お金を今使うか、後で使うか

 この連載をはじめとして、筆者は、資産運用の重要性を強調する文章を書くことが多い。すると、必然的に運用のための資金を捻出することの重要性を言うことになる。確かに、実際に将来に備えてお金を貯めておくことは必要だし、貯めたお金の有効な使い方として投資を勧めることになる。

 この一連の流れに大きな違和感はないのだが、最近、お金を使うことの重要性にも触れておく必要があるのではないかと思うようになった。

 例えば、18歳の青年が、500万円の学費(入学金が100万円で年間100万円の学費が4年間必要だとしよう)を支払って大学に行くことと、500万円を投資に回すことの損得を考えてみよう。投資は65歳まで行うとして、年率5%の複利で46年間運用すると元本は約9.4倍に成長する。即ち、4,700万円だ。長期間に亘る複利運用の効果は絶大だが、おそらくこの金額は大学に行くことによる生涯収入の増加をかなり下回るだろう(大学にもよるだろうし、もちろん大きな個人差があるが)。

 この損得比較には、大学に行かずに働くと得られたはずの収入が「機会費用」として存在することが見落とされているが、この機会費用の要素を考慮しても尚大学に行くことが得なケースは少なくあるまい。

 この場合、大学の学費が自分の「人的資本への投資」になるが、人的資本への投資が金融資産への投資よりも大きな収益を生むことは他にもあるにちがいない。

 大まかな関係を図にすると、以下の図1のようになるだろう。

(図1)人的資本への投資と金融資産への投資の比較

 人的資本への投資の損益が高年齢になるとマイナスの場合としては、例えば定年後に大学院に行ってMBA(経営学修士号)を取っても、学費を上回る収入の増加は見込めないだろう、といったケースを想定できる。

4つの「投資的支出」

 お金は適切なタイミングで有効に使う事によって、さらに大きなお金を生むことがある。こうした支出を「投資的支出」と呼ぶことにしよう。有効な投資的支出がある場合に、この機会を逃すのは、極めて「もったいない!」。

 では、どのような支出が有効な投資的支出になり得るだろうか。

 大きく、4つのカテゴリーに分かれるように思う。(1)能力、(2)知識・経験、(3)時間、(4)人間関係、の4つだ。

(1)能力への投資的支出

 自分の能力を高めることに貢献する支出が有効であることは、分かりやすい。学校に行く、何らかのスキルを身につける、資格を取るなど、職業人としての自分の能力を高める支出のチャンスには敏感でありたい。

 仕事の能力が高まると人材価値が高まる。この人材価値を使って、時間と共に経済価値を手にするのだと考えると、キャリア・プランニング(職業人生設計)の見通しが良くなる。人材価値は、仕事の「能力」と「実績」、それに今後仕事をすることができる「時間」によって決定されると考えられる(図2)。

(図2)人材価値の概念図

 能力を高める投資としては、自分の仕事上の能力を高めることをサポートする物に対する投資も考えることができる。例えば、仕事や地域によっては、性能の良い自動車に対する投資がこれに当たる場合があるだろうし、パソコンやスマートフォンなどの仕事道具に対する投資にも、自分の仕事上の能力を高める効果がある。

 そして、能力に対する投資は早く行う方が、効果が高い。

(2)知識・経験への投資的支出

 筆者個人は、あまり旅行に積極的ではないのだが(なぜなのだろう? 自分で少々不思議である)、例えば、世界各地を見て回る旅行のような経験は、知識を増やす意味でも、他人に語ることができる経験が増えるという意味でも、有効な投資になり得る。

 世の中には経験してみなければ分からないことが多数ある。良いコンサートや舞台を観ることが経験として役立つこともあるだろうし、美味しい食事やワインなども、実際に口にしてみなければ十分には語れない。

 そして、率直に言うと、語るに足る豊かな経験を持っている人は、他人から見て魅力的な人であり、その魅力が経済価値を生む場合がしばしばある。逆に、語るに足る話題のない人は、つまらない人である。

 経験への支出も、有効な投資的支出になる場合がある。そして、経験への投資も概ね早く行う方が有効だ。

(3)時間への投資的支出

 投資にあっても、後に触れる消費にあっても、人間がその効果を得るためには「時間」が必要だ。そして、時間はしばしばお金で買うことが出来る。

 小さい単位では、例えばタクシーを利用することで時間を節約し、生産的な時間をより多く持てるようになる場合がある。

 もう少し大きな単位を考えると、例えば、職住近接のロケーションにある住居に住むことの累積的時間短縮効果は極めて大きい場合がある。

 また、自分でやると時間が掛かる仕事を、お金を支払って他人に依頼するのも時間を買う行為の一形態だ。

「時間をお金で買える機会はないか?」、「その支出は時間をどれだけ作り、その時間の価値に見合うか?」ということは、ビジネスパーソンならもちろん、ビジネスパーソン以外の人も(例えば学生も高齢者も)頻繁に考えてみる価値がある。

 逆に、他人の時間を無駄に占有する行為は、精神的に迷惑を掛けるだけでなく、相手の経済価値を奪ってもいるのだ、という自覚が必要だ。

(4)人間関係への投資的支出

 人間関係も、人材価値に影響する重要な要素だ。例えば、何らかのセールスに関わる仕事をしていると、顧客を持っているか、顧客とどのような関係を築いているかは、その人の「能力」と「実績」の両方に関わる重要な構成要素だ。

 筆者の親しい知り合いに、主に外資系の金融の世界で数社を渡り歩きながら、67歳まで勤めた人がいるのだが(外資系の特に金融では、経営トップ層以外では異例の年齢だ)、彼の強みは広い顧客層との「顔のつながり」だった。この人的なネットワークに価値を見いだす企業(例えば日本に進出して日の浅い会社など)に時々転職することで、その人的ネットワークは経済価値を生み続けた。但し、重要人物との人間関係を維持するためには、時間と労力と、そして自ら使うお金も必要だった。

 普通の会社員であっても、人間関係に対する、時間と努力、そしてお金の投資は有効だし、必要な場合があるだろう。

 また、他人に対して使ったお金は、直接、間接、さまざまな形で自分に返ってくることがある。他人に使うお金は、自分に使うお金よりも「少し気前よく」と思っているくらいが、ちょうど良いのではないかと思う。

 投資的支出が有効な場合として、(1)能力、(2)知識・経験、(3)時間、(4)人間関係の4つがあることは、是非覚えておきたい。

消費的支出

 さて、一般に、人間がお金を使う理由は、より多くのお金を得るためではない。お金は、あくまでも「手段」であり、「目的」ではない。そして、お金は使うためにこそある。

 経済学的な言葉を使うと「効用」を得るためということになるが、もっと平たく「幸せ」のためにお金を使うのだと考えていいだろう。

 さて、幸せのためにお金を使うとして、ここでも「時間」が関係する。1つには時間が無ければ使えない使途があるし、もう1つには、人生の時間のどの時点でお金を使うかという支出の「時間的配分」の問題がある。

 前者に関しては、短くは食事をするにも時間がいるし、旅行にも時間や場合によっては体力が必要だ。また、住み心地のいい家を楽しむにも時間がいる。

 人生の時間の中でどこに支出を配分するかという問題は、なかなかに複雑だ。

 多くの人がイメージしそうな理想の人生設計は、「思い出に残るクライマックスがあって、最後もそこそこに豊かな人生」ではないか。行動心理学者のダニエル・カーネマン氏の提唱した「ピーク・エンドの法則」によると、人はひとまとまりの過去の経験をピークとなった出来事と終わりがどうなったかの主に2点で評価するという。これを人生に当てはめると、何らかの輝かしい達成があって、最晩年が豊かな人生が良さそうに思える。

 もっとも、これは「人生を後から振り返った評価を想像すると」という前提の評価であり、実際には、先ず(1)いつ有効にお金を使えるチャンスがあるか、という「機会」の問題があり、(2)他人と自分とを比較する「相対評価」の問題があり、人生の時々の過程では(3)自分の過去との比較も幸福感に大きく影響するだろう。

 こうして考えてみると、「お金の有効な使い方」は人生の幸福感を大きく左右する大問題で、同時に難問でもある。比較してみると、「金融資産の増やし方」といった筆者が日頃扱っている問題がいかに簡単なのかが分かる。

 とはいえ、繰り返しになるが、お金は使うためにある。投資的な支出についても、消費的な支出についても、有効に使える機会を逃さずに、大いにお金を使うといい。