運用教育の構成

筆者は、昨年から獨協大学で、学部の学生向けに「金融資産運用論」というタイトルで、お金の運用全般に関する知識を教える授業を担当している。

運用の講義は、内外の定番のテキストを見ると、まず、投資の理論を概観し、アセットアロケーションの方法を述べて、個々の商品の性格や分析方法などを説明する構成が多く、筆者も、過去、ほぼこの構成を踏襲してきた。

昨年の春学期の授業でもそうしたのだが、一部の学生から「難しい」という声を聞いた。学生の場合、そもそも債券とか株式といったものがどのようなものなのか、具体的なイメージを持っていない場合があり、この状態で最初に理論の話に入ると、話が必要以上に抽象的に聞こえるのだろう(加えて、簡単ではあっても、理論を説明すると、先に数学が出てきてしまうという問題がある)。

従来の構成で脱落者を出してしまうと、彼らが社会人になったときにぜひ気をつけて欲しいと思う注意事項などを伝え損なう可能性があり、これは、もったいない。

そこで、昨年の秋学期から、主な金融商品やサービスについて、おおむね、学生が社会に出ると関わる状況を念頭に置きながら、ざっと説明して、「運用の入門編」をざっと片付けてから、投資の理屈の話に入る構成に変更した。今のところ試行錯誤の段階だが、話し手の印象としては、この方がいいような感触がある。

今年の春学期は、当初の授業2、3回で、(1)預金、(2)債券、(3)株式、(4)投資信託、(5)生命保険、(6)年金、(7)外国為替、(8)デリバティブ、と大まかなカテゴリーを説明してから、「投資」と「投機」の経済的性質の違いを説明する、という構成を取ることにした。

以下は、授業のための「板書」(実際にパワーポイント・スライドを用意するが)と、話のポイントを上記の(1)預金、(2)債券について文章化したものだ。

板書については、それぞれの運用商品カテゴリーについて、これは覚えて欲しいと思うポイントに対応したワンフレーズと、授業で説明しておきたい概念を「関連用語」としてピックアップしたものを並べた。

たとえば、(1)預金のパートの「預金保険」なら、1人1行1千万円まで、という預金保険の保護限度、ペイオフという言葉の意味、名寄せにかかる時間(未定。数カ月?)と仮払いの金額の問題などをざっと説明することになる。

預金について

預金に関する板書(実際はパワーポイント)は以下の通りだ。

預金
「お金の受け払いに使う、運用には効率の悪いお金の一時保管場所」

(関連用語)
普通預金、定期預金、キャッシュカード、クレジットカード、決済、預金保険、仕組み預金、郵便貯金(定額貯金)

説明のポイントは大きく二点ある。

預金保険に関わる銀行預金の安全性の問題と、銀行のビジネスモデルの変化だ。後者では、預金口座を作った場合にキャッシュカードに付いてくるクレジットカード機能が持つ意味(顧客側の経済観念が乏しいと、たとえば、リボルビング払いを利用して高い利回りの借金をしてしまう)を入り口に、銀行のビジネスモデルが「預金と貸出のスプレッドで稼ぐ」従来型のものから、「お金持ちからは(運用商品の)手数料で、お金をあまり持っていない人からはローン金利で稼ぐ」ものに重心が移りつつあることを説明する。

学生の場合、卒業後に直面する状況で、第一に重要なのは「借金を避ける」ことだろう(ちなみに、二番目は「生命保険にすぐに入らない」だ)。リボルビング払いの際に残る借金残高に対する金利は多くの場合、15%程度と高率であり、株式等の「運用」ではとても追いつかないレベルだ。

新社会人は、第一に収入の範囲で生活する生活ペースを形成することが重要であり、第二に、できれば早い段階から収入の一定割合を貯蓄(金額がまとまったら投資)する習慣を作ることが望ましい。若い頃の筆者自身は、第二段階に至らなかったのだが、教える立場になると、「望ましい方法」は伝えなければなるまい。

この説明の際には、買い物に行って、カードを使ってリボルビング払いを利用するような相手は、経済観念が乏しいので、結婚相手にしない方がいい、という実践的注意を付け加えて置いた(学生は将来、たぶん忘れるだろうが)。

銀行のもともとのビジネスモデルについても、説明が必要だ。銀行は、たとえば顧客の預金のお金の動きをトレースすることによって、与信その他のビジネスに必要な情報を得ることができる。これは、銀行の情報的な強味の源泉だ。理屈上は、特定の相手について、他の貸し手よりもよく知っているから、他の貸し手よりも低金利でのローンが可能になるということが、融資ビジネスの競争力の仕掛けだ。

一方、ローンのビジネスでは、借り手と貸し手の間には大きな「情報の非対称性」があり、銀行も含めて貸金業の第一の行動原理は「借りたい、と言ってきた相手には、お金を貸してはいけない」というくらいのものだろう。この事情は、近年「中小企業向けに融資する」と掲げて創業した複数の銀行が上手く行かなかった事情が雄弁に物語っている。

利用者個人の立場に戻ろう。個人は、特定の銀行と長くつきあうことによって、多くの個人的な情報を銀行に把握される一方で、住宅ローンを借りる際などには過去の履歴が残っていることがプラスに働くこともある、という説明も必要だろう。特定の銀行と付き合い続けることがメリットを生むことがある、という説明もしておくべきだ。

銀行口座の持ち方については、給与振り込みと各種の決済に使うメイン口座とメイン口座が不便な場合に使うサブ口座の銀行が異なる二つの口座を持つことを勧めた。これは、最近メガバンクでもあったシステムトラブルのような事態への対応と、ATMの引き出し額制限などが不便な場合があることが理由だ。たくさんの口座を持つと管理の効率が落ちるが、一行だけというのは不安だ。

板書のワンフレーズに示した、(預金とは)「お金の受け払いに使う、運用には効率の悪いお金の一時保管場所」では、銀行預金は主としてお金の決済に使うサービスで、お金を運用する手段としてはあまり効率が良くない場合が多いことを表現している。これは、新聞やインターネットで調べてもらえば、学生もすぐに実感できるだろう。

授業では、上記に加えて、銀行の窓口で売っている投資信託は手数料が高くて運用に不適当な商品が大半(9割以上だと思う)であり、また、「仕組み預金」は顧客にとって条件が不利な物が殆どであることなどを付け加えた。

「私は、銀行は、お金の運用には不適当な場所だと言いきっていいと思っている。例外はめったにない。高給と言われる銀行員が、誰から儲けているかよく考えてみて下さい」と結論を述べた。

ローンに関する説明を加えたせいもあって、話してみると、預金の説明は思ったよりも分量が増えた。ただ、借金の非効率性や銀行という相手との付き合い方については、ぜひ学生に伝えておきたかった。

債券

板書は以下の通り。

債券
「金利が上がると価格が下がる、キャッシュフローの受け取り権利書」 “fixed income”

(関連用語)
クーポン、元本、長期国債利回り(長期金利)、社債、スプレッド、格付け、デフォルト、店頭取引、割引債、変動利付債、仕組み債、個人向け国債

一般に、金融リテラシーのない人の喩えとして「金利が上がると、債券価格が下がるということすら分からない人」というポイントがよく使われる。筆者の授業を聞いた学生さんには、この分類に入って欲しくない。

単利と複利のちがいや割引現在価値の「数式による定義」をスキップしながら、「金利が上がると、債券を買うには、価格がより安くないとバカバカしい」ということを直感的に分かるように説明することが、教える側の努力のポイントになる。授業では、5年満期くらいの債券のキャッシュフローを例にとって、キャッシュフローの棒グラフを黒板に描いて説明した。

運用業界では、債券のことを“fixed income”と呼ぶことが多いが、これは、将来のキャッシュフローを売り買いする形の一つである「債券」の性質を実感するのに悪くないイメージを伴った言葉だと思う。

変動金利債のように、将来のキャッシュフローがfix(固定)されていない債券もあるが、債券の価格付けや売り買いは、将来キャッシュフローの価格付けや売り買いである。

加えて、筆者は、授業に出てくれた学生が将来にわたって「長期金利」に興味を持ってくれるようになることを願っている。長期金利に関心を持つことのメリットは二つだ。

一つは、長期金利の動きが、景気と物価という二つの重要な経済変数に対する多くの人(プロフェッショナルを含む)の判断を反映していることだ。

ある程度の単純化を許して貰うと、長期金利は資金を借りて投資すると将来儲かるような好景気が見通される時には資金需要があるから上昇し、また、将来インフレ率の上昇が予想される場合、債券保有者が実質的に損をしないためには利回りが高くなければならないから、やはり上昇する傾向を持つ。

日々の長期金利は、国債の「需給」など、別の要因もあるが、景気と物価に対する見通しを微妙に反映させながら、上下している。長期金利の推移を見ておくと、それ自体の情報効果と共に経済に対する感度を高める効果がある。

加えて、一般に、長期金利よりも高い利回りを謳った金融商品には、何らかの無視しがたいリスクがある。長期金利に対するスプレッド部分は、信用リスクの対価であったり、(野蛮にも)為替リスクを負っているせいであったり、あるいはそもそも信用できない詐欺的な商品であったりする場合もあるが、手堅い運用の「世間並みの利回り」として長期金利を知っておくことは、お金の運用で思わぬリスクを取らされて失敗をしないためには重要だ(注:気付かずに自発的にリスクを取る、というよりは、気付かぬリスクを取るように「誘導される」ことが多い)。

債券に関して、もう一つ重要なのは、「信用リスク」とは何であるかということと、これが利回りとしてプライシングされることを直感的に理解して(できれば「実感して」)もらうことだろう。

借金を返せないかも知れない相手にお金を貸すには、金利がより高くなければならないことは誰でも納得できるだろう。だが、問題は、「借金を返せないかも知れない」度合いの差をどうやって判断するかということだ。この判断は、はっきりいって、素人には難しい(実は、プロにも難しい!)。

ここで、「民間の格付け会社の格付けを参考にすればいい」と教えるのでは、金融教育として失格だろう。格付け会社は、明らかに信用するに足らない。

格付け会社は、格付け対象債券の発行者から格付けの代金をもらっており、長期的には評判が重要だという側面はある。しかし、個々の経営者や社員にとっては会社の「長期的」な評判は必ずしも重要ではない場合がしばしばある、という微妙な利害関係を教えることが是非必要だ。これは、サブプライム問題が発生する前の段階で大規模に起こっていたことだ。学生に一気にサブプライム問題まで説明すると、説明の分量が過剰になるが、「格付け会社のようなものを簡単に信用してはいけない」ということは教える必要がある。

それでは、プロの債券運用者が、信用リスクがあるにも関わらず債券に投資できるのはなぜだろうか。答えは、彼らが個々の債券の信用リスク分析に於いて優れていることよりも、分散投資によって個々の債券のリスクを落とすことができているからだ。

こうして考えてゆくと、個人が国債以外の個別の債券に投資することの難しさが浮かび上がってくる。

「信用リスクの判断は個人には難しい。加えて、個人の資金量では十分に分散投資することも難しい。また、債券は、『売れ残った物』がセールス努力の対象になることがしばしばある。だから、個人が、社債をはじめとする信用リスクのある債券に個別に投資するのは止めておいた方がいい、というのが私の意見です」と結論をはっきり伝えた。

最近、原発の事故に伴う電力債の問題などが報道されていることもあり、学生もある程度の実感を伴って理解してくれたのではないか。

加えて、時間があれば、「仕組み債」の何たるかを説明したかったが、ここで時間切れになった。仕組み債は「完全に分かるのでなければ、買ってはいけない!」(そして、「分かる」なら、買いたい仕組み債などないはずだ!)ということを伝えなければならないが、「仕組み」の問題については、今後、デリバティブについて説明する際にもう一度チャンスがある。

必要だと思うことを説明していくと、預金と債券だけでも相当の分量・内容になる。

以上の説明を通じて、学生に感じ取って欲しいポイントをあえてまとめると、お金の世界には「情報の非対称性」があるということと、ビジネスとして向かってくる相手(銀行、証券会社、保険会社など)に対する「健全な警戒心」が必要だ、ということの二つだ。