1922(大正11)年4月2日
「週刊朝日」「サンデー毎日」創刊
1922(大正11)年4月2日、「週刊朝日」と「サンデー毎日」が同時に発刊されました。これにちなみ、「週刊誌の日」という記念日が認定されました。
朝日は「検閲官が映画を殺すか」、毎日は「産児調整か生み放題、死に放題か」が主記事でした。なお、「週刊朝日」は旬刊からの切り替えで、第5号から週刊化されています。
週刊朝日は「ロンドンタイムス」の日曜版を見習ってニュース志向の記事を中心に取り扱い、価格は10銭で販売。同誌は瞬く間に人気となり7月には臨時増刊を出すほどの勢いとなりました。
一方、サンデー毎日はアイルランドの「サンデー・トリビューン」にならって編集したとされています。価格は朝日と同じく10銭。「大衆文芸賞」を募集し文芸誌としての一面も見せていました。同賞からは海音寺潮五郎、井上靖、山岡荘八などの有名作家を輩出しています。
現在では、紙媒体ではなくWebメディアの躍進が目立ちますが、「週刊誌」という新たなメディアの登場は、日本の情報文化の拡大を推進したといえます。
ライター:FIX JAPAN 前沢ともあき
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