公的年金資金は巨額であり、保守的な運用をする傾向があるとはいえ、保有する株式は少なくないし、その影響は運用そのものにとっても社会にとっても大きい。公的年金の議決権行使については複数の意見と論点があるが、以下では、簡単な整理を試みる。
(1)議決権の空洞化は避けるべき
平成20年度末の時価で見ると、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が123.8兆円、KKR(国家公務員共済組合連合会)が8.3兆円、地共連(地方公務員共済組合連合会)36.4兆円の運用資産があり、基本ポートフォリオの日本株式組み入れ比率は順に11%、5%、9%だから、この3組織の運用額だけで17.3兆円になる。2009年11月末の東証第一部の時価総額が約281兆7千億円に占める比率は6.14%であり、これは、大株主として株式売買の報告が必要な5%を上回るし、この比率はそれぞれの基金の資産配分方針の変化やアクティブ運用の内容によって変化する。
また、かつての事例を思い出すと、たとえば村上ファンドの阪神電鉄株取得のケースのように、約6%の株式が議決権行使でどういった立場に立つかが決定的に重要な場合があり得る。
公的年金の株式保有比率は少なくとも無視できるほど小さくない。
仮にこの議決権行使が放棄された場合、それが経営者と一般株主のどちらにとって有利に働くかは一概に言えないが、日本の上場企業のガバナンスにとって重大なガバナンスの空洞化が起こるというべきだろう。
株式が上場されていることの大きな意味の一つは、企業に対して株主・投資家からのチェックが行われることだ。議決権行使は株主の権利であると同時に、より積極的には、義務でもあると考えるべきだろう。
公的年金の保有株式に関して議決権の空洞化を招くことは、制度の設計上、避けるべきだ。
(2)議決権行使は運用行為の一部
株式に投資するか否かを検討するとき、その企業がどのように経営されるかということは企業価値評価の前提条件の一つだ。株主も投資家も、企業の買収や合併によってビジネスが改善されると期待することがあるだろうし、経営者を交替させることによって業績が改善すると考えることもある。こうした場合、議決権を行使して、自分の想定した「いい経営」を実現しようとすることは、運用行為の一部だ。
そして、もちろん株主にとって議決権を行使することは正当な権利だ。
(3)受託者責任としての議決権行使
運用会社は年金基金に対して、さらに年金基金は年金の加入者に対して、「受託者責任」を負う。受託者は専ら委託者の利益の最大化のためにベストを尽くさなければならない。
従って、運用会社も、年金基金も、それぞれの委託者に対して議決権行使を最大限に有効に行うべき責任を負うと考えられる。運用会社も年金基金もこの責任から逃れることはできない。
この場合、年金基金は運用会社が適切な議決権行使を督励するだけでは不十分であり、適切な議決権行使が行われていることを自ら加入者に対して証明する必要がある。
(4)「ガイドライン」は有効だがそれだけでは不十分
議決権行使のガイドラインを具体的に示すことは、年金基金が運用会社に議決権行使に関する指示・監督を行うに際して有効性を持つ。ないよりも、あるほうがいい。
しかし、ガイドラインが事前に全ての起こりうるケースを網羅できるものではない以上、個別のケースに判断を求められた場合には見解を示す用意が必要だ。
(5)議決権行使のチェックは個々に必要
基金は運用会社の個々の議決権行使の適切性をチェックする必要がある。
一般に運用会社は、議決権行使の対象企業と資本関係(たとえば親会社の株式を持っているかも知れない)があったり、ビジネス関係があったり(対象企業が顧客であったり)する可能性があり、運用の顧客の利益以外のインセンティブを保つ可能性がある。
(6)公的年金の議決権行使は民間企業への公的介入
一方、公的年金が自らの判断と責任において議決権行使を行うと(受託者責任が要請するのはまさにそういうことだが)、これは、政府部門による民間企業の経営への介入を意味する。たとえば、企業買収の事案にあって、政府が両当事者の一方の肩を持つことはいいこととは思えないし、政府と対立する意見を持つ経営者に対して(たとえば規制緩和を求める経営者に対して)保有する株式の議決権行使の可能性を通じて圧力を加える手段を持つことも好ましくない。
米国の公的年金がその運用資産のほぼ100%を非市場性国債とする理由は、政府による民間への介入を回避するためだといわれている。
(7)受託者責任と民間への非介入の完全な両立は困難
受託者責任を完全に果たすためには、年金基金は議決権行使の個々のケースに対して判断を示さざるを得ない(事後的な判断であっても運用会社には影響を与えるだろう)。他方、政府の一部門である公的年金基金が、民間会社の経営に議決権行使を通じて介入することが望ましくないという事実も厳然と存在する。
公的年金が国内株式を投資対象とする以上、議決権行使の空洞化を避けつつ、同時に、民間企業に対して政府の一部門が非介入を保つことは不可能だ。
不可能の回避ないしはある程度の妥協の方法には以下のようなバリエーションが考えられる。
- (1)公的年金は株式投資を(特に国内の株式に対する投資を)行わない
- (2)個々の議決権行使について(求められれば)年金基金が投票内容を指示する
- (3)公的年金基金は自ら議決権行使のガイドラインを作り、運用会社にこれに沿った実施を求め、運用会社の議決権行使行動をチェックする
- (4)公的年金基金は運用会社に議決権行使のガイドラインを作ることを奨励し、運用会社の作ったガイドラインと実際の議決権行使行動について報告を受ける
- (5)公的年金基金は議決権行使に関する事後報告を運用会社に求めるのみ
現実に行われていることは(3)(地共連)、(4)(GPIF、KKR)に近い。
筆者は、(1)を最も支持し、現実に可能だとも考えるが、公的年金が国内株式投資を行うことを前提とする場合には相対的には(3)の方法がいいと思う。
自らの判断基準を明示しないのは運用会社に対してフェアでないし、基準を明示しておけば、個々に政治的・世間的なノイズが入りやすい事例にあっても、原則を貫きやすいからだ。
今後、公的年金については制度の大きな変更も含めて、様々なことが検討されるだろう。議決権行使は、企業の行動や投資判断にも影響する重要なテーマの一つなので、今後の議論の進展に注目して欲しい。
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