インフレが世界中で猛威を振るう中、長年デフレが続いた日本でも物価上昇の圧力が日に日に強まっています。総務省が発表した昨年11月の全国消費者物価指数(生鮮食品を除く)は前年同月比3.7%上昇し、約41年ぶりの高い伸びとなりました。「物価とは何か」、「世界インフレの謎」の著書が相次いでベストセラーとなった東京大学大学院の渡辺努教授に2023年の世界と日本の物価高の見通しについて、話を聞きました。

世界的なコロナ流行による供給不足が根本原因

――インフレが世界中で進んだ要因は何ですか?

 欧米のインフレは基本的には新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)に由来しています。コロナ禍で供給が足りなくなったことが根源です。過去のインフレは需要が強すぎることが原因でしたが、今回は供給不足から起きました。そこが決定的に違います。

 この1年で分かったのはコロナ禍で働くのが嫌だと思う人が増え、労働供給が減ってしまったことです。企業は人手不足になり人を集めるため賃金を上げる、人手不足でモノやサービスを提供できなくなるので値段も上がる。そういうことが欧米で起きました。パンデミックは100年に1回と言われ、中央銀行も当初どんな経済現象が起きるか分からなかった。

 ウクライナ戦争がエネルギー価格高騰などでインフレ率を押し上げた面もありますが、せいぜい1.5%か2%くらい。欧州も米国も2021年春からインフレになっていました。ロシアによるウクライナ侵攻は2022年2月からだったので、主因ではありません。そのため、和平交渉が進み、戦争が終わったとしても、高いインフレが欧州や米国で続くとみるべきです。

「脱グローバル化」がインフレを底上げ

――コロナでサプライ・チェーン(供給網)が打撃を受け、企業が生産拠点を自国に戻す動きも広がります。物価への影響は?

 そうした「脱グローバル化」の動きが加速し、物価と賃金が両方とも上がっていくことになります。コロナ前も米中対立など地政学的な理由から、米国の企業が中国で工場建設を控える動きはありました。今回のパンデミックで供給網が寸断されたことを機に国内や近隣国でモノを作ったり、生産拠点の移転を計画したりする企業がたくさん出てきました。今後もそうした動きが加速していくことになります。

 1980年代から30年間ほどグローバル化が進みました。企業は安い労働力がある国で生産し、商品価格を下げることができました。日本に限らずどこの国も物価も賃金も上がりにくい時代が続きました。

 しかし、コロナで歯車が逆回りを始めました。今は安さより、どんな状況でも安定的に製造でき、顧客にちゃんと届けられることが大事だと考えが変わった。外国で安い賃金の労働者を雇うのではなく、国内で高い給料を出してでも供給を確保することが優先されるようになりました。こうなると世界のトレンドはインフレ率の低下から物価や賃金の上昇に移ることになります。

中央銀行が抱える苦悩

――欧米の中央銀行は急速な利上げで、インフレに対応してきました。インフレ抑制の効果はありましたか?

 各国の中央銀行にとって、供給不足が原因で起きる今回のインフレは前代未聞です。需要が強過ぎる時は金利を上げて需要を冷やし、インフレを抑えるノウハウの蓄積はありました。だけど、中銀は少な過ぎる供給を直接増やす手立てを持ち合わせていません。供給不足に合わせて、需要を冷やしていくしかできません。

 FRB(米連邦準備制度理事会)やECB(欧州中央銀行)が急速に金利を上げている割には物価抑制の効果がはっきり表れている感じはありません。中銀も金利をどれだけ上げたら、インフレが収まるのか自信があるわけではありません。インフレ抑制に非常に苦労している。物価や賃金の上昇を示す指標を見て、出たとこ勝負で利上げをしています。うまくいくのか誰も保証できません。

 しかし大事な点は、今はインフレ予想が安定していることです。現在は1970年代とよく比較されるのですが、当時は中東戦争や原油の高騰があり、今と似た面がありました。1970年代は人々の間でインフレ高進が予想され、賃金もインフレ分を織り込んで上がり、実際にインフレが加速しました。

 だけど、今は当時と違って、「インフレターゲティング」(中長期的なインフレ率目標)の考え方がある。中央銀行が2%のインフレ率を目標に掲げ、到達に向け頑張ると投資家や国民に約束する。投資家らが中銀を信頼するから、インフレ予想は上がらない。

 中銀は今、インフレ目標への信頼を裏切らないことが一番重要だと感じている。これを裏切ると、1970年代のようにインフレ予想が上がり、インフレが加速して手の打ちようがなくなる。インフレ予想が落ち着いている今のうちに決着をつけたいというのが中銀の考えです。

欧米の利上げは2024年まで続く可能性も

―― FRBは2023年末の政策金利が5.1%になるとの見通しを示しました。今後の利上げや高金利が続くことはどのようにみますか?

 FRBが示した金利水準で本当に終わるのかどうか、まだ分かりません。米国だけではなく、欧州も英国も金利を上げる方向がしばらく続く。2023年ももちろん、場合によってもう1年くらい金利を高くして、お金の量も減らしてと、金融引き締め政策がグローバルに続く可能性がある。

 実体経済、金融市場の両面で厳しい状態が続く。米国のインフレは明らかに頭打ちになり改善してきているが、楽観はできません。基本は2%が物価目標なので、そこまで下げるには米国も距離があります。必要な手立てはまだ持ち続けないといけません。

 FRBのパウエル議長が、景気や株価が少々落ち込むことも覚悟の上で物価を抑えると講演で強調しましたが、インフレが再燃すれば、再び金利をたくさん上げることもあり得ます。

 心配なのは欧州や英国で、インフレが落ち着く気配が全然ありません。ウクライナ戦争の影響も大きい。米国よりも労働組合の賃上げの要求が強く、賃金も上がっている。それが物価に転嫁され、また賃上げするという、賃金と物価が上昇するスパイラルに入りつつある。

 欧州はインフレが収束する見通しが立っていません。インフレ予想が崩れたわけではありませんが、そうであるがゆえに2%の物価目標に固執しないといけない。そういう意味で金融引き締めは続くと思います。

日本も価格転嫁が進み、2%超のインフレ続く

――楽天経済研究所内には日本のインフレ率は2023年に1%程度に落ち着くとの予測があります。日本のインフレはどうなりますか?

 日本は欧米や韓国と比べたら、インフレ率は低い。日本はパンデミック後の経済再開が遅れているので、先行する欧米に比べ需要の高まりが鈍い。それに、海外から輸入する原材料が高騰した分を商品価格に転嫁する動きが遅かった。

 だけど、日本でも企業が商品価格に原材料などの高騰分を転嫁する動きが進んできました。2023年もインフレ率が2%を超える状況が続くと思います。エコノミストの間ではインフレ率が2%以下、1%台、1%も割り込むとみる方が非常に多い。日本は欧米と違って価格転嫁が進まないという昔の頭のまま予測をしている面がすごく強い。

 1年前は私も日本銀行も、エコノミストもインフレ率が2%を超えると思っていなかった。日銀が掲げる2%の物価目標に届かず、低めのインフレが続くとの見方だった。実際は企業が原材料の高騰分を商品価格に転嫁する動きが進んだ。明らかにそこを読み違えてしまった。

 価格転嫁できたのは消費者がしぶしぶながら値上げを仕方ないと徐々に受け止めるようになってきたことが大きい。日本の消費者はパンデミック前は値上げを嫌う傾向が強かったのですが、2022年に入ったころから変わり始めました。海外の激しいインフレを知って、日本でも同様のインフレが起きないか、物価高の時代に入ったのではないかと思い始めた。

スーパーでは6%値上がり、さらに上昇も

――渡辺教授は小売店での購買データから物価の研究をしています。直近のデータから分かりつつあることはありますか?

 レジで商品のバーコードを読み込んだPOS(販売時点情報管理)データを約1,200店舗から毎日いただいて、物価指標を作っています。データは食料品やシャンプーなど生活に密着したものが中心です。2022年10月初めまで前年と比べた商品の値上がり率は3%台で、決して高くはなかった。

 しかし、それ以降、急速に上がって今(2022年12月時点)は6%くらい。2008年も食品が高騰したが、当時は4%程度。今はそれより高く、どんどん上がる状況がうかがえる。消費者が物価上昇は仕方ないとしぶしぶ考えるようになってきたことを企業が認識して値上げしている。

 もう一つ大きな変化は、値上げしている品目が増えていることです。長年のデフレで価格がこれまで据え置きになっていた品目もこの半年かもう少し短い期間で、上昇してきたことです。総務省が作成するCPI(消費者物価指数)は約600品目で構成されていますが、その半分の300品目は前年から値動きがほぼなかった。

 しかし、こうした値段が据え置かれてきた品目の比率が減少し、値上げする品目が増えてきた。スーパーで買い物されている方は日々、そうした動きを実感されていると思います。

――2022年10月1日に値上げした商品が多く、牛乳や乳製品も11月に上がりました。そういう動きを反映したものですか?

 10月もそれなりに上がったが、11月以降、値上げが加速した。メーカーが定価を上げたことよりも、流通業者が店頭価格を上げた影響が大きい可能性があります。スーパーはこれまで定価が上がっても、特売をして頑張るケースが多かった。だけど、現在は、特売の回数や値下げ率が少なくなって、店頭で値上げが起きている。

春闘で5%の賃上げはできる。価格高騰分を給料増に

――労働組合の全国中央組織「連合」が2023年の春闘で5%の賃上げを求めています。実現すると思いますか?

 実現する可能性は十分にあります。物価も賃金も上がって、生活者も困らず、価格転嫁もさらに進む。それが2023年だと思います。労働組合の方と講演で話した際に強く感じたのは、労組が物価上昇に強い危機感を持っていることです。

 いままでは物価が上がらなかったので、賃金がそのままでも生活が困ることはなかった。だけど、物価高が進む中では賃上げに生活がかかっており、労組の主張には腰が据わった強い態度を感じた。連合が要求する5%の賃上げの内、定期昇給が2%、基本給を一律で上げるベースアップ(ベア)が3%です。ベアが「純粋な賃上げ」に当たります。CPIが3%台後半まで上昇しているので、3%のベアが実現しても十分ではありません。

 近年の賃上げは2%前後で推移してきました。連合が求める5%はここ二十数年で最も高い要求水準です。しかし、組合では実現性を危ぶむよりも3%で本当に足りるのかと心配する方が多い。CPIが先々、4%程度に上がる可能性もあり、組合は3%を下限にもっと高い数字を目指す気持ちが強い。

 円安で収益的に余裕がある企業がたくさんあるので、5%の賃上げはそこそこいけると思います。日本はこれまで名目賃金(実際に支払われる賃金の額。これと別に名目賃金から物価変動を考慮し算出した実質賃金がある)が全然上がってこなかった。欧米は物価も上がっていますが、賃金も上がっている。日本は両方とも低過ぎるのが問題でした。

 欧州、特に英国は生産性が向上していなくても物価も賃金も上がっている。日本もそうしたメカニズムを少し導入して、価格転嫁と賃上げがぐるぐる回るサイクルを作っていけばいいと思います。

――中小企業の賃上げも可能でしょうか?

 中小企業で働いている方は大企業よりも多い。中小企業で上がらないと、日本全体で賃上げしたことになりません。中小企業は円安の追い風もなく、過去にためた内部留保もありません。中小企業も賃上げによって人件費が増えた分は、価格転嫁するしかない。

 販売先に人件費上昇が理由だと丁寧に説明して値上げをしていけば、中小企業も賃上げができるのではないでしょうか。中小企業で賃金が上がると非正規の方にも広がる。2023年は賃金と物価が好循環的に上がる姿が描けるのではないでしょうか。

(取材はトウシル編集チーム 田嶋啓人)

渡辺 努氏(わたなべ・つとむ)1959年生まれ。東大卒。1982年日銀。一橋大教授などを経て、2011年10月から東大大学院教授。キヤノングローバル戦略研究所研究主幹を兼務。主な研究分野は金融政策と物価。