※本記事は2009年10月2日に公開したものです。
「必ず儲かる」わけではない
最近、ある編集者から「長期投資は儲からない」というタイトルで本を書かないかという提案があった。この場合、長期投資は、主に株式への長期投資を指している。証券会社の社員としては「長期投資なら(たぶん)儲かります」という一言は否定せずに取っておきたいところなので、気の進まない企画だが、本としては売れそうなインパクトのあるタイトルだと思った。
確かに、現時点までの日本の株価を見る限り「長期なら必ず儲かる」というイメージは湧きにくい。
20年前を振り返ると、1989年9月末の日経平均は3万5千円台だった。バブルのピーク近くの株価と現在の比較だから、相当に不運なケースを計測していることになりそうだ。しかし、20年というと、個人の人生にとっては相当に長い。身近なところに反例があることは認めなければならない。「長期投資でも儲からないことがある」ということだ。
長期投資が儲からなかったのはなぜか?
本を書けそうなタイトルを探すなら「長期投資が儲からなかったのはなぜか?」だろうか。これは、考えてみる価値がありそうだ。しかし、タイトルとしてのインパクトは落ちるので、本にしても売れないかもしれない。
それでも、気を取り直して考えてみよう。先の期間、日本で株式の長期投資が儲からなかった理由は何だろうか。
複数の要素がありそうだ。
一つには、上記の計算期間のスタート時点がバブルのピークに近かったことだ。この点に関しては、「その時点では、バブルのピークだと分からなかったこと」つまり、株価が常に正しい状態にあるわけではない一方、投資家はこれを判断できるとは限らないことが重要だ。もっとも、ここで、「投資家は全てバブルを判断できない」と決めつけるのは正しくないし、バブルを判断する方策が全くないわけではない。判断の努力は必要だ。
もう一つの理由は、株式のバリュエーションの変化だろう。PERでいうと、東証一部上場企業のPERが60倍から80倍が当たり前であった80年代末期から、2007年には十数倍まで「普通」と言われるPERが落ちてきた。米国では、S&P500のPERが20倍を超えると「過熱気味」の指標とされるが、これに近い状況まで、日本も来た。その後の金融危機下の大減益でPERに関しては再び混乱しているが、大企業のPERが軒並み50倍以上でもおかしくないという時代はしばらく来ないだろう。
PERの下落に対しては、成長率の予想以上の下方屈折が大きいと思う。長期的な影響で見ると、日本で株式の長期投資が儲からなかった最大の理由はこれではないか。成長率一定の簡単な理論モデルで考えるとしても、長期の利益成長率が1%~2%下方修正されると正当化されるPERの水準は何割も変化する。
企業の利益データそのものは不安定なので、長期的な成長イメージの代理変数として実質GDPを見るとして、「普通の成長率」は、4~5%だった80年代後半、2%台に低下した90年代、そして近年は実質成長率が2%あれば好景気と言われるようになった。成長率は現実に低下しており、さらにその低下は将来の期待成長率を低下させる効果がある。仮にPERでバリュエーションを見るなら、PERの低下効果と、一株利益の縮小と両方の効果をもたらして株価を引き下げたはずだと考えることが出来る。
また、行動経済学的には、人間は過去の経験に影響されてリスクに対する態度を変えるので、特に過去十数年で他人の様子を見ることも含めて、「損」や「リスク」を経験した投資家が増えたことは、投資家全体のリスク・プレミアム拡大に作用したかも知れない。リスク・プレミアム拡大も株価評価の下方修正を意味する。
海外の市場や経済の影響、投資主体や投資資金の変化など、株式投資のリターンに影響を与えたかも知れないファクターはまだあるかも知れないが、過去を振り返ると、成長率の下方屈折と、これが予想を上回るものであったことの影響が大きいように思う。
バブルは古い産業構造を固定化した
余談だが、過去を振り返ったついでに書いておく。筆者は、バブルの発生と崩壊は、不良債権問題や不況の他に、古い産業構造の固定化をもたらしたのではないかと考えている。
80年代の前半には、日本の企業は欧米企業へのキャッチアップをあらかた終えて、大手の企業についてはすでに「大企業病」的な煮詰まり感がでていた。しかし、80年代の後半にバブルが起こったことで、需要が急拡大したので、企業はビジネス・モデルや経営を変化させる暇もなく、この需要拡大に対応し、利益を享受した。
この間、バブルは企業の古いビジネス構造を余計に延命させたのではないか。
これが、「少し好景気」「少し不景気」といった状況なら、ビジネスのやり方を工夫したり、新しい分野に設備投資をしたりする余裕があるだろうが、史上最高益を更新し続けるようなバブル的な需要の拡大には、既存のビジネス構造をそのままに、需要に対応することで十分忙しいし、結果的にも満足してしまいがちだ。
次に、バブルの崩壊過程に入ると、今度は資産価格の低下や需要の低下、それに資金繰り環境の悪化に見舞われる。こうした場合、どうしても財務的に弱い新興企業の方が資産の蓄えなどが大きな古くて大きな企業よりも倒産しやすい。バブルの崩壊があまりに厳しいものになると、古い企業・古い産業構造が残りやすいのではないか。
上記のような意味では、80年代末期のバブルの発生とその後の崩壊は、日本のビジネス界の進歩を20年近く止める働きを持ったのではないかと思う。
かつての、相対的な技術力や個々の会社の社員の能力などを考えると、たとえば情報テクノロジーの分野などは、日本でもっと新しい企業やビジネスの有力なものが生まれても良かったのではないだろうか。
低成長国の株式は儲からないのか?
株式投資の話に戻ろう。中国などの高成長新興国と比較する文脈で出ることが多いが、「日本は低成長なので、日本で株式投資しても儲かるはずがない」と言われることがある。
しかし、理屈を考えると、低成長でも高成長でも将来の成長が、現在予想されている成長率よりも高いか否かが重要であり、成長率の水準そのものは案外重要ではない。
仮に、高成長なA国と低成長なB国を考えるとして、株式のリターンは、
株式の期待リターン=益利回り+長期成長率
と考えることができる。
先ず、A国の成長率(長期一律を仮定)を6%、PERが25倍として益利回りが4%とすると、A国での株式投資の期待リターンは10%となる。
一方、B国で成長率が0%、PERは12.5倍として益利回りが8%とすると、B国の株式投資の期待リターンは8%となる。
しかし、仮に高成長のA国の金利が4%、低成長(たぶん低インフレ)B国の金利が2%とすると、両国の株式のリスク・プレミアムは共に6%となり、投資家にとってのリスクに対する評価がA国・B国で同じくらいと仮定すると、投資としてはどちらが有利とも言えない。
10%と8%というリターンの差はあるが、これらは各々の現地通貨建てのリターンに過ぎないので、両国の実質金利が一緒で(たとえば2%で)、インフレ率だけが違い、為替レートがインフレ率を反映すると考えると、どちらに投資しても同じだ。
たとえば、上記の状況で、B国の期待長期成長率が「予想外に」2%上昇したと考えると、同様の期待リターンとなる株価は益利回りが2%低下した株価なので、PERで約16.7倍の株価が正当化される。この場合、株価が33.6%上昇して、その上で、A国と将来の株式投資の期待リターンは同じということになる。
低成長国の将来の「低成長」が投資家の予想に十分に織り込まれているなら、それはそれで形成されている株価が妥当ならリスクに見合った株式のリターンは期待できる。加えて、「意外な成長」があったときには、かなり大きなボーナスが見込める。もちろん「高成長国の方が不利だ」と言えるわけではないのだが、予想される成長率そのもののレベルの差よりも、将来の成長率が、投資家の予想する成長率と較べてどうなのか、ということの方が重要だ。
日本経済悲観論は、実は、日本株の買い材料なのかも知れない。
やはり、「長期投資は儲からない」というタイトルで本を書くのは止めておこう。
【コメント】
「長期投資は儲からない」とは、凄まじいタイトルの出版企画だ。どこの出版社のものだったのかは思い出せない。
本文の主旨は今でも変わらない。2009年当時に株式に投資した人は、長期保有していればだが、結果的に儲かった人が多いだろう。
これから出版企画を作るなら仮タイトルは「低成長でも株は儲かる!」だろうか。これなら、少しはやる気が出る。(2021年6月14日 山崎元)
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