個人投資家の場合、投資を始めたばかりでは分からないけれども、だんだん気になってくる言葉として「リバランス」がある。直接的な言葉の意味は「再びバランスを取ること」だ。すると、運用中のポートフォリオの資産間のバランスを調整する行為は全てリバランスだと言えるので、状況により、人によってリバランスという言葉からイメージするアクションは異なることがある。

 リバランスは、合理的な運用とは何かを考える上でいいテーマだ。

アセットアロケーションのリバランス・ルール

 個人投資家でも年金基金のような機関投資家でも、リバランスと言った時に一番多くイメージされるのはアセットアロケーション(資産配分)のリバランスではないだろうか。

 例えば、リスク資産について、「国内株式50%、外国株式50%」で1年前に投資したとする。それが両者の値上がり率のちがいによって、「国内株式45%、外国株式55%」と変化した場合に再び元の比率に戻すように売買を行うというような「決まった比率になるように、定期的に再調整する」といったリバランスが最も有名ではないだろうか。

 投資アドバイザーの中には、顧客の資産のリバランスを定期的に行うことの付加価値が高いのだと主張する例がある。年金基金でも全く定期的且つ機械的ではないまでも、リバランスに関して元々決めた「基本ポートフォリオ」(標準として定めた資産配分)の比率を復元するようにリバランスを「ルール化」している場合がある。

 先ず、アドバイザーの言うリバランスの付加価値についてだが、顧客の側では「その程度のことは自分で出来るのだから、付加価値など殆どない」と考えて、自分で運用するのが正解だろう。ルールが決まっているなら自分でも出来るはずだ。差があるとしても「手間」だけの問題だし、運用の状態は自分で把握出来ている方がいい。「リバランス」という言葉をありがたがるのは止めておこう。

 さて、個人であっても、年金基金であっても、リバランスの「ルール化」にはいくつかの含意と論点がある。

 先ず、ポートフォリオの期待リターンの面では、元のバランスを回復するリバランスのルール化には、「直近と過去の相対的なパフォーマンスが悪かった資産は相対的な期待リターンが上がるだろう」と考えるリターン・リバーサル現象への期待があると考えることが出来る(他の条件によって「常に」そうではないが、おそらくこうした期待が「少しは」あるのが普通だろう)。

 一方、別の可能性としては、バランスの偏りが拡大してポートフォリオ全体のリスクが拡大する場合があるので、これを修正するためにリバランスを行うことが正当化されるケースがあるだろう。この可能性があることは、例えば「45%対55%」よりも大きく、「20%対80%」のような状態まで差がついた場合を考えると分かりやすい。

 もう一点、ポートフォリオの価値を構成する要素から考えると、リバランスは売買のコストに関わる問題だ。リバランスを行うにはなにがしかの売買コストが掛かることがある。特に機関投資家にとっては、運用金額が大きいだけに考慮すべき問題になる場合がある。リバランスをあまりに頻繁に行うと、運用パフォーマンスを大いに損なうことがある。

 さて、リターン、リスク、コストの三要素でリバランスの適否や、よりよいポートフォリオの可能性について評価出来ることがお分かり頂けたと思うが、ここでもう一つ気になるのが「情報」と「判断」を行う「時点」の問題だ。

 例えば、2022年の9月にポートフォリオを作って、以後、毎年9月に2022年9月時点のポートフォリオ配分を復元するようにリバランスするという「ルール」を作るとすると、これはどういう意味を持つだろうか。

 これは、例えば2023年9月の時点にあって、2022年9月時点の情報と判断をそのまま当てはめるということだ。よく考えると、かなり奇妙な投資行動に思える。

 2022年9月時点では、リスクはその時点で最新のものを含むデータを使って推計していたのであろうが、2023年9月の時点でなぜ1年前のデータでポートフォリオの調整を行わなければならないのだろうか。

 また、期待リターンについては、例えばインフレ率や金利は1年間で大きく変化する場合があるが、それでも1年前の期待リターンから計算されたポートフォリオを使うのか。

 これらは、単なる手抜きではないのか?

 上記の疑問に対しては「その通りである」が答えになる。

 しかし、「機械的にリバランスする方がその時々の主観的判断が混じらなくていい」と妙にストイックに信じ込む投資家が(機関投資家も含めて)時々いる。元のポートフォリオを決めた時にはその時に利用可能なデータで主観も交えて判断を信用してポートフォリオを決定しているはずなのに、新しいデータが利用可能な将来の判断は信用出来ないというのは全く奇妙だ。

 投資期間が長期だから配分比率は一定でいいのだという意見も聞いたことがあるが、これも正しくない。ポートフォリオを決める上での「投資期間」はポートフォリオの調整サイクルによって決まるのであって、初期の条件で決めたポートフォリオを「長期投資」という呪文を頼りに何年も変えずにいるのは投資家の独りよがりだ。

 現実の資産運用ではどうかというと、「最適なポートフォリオを変えるべき与件と判断の変化は起こるけれども、新しい最適ポートフォリオに合わせるためのリバランスはそれほど大きなものではなく、調整のコストを考えるとリバランスは不要だ」という判断が妥当な場合がかなりの割合を占める。

 ライバルと細かな単位で相対パフォーマンスの競争をしている運用会社の場合にはそうのんびりもしていられない場合があるが、個人投資家の場合は小さな変化にはこだわらなくていい場合が多い。

 但し、機械的に元の投資配分にリバランスをすることが「論理的に考えて」常に適切だとは限らないことを覚えておくべきだし、金利の変化のような目に見える環境変化はポートフォリオを変更するに十分なものが起こりうるので、「定期的なリバランスが正しいのだ」と思い込むのは不適切だ。

 運用会社や投資アドバイザーが「特定の期間の過去」にすぎないデータに基づいて「リバランスをした方が良かった/悪かった」という計算(「シミュレーション」などという大げさな言葉で呼ぶこともあるが)を繰り返しやってみることがあるのだが、あまり意味のあるリサーチ・テーマだとは思えない。

「売りのルール」にも同様の問題

 先のリバランスに関する検討を当てはめると、「買値から3割上がったらいったん売る」とか「買値から1割下がったら機械的に損切りする」といった、「売りのルール」にも合理性がないことが分かる。

 買った時から時間が経って状況が変わり、新しい判断材料が生まれているのだから、そのデータを使って改めて判断するのが論理としては正しい。役に立たないだけではなく、むしろ有害でさえある民間療法のようなものだと思うといい。

 特に株式投資の場合は、FX(外国為替証拠金取引)や商品先物取引のようなゼロサム・ゲームのリスクではなく、リスク・プレミアムがあると期待される投資のリスク(資本を提供するリスク)を取っているので、利食いでも、損切りでも、頻繁なトレードは余計な売買コストと共に投資の空白が生じて傾向としてバイ・アンド・ホールドよりも不利になりがちだ。

 加えて、先のような「売りのルール」には、「時間の経過と新しいデータ」の問題があることに加えて、自分の買値を基準に投資行動を考えることの非合理性を指摘しておきたい。

 自分の買値(ごとき)が将来の投資対象(例えば株式)のリターンに影響すると考えるのは、何とも自己中心的で恥ずかしい。言わば「天動説的錯誤」だと思って自らを戒めるべきだ。

「楽しみ」と割り切って売買を行っていることに自覚的なら構わないが、投資として成果を出そうと思うなら、そもそも頻繁な売り買いが必要なポートフォリオはスタートから出来が悪いし戦略として拙いのだと考えられる。運用のゲームプランを根本的に考え直すべきだ。

機関投資家の「フォーミュラ・プラン」のリバランスは?

 機関投資家の運用手法の中にはリバランスの効果を強調するものがある。

 例えば、はじめに投資銘柄の全てを同じウェイトでポートフォリオに組み込んで一定の期間ごとに等金額にリバランスし直すことを繰り返す「等金額リバランス」と呼ばれる方法が投資信託などで使われたことがある。

 これは「(相対的に)下がった株は、(相対的に)上がりやすい傾向がある」というリターン・リバーサルの効果に期待した運用戦略だ。等金額にリバランスするよりも下がった銘柄のウェイト付けを大きくして行くもっと極端にリターン・リバーサル効果を狙った運用手法もある。

 当てはめる期間によっては、リターン・リバーサル効果が強く働いてこの種の戦略が奏功する場合はある。

 また、全銘柄を等金額で組み入れると、時価総額の大きな株式のパフォーマンスが悪い場合に、小型株をオーバーウェイトしていたことが有利に働いてTOPIXに勝つような場合もある。

 但し、現実の運用では売買回転率が意外に大きくなって、取引コストの負担が重くなってなかなか上手く行かないことが多い。また、この種の戦略でも、運用のスタート時の情報と判断で決めた戦略を時間が経っても使い続けることの論理的な難点から逃れてはいない。

 同様のことは、多くのスマートベータ戦略にも言える。

ポートフォリオの「いい株、悪い株、普通の株」

 かなり昔のことだが、テレビの番組の中で「いい子、悪い子、普通の子」というコンセプト(の多分ギャグ)があったことを思い出すが、株式のアクティブ・ファンドを運用している場合に、自分のポートフォリオの保有銘柄を子細に眺めると、「いい株、悪い株、普通の株」があることに気づく。

 筆者がこのことに意識的に気づいたきっかけは、ファンドマネージャーとしての自分が運用するポートフォリオの銘柄を一つ一つ検討した時ではなく、過去10年分くらいのデータに基づいて一定間隔(多くは毎月)ポートフォリオの最適化計算を連続的に行って結果を調べた時だった。

 一定の基準を決めてそれぞれの時点の個々の銘柄に期待アクティブ・リターンを与えて「その時だったらこれが最適」というポートフォリオを計算するのだが、売買コストを考慮して(当然考慮すべきなのだが)リバランスを行うと、架空の運用がスタートしてから時間が経つにつれてポートフォリオ全体のアクティブ・リターンが下がってくる傾向が観察された。

 この現象は、運用している本人は気づきにくいかも知れないが、計算上のポートフォリオにだけ起こるのではなく、リアルなポートフォリオにも起こっているはずだ。

 原因は以下のような事情による。

 先ず、スタート時は何の制約もなく理想的なポートフォリオを作ることが出来る。その後も売買コストがゼロなら、毎回制約なしにポートフォリオを作ることが出来るのだが、現実はそうではない。

 売買コストの言わば「塀」があると、ある銘柄がポートフォリオの中から塀の外に出て行くにはコストを払ってでも売るべき「悪い株」にならないといけないし、外の銘柄が中に入るためにはコストの塀の高さを越えられるだけ相対的に魅力的にならなければいけない。

 ポートフォリオを最初に作った時は「いい株」の比率が大きいポートフォリオを作ることが出来るのだが、その後の状況の変化で、「いい株」は既に魅力を失った「普通の株」になり、ついには「悪い株」と評価されるようになってからやっとポートフォリオの外に出て行く。

 こう書くと「普通の株」が役立たずのように思えるかも知れないが、特別な魅力はなくとも分散投資の一翼を担ってリスクの低減に役に立ちつつ株式の平均的なリスク・プレミアムを稼いでくれることが期待されるのだから、それなりの役割を果たしている。

 こうした事情を考えると、ポートフォリオの運用戦略を作るには、期待アクティブ・リターンに影響を与える「情報の変化速度」や「売買のコスト」についてかなり周到に考えなければならないことが分かる。

個人投資家の場合

 いくらか専門的な話も含めて、リバランスのあれこれを検討した。率直に言って、論理的にも、実務的にも、それなりに複雑な問題だ。リバランスは手強い。

 売買コストの問題や時々の判断の複雑さと難しさを考えるなら、個人投資家には「なるべくリバランスの必要性が生じない運用戦略をはじめから考える」ことをお勧めしたい。「上手いリバランスのルール」を追求するよりは、「リバランスが必要ない運用」を意識的に考えるといい。

 株式投資で言うと、ぴったりそれが目標ではないが、インデックス投資になるべく遜色のない分散投資を目指すことの効果は長期的に見ると大きい。アセットアロケーションのレベルでも、自分にとって適当なリスクの大きさを意識しながら広く分散されたポートフォリオをはじめから持つことを考えるといい。総じて言えることは、頻繁に且つ大きなリバランスが必要な運用戦略は上手く行きにくいということだ。

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