写真:Annabelle Chih / 特派員/Getty Images News/ゲッティイメージズ

ペロシ米下院議長の台湾訪問、何が問題か?

 8月2日午前(東京時間)、中国陝西省の西安市在住の軍事産業関係者(中国人)から、「本日、上海株式市場は軒並み売りが先行している。人民は不安を隠せないのだろう」との連絡が入りました。同じころ、香港在住の証券会社社員(日本人)から、「ペロシ・ショックで(ハンセン指数は)全面安です」との感嘆が投げかけられました。

 この期間、米国のナンシー・ペロシ下院議長が、アジア歴訪(シンガポール、マレーシア、韓国、日本)の際に、台湾を訪問するのではないかという報道や議論が過熱してきました。それがなぜペロシ・ショックにつながるのかというと、中国がペロシ訪台に強く反対し、核兵器を有する米国と中国の間で、台湾問題を巡って軍事衝突が勃発する、最悪の場合、それが引き金となって第三次世界大戦にまで発展するという大惨事を免れないのではないか、という懸念を引き起こしているからです。

 中国(中華人民共和国)と米国は1979年1月1日に国交を正常化しましたが、同時に、台湾(中華民国)と米国は断交しました。それ以来、「米国は中華人民共和国を中国唯一の合法的政府として承認し、その範囲内で、米国と台湾は文化、ビジネス、他の非公式関係を続ける」という枠組みを維持してきたのです。「一つの中国」と呼ばれる枠組みでもありますが、中国歴代政府は、習近平(シー・ジンピン)政権を含め、米国に対してこれを完全に順守するよう要求を続け、米国歴代政府も、ジョー・バイデン政権を含め、「一つの中国」にコミットすること、「台湾独立」を支持しないことを明言してきました。

 一方、米中間の台湾問題に「グレーゾーン」が存在してきたのもまた事実です。「代表事務所」という名義ですが、米国と台湾の政府はそれぞれの首都に「事実上の大使館」を設け、外交官や武官を常時駐在させています。また、長年にわたり、米国は台湾に武器売却を通じて台湾の国防力強化を下支えしてきましたし、米台の議員、高級官僚、退職した閣僚などが互いを定期的に訪問し合う光景が常態化してきたのも事実です。

 中国はそのたびに「断固たる反対」と「強烈な抗議」を米国側に表明し、台湾当局に警鐘を鳴らし、台湾に対して経済的制裁や外交的孤立、軍事的威嚇などを組み合わせる形で総合的に圧力をかけてきたのです。中国からの圧力により台湾海峡は緊張し、沖縄県が台湾の目と鼻の先にある日本(日本最西端にある与那国島と台湾の距離は約110キロ、与那国島と石垣島、沖縄本島はそれぞれ約120キロ、約500キロ)においても、「台湾リスク」として不安や懸念を巻き起こしてきたわけです。

 米国政府からすれば、今回のペロシ訪台も、従来のグレーゾーンにおける議員交流の一環なのでしょう。ただ、中国政府の立場は「米国国会は米国政府の構成要素であり、米国下院議長は米国政府内で3番目に入る人物」というもので、普通の議員の訪台とは次元が異なるということでしょう。

 実際のところ、米台断交後、米下院議長の訪台は初めてのことではありません。1997年に1度だけ、当時野党だった共和党のニュート・ギングリッチ議長が台湾を訪れています。ただ、当時ギングリッチ氏は野党議員であり、しかも3時間ほど立ち寄る程度でした。

 一方のペロシ氏は与党議員であり、台湾に1泊する上、蔡英文総統や議会、人権、半導体関係者らとの会合も組まれました。何より、四半世紀前と比べて中国の経済力や軍事力は著しい成長を遂げ、国家的自信と民族的尊厳を強め、米中間の軍事バランスは変わり、両国は戦略的競争関係+相互不信という複雑な構造の中で何とか共存しているのが現状です。

 そんな中でのペロシ訪台は、米中関係にとって国交正常化以来、前代未聞の危機と言えると私は考えます。「ペロシ・ショック」は決して言い過ぎではないのです。

中国の激しい反発と解放軍による台湾包囲

 8月2日23時前(台北時間)、ペロシ氏一行を乗せた米国軍機が台北市の空港に着陸しました。中国政府は予想通り、準備していた一連の対抗、報復措置の実行に即座に移りました。

 ペロシ台湾到着を受けて、中国外交部、国防部、全国人民代表大会、全国政治協商会議、国務院台湾事務弁公室などがそれぞれ断固たる反対と強烈な抗議を示す声明文を発表。また、外交部謝鋒(シエ・フォン)副部長(中央次官級)が米国のニコラス・バーンズ駐中大使を深夜に呼び出し、反対と抗議を表明しました。

 これだけの機関がそれぞれ同時に声明文を発表するのは異例ですが、それでもこれらは「言葉」上の抗議。より重要なのは「行動」です。今回、中国側は即座に行動を起こしています。

 2日夕方、台湾総統府にサイバー攻撃があり、公式サイトが一時ダウン。ペロシ到着に合わせ、中国空軍の戦闘機「スホイ35」が台湾海峡を横断。また、中国政府は、台湾の100以上の食品企業に対して輸入禁止の措置を講じると発表。3日から実施します。

 2日夜以降、中国人民解放軍東部戦区が中心となり、一連の軍事演習を展開しています。台湾以北、南西、南東の空海域における合同空海演習訓練の実行(台湾海峡で遠距離火力実弾射撃、台湾東部で通常ミサイルの試射など)が含まれます。同戦区の顧中(グー・ジョン)副参謀長によれば、「今回の合同軍事行動は、米国と台湾当局が台湾問題で取っている危険な行為に焦点を当てた必要な措置である」と説明した上で、軍事演習について詳細を語りました。

「東部戦区は多種の兵隊を体系的に編成し、全要素を展開し、合同封鎖を実行し、海への突撃、陸への打撃、制空作戦などをピンポイントで演習・訓練し、精密な武器による実弾射撃も実施する。武器装備の性能や軍隊の合同戦闘能力を全面的に点検することで、いかなる危機的事態にも対応できる準備を徹底して進める」

 加えて、中国人民解放軍は8月4日12時~7日12時(北京時間)、台湾を包囲するように、島の四方、六つの空海域で「重要な軍事訓練行動を行う。実弾射撃訓練も組む」との予定をすでに発表しています。その上で、「安全を確保するため、この期間、関連する船舶や飛行体がこれらの空海域に進入するのを禁止する」とも警鐘を鳴らしています。

 まさに、台湾に対して武力行使する「Xデー」に向けた実践訓練を、ペロシ訪台を機に前代未聞の規模と密度で実施するということです。ペロシ訪台の間、その後数日は、台湾周辺の空海域(日本の南西諸島を含む)における米中間の軍事衝突リスクという意味で、危険な時間が続くのは必至です。

 現状は「prelude to war」(戦争の序曲)とさえ修飾できると私は見積もっています。

台湾海峡で予断を許さない状況続く

 今後の見通しを考えていきたいと思います。

 冒頭の西安と香港在住の知人からのメッセージにも表れているように、ペロシ訪台が騒がれた8月2日、上海総合指数は2.26%安、香港ハンセン指数は2.36%安と、共に大引けで取引を終えています。同日、東京株式市場も反落(1.4%安)、ニューヨーク株式市場のダウ工業株30種平均も大幅続落。下げ幅は400ドルを超えました。

 主因はいずれもペロシ・ショックによる地政学リスクの高まりです。私が本稿を執筆している3日を含め、これから予断を許さない状況が断続的に展開されるのは間違いありません。

 ペロシ訪台が米中間の長期的関係や大局に残す禍根については慎重な議論が必要であり、現時点では時期尚早であるため、ここでは短中期的な不安要素について整理しておきます。

 まず短期的、これから数日間から1週間のスパンで見ると、前述したように、中国人民解放軍が台湾を包囲する態勢で前代未聞の軍事演習を展開します。この過程で、米国軍と局地的な軍事衝突を含めた突発事件が起これば、「全面戦争」に発展する可能性も否定できなくなります。当然、日本の自衛隊や国土、国民が巻き込まれるリスクも浮上してきます。混乱に便乗する形で、中国が台湾を武力で統一すべく一気に攻勢をかけてくる可能性も否定できなくなってきます。

 これが中期的、向こう数カ月間の見通しにつながっていきます。内政要因です。今回のペロシ訪台の背景には多かれ少なかれ、劣勢に立たされている11月の中間選挙を前に、対中政策、台湾問題でポイントを稼ぎたい民主党陣営の思惑が作用していると見るべきでしょう。そして、中国も秋(10月か11月)に5年に1度の党大会を控えています。習総書記にとっては再選がかかる極めて重要な政治イベントであり、それを前に、台湾問題という中国にとっての核心的利益において、安易な譲歩は決してできませんし、しないでしょう。

 そんな中、仮に米国や台湾当局が対中で継続的に挑発的な言動をとるようであれば、党内、軍内、世論に背中を押される形で、一気に台湾への武力統一に踏み切る可能性が高まるでしょう。そうなれば、米国側との軍事的対峙(たいじ)、衝突はより直接的、大規模、かつ予測不可能な展開を見せるのが必至であり、東アジア全体を混乱の海に陥れることでしょう。

 予断を許さないとはまさにこのこと、という心境で情勢を注視する今日この頃です。

マーケットのヒント

  1. 「ペロシ・ショック」は市場の大敵であり、不安要素は山積み
  2. 市場は中国が台湾に武力行使する「Xデー」に真剣に備える必要がある
  3. 台湾リスクという意味で、これから数日~数カ月間は予断を許さない状況が続く