明日、2月4日、北京冬季五輪が開幕します。新型コロナウイルスが依然猛威を振るうなか、しかも例年であれば延べ30億人が「民族大移動」をする春節(旧正月)休み期間中の開催ということで、国民の健康や命を守りつつ、経済社会を着実に回す上で当局が直面するプレッシャーも相当なものになるでしょう。そんな中、北京住民を含めた中国国民は五輪をどう捉え、どう生活しているのか。経済への影響は? 今回、解説していきます。

海外メディアが注目する北京冬季五輪三つのポイント

 北京冬季五輪を前にして、日本でも「中国報道」が度々過熱してきているように実感しています。海外メディアが率先して取り上げる注目のポイントは、主に三つあります。

 一つ目がいわゆる「厳戒(げんかい)態勢」でしょう。そもそも中国国内で「ゼロコロナ」実現のために、ロックダウン(都市封鎖)を含め、徹底した感染症対策を実施してきた中国当局と、そこに服従してきた中国国民(筆者注:直近の中国国内における新たな感染者数は1月26日63人、27日64人、28日59人、29日81人、30日58人、31日66人、2月1日63人と減少しつつある)。

 五輪開催もその延長線上にあります。五輪に参加するために中国へ入国する選手団やスタッフ、メディア関係者などには毎日PCR検査を受けてもらうほか、感染を徹底的に封じ込める「バブル方式」下において、北京市民とは一切の接触を許さず、移動や行動を制限します。北京市民は五輪会場に近づけず、試合の観戦チケットも一般販売が中止されたため、北京という地で開催されるものの、北京市民とは実質「無関係」の祭典とならざるを得ません。

 二つ目が、こちらも「ゼロコロナ」関連ですが、北京五輪開催当局が、選手やスタッフ、メディア関係者に対し、スマートフォンに健康状態を申告する専用アプリのダウンロードを要求していることです。

 国民経済・生活のデジタル化が急速に進む中国ですが、それは同時に、当局の国民への監視強化につながる、個人情報が盗み取られるのではないかという懸念を引き起こしてきました。裏を返せば、デジタルの発展が党・政府当局をより強権的、支配的にし、国民の自由やプライバシーがこれまで以上に侵害される環境が「制度化」していくということです。北京五輪開催下においてもこの新常態は例外ではないでしょう。

 三つ目が、主に欧米諸国と中国当局との間で火花を散らしてきた「人権侵害」を巡る動向です。2021年12月、バイデン米大統領が『ウイグル強制労働防止法案』に署名しました。1月20日、今度はフランスの下院が新疆ウイグル自治区の人権弾圧を非難する決議を採択。同国のマラシネアヌ・スポーツ担当相は五輪期間中北京を訪れるものの、開会式には出席しない旨を明らかにしています。

 2月1日には、日本の衆議院において、中国を名指しせず、「人権状況」という文言を使い、中国や日中関係に配慮しつつも、実質的に、中国共産党の新疆ウイグル自治区などでの人権侵害に懸念を表明する決議を与党と立憲民主、日本維新の会などの賛成多数で採択しました。

 五輪は、各国の選手が世界中に「自己表現」する上で格好の舞台となってきましたが、人権問題を重視する欧米の選手が、会場や選手村で中国共産党によるウイグル族に対する政策を非難したり、欧米と中国の選手間でもめ事が起こったりすれば、海外メディアはそれらを大きく取り上げることは間違いないでしょう。

ゼロコロナへ厳戒態勢。北京市民を取り巻く現状

 絶対多数の中国国民は、自国開催の五輪を、私たち同様にテレビの画面上でしか見られません。肌感覚としては、柵の向こう、というよりは、どこかの外国で開催されているような感覚すら抱いているでしょう。とはいえ、自国開催に変わりはなく、中国共産党は五輪を成功裏に開催することで、国の威力を強くアピールすべくありとあらゆる宣伝を展開していくのは必至です。

 私の観察では、約半年前に東京で開催された夏季五輪当時に、多くの日本国民が「五輪の開催と国民の安全、どちらが大事なのか?」という観点から当時の菅義偉政権に疑問を投げかけたのとは異なり、「ゼロコロナ」が徹底される中国で、五輪開催を疑問視する世論はほとんどみられません(言論の自由が保証されていないという点を抜きにしても)。

 それにしても、北京の地で「バブル方式」は徹底されています。例として、選手やスタッフと一般市民が乗る車両が道路上でクラッシュし、交通事故が起きても下車が許されず、警察が来るまで車内で待機しなければならないといった状況です。選手やスタッフが専用車で移動する際、全ての移動に五輪管理委員会のスタッフが同行し、いつ下車していいか、どこまで移動していいかなど、全過程、全方位で徹底管理されます。

 一方、「厳戒態勢」について言えば、五輪開催というよりは、コロナ禍、および人の移動が大量に発生する春節期間という要素が占める比重のほうが高い印象です。大多数の国民が厳戒だと感じる対象も、自分と「無関係」な五輪ではなく、あくまでもコロナ禍×春節なのです。

「ゼロコロナ」を実現したい当局としても、五輪よりも春節のほうが断然プレッシャーが大きく、全国的に「コロナ×春節」という二重構造下における厳戒態勢が敷かれているのが現状です。とりわけ、北京当局は、「五輪×コロナ×春節」という三重構造に見舞われており、北京市民の生活や移動も、より厳重に制限されています。

 私の知人の証言を基に、北京市民を取り巻く現状をいくつか紹介したいと思います。

 まず、党機関紙で働く二人のメディア関係者によれば、北京で仕事をする外地(北京以外の地)出身者は、国有企業や政府を中心に、春節期間中も帰省してはならず、北京に残って年越しをするように半強制的に要求されているとのこと。「今いる場所で年越しを」(中国語で「就地過年」)が全国的に奨励され、北京では特に著しいとのことです。

 年越しのために帰省しない、北京に残るからといって自由に活動していいというわけではありません。春節期間中、外地から人を呼ぶ全国規模の会議や研修を開催してはならない、お寺などにおける集団的お参りやエンターテインメント、商店での販促キャンペーンなども原則禁止、家庭内での集まりも10人を超えてはならない、などの規定が設けられています。

 北京市政府は、交通手段を問わず、入京するすべての人間のスマホにダウンロードされている「行程コード」(過去14日以内に赴いた地域が表示)に「中リスク地域」(筆者注:過去14日以内に累計感染者数が50人以下、かつクラスターが発生していない地域。小リスク地域は過去14日以内の累計感染者数が0の地域。高リスク地域は過去14日以内の累計感染者数が50人以上、かつクラスターが発生した地域)に行った経緯がないかを厳格にチェックしています。

 誰がいつ、どこに行ったかは全て自動的にコードに記録される仕組みになっています。仮に本人の意思に反して(例えば12日前から10日前までの3日間、出張でXX市に滞在、離れた翌日にXX市が「中リスク地域」に指定されるような場合)、XX市に滞在していた事実が記録されると、入京できず、空港や鉄道の駅かは問わず、無条件に同じ経路で出発地に帰るよう命じられます。知人たちの話を総括すると、最悪なのは高速道路で、高速から一般路に降りることも許されず、路頭に迷う人間が全国各地で多発している模様です。

 さらに、外地から入京するには48時間以内にPCR検査をしなければなりません。春節直前に、南京から高速鉄道で北京入りした出版関係者によれば、PCR検査は南京では40元(約700円)、価格は各都市で異なり、安くて20元、高くて60元くらいとのこと。

 1日前に予約、結果が出るまでに1日かかり、その後結果が携帯に送られてきます。高速鉄道の車両内で1回、北京の駅でもう一回チェックされ、そこでPCR検査結果が陰性で、かつ過去14日以内に「中リスク地域」に滞在していないことが証明されて初めて街に出ることが許されます。現在、すべての入京者には同様の措置が取られています。

焦点は、北京五輪閉幕後

 国営メディアで働く幹部は、中国当局のゼロコロナ策は、「中国の特色」そのものだと言います。国の面積や情勢、制度が異なるため単純比較はできませんが、全国民のスマホに健康アプリ、行程コードをダウンロードし、いつ、どこに行ったかが自動的に記録され、それが当局の管理下で移動や生活の自由に直接反映される。省をまたぐ(日本で言えば都道府県をまたぐ)たびに自腹でPCR検査をし、その結果を、飛行機や電車の中、空港や駅を出る際に担当者に対して提示する…私たち日本人は、これらの措置を甘んじて受け入れるでしょうか?

 同幹部が指摘したように、おそらく中国という国土においてこそ成り立つやり方なのだと思います(中国で暮らす外国人の多くも尊重しているようですが)。デジタル化が極端に進んだ昨今の中国において、当局によるゼロコロナ策を、大多数の国民は受け入れ、重んじ、評価すらしているというのが私の分析です。

 中国共産党という、統治のためにさまざまな資源を強権的に発動できる当局者だからこそなせる業であり、そんな当局者に従属的な中国国民だからこそ受け入れられる現状なのでしょう。中国の隣国・北朝鮮がどうなのかは分かりませんが、世界における絶対多数の国家で、上記のようなやり方は成り立たないでしょう。

 ただ、中国ですら、それが成り立ってきた前提は、コロナ感染が全体的に抑制され、経済活動が相当程度回転し、物価が抑えられ、衣食住が安定的に供給され、雇用が確保されてきたからにほかなりません。

 いったんこの前提が瓦解(がかい)する、言い換えれば、コロナの感染が拡大し、経済が回らなくなれば、国民は当局者の言うことを聞かなくなるでしょう。社会不安が広がり、国家権力への反対勢力がちまたで大量に溢れだし、政権転覆が現実味を帯びる、言い換えれば、国家統治者の姓が変わる「易姓革命」が勃発する可能性は中国史が繰り返し証明してきたとおりです。ここに、民主主義国家ではない中国というお国の難しさと奥深さがあるのだと私は考えています。

 焦点となるのは、コロナ抑制と経済成長の有機的共存が至上命題である2022年において、「ゼロコロナ」をどこまで徹底するか、特に北京五輪が閉幕したあたりで、従来よりも柔軟な「ゼロコロナ」と「ウィズコロナ」の中間に「中国の特色」を見いだすような合理的政策が打ち出されるのか、といったところでしょう。

 本稿を執筆するに当たって話を聞いた政府や国有メディアに勤務する知人たちは、「その可能性は十分にある」と私に語っていました。北京五輪閉幕後の情勢と政策に注目です。