続いたとすると、運用資産の額は当初の約62.6%になってしまう。損失額は5年の運用の方が大きい。

そもそも金額が同じでも、1年の運用と、5年の運用とでは、資産をリスクに晒している時間が違う。両者のリスクの大きさを年率のリターンの標準偏差で比較しようとすることが正確ではない。両者を正確に比較するためには、損得の「金額」を比較しなければならないし、より厳密にはその損得が発生する「時点」の価値を修正することが必要だ(1年先の100万円と5年先の100万円では価値が異なる)。

期待リターンがプラスの場合、運用期間がより長期間になると運用資産が元本割れする確率は小さくなる。しかし、運用期間が長くなるとそれだけ期待する運用資産の増加も大きいはずだから、「元本割れしないからいい」とはいえないはずだ。マルキールの前掲書では、リスクについて「投資のリスクとは期待したリターンが実現せずにがっかりする可能性の大きさである」(p251)と巧みな説明をしているのだが、運用期間が長期化すると、資産額の期待値からの現実の運用資産額のばらつきは拡大していくのであり、つまるところ、不運な場合のがっかりの大きさは運用期間と共に拡大すると考えるべきだ。

一方、もちろん、期待リターンがプラスなら(マイナスの場合は投資しないだろうが)、資産額の期待値も運用期間の延長と共に拡大する。

運用期間がより長くなる場合に、リスク資産への配分をより大きくすべきか否かは、一つには投資家の効用関数の形に依存する。また、もう一つにはリターンの現れ方が完全にランダムなのか、あるいは何らかの癖を持っているのかにも依存する。

マーク・クリッツマン「資産運用の常識非常識」(坂口雄作訳、日本経済新聞社)に従って、投資家のリスク回避度が一定の場合の最適なリスクテイク行動についてまとめると、対数型の(限界効用が逓減する)効用関数を持つ投資家はリターンの癖に関係なくリスク資産の割合を一定に保つが、対数効用関数よりもリスク回避的(選好的)な投資家は、リターンがランダム・ウォークであればリスク資産を一定に保ち、平均回帰的であればリスク資産を増やし(減らし)、トレンド追随的であればリスク資産比率を減らす(増やす)。

こう整理してもピンと来ない読者が多いかもしれないが、株式のリターンは一次近似としては、概ねランダムに現れる。つまり、大雑把な結論は、投資家のリスクに対する態度が変わらない場合、運用期間が長くなっても最適なリスク資産の保有比率は変わらない。

一般の投資家にとって基本的で且つ理解すべき点は、運用期間が長くなるほどリスクの絶対量が大きくなるということと、投資期間は運用戦略に対して概ね中立だということの二つだ。

個人の場合、鍵は人的資本

前記の点を誤解していた投資家で筆者が知る例は、1990年代から2000年代前半にかけての日本の企業年金(特に厚生年金基金)だ。当時彼らの多くは、年金の加入者に対する受給者の比率がまだ小さく、「御基金は、成熟度が低いので、運用できる期間が長く、期待リターンの高いリスク資産の比率を高めて運用することができます」と運用会社のセールマンにいわれて、これを信じ、しばしば過大なリスクを負った運用を行った。

負担できるリスクの水準を決めるに当たって、彼らが、第一に重視すべきは、基金自身の財政状態及び母体企業のリスク負担能力と意思であった。給付支払いまでの期間が長いということは、損が出た場合の先送りが多少やりやすいという程度の意味しかなかった。

では、個人の場合はどうなのか。個人の場合、若者は運用期間が長いので株式などリスク資産への投資比率が大きくてもよく、高齢者は債券など安定した運用対象での運用比率を高めるべきだ、と考えられることが多い。これは、間違いなのか。

結論からいうと、結果的に合っている可能性が大きい。一般に、若者は高齢者よりも保有する金融資産の額が小さい。また、人的資本は若者の方が高齢者よりも大きい場合が多い。人的資本とは、個人の将来所得の割引現在価値の合計で、いわば人間を株価のように評価した概念だ。人間の寿命は有限なので、年齢が上がるといつかの時点で人的資本の価値が低下するのはやむを得ない。

人的資本の価値が大きいということは、今後所得を稼ぐだろうということであり、金融資産の運用で期待への未達が発生しても、これを吸収する余裕が大きいということだ。従って、若者は、自分の保有する金融資産を大きな割合をリスク資産での運用に振り向ける余裕を持つことが多い。

但し、これらは断じて「運用期間が長いとリスクが縮小するから」ではない。

平均値で見る場合、長期投資とリスクとの関係に誤解があっても、人的資本その他を考えると「結果的には」それでいいケースが多々あることをご理解頂けたと思う。しかし、このことは、例えば一律に若い人がリスク資産での運用比率が大きくてもいいことを意味しない。

たとえば、同じ年齢で同じだけの金融資産を持っていても、仕事が順調な人とそうではない人、あるいは、健康な人とそうではない人とを比べると、人的資本には大差があるので、適切なリスク資産での運用額は同じにはならない。

人的資本の個人差を過小評価すべきではない。本来、FP(ファイナンシャル・プランナー)のような運用のアドバイザーは個々の家計を分析し、その家計がどのくらいのリスクにたえることができて、且つその範囲の中で幾らのリスクを取ることが本人にとって適切なのかを理解するための手助けをするのがその主な役割だろうと思うのだが、彼らがその役割を十分に果たしているようには見えないことが多い。

「長期用の運用」があるという誤解

現実の運用の方法にあっても、長期投資はしばしば誤解されているのではないか。

たとえば、毎年決算が必要ないかにも短期の運用と、企業年金の運用のような少なくとも建前は長期の資金運用とでは、どのくらい運用戦略が異なるだろうか。たとえば、これらが同じ企業の、前者が余剰資金の運用で、後者が企業年金の運用だとした場合、運用方針にどのような差があるべきか。

企業年金が完全積立方式の確定給付年金だとして、その積立金の不足や余剰が全て企業に帰属し株主に評価されているとすると、企業から見てこの運用の成否を余剰資金運用の成否と区別すべき要因はない。しかし、余資運用なら大きなリスクを取らない短期資金での運用が多いだろうし、リスクを取って一部を株式等で運用するとしても短期向きのポートフォリオを作るのではないか。一方、年金運用ならリスク資産を相当なウェイトで組み込む基本ポートフォリオを作り、これに近い形でじっくり運用するような方針が普通だ。

しかし、仮に株式で行う期間が1年の運用と20年の運用を比べるとして、両者の運用でファンドマネージャーがやるべきことにはどんな違いがあるだろうか。

よく考えると、たとえば、短期の運用資金にあっても、長期的に見た場合に割安だと思う銘柄をポートフォリオに組み入れるという程度ができるだけだ。「動きのいい銘柄に、パッと乗って、パッと降りたらいい」といった短期運用観を持つ人も少なくないが、そのような都合のいい銘柄を探すことも難しいし、それ以上に、適切なタイミングで売買することは難しい。

ただ、敢えていうなら、短期間で終了する運用の場合、投資する銘柄の流動性を意識する場合があるかも知れない。また、売買手数料が存在する現実の世界では、短期運用の場合、売買手数料のコストを償却する期間が短くなるので、コストが重くなる場合が多かろう。この場合、期待リターンはコストが重い分だけ下がるので、リスク資産の組み入れ比率がより小さくなったり、選択される銘柄が変わったりということが、多少はあるかも知れない。

運用の期間が運用内容に影響する主なチャネルは、売買に掛かる市場インパクト(自分の売買によって株価等を動かすことによって生じるコスト)なども含めた「コスト」だ。

長期投資の「意味」

では、長期間投資することに意味が無いかというと、そうでもない。

株式、債券、あるいは不動産のようなもので資金を運用する場合、これらへの投資は、資金を提供している期間、生産活動に資本を提供し、その果実を得ようとする行為だ。株式を例に取るとして、いかなる企業であっても利益を上げるために時間が掛かるのは当然であり、長期投資とは、その間資本を提供し続けることを意味する。

投資の本質を生産活動への資本の提供と考えるなら、より長期で投資し続けることの意味は大きい。但し、前述のように運用期間の長期化にはリスクの拡大が伴うし、運用期間が長期化することで、売買コストの問題以外で、特別に有利になるわけではない。