※本記事は2013年8月9日に公開したものです。

「投資」と「投機」をどう区別するかは古くからあるテーマだが、論者によってまちまちの区別の仕方がある。

 多くの場合、「投資」に善、「投機」に悪のイメージを重ねることが多い。これに、「時間」の要素を入れて、「長期で保有するのは投資で、短期で売買するのが投機」とか、「リスクの大きさ」を基準に、「リスクがそこそこまでのものが投資で、リスクがひどく大きいものは投機」というような区別の仕方もある。

 あるいは、インカム・ゲインとキャピタル・ゲインの区別にこだわって、「主としてインカム・ゲインの獲得を目指すのが投資で、キャピタル・ゲインを狙うのは投機だ」といったイメージを持つ人もいる。しかし、インカム・ゲインとキャピタル・ゲインは、両者を「合わせて」総合的に評価するのが金融計算の基本であり、両者をイメージによって区別してしまうのは、明らかに不適当だ。この区別は採用しない方がいいだろう。

 筆者は、「投資」と「投機」を、経済的な性質のちがいによって区別するのがいいと考えている。

 何らかのリスクを取って経済的な生産活動に資本を提供する行為を「投資」と呼び、お互いの見通しのちがいに賭けるゼロサム・ゲーム的なリスクを取ることを「投機」と呼ぶことで、両者を区別したい。

 たとえば、企業の株式を持つことは、その企業に資本金を提供して、企業がその間に稼いだ利益の配分を受けようとする行為だ。主に企業の業績が順調であれば、時間の経過と共にプラスのリターンを得ることが期待できる。但し、投資した株価が高すぎたり、投資した後に企業の業績が想定外の悪化を見せたりした場合には、満足なリターンが得られないばかりか、損をすることもあり得る。

 この際に、市場では投資家がリスクを負担する対価として追加的な期待リターン、即ちリスク・プレミアムが、リスク資産の価格が下がって形成される形で提供されることが期待できる。

 期待リターンはあくまでも、リターンの「期待値」だ。必ずこの通りに実現するとは限らないが、資本市場の参加者がリスクに対して回避的であれば、より大きなリスクに対しては、より大きなリスク・プレミアムが対応して、リスク資産の価格が決まることになると理屈上は期待できる。これが、いわゆる「ハイリスク、ハイリターンの原則」の仕組みだ。

「ハイリスク、ハイリターンの原則」は、ある種の自然科学的な法則のように、「計算結果が(ほぼ)必ず実現する」と期待できるものではない。価格の形成に誤りがなければ、さらに、その後に起こることが不運でなければ、平均的にはリスク・プレミアムが実現すると期待してもいいのではないか、というような「緩い法則」だ。

 これは「微かな傾向」と考えるくらいで、丁度いいのかも知れない。とはいえ、リスクを取ることに対して、追加的なプラスのリターンが期待できることの効果は、特に長期的な資産形成を考える投資家にとっては小さくない。

 他方、「投機」は、たとえばある商品の将来の価格がどの程度上昇するか・下落するかについて、市場に参加している者どうしで、お互いの見通しの違いに対して賭を行う。典型的には商品先物取引に見られるような、リスクの負担は、リスクを取ったからといって、これが追加的なリターンで補償されると期待することができない。たとえば、ある商品の、「売り方」と「買い方」は、共に同じ大きさのリスクを逆方向に取っており、両者の損益の合計はゼロだ。

 また、この取引では、最終的に損益の清算が行われるが、それまでの間に資本が提供されている訳ではない。現実的には、証拠金や担保を差し入れているかも知れないが、これらは将来の契約の清算を確実にするために存在するに過ぎない。

 この種の「資本の提供」ではないゼロサム・ゲーム的なリスクにあっては、自分が逆の見通しを持つ参加者よりも正しい見通しを持つことが出来ると期待できる場合にのみ、リスク負担に対してプラスの追加的なリターンを得ることが期待できる。しかし、逆の見通しを持ってマーケットに参加している人も同様に思っているのかも知れないし、この場合、両者が共に正しいことはあり得ない。

 ゼロサム・ゲーム的なリスクを取るのだとしても、これが、リスク・ヘッジに使える場合があり、社会的に無駄な訳ではないし、そのリスク・ヘッジが可能にする生産活動があるだろうから、ゼロサム・ゲーム的なリスク・ポジションの一方にリスク・プレミアムが発生する可能性はある。しかし、特段の前提情報がない場合の初期の期待値としては、この種のゼロサム・ゲーム的なリスクにはリスク・プレミアムがないと考えておくべきだろう。

 将来の価格を巡るゼロサム・ゲームのリスクは、価格変動のリスクを負っているという意味では、「投資のリスク」と同じに見えるが、資本のプライシングを通じてリスク・プレミアムの獲得が期待できる後者とは、明らかに異なる性質のリスクであり、こちらを「投機のリスク」と呼んで、「投資のリスク」と区別するのが分かりやすい、と筆者は考えている。

「投機のリスク」は、自己の責任の下にこれを負う限りにあって倫理的な問題はないと筆者は考えているが、リスク・テイクの一般論としては、リスクを拡大しても、期待リターンが増えないのだから、「有利なリスク・テイク」ではない。一般論として、特に、長期的な資産形成にあっては、「投機のリスク」を取ることは有利とはいえない。

 具体的な例を考えよう。「株式投資は、ギャンブルだと思うか」と問われたら、読者はどうお答えになるだろうか。

 筆者なら以下のように答えたい。

「株式投資にはリスクがあり、株価は大きく変動することがあるので、特に損をすることがあり得る点について、ギャンブルに参加するのと同じくらいの『覚悟』を持って参加すべし、という意味で、『株式投資はギャンブルだ』といってもいいと思う。

 ところで、たとえば典型的なギャンブルとして競馬の場合、JRAの控除分(連勝式の馬券で25%)を除いた馬券の売り上げを、馬券を買った人同士がゼロサム・ゲーム的に取り合うので、馬券の回収率は75%となる。

 ところが、株式投資の場合は、投資した金額が、たとえば1年後にその105%の価値になって返ってくることが一応は期待できる。つまり、株式投資は『期待回収率が100%を超えるギャンブル』だと考えることが出来る。もちろん、リスクはあるので、これを有利なギャンブルだ、と考える人だけが参加すればいい」

 それでは、何が「投資」で、何が「投機」なのか。あれこれ言ってみたい気持ちは大いにあるが、今回は、敢えて書かない。読者は、どのリスクが「投資のリスク」でどのリスクが「投機のリスク」なのか、という観点で、「投資」と「投機」について考えてみて欲しい。

【コメント】

「投資」と「投機」の区別は、筆者の運用理論の中で重要な役割を持っている。全ての投資家にとって重要な区別の筈だ。本稿は、2013年の記事で少し古いが、当時から投資と投機の区別について、「リスクに対する補償(=リスク・プレミアム)があるか?」(あると期待できるのが投資)という問題意識を持っていた。今の眼で見ると、生産活動に資金を提供する場合の「資本」の価格形成にあって、将来の利益が高成長でも低成長でも(マイナス成長でも)「リスク・プレミアム」が織り込まれることを、もう少し詳しく説明したい。だが、「投資」と「投機」がどうちがうのかに関する問題意識はこの当時の記事に表れている。読者には、この先のロジックを考えてみてくれると嬉しい。(2021年12月25日 山崎元)