マルキール先生の「弱いものいじめ」?

筆者は、今年の春から大学生と一緒にバートン・マルキール「ウォール街のランダムウォーカー」(井出正介訳、日本経済新聞社)を読んでいる。目下、第5章「株価分析の二つの手法」、第6章「テクニカル戦略は儲かるか」のあたりに差し掛かった。主なテーマはテクニカル分析が有効であるか否かだ。

この点に関するマルキールの立場ははっきりしている。彼はテクニカル分析が有効ではないと考えており、この結論に対して自信満々だ。

テクニカル分析を非難することに関して「われわれにとって喜びでさえある」といっており、その理由として「第一に、彼らの手法が明らかに間違っていること」「第二に、いじめやすいこと」と述べており、「これほど哀れな対象をいじめるのは多少アンフェアな気もするが、忘れないでいただきたい。私が守るとしているのは、ほかならないあたながたの財布なのだ」ととどめを刺している。テクニカル分析を批判することは弱い者をいじめるくらい容易だといっているが、果たしてそんなに簡単なのか。

しかしマルキールの議論を追うと、率直にいってテクニカル分析の否定にずいぶん手こずっており、論理はそれほどクリアではない。

このパートは題材がテクニカル分析だが、投資手法の有効性をどう確かめたらいいのか仮に投資手法が有効であるとして、その有効性がどのように変化するのか、さらに確かな判断根拠がない場合にどのような行動を選択するかといった、現実の投資を考える上で極めて重要な問題を扱っている。

学生に対する教材としてもいいし、投資家どうしが議論をして投資の理解を深める材料としてもいいのではないだろうか。

投資手法の検証方法

マルキールは、バイ・アンド・ホールドのポートフォリオとテクニカルなルールによって組成されたポートフォリオとのパフォーマンスを比べるべきだと述べている。

「市場平均と全く同一のポートフォリオに投資したバイ・アンド・ホールド戦略でも、過去80年以上にわたって10%以上の年平均リターンを実現してきたのである。テクニカル分析の有効性を証明するには、それを採用することによって市場平均を上回るリターンが得られるかどうかが問われなければならないのである。残念ながら今日までのところ、どれ一つとしてそのテストを首尾一貫してパスしたものはない」(前掲書p181)と書いている。

一定のルールの下で運用されるポートフォリオとテクニカル分析のルールで運用されるポートフォリオとを比較することによって、テクニカル戦略の有効性をテストすべきだというのはその通りだろう。しかし過去の株価にテクニカル・ルールをあてはめたポートフォリオと、同時期のバイ・アンド・ホールドのポートフォリオのリターンを比較しても、戦略の客観的なテストにはならない。

ダメな理由は二つある。一つには、このケースではアメリカの株式投資が長年にわたって順調であったことが既に分かっているので、バイ・アンド・ホールドが有利だからだ。仮に、昨年の日本のようなどん底の状態を終点として、テストを行うとバイ・アンド・ホールドのポートフォリオは著しく不利になるだろう。その比較をもって「テクニカル分析は有効だ」とはとてもいえまい。

過去の株価に戦略をあてはめるいわゆる「バック・テスト」には、いわゆる「後知恵」が含まれてしまうので客観的なテストにはならないのだ。

またテクニカル・ルールによるポートフォリオをそもそもどのような条件の下で組成するかにもよるが、バイ・アンド・ホールドのポートフォリオとテクニカル分析によるポートフォリオとでは、運用しながら取っているリスクの大きさが異なるものになっている公算が大きい。

たとえば、リターンはバイ・アンド・ホールドに及ばないけれどもリスクが小さくて、リスク1単位当たりの効率はバイ・アンド・ホールドを上回るというケースは存在するかも知れない。この場合レバレッジを掛けてリスクの大きさを揃えると、同じリスクの大きさでバイ・アンド・ホールドのポートフォリオを上回るリターンの戦略が可能になる理屈だ。

マルキールは大学でファイナンスを教えている先生なので、リスク調整をしないでパフォーマンス評価するような杜撰な比較を語っているのではないのだろうと推測されるが、テクニカル・ルールのパフォーマンス評価がそのような形で数多く行われているのかどうかについては少々疑問が残る。

一応満足の行く検証方法を考えるなら過去のではなく「これからの」株価で二つのポートフォリオを比較することと、両者の比較のルール、特にリスクの調整について事前にルールを確定させた上で比較をすることが大切になる。

しかし率直にいって、これらの条件を満たすような検証はほとんど行われていないのが現実だろう。

判断の根拠は何か

はっきりいうと「弱い者いじめ」とまで豪語した割には、マルキールのテクニカル分析批判は歯切れがよくない。

彼は「価格変動パターンが含む情報はわずかであり、その情報に基づいて取引した場合の費用に見合わない」ということを結論として認めさせたいようだ。

一方で全てのテクニカル分析について検証が行われたわけでもないし、テクニカル分析全体を包括的に否定できるようなテストを考えることは出来ないことを認めている。

決着を付けられないもどかしさから彼が持ち出したのは、「いかなる種類の規則性であれ人々に知られ、しかもそれを用いて利益が得られるのなら、それは結局のところ自らを破壊することになる」という超越的な推論だ。

ある方法が有効であると確認するためには、正しい検証方法と十分なサンプルが必要だ。しかしその方法が本当に有効だと客観的に確かめられるのならば、容易に真似されて同じ売買の参加者が増えてほどなく有効な儲けのタネがなくなるだろう。マルキールがいいたいことは、たぶんそういうことだろう。

マルキールはそう書いてはいないが、推測するに、テクニカル分析が他の手法よりもこうした「自壊の罠」に陥りやすい理由は、たぶん「簡単なので真似されやすい」ということなのだろう。

だが有効性が十分検証された方法は結局自壊するという法則は、テクニカル分析にのみ働くのではない。ファンダメンタル分析も、それが有効であると検証されれば同じ罠に落ちる理屈だ。

もっともマルキール先生は「ランダムウォーカー」(株価の動きは概ねランダムで利用できるパターンはないと考える論者)なので、テクニカル分析とファンダメンタル分析の有効性が一度に否定されても困るわけではなさそうだ。

ただこの「自壊理論」も、論理的な期待の一つに過ぎず、今のところ十分なデータによって検証されてたというわけではない。

では、どう考えたらいいのか?

マルキールの議論をまとめると、テクニカル分析に関して、いえそうなことは以下の4点だ。

  1. 有効性が満足な形で立証されたテクニカル分析手法はまだない。
  2. 全てのテクニカル分析がテストされたわけではない。
  3. 短期でモメンタム、長期でリターンリバーサルのように、過去の価格の動きがリターンを改善する情報になる場合がある。
  4. 有効な方法が見つかると、これが真似されて、その有効性が減ずる論理的な可能性がある。

これらの条件のなかで、現実的に妥当な判断は何か。筆者なら以下のように考える。

先ずは検証を経て有効性が確認されたテクニカル分析手法が登場しない限り、テクニカル分析は参考にならないし参考にしようがないと考えておくべきだろう。但し、将来有効な方法が現れるかも知れないことに対しては先入観を持たない態度が望ましい。

また、短期のモメンタム効果の背景にある投資家の情報への反応の遅れや、収益予想改訂のトレンド効果(たとえば、いったん上方修正されると上方修正が続きやすい傾向がある)、また長期のリターンリバーサルの背景にある行動経済学的心理効果などは価格のパターンの有効性を裏付けている面があるが、これらは価格変動のパターンとしてのみ理解するよりは、それぞれの現象に対応する研究を知っていて状況解釈する方がより確実に事態を把握する事が出来るだろう。

「有効な方法が見つかる」ところまでは未だ心配には及ばないようだが、テクニカル分析がそれ単独で有効である場合は少ないだろう、という推測を初期値として、それ以外の手法や知識の活用を図る方が現実的には有効なのではないだろうか。

テクニカル分析に対して、簡単な「弱いものいじめ」はできないが、そのことがテクニカル分析の有効性を立証しているわけではない。方法として認めて貰うための有効性の立証責任は、あくまでもテクニカル分析の側にある。