今回は、筆者がどのように投資を始めたのかについて書いてみたい。ある動画で投資を始めた経緯を話してみたら、投資を始めた時の経緯のあれこれが、その後の筆者の投資に対する考え方に大きく影響していることが分かった。思い出話にお付き合い頂きたい。

「他人のお金」から始まった

 筆者は、祖父が北海道旭川市にあった地場証券会社の創業者だったこともあり、株式というものについて子供の頃から関心を持っていたが、就職するまで自分で投資してみることはなかった。

 大学は経済学部を卒業して、大手総合商社に就職した。商社を志望したのは「経済を広く眺める場所として良さそうだ」という程度の抽象的な動機からだが、一番やってみたい仕事のイメージは、ゲーム性があって、自分の決定が損益に関わる「為替ディーラー」だった。将来為替ディーラーができる可能性がある財務部に配属してくれるということで、入社を決定した。

 最初に配属されたのは信用状付きの輸出取引の代金回収に関わる事務を行う部署だったが、詳細は省くが幸運があって、入社2年目の初期に為替のディーリングを行うチームに異動できた。年次的には異例に早期の異動だった。

新米為替ディーラー

 新米為替ディーラーとしての仕事は、銀行と社内の営業部署との外国為替取引を取り次ぐ仕事と「オーバーナイトで数百万ドル」程度のポジションを持って自分の判断で取引ができるディーリングだった。

 いわゆる「マーケット」で取引する人生初めての経験は、商社のお金と立場とリスクで行った外国為替ディーリングだった。

 大学の経済学部で勉強したマクロ経済学や国際金融の知識が当時の為替取引の仕事には直接役に立った。学校で得た知識がそのまま仕事に役立ったというのは、経済学部の卒業生としては珍しいケースだろう。

 経済理論の本や論文に加えて、最近のFX(外国為替証拠金取引)でも愛用者が多いテクニカル分析は、為替の世界でも使われていたので、テクニカル分析の本をかなり読み込んだ。「為替ではテクニカル以外に使える分析方法がないので、仕方がない」という理由でテクニカル分析にのめり込む人が当時も少なくなかったが、筆者は、テクニカル分析が予測に役立つという実感を持ったことがない。

「それ以外に使えるものがないからといって、それが有効であるとは限らない」と醒めた目でテクニカル分析を見るようになった。そして、「テクニカル分析を使うと、経済理論など知らない人でも相場に意見を持つことができる」点が、若き日の生意気な筆者の軽蔑の対象となった。

 テクニカル分析に対する、「あんなもので儲かるなら苦労はしない」、「でも、深く凝ってしまうと、抜け出せなくなる心理もわかる」という理解を基調とした軽蔑の気持ちは、基本的に現在も変わらない。

 後に、投資理論を研究する仕事に就いたり、年金資金を運用する仕事に就いたりした経験もこの印象を強化した。年金運用の世界では、「テクニカル分析に基づく運用」という運用哲学を掲げる運用会社があっても、大半の基金は相手にしないだろう。テクニカル分析は、プロの世界では「まともな分析手段」としての地位を持っていない。

 結果的に、期間は1年半程度、損益としては「少しは儲けた」という程度の新米為替ディーラー経験だったが、仕事は面白かったし、やり甲斐があった。若手サラリーマンとしては幸せな期間だった。

バランス・ファンドのファンドマネージャーに

 これも詳細を省くが(上司の決算操作を見付けて社内で告発したのだ)、楽しい為替ディーラー生活は短期間で終わりとなった。財務部のプロジェクト・ファイナンスの部署に異動となった。時々刻々変化して損益が発生する「マーケット」から離れて仕事がつまらなかったので、転職を考えるようになった。

 あれこれの活動の末転職を決めた先は、最大手の証券会社系列の投資信託運用会社だった。新卒で就職してから約4年での転職だった。「外国為替」にも魅力を感じていたが、ゲームのテンポが速いことと、「売る・買う」の2択でシンプルでありすぎることから、株式の運用に興味を持った。

 投信会社の当時の社長さんが「ファンドマネージャーがやりたくて転職してきたのだろうから、早くやらせてやろう」と言って、入社1年で定時定型(毎月似た運用方針のファンドが設定される)のバランス・ファンドを運用する部署に異動させてくれた。

 1本目の担当ファンドは「株式型エース8602」(1986年2月の設定)という国内株式40〜50%、外国株式10〜15%、外国債券10〜15%、国内債券25〜35%といった見当のバランス・ファンドだった。

 約230億円のファンドのファンドマネージャーとなった。外国為替や債券については、当時の投信会社の人々よりも筆者の方が詳しかったので問題はないのだが、それまで、株式運用の経験は全く無かった。

 何はともあれ、株式投資に関する知識を仕入れなければならない。書店に行って、株式投資の入門書・必勝本その他の一般向け書籍を20冊以上買い込み、更に投資理論についていくらか書かれていた「経営財務論」といったタイトルの大学生や証券アナリスト向けの教科書を買ってきて、手当たり次第に読んだ。

 株式投資の入門書は、当時も今も、1.企業の評価の仕方・銘柄の選び方、2.投資タイミングの選び方(主にチャート分析による)、3.自慢話(事実の度合いは本による)、が多い。敢えて差を探すと、当時は、今よりも2.の比率が高かったように思う。

 様々な本を読んで、あれこれ考えるうちに、「これは間違いに違いない」と分かる事柄、「これは使えるかも知れないので、留保条件付きでノウハウの候補にしておこう」と処理する事柄に、知識の分類が少しずつ進んだ。株式投資の前に、趣味で始めた競馬の本で、「最初に誤った先入観を持つと、後で修正に苦労する」と分かっていたので、短期間の多読だったが、慎重に読んだ。

 後者の教科書的な本は、内容自体が直接役に立つものではなかったが、参考文献として紹介されている外国の(殆どは米国の)論文が後に役に立った。分野は投資に限らないが、日本人の学者が書いた教科書は、オリジナルな考えを書いたわけではなく多くの内容が外国の研究成果の紹介なので記述自体には迫力がないが、学説のバランスを考えて紹介しているので、参考文献リストが後の学習の役に立つことが多い。

「投資事始め」から1年後くらいからになるが、「外国の論文を読んで、日本の株式運用に利用する」方法はビジネス・パーソンとして、長年役に立った。投資以外の分野でも、同様の手を使って仕事の役に立った経験を持つ人は少なくあるまい。

ファンダメンタル分析にも失望

 当時、筆者が勤めていた会社には、テクニカル分析の定番の書籍を複数執筆していた大御所チャーチストがいらっしゃったが、運用は上手くなかった。

 また、証券アナリストの資格を持っていて企業を調査するバイサイド・アナリスト(運用会社に所属するアナリスト)が企業訪問などを行ってレポートを書いていたし、親会社である証券会社のアナリスト、エコノミスト、ストラテジストなどが大量のレポートを送ってきたし、頻繁に訪ねてプレゼンテーションしてくれた。利用できる情報の「量」は業界随一の会社だった。

 当時のアナリストのファンダメンタル分析は率直に言って期待外れでがっかりした。例えば、商社出身だったので、商社の分析レポートを読んでみたが、内容が薄っぺらいと感じた。「日本経済新聞と日経産業新聞を読んでいたら十分書ける程度の作文に過ぎない」と思った。表面的な数字を積み上げて作った収益予想に、アナリストが「これくらい(だろう)」と思うPER(株価収益率)を掛けて求めた「目標株価」が載っている書式のレポートが運用の役に立つとは思えなかった。他の証券会社のレポートにも同様の印象を持った。

 アナリストと一緒に企業を訪問してインタビューに立ち会ったことが何度かあるが、何れもアナリストの質問は表面的で、陪席していて恥ずかしかった。アナリストやファンドマネージャーが企業を外から分析したつもりになっても、「なぜ儲かるのかの機微」とでもいうべきビジネスの核心には触れられないものなのだと思った。

 アナリストやファンドマネージャーが、ビジネスの機微や経営者の評価ができると思うのは、「傲慢な職業的勘違い」だと今でも思っている。短期間ではあっても、商社に勤めたことが理解に影響した。

 ついでに言うと、当時の大手証券会社系のエコノミストについては、「(経済学の)学力が低いな」と生意気な青年だった筆者は当時思っていた。

 投資の世界の「プロ」を尊敬し・憧れる対象と見るのではなくて、疑うべき対象だと見た訳だが、結果的には「正解への近道」だったと思う。アナリストの仕事にでも配属されて、自分が書いたレポートを褒められたりしたら、その道にのめり込んでいたかも知れないので、幸運だった。

 ただ、アメリカの証券系のエコノミストのレポートには参考になると思ったものがあり、レポートの印象的な分析手法をコピーして切り抜いてノートに貼って研究した。これは、後年、経済評論家の仕事をする際に役立った。

最初に買った株式は住友銀行

 さて、いつまでも「勉強」しているだけでは済まない。担当ファンドが設定されて、お金が入ってきた。株を買わなければならない。

 人生で初めて買った株式は、住友銀行の株式だった(10万株だったかな?)。

 上司には「最初に買う株が銀行株なんて、珍しいねえ。はじめて見たよ。むかし、よほどお金に苦労したことでもあるのかい」と驚かれた。

 この選択には、商社の財務部員時代の経験が反映している。

 当時、銀行業界にあって住友銀行は「業界秩序を乱す暴れ者」的な立ち位置で、他の銀行に大いに意識され、有り体に言って嫌われていた銀行だった。商社の財務部員として他の銀行の担当者と話をしていると、住友銀行の噂話(大半は悪口)を実に多く聞いたものだった。

 記念すべき最初の投資銘柄は、「ライバル他社に嫌われているのなら、取引するのにはいい相手ではないかも知れないが、株式に投資するならいい対象ではないか」という理由で選ばれた。

 もちろん、住友銀行だけ買ってぼんやりしていられるわけではない。直ぐに、追加で数十銘柄買った。

 この時に複数の先輩ファンドマネージャーが、「設定当初の買い付けが上手く行くかどうかは、ファンドのパフォーマンスに大きく影響する。なるべく安いところを見付けて、上手く買うといいよ」とアドバイスしてくれた。しかし、どうすれば「安いところ」が判断できるのかが分からなかった。

 すると、ある日、株価ボードの前で注文伝票を持って思案していたら、いくらかひねくれた性格の古株のインデックス・ファンドのファンドマネージャーに声を掛けられた。

「山崎、何をしているの?」。

「先輩たちになるべく安いところで買うといいと教わったので、前日比で値下がりした銘柄を中心に発注しようかと考えているところです」(近年の日銀のETF[上場投資信託]買いのようだ)と答えたら、「その先輩たちが、そういうことができているのかどうか、よく見てみろよ。そんなことを気にしないで、さっさと予定の株数を買ってしまえよ」と言われた。

 社内の端末で他のファンドマネージャーのポートフォリオや売り買いが見られたので、それからしばらく他人の運用を調べた。この時の経験は、たぶん筆者のジョブ・トレーニングとして人生最良のものだったろう。いろいろなことが分かった。

「(タイミングを)上手く買う」ことができないことと、ポートフォリオ完成までのフル・インベストに達していない時間のコスト(機会費用)がもったいないことを理屈で納得して、早々にポートフォリオを完成させたが、これが正解だとの実感を持った。

 また、当時は固定手数料の時代であったこともあり、ファンドの運用にあって売買コストがいかに重大な影響を及ぼすものであるかも、他のファンドマネージャーの運用を見ていてよく分かった。親会社である証券会社に多大な手数料を落とす「良きサラリーマン」の運用成績は全くふるわなかった。

 因みに、その頃、その会社のアクティブ・ファンドのほぼ全てが日経平均に連動するインデックス・ファンドに運用成績で負けていた(社長があきれていた)。

 また、ポートフォリオの調整にあっても、持ち株を一気に売り切って、新しい投資銘柄を一気に買うような、「メリハリの効いた運用」を行うファンドマネージャーの運用成績が良くないことが分かった。手広く分散投資して、ポートフォリオをゆっくり動かす、一見愚図に見えるファンドマネージャーの方が概してパフォーマンスが良かった。

 こうした諸々の事実が発生する理由を納得できる形で論理的に理解するのは後のことだったが、この時に「他人の運用」を大量に見た経験は大変役に立った。

 最初のファンドの株式買い付けでは、別の貴重な経験があった。同じ部署の先輩ファンドマネージャーが、「こんな感じの小型株も持つといいぞ」と言って、時価総額の小さな株式を10銘柄くらい勧めてくれたので、買い注文を出してみたのだが、同じ日に、その先輩は同じ銘柄に売り注文を出していた。小型の株は、自分の売買で株価が大きく動く。先輩は、自分のファンドの中にあって持て余していた小型株を、新人ファンドマネージャーのファンドの資金を使って始末したのであった。

 この先輩からは、マーケットの世界では、他人の言葉を簡単に信用してはいけないことを教わった。

はじめから「ポートフォリオ」

 前述のように、筆者はテクニカル分析を軽蔑していたし、証券業界で行われているファンダメンタル分析の有効性にも懐疑的だった。

 ファンドマネージャーの前にアナリストを経験していなかったので、そうせざるを得ないという事情もあったが、最初から「どのようにポートフォリオを作ったらいいか」が中心的な興味だった。

 しかし、銘柄分析の方法や投資の理論(モダンポートフォリオ理論)の解説書はあっても、具体的なポートフォリオの作り方を説明している書籍は見つからなかった。そして、結局、後年、そうした本を自分で書くことになった(金融財政事情研究会「ファンドマネジメント」1995年刊)。

 運用パフォーマンスを競うゲームにあって、問題なのは「何を信じて、どう考えているか」ではなくて、「どんなポートフォリオを持っているか」だ。結果論になるのだが、筆者の株式投資入門時のあれこれは、案外悪くない経験だったと思っている。