「人権問題」をめぐる西側諸国の対応と中国の反発
昨今の国際情勢を眺めながら、「人権問題」が、中国マーケットに参加する実業家、投資家にとっての不安要素になっていると切実に感じています。
状況を端的に総括すれば、次のようになるでしょう。
中国・新疆ウイグル自治区における少数民族や、香港特別行政区における民主活動家への抑圧的、強硬な政策が横行する中、欧米諸国の政府がそれらを「人権侵害」だと批判、一定の制裁措置を発動する。そして、一部欧米企業も、自らの企業理念や価値観から、あるいは政府の政策や世論の動向に順応する形で、取引を停止する。中国政府は関連諸国の政府に激しく反発し、中国の消費者の間でも関連企業に対する不買運動が大規模に発生する。
仮に、読者の皆さんの中に、上記の「一部欧米企業」の株を保有している方がいるとすれば、当然その企業が中国という巨大マーケットをどう見ているのか、これからどう動いていくかに関心を持たざるを得ないことになるでしょう。
私の現時点での結論は、今後、中国と欧米を中心とした諸外国間の国家間関係が「人権問題」で揺れる中、主体的、受動的かは別として、その動きに巻き込まれる多国籍企業が増えることはあっても減ることはないというものです。そして、日本も決して例外ではないという実情を主張したいと思います。
ここで、新疆ウイグル問題をめぐる最近の政府、企業の動向を整理してみましょう。
まずは、その動向が国際情勢や各国の政策に大きな影響を与える米国です。
トランプ前政権下で国務長官を務めたマイク・ポンペオ氏は、中国共産党による新疆ウイグル自治区のウイグル族への政策を「ジェノサイド(集団虐殺)」だと定義づけ、強く批判。バイデン現政権下で国務長官を務めるアントニー・ブリンケン氏もこの立場を踏襲しています。
そして3月には、米国、EU(欧州連合)、英国、カナダ各国が歩調を合わせる形で、ウイグル族の人権を侵害しているという理由から、中国共産党当局者らへの制裁を発動しました。この制裁措置の前提的認識となっているのが、米国の前・現国務長官が公に主張する「ジェノサイド」です。
一方の中国政府は、欧米諸国による認識や制裁に厳しく、激しく抗議しており、関連諸国政府当局者への報復措置を直ちに発動しました。「欧米政府―中国政府」の間で、新疆ウイグル自治区における人権問題をめぐり、制裁の応酬という悪循環が起きているのです。
日本は、G7(主要7カ国)諸国(米国、英国、フランス、ドイツ、イタリア、カナダ、日本)の中で、唯一、制裁措置の発動に参加していない国です。この点に関しては、国内外で賛否両論があり、立場や考え方を異にする関係者による主張がぶつかっているというのが現状でしょう。大きく色分けすると、どんな事情があろうが、中国共産党による人権侵害を許すべきではないという人権的主張、西側諸国と歩調を合わせることが日本の国益にかなうという外交的主張、日本には日本独自の事情があり、特に中国との経済的関係を考慮すれば、人権問題で中国共産党を必要以上に刺激することには慎重になるべきだという経済的主張の3つが主流のようです。
実際に、日本政府の公的立場は、この3つの主張を“平均的”に網羅したものとなっています。
去る4月、菅義偉首相が米国を訪問し、バイデン大統領と首脳会談を行いました。会談後に発表された日米共同声明では、「日米両国は、香港および新疆ウイグル自治区における人権状況への深刻な懸念を共有する」と書かれています。また5月3日には、欧州を訪問中の茂木敏充外相が、英国にてドミニク・ラーブ英外相と、第9回日英外相戦略対話に臨みました。対話の中で、日英両外相は、「香港情勢、新疆ウイグル自治区の人権状況について深刻な懸念を共有」しました。そして5日(英国時間)、英ロンドンで開催されたG7外相会議後に公表された共同声明でも、香港での民主派排除や新疆ウイグル自治区での人権侵害を巡り、中国に深い懸念が表明されています。日米英やG7政府間で、基本的価値観や立場は着実に共有されているといえます。
一方で、日本以外のG7諸国、および欧州連合加盟国、カナダ、オーストラリアといった、価値観を共有する国家が歩調を合わせながら発動している制裁措置に、日本が関与していないのもまた事実です。この微妙な立場を体現するかのように、先般の日米首脳会談後の合同記者会見にて、菅首相自身、「わが国の立場や取り組みについてバイデン大統領に説明し、理解を得られたと、このように考えています」と答えています。人権問題への定義、新疆ウイグル問題への対応を含め、日本側が基本的な価値観や考え方は米国と共有しつつも、具体的な対応や取り組みの次元で、国情の違いから、差別化を図るケースもあるという立場をあらわにしています。中国との経済的関係を考慮した、言い換えれば、日本のビジネス関係者の懸念に配慮したものであることは、論をまたないでしょう。
私の見立てでは、今後、欧米、G7、オーストラリアなど西側民主主義国家が、香港や新疆ウイグルにおける人権問題を外交の議題に設定し、その都度「深い懸念」を表明し、中国共産党に人権を重んじる政策を要求していく、中国側はそれにその都度反発、抗議し、西側と中国間の外交関係を不安定化させる要因になる光景は常態化するでしょう。制裁措置に関しては、現段階では、あくまでも関連の政策策定に関わった当局者に対するものにとどまっており、措置そのものがもたらすインパクトは大きくありません。それよりも、制裁という体裁をとることで、中国共産党に対して強いメッセージを送るという意味合いのほうが強いでしょう。
そして、この常態化という構造のもたらす最大の不安要素が、企業活動やマーケットへの悪影響とリスクだというのが、私の現時点における考えです。
「人権問題」は中国マーケットへの参加者にとっても無関係ではいられない
冒頭にて、政府間の「人権問題」をめぐる応酬に、「主体的、受動的かは別として、その動きに巻き込まれる多国籍企業は増えることはあっても減ることはない。日本も例外ではない」と述べました。
米スポーツ用品大手・ナイキとスウェーデンの衣料品大手・H&M(ヘネス・アンド・マウリッツ)が、新疆ウイグル自治区の綿花生産の現場で、ウイグル族が強制労働をさせられているとの報道に懸念を表明し、同地区生産の綿花を使用しないとしていた2020年発表の声明文があります。そしてこの3月、欧米政府が中国に制裁措置を発動する過程で、中国共産党の支配下にあるメディアによって、この声明文が“突如”取り上げられました。その後、インターネット上で拡散、「炎上」し、中国の消費者の間で、両社への不買運動にまで発展しました。私はその模様を観察していましたが、炎上や運動の過程で、中国共産党の支配下にあるメディアが、新疆ウイグル自治区産の綿花を擁護し、両社を批判するネガティブキャンペーンを展開していました。
そこに「国家の意思」を感じずにはいられませんでした。要するに、政府と市場、世論の距離が独自に近い中国の政府や人民からすれば、政府と企業は一体なのです。
今回のケースに関して言えば、欧米政府が中国政府当局者に対して制裁措置を発動しました。常識的に考えれば、政府と市場、公の機関と民間人は別物ですが、中国の人々はそうは受け取りません。自国政府への制裁を自らへの挑戦だと集団的に認識します。そういう論理と常識で成り立つ消費者が14億人いる、それが中国マーケットだと言っても過言ではありません。
中国政府あるいはその関連組織は、欧米政府が制裁発動したことをきっかけに、同地域に属する企業をやり玉に挙げるべく、過去の言動を暴露したのです。これは言うまでもなく、自国の消費者から大々的に自国の政策を擁護され、自らの政権基盤強化につながり、かつこれらの企業が属する他国の政府に一定の圧力を与えられると見込んでの行為です。
私自身、2010~2012年にかけて、中国本土で言論活動を行っていましたが、領土をめぐる問題などで日中関係が悪化する中、北京の地下鉄で取り囲まれたり、出張先の地方で圧力を受けたり、予定されていたイベントや書籍の出版が突如中止されたりといった経験をしてきました。
ここで指摘したいのは、中国というマーケットと付き合う上で、政府間関係と民間人の行動は「別物」ではない、自国政府と中国政府間の外交関係が悪化すれば、自国企業・法人の中国での活動には制限、場合によっては制裁が科される可能性が高くなる、ということです。
実際、日本政府が、欧米諸国政府の制裁措置に同調しないことで生じる「外交リスク」を取っているにもかかわらず、中国で活動してきた日本企業も、欧米企業同様中国の「人権問題」に巻き込まれています。
4月、中国でユニクロを展開してきたファーストリテイリングの柳井正会長兼CEO(最高経営責任者)は、決算発表会見でこの問題に対し、「政治的な質問にはノーコメント」と繰り返していました。同じく、中国で無印良品を展開してきた良品計画も、決算発表会見にて「新疆綿」に対する考えを問う質問が相次ぐ中、「全てはリリースの通り」(無印良品の綿を栽培する新疆地区の約5,000ヘクタールの農場などについては、畑や作業者のプロフィール、人員計画を把握しつつ、第三者機関による現地での監査も行っており、同社の行動規範や法令に対する重大な違反は確認していないという内容)との回答を繰り返していました。
両社としては、これがギリギリの回答だったということでしょう。私が見る限り、ユニクロ、無印良品は、中国マーケットに多くの「ファン」を擁しています。日本と中国との関係が悪化し、かつ、仮に両社が「人権問題」で中国を批判する声明文を出せば、両社の中国世論・マーケットにおける立場は少なからず影響を受けるでしょう。一時的なものになる可能性も十分ありますが、不買運動が起こる、店舗が破壊される、取引先との関係が悪化する、政府から嫌がらせを受けるといった状況は容易に想像できます。
私がここで主張したいのは、今後、中国政府と日本を含めた各国政府が「人権問題」をめぐって外交関係を悪化させる可能性が高いという先行きは、中国というマーケットに参加する企業、投資家にとって一つの不安要素になる、故に、事前の準備を怠るべきではないということです。企業に関して言えば、自社としての立場を明確にし、世論に対して何らかの声明文を出さざるを得ないような場合に備え、事前に準備する必要がある、そして、投資家はそれらの動向を注視しつつ、自らの投資行為に幅を持たせる必要があるということでしょう。
そもそも、中国にとっての「人権」とは何か?
そもそも、なぜ中国と西側諸国との間で、国境を越えた企業活動をも窮地に陥れるような「人権問題」が発生するのでしょうか? 人権に国境は存在するのでしょうか? 中国との関係という次元で言えば、人権に国境が存在すると言わざるを得ません。この問題を掘り起こすためには、中国で定義、実践されている人権は何かを理解する必要があるように思われます。
本レポートの最終部分では、「中国が定義・主張する人権とはそもそも何か?」を扱います。最近の動向からすると、今年2月、王毅(ワン・イー)外相兼国務委員(以下敬称略)が第46回国連人権理事会ハイレベル会議に、北京からオンラインで出席、演説した場面が参考になります。
王毅は、人類が現在、新型コロナウイルスという共通の敵と戦っているという角度から発言を開始しました。
「1億人以上が感染し、200万人以上が命を落とし、1.3億人が貧困状況に戻ってしまった。不平等はグローバルに広がり、南北の格差は拡大し、発展権が新たな脅威にさらされている。人種差別主義や排外主義が一層台頭し、フェイクニュースや憎しみの言論が氾濫し、一部国家はコロナ情勢を政治的に扱い、他国に汚名を着せようとしている。その過程で、広大な途上国による、ワクチンを獲得するという正当な要求が重要視、満足させられていない」
新型コロナウイルス対策こそが、中国の主張する人権がいかに守られているかを検証する最大の実験になること、米国こそが、中国が定義する人権に対する最大の挑戦者・脅威であり、中国として、人権という分野で、米国と断固勝負していく決意を持っていること、の2点がこの段落から読み取れます。
中国共産党の人権をめぐる立場や定義を理解する上で、示唆に富むと私が解釈したのが以下の4点です。
(1)人民の獲得感、幸福感、安全感を増加させることが人権にとっての根本的追求であり、国家統治にとっての究極的目標になる
(2)「国連憲章」や「世界人権宣言」で定められた人権に関する崇高(すうこう)な目標や基本的原則を各国は順守、実践するべきであるが、同時に、各国の国情は異なる。歴史文化、政治制度、経済社会の発展水準にはギャップがある。各国は自国の国情と国民の需要に基づいて人権保護を推進していくべきだ
(3)人権の中身は全面的である。政治的権利もあれば、経済社会文化に関わる権利もある。その中でも、生存権と発展権こそが最も重要で、率先して守られるべき人権である
(4)人権は少数国家の特許ではない。他国に圧力をかけ、内政干渉の道具にしては決してならない。各国は国連憲章の主旨と原則を順守し、平等と相互尊重の基礎の下、人権に関する交流や協力を展開すべきである
それぞれが意味するところを簡単に解説したいと思います。
(1)は、衣食住を含めた物質的豊かさが増えていることを根拠に、人権が保護されていると主張するものです。
(2)は、西側民主主義国家が定義する普遍的価値観などというものは存在せず、各国には各国の人権をめぐる定義や実践があってしかるべきだという主張です。
(3)は、人間が生存し、発展するための権利を保障すること、それこそが、政府が人権に対して施せる最大の貢献だという主張です。
(4)は、中国と米国にはそれぞれ定義する人権があり、両者の間に優劣はなく、平等に尊重されるべきものであるという主張です。
「中国式人権」の中身を見てきましたが、要点は2つです。
(1)中国には中国が定義する人権がある
(2)生存権と発展権が最も重要な人権である
人間の生命を守ること、物質的な豊かさを保障することが最優先事項として掲げられています。それ自体は問題ありませんし、立派な「人権」だといえるでしょう。問題は、これらを主張する一方で、近年、習近平(シー・ジンピン)体制の下で、新疆ウイグル自治区における少数民族、香港市民、および中国国内における政治的自由が著しく抑圧されてきている現状です。これらの現状が、西側諸国から「人権侵害」だと批判されているのです。ただ、中国共産党指導部は、王毅を含め、習近平体制の負の部分によって生じている人権の後退については、一切言及、承認しようとはしない。現体制下でタブー化しているのです。習近平体制ではびこる権力の一極集中や個人崇拝(すうはい)横行の副作用といえます。
人権問題の定義や認識をめぐって、中国と西側諸国の間で根深いギャップが存在する現状が浮き彫りになっているのが見て取れます。
『オックスフォード辞典』は、人権とは「全ての人間が公正に扱われなければならない、特に自国の政府によって残虐的な方法で扱われない基本的な権利の一つ」だと定義しています。欧米や日本を含めた自由民主主義国家において、中国が最重要事項として主張する生存権や発展権を否定する向きや動きは見られないものの、人権が保護されているかを計る最大の基準は、信仰や言論を含めた政治的自由が保障されているか、そしてそれらが自国政府によって踏みにじられていないかに他なりません。
このように見てくると、普遍的価値観としての人権保護という見地から、香港や新疆ウイグル自治区の人々の人権が、自国政府の強圧的政策によって脅かされていると主張する西側諸国と、香港、新疆で人権の見地から保護的政策を行っているという中国共産党の立場は、真っ向から対立すると言わざるを得ないのです。
この真っ向から対立する意見や立場は、引き続き、政府の政策や世論の動向に確かな影響を与えていくことでしょう。そして、特に上場企業において、中国の人権問題をめぐる株主の意向は、これまで以上に複雑に企業活動に反映されていくのでしょう。中国というマーケットに参加するという意味で、「人権問題」というリスクが台頭すると私が指摘するゆえんです。
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