近年、わが国では、資産形成に対する関心が高まっていて、若い世代も含めて、新しく証券口座を開設したり、iDeCo(イデコ:個人型確定拠出年金)やつみたてNISA(ニーサ:少額投資非課税制度)などで積立投資の形で資産形成を始めたりする人が増えている。

 多くの人が資産形成に関心を持つようになるに当たっては、過去5年くらいに亘って、その時々に関心を集めたテーマの「流れ」があるように思う。本稿では、ポイントや問題点を拾い上げながら、この間に話題となったテーマを振り返ってみようと思う。

【1】2017年〜2018年「LIFE・SHIFT」と「人生100年時代」

 読者は、「LIFE・SHIFT」(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著、池村千秋訳、東洋経済)という書籍をご記憶だろう。発売は、2016年10月だったが、2017年、2018年とよく売れてベストセラー且つロングセラーとなった。

 各国で平均寿命が延びていることから、現在の若い人たちは100歳くらいまで生きることが大いに現実的であると「人生100年時代」を指摘した。人生の長寿化と、これを前提とした人生計画の必要性を取り上げて大いに話題になった。

 この本が問題にしたのは、20代前半まで学校で学び、就職してリタイアメントまで働いて、その後は老後として過ごす、といった既存の「3ステージ・モデル」が、長く働くことが可能でも必要でもある長寿化時代にはそぐわなくなっていることだ。職業人生の途中で自分を再教育したり、第一のキャリアとは異なる仕事で第二のキャリアに就いたりするような人生設計が必要だと指摘した。

 例えば、大学を卒業して、20代にしばし放浪して見聞を広めてから第一の就職を決めて、第一のキャリアでしばらく働いた後に、中年期になってから大学院などでしばし学び直して、第二のキャリアで長く働く、といったプランが一例として、提示されていた。

 筆者の個人的としては、職業のスキルや知識への投資は早い方がいいので、卒業後にぶらぶらする期間を持つのはもったいないし、中年期に大学院に行って仕事を離れる時間を持つのは、人生の過ごし方として豊かかも知れないが、職に就かない期間は次の就職における人材価値を損なうので、多くの職業にあって現実的には損ではないか、といった感想を持った。著者達は大学の先生なので、学校や学びの価値を過大評価しているのではないかという印象を受けた。

 しかし、人生が長いこと、人がかつてよりも高齢になってから元気であること、経済的には「長く働く」ことが大事であることなどについては、大いに参考になった。

 世間的にも、高齢期の過ごし方や働き方、さらには高齢者の金融取引などに関心が集まり、ジェロントロジー(「老年学」と訳されることが多い)といった研究分野が関心を集めた。

 また、この本から派生した「人生100年時代」という言葉を、金融界は大いに気に入った。高齢期のお金の備えが重要であることを、顧客に割合上品にアピールするのにぴったりのフレーズであることが理由だ。金融商品のマーケティング上、大変使いやすいパワー・ワードである。

 高齢者向けを謳い、奇数月に分配金を出すような投資信託(どれもお勧めできない理由があるが)の広告などに「人生100年時代」という言葉が頻出した。現在でも、「人生100年時代」という言葉が載っている金融商品やサービスの広告には気をつけた方がいいと思う。

【2】2019年、「老後2,000万円問題」

「LIFE SHIFT」以来、約2年間に亘って老後の経済的備えに対する関心が高まっているところに、この関心を爆発的に後押しする「老後2,000万円問題」が勃発した。

「人生100年時代」の問題意識の下に、金融庁が主宰する有識者会議がまとめた報告書の中で、平均的な家計は、公的年金だけでは老後の生活資金が不足するので、これを補うためには老後を迎えるまでに2,000万円程度の資産を作っておく必要がある、との試算が大いに問題となった。所得や資産に関しては「平均」よりも少ない人の数が多いこともあって、「2,000万円も必要だなんて、政府は無責任だ!」と連日ワイドショーで取り上げられる大騒ぎになった。

 報告書は、「人生100年時代で、老後のお金の備えは大事なので、投資などで資産形成に励むことが望ましい…」といった、よくある金融商品の広告のような構成になっていたが(金融業界関係の有識者が多かったからだろう)、「2,000万円」の部分をよく読むと複数の前提条件付きの「一つの試算」を示したにすぎないので、特段問題になるような内容ではなかった。

 ところが、担当大臣の麻生太郎副総理が、この報告書を十分な理由説明なしに問題だと言い、ついには報告書の受け取りを拒否した(諮問した当の大臣が拒否したのだ)。この対応で、ますます世間を騒がせる大問題になった。

 問題を振り返ると、先ず、(1)本来、個人個人が「自分の数字」で計算すべき老後の備えについて、計算の方法を伝えるべきところを、平均の数字の試算例のみを提示したのが不親切であった。「平均」の数字の例示が多いことは「使えないマネー本」の特徴の一つでもあるが、ざっくりではあっても、個別のケースについて本人が自分で計算できる方法を教えるのが適切だと筆者は考えている。(計算方法は「人生設計の基本公式」の計算サイトをご参照下さい。)

 加えて、(2)丁寧に説明すれば何でもなかったはずの問題を、乱雑に扱った麻生大臣の対応は拙かった。この問題が「炎上」した責任は彼にあると、筆者は思う。

 しかし、世の中には「炎上マーケティング」という言葉があるが、この「老後2,000万円問題」は特大の炎上マーケティングとなった。

 金融・運用業界が長年「貯蓄から、投資へ」と言っていて、なかなか効果の出なかった投資への関心誘導が、この問題で一気に進んだのだ。前年に、つみたてNISAという投資入門者に適した制度がスタートしていたこともあり、個人の証券口座開設、積立投資の開始などが目立って増えた。

【3】2020年 暴落とバブルの「コロナ相場」

 さて、2020年になって、世界は新型コロナウイルスの感染症に振り回されることになった。

 株式市場への影響も大きく、ややバブル的な高株価を保っていた米国株も3月にかけて、これまでに見たことがないようなスピードで急落し、日本の株価もひとたまりもなくこれに追随した。

 そして、その後に、先進各国が大規模な金融緩和に加えて、財政的な後押しもすることで、潤沢なマネーが資産市場に流れ込んで、些かバブル的な株価の戻りと、引き続いての高値の更新が現れた。

 我が国では、この株価の急落局面の前後に、「株価が下がった今が投資をはじめるチャンスだ」と思った個人が多くいて、若い世代も含めて、主に投資信託の積立投資の口座開設が急増した。

 前年までの老後資金に対する関心の高まりはあっても、株価が高いと感じて投資を始められなかった向きが、「今買えば、去年買うよりも安く買える」という有利感を抱いて投資を開始した。

 その後の内外の株価の推移は順調なので、3月に底をつけたコロナ・ショックの前後に投資を始めた向きは、今、小さいながら投資の成功体験を持つ人が多いはずだ。

 おそらくは、金融緩和の縮小に伴って生じるはずの、次の米株の調整の時期を上手く乗り切ることが重要だが(上げ相場にも、下げ相場にも、とことん付き合う心構えで、長期積立投資をするのがいい)、多くの投資家が悪くないスタートを切ったと思う。

【4】2021年 投資家の「FIRE」ブーム

「人生100年時代」や「老後2,000万円」といった、世間がまとめて注目するような大きなブームではないが、2021年現在、投資家の間で話題になっているのが「FIRE」(Financial Independence, Retire Earlyの略語)だ。早期にリタイアできるような金融資産を形成する状態を指しており、若い投資家の目標として語られることが多い。

 気づいてみると、5年前の「LIFE・SHIFT」では「長く働く」ことが推奨され、「FIRE」は「早期引退」を指向していて、一見真逆の方向のようでもある。

 しかし、少し考えてみると、どちらも長い人生を支える経済力の重要性を意識していて、着実な資産運用を実行することが合理的なので、互いに矛盾している訳ではない。

「FIRE」が金融資産への投資に重点を置くのに対して、「LIFE SHIFT」では関心が人的資本に向かっている点が主なちがいだ。

「FIRE」については、詳しくは別途論じたいと思うが、人生のそれぞれの時期にあって、金融資産と人的資本に対してどう投資し、どう支出するのがより効果的かという人生の時間を通じた最適な投資配分の問題が興味深い。昨今の「FIRE」本は、資産運用の問題に無駄に多くページを割いていて、ポイントを外しているものが多いように思う。

 過去5年の、投資家周辺の世相を振り返ってみると、「老後のお金が心配だ」から「金融的な独立を早く確立したい」に投資家の関心が移ってきたのだから、集団としての我が国の投資家の意識は、少しは成熟したと考えていいように思う。

 尚、お金の「最適な運用の方法」は、人生を「LIFE SHIFT」的に考えても、「FIRE」的に考えても、何ら変わるものではないことを付記しておく。