執筆:窪田真之

今日のポイント

  • 中東には、民族・宗教・政治体制が絡んだ複雑な対立軸がある。イスラエルとアラブ諸国の対立、イスラム教二大宗派(スンニ派とシーア派)の対立などが、さまざまな紛争を生じている。
  • シリア内戦は、米国・サウジアラビアが支援する反アサド派と、ロシア・イランが支援するアサド政権の争いに、ISの勢力拡大が絡み、長期化している。

(1)中東の対立軸

読者の皆様から、中東情勢の解説がややわかりにくいとのコメントをいただきましたので、今日は、もう少し、踏み込んで解説します。中東には、民族・宗教・政治体制などに絡んで、さまざまな対立軸があり、それが、複雑にからみあっています。

まず、以下の2つの対立軸を理解する必要があります。イスラエル(ユダヤ教)とアラブ諸国(イスラム教)の対立と、イスラム教内の2大宗派(スンニ派とシーア派)の対立です。

(2)イスラエルとアラブ諸国の対立

イスラエルは、古代イスラエルがあったパレスチナの地に、世界各国に散らばっていたユダヤ人が移住して建国しました。中世には、アラブ人が支配していた土地であり、ユダヤ人の移民とアラブ人の間に紛争が絶えませんでした。

イギリスの信託統治が終了した1948年にイスラエル建国が宣言されましたが、すぐに周辺のアラブ諸国から侵攻を受け、第一次中東戦争が起こりました。イスラエル人とアラブ人の領土戦争は、1973年の第四次中東戦争まで続きました。第四次中東戦争後に、イスラエルとエジプトの間に平和条約が結ばれてから、アラブ諸国との一連の戦争は終結しました。ただし、周辺国との紛争はいろいろな形で今も続いています。

今も国際的に問題になるのは、イスラエル国内に残る先住民(パレスチナ人)との紛争です。イスラエルとパレスチナ自治区に住むパレスチナ人(ほとんどがアラブ語を話すイスラム教徒)との間で、今も紛争が続いています。

(3)イスラム教の2大宗派の対立

イスラム教内の対立として、2つの軸を理解する必要があります。1つは、二大宗派(スンニ派とシーア派)の対立です。もう1つは、リベラル派(欧米の文化を受け入れるのに寛容)と原理主義者(イスラム教の規律を厳格に順守)の対立です。

サウジアラビア(スンニ派)とイラン(シーア派)の対立

シリア情勢やサウジアラビアとイランの対立を理解するために、イスラム教内の対立軸について理解する必要があります。

イスラム教には、スンニ派・シーア派というイデオロギーの異なる2つの宗派があります。世界全体で見ると、スンニ派がイスラム教徒の約9割と、マジョリティ(多数派)を占めています。サウジアラビア・トルコ・東南アジアなどほとんどのイスラム教国ではスンニ派が支配層を占めていますが、マイノリティ(少数派)のシーア派と共存しています。

ただし、シーア派が支配する国と、スンニ派が支配する国の間には、深刻な対立があります。その代表がサウジアラビア(スンニ派)と、イラン(シーア派)の対立です。サウジアラビアはイランに対して、2016年1月に断交を宣言しています。

サウジアラビア内のシーア派や、隣国イエメンで内戦を引き起こした反政府軍の中核であるシーア派をイランが支援していると考えられることが、サウジがイランと断交するきっかけとなったと考えられます。米国が、イランへの経済制裁を解いたことも、サウジアラビアの焦りを生んでいます。

イランは人口の9割がシーア派です。シーア派が多数を占める国は、イラン・イラク・バーレーンなどですが、イランはシーア派が主導するシーア派の盟主です。イラクは現在、シーア派が政権を握っていますが、スンニ派過激組織であるISと内戦状態にあります。バーレーンは、少数派のスンニ派が支配しています。

イランでは、1979年にシーア革命が起こり、シーア派主導の政権が成立しました。この時、イラクでは、少数派のスンニ派(フセイン政権)が政権を握っていました。シーア派革命の波及を恐れるイラクとイランの間に、1980-88年、イラン・イラク戦争が起こりました。

スンニ派もシーア派も、信条や象徴、宗教的儀式に大きな違いがあるわけではありません。ただし、イスラム教の創始者ムハンマドの後継者についての考え方について、根本的な違いがあります。シーア派はムハンマドの後継者は義理の息子イマーム・アリーであり、イスラム世界の指導権はムハンマドの子孫に引き継がれるべきだと考えています。一方、スンニ派はイスラム世界の指導者は必ずしも世襲される必要はないと考えています。

イラク国内でのシーア派とスンニ派の対立

イラクには、シーア派・スンニ派アラブ人の他、少数民族のクルド人などが居住しています。イラン・イラク戦争当時、イラクを支配していたフセイン政権は、スンニ派です。シーア派の方が人口が多かったが、少数のスンニ派が支配する国でした。

フセイン政権が、1990年にクウェートに侵攻したことをきっかけに、1991年に湾岸戦争が起こりました。短期間で、米国を中心とした多国籍軍が勝利し、イラクのフセイン政権は倒壊しました。その後、米国の管理のもとで、シーア派の現政権が成立しました。

ところが、2011年に米軍がイラクから撤退すると、イラクは再び、シーア派政権とスンニ派の過激派勢力との間で、内戦状態になりました。スンニ派過激派勢力は、隣国シリアで内戦状態にあったスンニ派勢力と結びつき、イラク南部からシリアに支配地域を拡大し、IS(イスラム国)の建国を宣言しました。

ISは、欧米各国やアラブ諸国(サウジアラビアやヨルダン)から空爆を受け、孤立しつつも、勢力を維持しています。世界各国で起こるテロで、ISは犯行声明を出しています。

シリア内戦

シリア内戦では、アサド政権・反アサド派・IS(イスラム教過激派勢力)の三つどもえの争いが続いています。

アサド政権は、シーア派の一派であるアラウィ派です。反アサド派と総称されているのは、アサド政権と対立する、さまざまな少数民族やスンニ派勢力などの寄せ集めです。ISは、もともと反アサド派の一派でしたが、イラクの過激派勢力と結びつき、強大になりました。

シリア内戦は、米国・サウジアラビアが反アサド派を、ロシア・イランがアサド政権を支援しているために、長期化しています。ただし、ISが勢力を拡大してからは、情勢がより複雑化しています。

最近、IS掃討を優先するために、アサド派を支援するロシアと、反アサド派を支援する米国が話し合い、アサド派と反アサド派の休戦を実現する方向で、検討が進められていました。トランプ米大統領が、ロシアのプーチン首相と親密で、米ロ関係改善に意欲を示していたことが、追い風となっていました。共同でISを撃退できれば、シリア和平への道は一気に開けるはずでした。

ところが、今回、アサド政権が化学兵器を使用したとの疑惑に基づき、米国がアサド政権にミサイル攻撃をしかけたことで、シリア情勢は暗転しました。アサド政権を支援するロシア・イランは、米国のミサイル攻撃を非難しています。米ロ対立が復活する懸念が生じました。アサド政権・反アサド政権の間で戦闘が激化すれば、再びISが息を吹き返し、勢力を拡大する懸念もあります。

(4)その他、さまざまな対立軸

イスラム教内の対立軸として、もう1つ大きなものは、リベラル派(欧米の文化を受け入れるのに寛容)と原理主義者(イスラム教の規律を厳格に順守)の対立です。イスラム諸国内の原理主義者の一部が、ISやアルカイダなどの過激派組織に身を投じています。ペルシャ湾岸の国(UAE・カタール・バーレーンなど)はリベラル派主導です。

政治体制にからむ対立もあります。アラブの春などをきっかけに民主化が進んだ国と、王政を維持している国があります。サウジアラビアは、今も王政を維持しており、民主化運動の波及を恐れています。原油収入を使った手厚い社会福祉制度を維持することで、不満分子を抑えています。ただし、最近、原油価格の急落で、財政が悪化し、社会福祉を削減しなければならなくなっていることが、サウジを追い詰めています。

原油以外の産業、収入源を増やそうと、サルマン国王が、日本などに投資を呼びかけています。