※本記事は2010年8月6日に公開したものです。
「時価評価しない」はありえない
仕事で運用に携わったことがあると、「時価評価」の重要性は、いわばカラダに染み込むように常識化するのではないかと思うのだが、人によっては運用のプロでも、自分の置かれた利害によって「時価評価をしなくてもいい」という主張をすることがあって、油断がならない。
時価評価に関する議論には幾つかの錯綜しやすいポイントがある。時価評価を回避したい利害を持つ人は、こうした錯綜を利用して、誤解したふりをしたり、「複数の説があって決められない」とか「必ずしも必要でない」と言ったりして、時価評価を避けようとする。
説明としては不細工だが、あえて要点を箇条書きでまとめると、重要な点は以下の通りだ。
- 資産は(できれば負債も)全て時価評価を行うべきで、例外はない。
- 時価評価は「現実に売れる(手仕舞える)価格」で行うべきだ。
- 時価評価できない資産には投資すべきではない(特に他人のお金の場合は)。
- 時価評価は常に正しい価値を反映しているわけではないが、このことは時価評価が不要であることを意味する訳ではない。
- 時価評価の変動による価値の変動は、これを無視するのではなく、現実として直視して認識するのが正しく、それで不都合があるなら、不都合の方がおかしい。
- 時価評価を回避しようとする議論(人間)には気をつけろ!
それを投資と呼ぶか呼ばないかに関係なく、保有している資産の価値は、現実に売ることのできる価格で評価すべきだ。この価格は、市場価格として存在する場合もあるし、参照できる直近の価格がない場合もあるが、できるだけ実勢に近い価格を探すべきだ。
法人の資産運用の歴史を振り返ると、80年代に盛んになった株式などを使った「財テク」運用では、簿価と時価を使い分けて、時価評価を避けて簿価のままで資産を評価する余地を残したことが、運用現場の損の抱え込みに利用されたり、経営者も関与する決算操作につながったりといった弊害をもたらした。
また、80年代末から90年代に流行った「仕組み債」(デリバティブを組み込んだ債券)では、時価評価を回避しながら債券のキャッシュフローを変えることができる商品の性質が決算操作に悪用され、決算操作のニーズが仕組み債へのニーズとなって、これを組成し販売する悪徳業者(注;外資系証券だけとは限らない)の利益につながった。
時価評価の可否がしばしば論じられて、ともすれば時価評価を避けようとする議論が横行するのは、企業が保有する土地や不動産の時価評価と、年金基金などが保有する国債の時価評価だろうか。
前者では、不動産価格の評価が難しいことに伴う時価評価の不正確さが強調されることが多いし、後者では、満期保有の国債は時価が変動しても、最終的には100で償還されるので途中の価値変動を認識しなくてもいいと議論されることが多い。どちらも、時価評価を発表すると「かえって誤解を招く」といった意見が添えられることが多い。
しかし、会社が長期的に保有する不動産のようなものも、会社自体の価値が問題になる場合(少なくとも上場企業の全てに当てはまるはずだ)、会社が持っている資産の実質的な価値は、関係者に公開し周知すべき情報だ。土地は売らなくても、借り入れの担保になることもあるし、もちろん、会社自体が売り買いの対象になる場合に保有不動産の価値は重要な情報だ。
満期まで保有する国債の時価評価を回避しようとする議論は、年金基金等の公的な性格を帯びたお金についても出てくることがあるが、筆者は、不適当だと考えている。
第一に、国債を買うときには少なくとも利回りを考えて投資しているはずであり、金利がいかに変動しても投資環境が変化しても「満期まで売らない」という方針自体が、年金運用の用語で言うと「受託者責任違反」(他人の財産の扱いを委託された者として当然要求されるレベルの努力をしていないという意味)だ。
第二に、時価評価した場合にも、金利変動で債券ポートフォリオの価値は変動するが、このアップ・ダウンをその都度認識しても何ら不都合はないという点が重要だ。途中で価値が増減して、最後に予定通りの利回りになるなら、その都度現実を認識すればいいだけのことだ。年金運用で言えば、金利が変動すると年金負債の価値が変動するので資産と負債の関係を見る必要があるし、現実に起こっている価値の変化を報告しないで済ませようとする意図には正当化できる理由がない。
また、時価が必ずしも正しい訳ではないので、時価評価を公開すると「誤解を招く」という言い方をする人もいるが、それは、時価評価に加えて、どの部分がどの程度不正確であり得るという情報を開示する事が必要なのであって、時価自体の情報提供が不要な理由にはならない。まして、「適当な時価がないから、取得価格で評価しておけばいい」といった、現実と公開情報の乖離を招きかねない愚かなルールには何の正当性もない。ごまかしに利用されるリスクを残すだけだ。
また、そもそも、「現在どのくらいの価値なのか判断できない」という対象物は、結局その価値の判断ができていないと言うことなのだから、これに対して、企業の資金や年金資産のような「他人のお金」を投じていること自体がおかしい。
「自信を持って自分で時価評価できないものには投資してはいけない」というルールを設けておけば、法人の場合たちの悪い仕組み商品に引っ掛かって運用で大損するケースは大幅に減るだろうし(近年では、多くの学校法人が仕組み商品に投資して大損を出したことが報じられている)、個人投資家の場合も、自分が投資できない(完全に理解できていない)商品を排除することができる。
もちろん、市場で付く価格が全て正しいわけではない。例えば、毎日1万株しかできていない株式を100万株持っている場合、たった1万株に対して付いた株価を信頼できる時価として扱うことには問題があるだろう。ただし、だからといって、市場の株価を気にしなくていいというものではないし、取得価格が価値だと決めつけていいものでもない。
結局のところ、時価評価は、完全に信じていいものではないが、適用に例外を設けてはいけない性質のものなのだ。適用に不都合があるとすれば、それは、解決すべき別の問題の存在を示唆している。
あえて一歩踏み込んで言うと、時価評価を避けようとするのは、実績を(多くの場合は含み損を)ごまかしたいトレーダーや経営者、あるいは、怪しい商品を売り込みたいセールスマンのような、「警戒すべき人」である公算が大きい。
時価評価の副作用
絶対に必要な時価評価だが、副作用もある。
大きな副作用は、時価評価で生じた利益を過大評価してリスクを拡大しすぎてしまうことだ。これは、株式投資でも、不動産投資でも起こるし、大きな規模で起こって経済に「バブル」(長期的に維持できないくらいの資産価格の本来の価値を超えた高騰と考えておこう)を後押しすることもある。
たとえば、サブプライム・ビジネスの拡大期には、金融機関がポートフォリオの価値の増大を自己資本の拡大と認識して、リスクテイクの前傾化を進めた。
もっとも、この種のリスクの拡大も、時価評価を行うこと自体ではなく、その時の時価の脆弱性が十分評価されていなかったことの方にこそ問題があると考えるべきだろう。
バブルの崩壊過程では、資産価格の下落が時価評価を通じて自己資本を毀損し、リスクテイクの縮小に拍車を掛けるケースがある。これを不都合と見て、金融監督当局などが時価評価を停止しようとするケースがあるが、これも厳密には「インチキの公的なカルテル」とでも評すべき不適当な政策だ。必要なのは自己資本の手当てであって、資産価格下落の現実から目を逸らすことではない。
結論として「時価評価が不要」になる訳ではないが、バブルの形成と崩壊の過程で、時価評価が加速に加担するケースがあることは覚えておきたい。
個人の投資と時価評価
個人投資家には時価評価を嫌う人が少なくない。
「株価(基準価額)の上下に一喜一憂したくない」とか、「売るまでは、損が確定したわけではない」とか、思い思いの理由を並べることはあるのだが、「しかし、現実は、その都度認識する方がいいのではないですか。それで、不都合はないでしょう」と申し上げておきたい。
自分の資産の価値は生活を考える上で重要な情報のはずだし、時価の変動を見ていてこそ、「リスク」の性質や大きさを正しく知ることができる。
初心者向けの投資の本には、「投資した株の株価なんて忘れてしまえ」といったアドバイスが書かれていることがあるし、確定拠出年金の投資教育のようなケースでも、「ポートフォリオの時価のチェックを頻繁に行うのは考え物だ」と教えるケースがあるようなのだが、筆者はどちらにも賛成しない。
投資でも人生でも、現実認識をごまかすのは大失敗のもとだ。
【コメント】
2010年公開と、10年以上前の記事だが、内容に変更したい点はない。結論をまとめると「時価はみるべし、慣れるべし」ということに集約できる。時価の認識を回避せず、同時にその変動に慣れて動じないようになることが大切だ。
記事の中では、かつての機関投資家の仕組み債による決算操作ニーズについて売り手と買い手の双方に対して憤慨しているが、近年は、個人向けに仕組み債が売られることがよくある(売り手が得られる手数料が大きいからだ)。仕組み債は、実質的な手数料が買い手に分かりにくいし、また「分かれば、絶対に買わない」ようにプライシングされているものなので、100%避けた方がいい投資対象だ。「売れている」という事実自体が、商品の内容が買い手に理解されていないことの証拠だと言って良い。個人的には、個人向けの仕組み再販売は禁止する方がいいと思っていることを付記する。(2022年2月14日 山崎元)
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