※本記事は2011年1月21日に公開したものです。

 今回は、読者の方からのご質問に答えてみる。

 お手紙の文面から、質問者は、自称「高齢者」で、月々の収入のない年金生活者であるらしい。金融資産は、主にインデックスファンドで運用されていて、日本の資産と海外資産の比率が50:50だという。

 ご質問の内容をまとめると、以下の二点だ。

  1. 月々の収入がないのでドルコスト平均法が使えないが、アセットアロケーションは内外の資産を半々といった通常のものでいいか。
  2. リーマンショックのような30%~40%も下がるような時にも、長期保有を奉じてリスク資産を持ち続けていていいのか。一定の基準を設けて、たとえば、10%下がったらいったん現金化し、上がりだしたらまた再開する、というような方法を考えるべきではないのか。

高齢者の特色

 一口に高齢者といっても様々な境遇の人がいるが、最も多いのは、たぶんお手紙の主がそうであったのではないかと推測されるように、かつてサラリーマンとして月々の収入があり、現在は、原則として年金以外に収入がない、というリタイアした勤労者だろう。

 筆者は自分でその境遇を経験したわけではないので推測するしかないが、お手紙の文面からも伝わってくるが、毎月の収入がなくなると、何となく頼りない、いくらか心細い心持ちがするのだろう。

 リタイアした高齢者と働いている勤労者とで資産運用上最も異なる点は、人的資本の大きさの差だろう。人的資本とは、人間を株式のように評価した概念で、将来期待される収入の割引現在価値だ。高齢者は、必然的に将来稼ぐ金額が小さくなるし、割引現在価値を計算する際の割引率も大きくなるはずなので(主に健康が不安定になるから)、人的資本は若い勤労者よりもかなり小さくなる(注:人的資本は厳密に計算できるものではない)。

 個人の広義の資産全体を眺めると、たとえば、若い勤労者が、人的資本1億5千万円+金融資産3百万円、といった状況なのに対して、高齢者の場合、たとえば、人的資本2千万円+不動産2千万円+金融資産2千万円、といった構成になっているだろう。

 傾向として、高齢者は、広義の資産全体に占める金融資産の割合が大きいので、金融資産のアセットアロケーションで取るリスクの広義資産全体に占めるインパクトが大きくなる。そう考えると、若い勤労者よりも高齢者の方が金融資産に占める株式などのリスク資産のウェイトが小さい方が自然な場合が多いのではないか、という推測が可能だ。

 この場合、アセットアロケーションで主として変化させるべきは、大まかなリスク資産と無リスク資産の比率であって、リスク資産の中身はいずれの場合も「リスク当たりの期待リターンの効率が(大まかに)一番良い組み合わせ」でいいはずなので、リスク資産に関する比率を変える必要はない。

 従って、質問者の場合、内外資産が半々という現在の資産配分でいいはずだし、コストが小さくて中身が分かりやすいインデックスファンドで運用されていることも適切だ。

 質問者の場合、誤解する心配はないと思うが、「高齢者の運用はインカム収入が重要だ」といったセールスマンの妄言を信じて、多分配型のファンドなどを買ってしまう高齢者がいるかも知れないが、これは適切とはいえない。運用の効率性を考える限り、投資家が若年であっても高齢であっても、「毎月分配型」を典型とする多分配型の商品は運用に適切でない場合が多い。

 さて、「高齢者は人的資本が小さいから、金融資産ではリスクを取りにくい」という傾向だけでものを考えていいかというと、もう一つ考慮すべき要素がある。それは、将来必要な支出だ。将来の収入の現在価値を考えたように、将来必要な支出を負債として考えた負債の現在価値も考えることができるが、負債の現在価値は当然のことながら高齢者の方が小さい。

 将来生活に必要な支出をどう見積もるかという問題があるが、大きな資産を持っている高齢者の場合、資産の大半が失われても将来の生活に変化がないだろうと考えられる場合がある。こうした「経済的人生の逃げ切り」を成功させつつある高齢者の場合、人的資本と将来の負債の価値が拮抗するような若者よりも、金融資産の運用においてずっと大きなリスクを取ることができる場合がある。

 日本では、資産の保有が高齢者に偏っている。高齢者は運用で取るリスクを落とすべきだ、というアドバイスが適切でない場合が相当数あるだろう。

 人的資本、それに将来の生活費の現在価値のいずれもが小さいのだから、高齢者だからといってアセットアロケーションを大きく変える必要がない場合が多いはずだが、相対的に若年者の方が将来の資産・負債共に柔軟性がある。つまり、運用で失敗した場合、将来稼ぎを増やしたり、生活を縮小したりといった努力で、そのインパクトを吸収することができるということだ。

 また、再び推測するしかないが、心理的には、下げ相場にぶつかって資産が減ったときの残念な感情が、高齢者の方が大きいかも知れない。

 結論として、リスク資産と無リスク資産の比率は改めてどんな配分がいいかを検討すべきだが、リスク資産の内容については、勤労者時代とリタイア後の高齢者で違いを設ける必要はない、と申し上げておく。

解約の考え方

 リーマンショックは、俗に「百年に一度の危機」と呼ばれただけあって、さすがに強烈であった。これは、一度過ぎたから、あと百年くらいは大丈夫だ、という意味ではないので、同様の事態が再び襲ってくる可能性があることを頭に入れておく必要はある。しかし、可能性はゼロではないが、それが起こる確率は小さい、ということも同時に認識しておくべきだろう。

 積み立て投資をする際のドルコスト平均法に代わる「気休め」のシステムとして、定率の解約を推奨する向きもあるが、せっかく運用する資産があるのだから、筆者はお勧めしない。

 解約の大原則は「お金が必要なときに、買値にこだわらずに、バランスよく解約する」ということでいいのではないだろうか。お金は使うためにある。

 10%云々という損切りの目処を設けておきたいという質問者の気持ちは分からぬでもないが、この方法には根本的な難点が二つある。

 まず、自分の買値は将来の相場動向に影響を与える材料ではない。従って、買値から何%上がった・下がったということを基準に売買を決定することは不適切だ。「高値から10%下落したら」という具合にルールを改定する事もできるが、過去の価格の動きで将来の価格の動きを予想できるわけではない(つまり、テクニカル分析は有効ではない)のだから、これも無意味だ。企業の業績見通しや経済環境が悪化していないのに株価だけ下がったのなら、期待リターンはむしろ以前よりも高まっていると考えることができる。

 もう一つの問題は、将来の売買は、その時までに得られた情報を加味してその時に判断すべきであって、あらかじめ売買のルールを決めておくことに意味がないということだ。「ルール化」が好きな人の多くは、この点に気づいていないか、将来の自分の判断を信用していない。しかし、将来の自分が信用できないなら、なぜ現在の自分の判断を信じているのか。

 売買ルールをあらかじめ決めておくと、「将来、後悔する可能性をより小さくできる」という感情面でのメリットがあるが(行動経済学では「後悔回避のバイアス」として研究されているが、合理性からの逸脱行動の一つだ)、「気休め」のために、合理的な行動から逸脱するのはもったいない。

 それでは、投資家はどの程度相場を判断したらいいのか。

 これは、将来の予測をどう得ることができて、それに対してどの程度の信頼感を持ち、これをどの程度アセットアロケーションに反映させることが適切か、という問題だ。

 筆者は、投資家はある程度相場を判断できると考えているが、それは、予想の信頼度を調整すると、期待リターンにしてせいぜい1、2%程度の上下があり得るという程度の有効性だ。具体的には、リスク資産への投資額を1、2割増減させることが適切だろうか、という程度の判断だ(注:詳しい説明は、過去の本連載のアセットアロケーションに関する記事をご参照下さい)。

 現在は、「リスク資産への配分を平時よりも減らすべき時」ではない、と筆者は考えている。

 質問者の場合、生活の上での備えとなる無リスク資産をまずまずお持ちのようなので、当面、アセットアロケーションの変更は必要ないのではないだろうか。ただし、リスク資産の価格変動が心理的に負担なようであれば、近い将来、中身の上では現在のバランスをおおむね保ちながらリスク資産の運用金額を減らすことを検討するのが適当かも知れない。

【コメント】

 2011年に公開されたものなので10年以上前の記事になる。近年、2016年の「ライフ・シフト」の刊行を切っ掛けとして「人生100年時代」のキャッチフレーズの下に高齢期のお金の問題が注目を集めており、筆者もあれこれ考えるところがあった。高齢期には人的資本が縮小するが、同時に潜在的な負債も縮小するので、高齢期の運用でリスクを取ることが不適切になる訳ではない、というこの原稿での認識は現在も変わらない。年齢も含めた「人のタイプ」によってリスクの大きさ以外の運用内容に変わりはないという点も同様だ。これらは、世間のファイナンシャルプランニングではしばしば誤解されている。

 一方、高齢期の資産運用について筆者が最近付け加えた内容としては、運用を親子二世代で行うことが望ましいという「二世代運用」の考え方がある。読者には、資産運用は親子をセットで考えるとどうかという視点を付け加えて読んで欲しい。無駄な現金化などが減ることは、運用の一般論として好ましいことだ。(2022年3月14日 山崎元)