今回は、Q&Aの会話形式で、投資家が抱く株式投資に関する素朴な疑問に答えてみたいと思います。実際に個別株や投資信託などを通じて株式に投資している人でも(中には億単位の資産を作った人もいる)、「実のところ、ここはどうなっているのか?」という素朴な疑問(時に根源的で深いものも)を持っているケースが少なくありません。

 実際に投資家から投げかけられた疑問には、時に驚くような疑問もありますし、答えるに際して考え込むようなものもあります。

 今回は9つの疑問を取り上げてみました。

Q:株式を評価する際に、企業が利益を出すことが前提になっているのはなぜですか? 実際には赤字の会社もあるのに。

A:(この質問にはシンプルに驚きましたが、しばし考えて以下のように答えました)

 それは、「経済人」(経済的に合理的な人)は、損をするような行動を取らないと考えられているからではないでしょうか。

 例えば、農家は、予想される作物の販売価格が、肥料や種子の仕入れ価格を下回ると予想するのであれば、作物を作らない。

 企業経営者も、何らかの利益が出ると思わなければ、お金や人手と時間を使って活動しようとは思いません。

 但し、ここで言う利益は、必ずしも会計的に報告される利益とは一致しません。企業の儲けの少なからぬ一部を経費の形で自分のために使いたい経営者も少なくないし、そのために存続している会社もある。日本の中小企業のかなりの数がそういう会社ではないでしょうか。しかし、「使える経費」のような広義の利益を求めるケースも含めて、人の活動は何らかの利益を求めている。

 因みに、初期のアマゾンは赤字続きで経営規模を拡大する会社でしたが、これが将来の利益につながることを、経営者も投資家も信じて事業を継続してきたし、株式を通じて資金が提供されてきた。立派なものです。アマゾンの場合も、投資家は将来の利益獲得を予測して株価を評価し、その株式を保有してきたし、その結果、投資では大きな成果を得た。

 かつて、経営学者の故ピーター・ドラッカーが「企業の目的は利益ではない。だが利益の獲得は企業の存続条件だ」というようなことを言っていたのを、おぼろげに記憶しています。ドラッカーは、企業にはその目的とする理念が重要だと強調していたのだと思いますが、「企業は金儲けだけの存在ではないぞ」と経営者を鼓舞したのでしょう。経営コンサルタントとしては、なかなか上手い商売のやり方だと感心します。

Q:そもそも、株式のリターンって、どうしてプラスなのでしょうか?

A:(これも案外答えにくい質問です)

 それは、株式に限らず、債券やローンの形であっても、資金提供者がプラスのリターンを要求するからではないでしょうか。

 投資は、(1)「今使えるお金」を、(2)「今使う事を我慢して」、(3)他人にビジネスの元手として使って貰う行為です。この行為に対して、資金の提供者は「儲け」が必要だと感じます。儲けが予想できないのだとすれば、資金を提供したいとは思わない。

 すると、資金を使いたいビジネスの側では、資金提供の条件を、儲けが予想できるようなものにしないと、資金が得られない。

 かくして、資金提供にはプラスのリターンが生まれます。

 付け加えると、株式投資の場合、将来得られるリターンに不確実性があるので、儲けの期待値が不確実性を負担する対価の分だけ高くなければ、投資家はお金を提供したいと思いません。

Q:企業の利益は、企業活動がいわゆる拡大再生産をすることから生まれるのではないでしょうか。だとすると、経済が成長しないと株式にはプラスのリターンが無いように思いますが、ちがっていますか?

A:(だんだん難しくなってきたけど、質問自体の前提に穴がありそうです)

 利益は、大雑把に言うと、売り上げから費用を引いたものです。「経済人」にとって、利益が無いことは、行いたくない。

 さて、「資本」というものを抽象的に考えると、「資本とは、価値を増やしていく終わりなき運動である」(斎藤幸平「人新世の『資本論』」、p132)のように、生産を拡大していかないと資本が維持できないようなイメージを持ちがちですが、実際には、たとえば需要が縮小して売り上げや儲けが減ると思えば、資本家は、資本(ビジネスの元手として使うお金)を縮小します。

 そして、減っていくとしても、予想される将来の利益はあるので、それに対する請求権としての株式には価値があります。

 拡大再生産しなくても、資本主義は存続しますし、株式には価値があります。なかなか、しぶといシステムなので、投資家さんは、安心して下さい。

Q:経済がマイナス成長でも、株式にリターンは期待できるのでしょうか? 成長しなくても、株式にはリターンが見込めると言われても、違和感があるのですが。

A:(これは、割合よくある質問です)

 経済や企業の利益がマイナス成長であることが予想されていても、その予想が市場参加者の間で共有されていると、マイナス成長に見合った(低めの)株価が形成されます。この株価に投資する時の期待リターンは、高い成長が予想されていて高い株価が形成されている時に高い株価に対して投資するリターンとどちらが高いかは何とも言えません。

 低成長でも、株価が適切に形成されていれば、株式投資としてのリターンが期待できます。

 もちろん、経済成長自体が株式のリターンにとってネガティブだと言いたいわけではありません。それどころか、「過去に予想されていたよりも、成長予想が改善した場合」には大きな株価上昇が期待できます。

 但し、それは、もともと高成長が予想されていた場合も、低成長が予想されていた場合も、同様です。

 少なくとも、成長率の「絶対値」で、株式のリターンを判断しない方がいいでしょう。

Q:インデックス投資家です。実は、インデックス投資と世界の環境問題の関係が気になっています。環境問題を解決するには資本主義を捨てなければならないという主張を聞くこともあります。また、インデックス投資では、環境に悪影響を与えている企業にも投資して資金を提供していることになりますが、いいのでしょうか?

A:(実質的に、複数の質問です。これも時々悩む人がいます)

 先ず、資本家はそれなりに強欲で、彼らのビジネスが環境を破壊することもありますが、儲からないビジネスには投資しません。環境が制約になって儲からなくなれば、投資を縮小するでしょうし、経済活動や投資が縮小する中でも、資本主義的なシステム(自由に売買される商品によって商品が作られ、生産手段も所有と売買が可能なシステム)は存続可能です。その場合、資本への投資にはリスク・プレミアムが期待できるように、資本がプライシングされつつ、資本の量が調節されます。

 私の印象では、この点が盲点になっている論者が少なくありません。

 環境が制約になって、低成長に陥ることは資本主義にとって案外心配ありません。むしろ、環境をどのように「制約」として機能させるかが問題でしょう。例えば、「炭素税」のような仕組みが早く世界規模で機能するようになるといい。

 環境破壊企業への投資は、先ず問題を程度の問題として理解する必要がありそうです。いかなる企業も、なにがしか環境に負荷を掛けている。「投資対象から外す」という適当な線引きは設定しようがないし、そうすることは、投資のパフォーマンスを悪化させる要因にもなり得る。他人のお金を預かって最善の運用を行うべき、年金運用などでは、やってはいけない投資行動です。

 加えて、環境問題劣等生企業の株主になることが悪いわけでもない。環境優等生が頑張るよりも、劣等生が改心して頑張ることの効果の方が大きいかも知れない。株主として、プレッシャーを掛けることは悪くない。優等生と劣等生のどちらに投資するのがいいとも言いがたい。例えば、劣等生企業に投資して、株主として、環境対応への改善を促すのもいいことであり、優等生企業に投資して満足しているよりも世の中のためになる。

 結局、環境問題を、企業や政府、ひいては個人に対して、どのようにして有効に「制約」として機能させるかを考えることが重要でしょう。

「資産運用ではインデックス投資家です。一方、環境問題には大いに積極的で行動の用意があります」という人がいるとすると、大変良き市民のような気がします。インデックス投資家は、安心して下さい。

Q:そもそも、株式投資に高いリターンが期待できるのはなぜなのですか?

A:(本質的な質問が来ました!)

 それは、投資家が資本を提供する時に、リスク負担に対する利益を要求し、その要求を反映して株価が形成される際にリスク・プレミアムが織り込まれるからです。

 株式が世の中のためになっているからとか、経済が拡大するからとか、企業が頑張るから、といった、ある意味ではロマンチックな理由からではなく、将来不確実な価値を、現在時点で評価する際の経済主体の考え方が反映したものです。

 加えて、市場で取引することを考えると、市場の参加者である投資家は、他の参加者が想定している割引率(同時に、期待リターン)を想像する必要があります。お互いに、他人の割引率を推測するような相互作用とこれを反映した株価形成を通じて、株式のリターンが形成されると考えられます。

 投資家の「リスクを嫌う心理」と「市場で形成される株価の原理」の2つが株式投資のリターンの源泉です。

 投資家にとって頼りであり期待すべきなのは、「市場の価格形成の神秘!」(と呼んでみることにしましょうか)です。

Q:株式のリスク・プレミアム(リスクを負担することで期待できる追加的なリターン)は、どうやって決まっているのですか。

A:(質問が、だんだん「痛いところ」に近づいて来ました)

 1つには、個々の投資家が株式のリスクを負担するに当たって欲しいと思っているリターンから決まり、もう1つには、市場の取引を通じて、他の投資家の期待リターンを推測するゲームが進行して、リスク・プレミアムの「相場」が決まると考えられます。

 いくらか問題なのはリスクです。金融の理論家は、大まかには、合理的な投資家はポートフォリオを組んでリスクを低減して投資を行うと想定します。その場合、個別銘柄がポートフォリオのリスクに与える影響に応じて、その銘柄に適用されるリスク・プレミアムが決まるのが合理的だと考える。すると、その企業の将来の利益を現在価値に割り引く割引率が決まって、後は利益予想があれば、企業の株価を評価することができると考える。

 実は、作業としては利益予想が難しいのですが、ここは実務家が上手くやるのだと仮定してしまって、結論を得たことにすればいいので、理論家(≒学者)は気楽な商売です。

 株式投資のリターンは、企業の利益によって決まっているというよりも、株式市場の中で投資家が評価するリスクに応じて決まっている、というのが答えになるのではないでしょうか。「株式投資は、成長を買うものだ」というよりは「株式投資は、リスクを買うものだ」という方が、株式のリターン形成の現実に近いのです。

Q:ズバリ、お聞きします。アセット・アロケーションなどで使用する株式投資の「期待リターン」はどうやって決まっているのですか? 山崎さんの場合は、どうしていますか?

A:(ああ、ついにここに来たか!)

 決して開き直るわけではないのですが、株式投資に想定する期待リターンは「社会的に決まっている」というのが私の答えです。

 株式の期待リターンを直接的に推定する決定的な方法はありません。例えば、益利回り(PER[株価収益率]の逆数)に長期的な利益成長率を足し合わせた数字を、「株式が投資家に提供し続ける事が出来る利益」だと考えて、期待リターンを概算するようなことは何重にも仮定を置いた株式リターン推定法として考えることは一応出来ます。例えば、「PERが25倍で益利回りが4%で長期成長率が2%なら期待リターンは6%だろう」とか「PERが12.5倍で長期成長率がマイナス2%なら、やはり期待リターンは6%だろう」といった具合です。

 大まかに、株価水準と成長率について考えることは出来ますが、どちらに対する判断も正確で自信の持てるものには(誰にとっても)ならない。

 兆円単位の他人の資金を運用する年金基金のような責任ある立場の投資家たちも、率直に言って、(1)あれこれ考えたふりをしつつ、(2)周り(他の投資家)を見ながら、(3)鉛筆を舐めるようにして、(4)業界内で常識的なリターンを期待リターンとする、というのが実態です。

 彼らの立場からすると、広い範囲の他人の資金の運用を受託している以上、世間的・業界的な水準からかけ離れた期待リターンを仮定することに、責任が取れないとも言える。

 実のところ、プロでもこの程度のものなのです。

 このように、「多数決±α%」(αは少しだけ加えた独自のアレンジ)くらいの水準に期待リターンが決まる。学者や実務家の、長年の多数説の水準はリスクフリー金利に5%から6%くらいのリスク・プレミアムを足した水準です。言わば、この辺が「相場」だというわけです。

 私の場合、著書や記事では、「期待リターンは、実質的に社会的に決まるようなあやふやなものだが、相場はこれくらい」と正直に説明することもあれば、「年金基金や信託銀行など、機関投資家の運用計画の数字を参考にしました」と説明することもあります。

 正確な数字は出しようがないので、やや控えめに「株式の期待リターンは無リスク金利プラス、リスク・プレミアム5%くらいで考えよう」、今は無リスク金利がほぼ0%なので、「株式の期待リターンは5%で考えておきましょう」とすることが多い。この程度で、個人の運用の意思決定には十分だと思っています。

Q:株式投資は、長期で行えば、絶対にリスクに見合って儲かるものなのですか?

A:(最後に来たのが、情けない質問でした)

 いえ。そんなことは言えません。

「長期で持てば絶対」を市場参加者が信じると、株価は将来の期待値に近い水準にさや寄せされて、リスク・プレミアムが無くなってしまうはずです。

 どこまで行っても、株式投資は、「損をするリスクがあるからこそより、儲かるのではなかろうか」と期待して行う賭のような営みです。

 やるかやらないかは、あなた次第です。やらなくても困るわけではないし、やって損をしてもお金で済む話です。