運用者が興味を持つタイトル

先日、書店で、 ピーター・シムズ「小さく賭けろ!」(滑川海彦、高橋信夫訳 日経BP)という本が目についた。原題は「Little Bets」だ。

標題から、「小さく賭けると、上手く行く…」というストーリーが想像できるが、これは、運用者を大いに惹きつけるコンセプトだ。

ファンドマネージャーは、たとえば勝率51%の賭けを無数に繰り返して、あるいは自分のポートフォリオの中に「比較的独立な有望銘柄」を百銘柄以上(20や30では不足だ)組み入れて、確率論的にほぼ確実に、収支をプラスにしたり、ベンチマークに勝ったりすることを「夢見て」いる。

この本を買って、早速読んでみた。

これは、ビジネス書、あるいは自己啓発書としては、水準以上の(つまり、買って良かったと思うくらいではある)いい本だった。ビジネスパーソンが仕事や人生のスタイル・心構えを作る上で参考になる。

同書は、成功したコメディアン、建築家、スポーツ選手、それにグーグル、ピクサー、スターバックスといった(当面の)成功企業の事例を取り上げている。はじめに紹介されるのは、米国の有名コメディアンであるクリス・ロックが、少人数のライブを使って新ネタを数多く試し、しばしば「滑って」ウケない経験を経て、全国放送に足る完成度を持ったネタを作る過程だ。

以下、建築家のフランク・ゲーリー、アニメ映画製作会社のピクサー、スターバックス・コーヒーなど多くの事例で、
(1) 新しいプロダクト(小咄の新ネタやネットの新サービスなども含めて)を完成前の段階から積極的に他人に晒し、
(2) なるべく早く失敗し、
(3) 失敗から学ぶことでプロダクトの完成度を上げるような、
アプローチを採ることの有効性を強調している。

たとえば、アメリカで成功しているコーヒー・チェーン店であるスターバックス・コーヒーは、創業者がイタリアのエスプレッソ・コーヒーを飲ませる店からヒントを得たもので、当初は、店員は米国人には窮屈な蝶ネクタイをして(店員の反応が良くなかった)、店中にオペラが鳴り響く(顧客の反応が良くなかった)ような、イタリア風そのままに近い店だったものが、顧客や店員の苦情や不満を汲み取り、それを修正し、工夫を重ねる中で、現在のような業態を作り出したものだという。

また、本書中でたぶん最もよく例に引かれているピクサーでは、作品制作のさまざまな段階で、スタッフ同士が上下の隔てなく、意見を言い合うプロセスを意識的に作っているという。

何れも、いきなり完成品を求めるのではなく、「なるべく早く」、「小さな失敗」をすることら「学んで」、良い結果を目指す漸進的アプローチが有効だ、というエピソードだ。

同所の中で特に強調されているのは、結果の善し悪しは主に素質である能力によって決まり、失敗を能力の否定として恐れ、自分への批判を脅威と感じるような「固定的マインドセット」と、結果は主に努力によって決まり、困難や失敗を自分の成長の糧になると考え、批判からも学ぼうとする「成長志向のマインドセット」との差を強調する。

著者は、もちろん後者を良いと強調するのだが、具体的な名前では、前者にはテニスのジョン・マッケンロー氏、後者にはバスケットボールのマイケル・ジョーダン氏がこれに該当するという。確かに、かつて、マッケンロー氏は、試合が思うように運ばないときに癇癪を起こして、その結果さらに自滅するようなことがあったような気はするので、分からなくはないのだが、この例示は些か気の毒に思える。

ただ、自分で意識的に「成長志向」で考えようとすることはいいことだろう。また、子供や部下に対しては、才能を褒めるよりは、努力を褒める方がその後の結果がいいことが心理学者の実験によって明らかになっているそうだ。これは、記憶しておく価値がありそうな話だ。

運用における「小さな賭け」メソッドの落とし穴

ただ、この本のアプローチが、株式投資やFXのようなマーケットのゲームでの有効性については、少々注意が必要だ。

率直にいうと、これは相当に危ない場合があると言わざるを得ない。

たとえば、投資銘柄の評価方法やトレードの方法について、「小さな金額で試してみて、上手く行くようなら、投資金額を大きくする」というスタイルで物事を進める投資家が少なくないが、これがなぜ危ないのか。

それは、マーケットの世界では、正しい戦略が時間とともに容易に変化するからだ。

仮に、「PERが相対的に低い銘柄が現在過小評価されていて、将来のリターンが相対的に高いはずだ」という仮説を持ったとしよう。PERが相対的に低い銘柄を組み合わせてポートフォリオを作る。たとえば、1年間自己資金の2割でこの戦略を試し、もう1年今度は4割で試す。ここで2年ともに上手く行ったことを確認して、3年目には、持っている資金全額を投資するとしよう。さて、どうだろうか。

この場合に次のような事情になっている可能性がある。

最初の2年間、高いリターンが得られたのは、当初判断した通り、低PER銘柄が過小評価されていたからだった。それが、この2年間ですっかり解消するにあたって、高いリターンが実現することになった。

しかし、3年目に入る時点では、低PER銘柄の過小評価はすっかり解消しており、むしろ過大評価気味になっているとしたらどうだろうか。過去2年間に、高いリターンが得られたということは、むしろチャンスの消失を強く示唆する情報であったと考えるべきだったのだ。

しかし、投資家はしばしば、過去に得た良い結果を、自分の方法あるいは自分の能力が優れていたからだ、と解釈したがる。実際にお金を使い、お金を増やした、という現実のリアリティはしばしば圧倒的だ。

その結果、賭が裏目にでるときに、賭金が最も大きい、といった事態が起こりがちになる。

これは、機関投資家の世界では、「市場の歪みの修正を利用して、安定した絶対リターンを稼ぐ…」などと標榜するヘッジファンドへの投資で起こりがちなことで、ヘッジファンドに少額の資金から運用を任せ始めた年金基金が、当初の1、2年で結果がいいことに自信を深めて、投資額を拡大してから大きな損をする、といった悲劇がしばしば起こる。必ずそうなるというわけではないが、そうなるストーリーには十分筋が通っている。

こうした世界では、しばしば「トラック・レコードは?」(注:過去の実際の運用パフォーマンスのことを「トラック・レコード」と呼ぶ)と問うスポンサーが多い。2年、3年、5年と、提出されるトラック・レコードの期間は様々だ。トラック・レコードを確認せずに投資するのは乱暴だと思う一方で、彼らがトラック・レコードを知って何を判断できると思っているのだろうか、と心配になることがある。

マーケットでプレイするゲームにあっては、「有効な方法」が時間の変化に対して安定しない傾向がある。これは、市場参加者を除く外部環境自体がしばしば激しく変化するからでもあるし、市場の参加者が市場の状況を見て戦略を変えるし、また、価格を動かしもするからだ。

運用で有効な「小さな賭け」とは

マーケットの世界では、同じパターンが継続的に有効であることは稀だ。有効性が変化する。従って、時間軸に沿って同じパターンのトレードを細かく何度も繰り返すような戦略には今一つ魅力がない。

理想をいうなら、逆相関とまでいわないまでも、お互いになるべく独立で有利な賭を小さな単位で、多数、同時にポートフォリオに取り込むような分散投資だ。これが可能なら、勝率も上がるし、時間の効率もいい。

しかし、それぞれ独立な事情で「有利」と判断できる投資対象を多数見つけるには、ハードワークが必要だ。

残念ながら、楽をして儲ける方法はないし、苦労したから必ず報われるというほどマーケットはお人好しにできていない。難しいものだ。