1950年代、イギリス海軍を出し抜いてイランを往復した日本国籍のタンカーがあった

“日承丸をアバダンに送る!”、“店主(社長)、それはリスクが高すぎます!”

 欧米の石油メジャー(国際石油資本)が世界中の石油を独占し、調達先のほとんどを奪われた日本の民間石油会社、國岡商店の執務室ではこのような会話がなされていました。出光興産の創業者である出光佐三氏のビジネスマンとしての生涯を、実話をもとに描いた「海賊とよばれた男」のワンシーンです。

 1950年代前半、石油メジャーの一角を成すアングロ・イラニアン(BP:ブリティッシュ・ペトロリアムの前身)がイランの石油を独占。不当に同国の原油を持ち出されないよう、イギリス海軍がペルシャ湾、オマーン湾などの要衝を厳しく監視する中、出光興産が保有する当時としては日本最大級のタンカー「日章丸(作品中では日承丸。厳密には日章丸二世)」が、イランの港アバダンに向かいました。

 当時、イギリス海軍を出し抜いた日章丸の航海は、世界的な事件として報じられました。幾多の難を乗り越え、イラン産原油を積み、無事日本に戻りますが、積み荷の所有権を主張したアングロ・イラニアンが出光興産を東京地裁に提訴しました。一連の出来事は、「日章丸事件」と呼ばれました。

“リスクが高すぎます!”と社長をいさめた社員の言葉どおり、また、作品中でもスリリングなシーンで描かれているとおり、神戸港を出て川崎港に戻るまでのおよそ40日間の航海は、非常に高いリスクを伴うものでした。

 なぜ、このようなリスクを伴う航海が必要だったのでしょうか。それは、日本の主要なエネルギー源が石炭から石油に代わろうとしていたため、そして日本でモータリゼーション(自動車化)が本格化しつつあったためです。安くて質の高い石油を手に入れることは、国益に直結したのです。「イラン」と聞くとふと、この作品と当時の日本の様子を思い浮かべます。

図:日章丸の航路(1953年)

出所:各種資料より筆者作成

イランは今、「核合意」で揺れている。米政権交代後、イランの核開発が進み始めた

「海賊とよばれた男」では、日章丸はイランに到着した際、現地の人々に熱烈な歓迎を受けるシーンが描かれています。イギリスに搾取され、自分の国の原油を自由に売買することができない環境の中、経済が発展しつつある極東の島国の日本の民間企業が、買いに来てくれたためです。

 2019年12月には穏健派で知られるロウハニ現イラン大統領が訪日し、安倍首相(当時)と首相官邸で固い握手を交わしました。日章丸来港以降、イランと日本のどこか特別な関係は、日本が米国やサウジと国交を深めても、続いているのだと感じました。

 ただ、そのイランですが、特に今年に入り、徐々に核開発を推し進め、先週、90%の濃縮度で核兵器の製造が可能と言われる中、60%の濃縮ウランを製造する準備を開始したと報じられました。

 米国はトランプ政権時に単独で離脱しましたが、現在、英国、フランス、ドイツ、ロシア、中国にイランを含めた6カ国で、イランが核開発を一定程度まで縮小させることで合意したいわゆる「イラン核合意」が存在しています。

図:イラン核合意について

出所:各種メディアの情報より筆者作成

 このイラン核合意において、濃縮度の上限は3.67%とされています。先述のとおり現在は60%の濃縮ウランを製造する準備が行われている可能性があります。また、IAEA(国際原子力機関)の抜き打ち査察を受け入れることが合意内容にあるものの、現在イランは査察を拒否しています。

 今年に入り、イラン核開発が先鋭化している要因は複数あると、筆者は考えています。

(1)米国で政権交代が起き、強烈に公然とイランを制裁する人物がいなくなったこと。

(2)コロナ禍で複数の先進国が経済回復を模索する中、米国と対峙(たいじ)する中国がしたたかに経済を回復させていること。

(3)6月にイラン大統領選挙を控え、穏健派のロウハニ氏から保守強硬派に政権が移行する可能性が高まっていること。

(4)9月に隣国アフガニスタンから米兵が撤退することとなったこと。

 米国がイラン核合意に復帰するか(イランへの制裁を解除するか)、イランが核合意を順守するか、米国とイランの間で話し合いは現在も継続しているものの、バイデン大統領は“先に制裁を解除することはありえない”、一方でロウハニ大統領は“単独で核合意から離脱した米国が先に制裁を解除すべきだ”との考えを示しており、平行線のままです。

 また、以下のとおり、米国の核合意離脱によって再開した米国による制裁によって、イランの原油生産量は大きく減少しましたが、核合意離脱と制裁再開を主導したトランプ氏が大統領選挙で敗北したタイミング以降、徐々にイランの原油生産量は回復しつつあります。

「自粛疲れ」ならぬ、「制裁疲れ」、制裁の主導者がいなくなったことで、自らの意思で生産量を決定することを決意したことが現れているようにみえます。自らの意思を実行に移す、つまり、核開発も自らの意思にのっとり実行している、と言えそうです。後述する、核合意を結んだロウハニ現大統領の求心力が低下している点も一因とみられます。

図:イランの原油生産量 単位:百万バレル/日量

出所:EIA(米エネルギー省)のデータより筆者作成

中国『一帯一路』は進行中。イラン大統領選挙、米国のアフガン撤退が拍車をかける

 状況を複雑にしているのが、中国の存在と今年の複数の重要イベントです。中国の習近平国家主席が2013年に提唱した『一帯一路』構想では、イランは非常に重要な位置にあります。6月のイラン大統領選挙で反米色が強い保守強硬派が勝利し、イランの中国傾斜が強まるきっかけができ、かつ、9月の米兵のアフガニスタンからの撤退が予定どおり行われれば、『一帯一路』構想における中国・中央アジア・西アジア回廊の完成はさらに現実的になるでしょう。(下図参照)

図:一帯一路構想(六大回廊)

出所:各種情報源より筆者作成

 現在イランの一般大衆の間では、核合意を離脱し、独自に制裁を課している米国への反発心が強まっています。また、合意を結んだ当事者であるロウハニ大統領への風当たりが強くなっています。このため、ロウハニ大統領の再選は厳しく、イラン社会がどんどんと保守的で強硬的になるとの指摘もあります。

 9月の米兵のアフガニスタン撤退が予定通り行われれば、さらにイランとイラン周辺から、米国色が小さくなることが予想されます。そしてそこに付け入るように、さらに存在感を増すのが、中国です。イランとアフガニスタン一帯が中国の息がかかった地域になれば、『一帯一路』構想はさらに現実的になります。

 また、報道では、中国はすでに、イランだけでなく、アラブ首長国連邦(UAE)、オマーンなどといった、ペルシャ湾やオマーン湾という原油供給の大動脈に沿った国々の港湾施設の利用権を有しているとされています。「中東の中国傾斜」はじわじわと進行しており、今年6月のイラン大統領選挙と9月の米兵のアフガニスタン撤退が、それに拍車をかける可能性があります。

 さらに、中国に傾斜したイランが核兵器を持った場合、イラン、その西にイスラエル、東にパキスタン、インド、そして中国、北にロシアと、核保有国の密集度が上昇することになります。現在、核保有国に囲まれていることが、イランを核保有に走らせる一因になっていると考えられますが、パワーバランスを均衡させるために新たなパワーを持つという考え方は、世界全体でみれば決して好ましいことではありません。

図:中東の中国傾斜が進んだ場合の筆者のイメージ

出所:筆者作成

金と原油、イラン制裁解除は目先の下落要因になり得るものの、長期的には上昇要因

 目先、再来月に迫ったイランの大統領選挙と9月の米兵のアフガニスタン撤退によって、中東地域がどれだけ中国色を強めるか(相対的に米国色を弱めるか)が、同地域の混乱の度合いの大きさに関わると筆者は考えています。

 同地域の混乱は、宗教上の混乱を深めたり、エネルギー安全保障上の障害が大きくなったり、大国間の覇権争いが激化したりするなど、さまざまな分野に幅広い不安をもたらします。こうした不安がきっかけで生じる「有事のムード」は、金(ゴールド)相場の変動要因の一つと考えられます。

※有事のムードを含む金相場の「6つのテーマ」は前回のレポートで述べています。「厳し過ぎる現実。ワクチン登場5カ月で患者数3倍。金相場とコロナの今後の関係は?」

 また、主要産油国が集まる中東地域の交通の要衝である、ペルシャ湾とオマーン湾をつなぐ「ホルムズ海峡」は、北側のイランと南側のオマーン(飛び地)に挟まれています。先述の図「中東の中国傾斜が進んだ場合の筆者のイメージ」参照

 2国とも、中国に港湾の利用権を与えていると報じられていることから、これまでイランの専売特許だった“ホルムズ海峡封鎖の示唆”が、近い将来、中国によってなされる可能性もゼロではなくなったと、言えるかもしれません。

 港湾の利権を有する中国が、ホルムズ海峡という水道を、イランとオマーンという蛇口で開閉できるようになった場合、中国の思惑が原油相場の大きな変動要因の一つになる可能性があると考えられます。

 中国は世界最大級の石油消費国ですので、原油価格が下落すれば、資源の調達コストの低下というメリットが生じますが、上昇した場合でも、自らが精製した石油製品の販売価格上昇、自国の原油市場(上海期貨交易所)の売買活性化などのメリットが生じます。

 中国自ら「蛇口を閉じて」原油価格を上昇させた場合、油田の権益を持つ世界中の産油国あるいはエネルギー企業が恩恵を享受し、それらの国・企業の中に「中国によって恩恵をもたらされた」という意識が芽生え、その結果、世界における中国の地位が向上することが考えられます。

 中国は、中東進出を『一帯一路』構想の延長にとどまらず、エネルギー価格の主導権獲得や世界中の産油国・エネルギー企業を配下に収めることを目指す施策として位置づけていると、筆者は考えています。

 冒頭のとおり、1950年前後、イランの石油を事実上独り占めし、同国に大きな影響力を持っていたのは英国でした。その後、イランから重要な情報を入手し、同時多発テロ(2001年9月11日)の首謀者を含め多くのタリバン勢力を掃討したのは米国でした。そして今、イランに急接近している大国は中国です。

 6月のイランの大統領選挙と9月の米兵のアフガニスタン撤退は、イランを中心に中東地域の中国色が強まる(相対的に米国色が弱まる)要因になり得ると筆者は考えています。この時に生じる混乱や変化は、金(ゴールド)相場にも原油相場にも、上昇圧力をかける可能性があると考えられます。イランをめぐる情勢から、目が離せません。

図:NY金先物(期近 日足) 単位:ドル/トロイオンス

出所:マーケットスピードⅡより筆者作成

図:NY原油先物(期近 日足) 単位:ドル/バレル

出所:マーケットスピードⅡより筆者作成

[参考]金と原油の具体的な投資商品例

純金積立

金(プラチナ、銀もあり)

国内ETF/ETN

1326 SPDRゴールド・シェア
1328 金価格連動型上場投資信託
1540 純金上場信託(現物国内保管型)
2036 NEXT NOTES 日経・TOCOM金ダブル・ブルETN
2037 NEXT NOTES 日経・TOCOM金ベアETN

海外ETF

GLDM SPDRゴールド・ミニシェアーズ・トラスト
IAU iシェアーズ・ゴールド・トラスト
GDX ヴァンエック・ベクトル・金鉱株ETF

投資信託

ステートストリート・ゴールドファンド(為替ヘッジあり)
ピクテ・ゴールド(為替ヘッジあり)
ピクテ・ゴールド(為替ヘッジなし)
三菱UFJ純金ファンド

外国株

ABX Barrick Gold:バリック・ゴールド
AU AngloGold:アングロゴールド・アシャンティ
AEM Agnico Eagle Mines:アグニコ・イーグル・マインズ
FNV フランコ・ネバダ
GFI Gold Fields:ゴールド・フィールズ

国内商品先物

金・金ミニ・金スポット・白金・白金ミニ・白金スポット・銀・パラジウム

海外商品先物

金、ミニ金、マイクロ金(銀、ミニ銀もあり)

国内ETF/ETN

WTI原油上場投資信託 (東証)1690
NF原油インデックス連動型上場(東証)1699
NEXT NOTES 日経TOCOM原油ブル2038
NEXT NOTES 日経TOCOM原油ベア2039

投資信託

UBS原油先物ファンド

外国株

エクソンモービルXOM
シェブロンCVX
トタルTOT
コノコフィリップスCOP
BPBP