※本記事は(上)(下)の2本となっております。

投資から「意味」を分離しよう~「老後資金」「初心者向け」「ESG投資」は適切か?(上)を読む

【3】投資対象の持つ「意味」が投資の邪魔をする

 初心者向けの株式投資のガイド本に、「応援したいと思う会社の株を買ってみましょう」とか、「自分が就職したいと思う会社の株を買うといい」といった株式投資の勧めを見ることがある。前者は、ある大手証券会社が作った小学生向けの投資テキストに載っていたし、後者はかつて破綻したある銀行の経営者が書いた本(全体的な内容は悪くなかったのだが)に載っていたアドバイスだ。

 もちろん、投資の効率にあっては、好き嫌いや投資対象の社会的好ましさではなく、投資対象のリスクとリターンが問題だ(厳密にはリスクは分散投資を前提として評価される)。

 素人の世界だけではなく、機関投資家の世界にも実は同様の問題がある。それは、近年話題にあることが多い「ESG投資」(環境・社会性・企業統治の評価で投資先が影響される投資)だ。例えば、炭素排出量の抑制に消極的な会社の株式や債券には投資しない、といった投資のアプローチだ。環境対策に積極的だったり、従業員の多様性に配慮していたり、企業統治が先進的な(形だけで実効性がない場合もあるが)企業に積極的に(オーバーウェイトして)投資するといったアプローチも、目指すところは同じ意味だ。

 実は、上記のような意味でのESG投資は運用の効率性を損なう公算が大きい。

 例えば、銘柄選択やウェイト決定の段階でESGの評価に影響されず、経済性(リスクとリターンの効率性)だけの観点から選択されたポートフォリオがあるとしよう。このポートフォリオにESGの観点を加えて、銘柄を除外したり、ウェイトに歪みを持たせたりすると、当初のポートフォリオから、「ポートフォリオの判断を行った際の価値観に基づく最適性」(当初の最適性)がなにがしか損なわれることになる。

 当初の最適性に意味が無いと言うなら、そもそも運用判断をすることに意味が無いので、アクティブ運用を行うことなどとんでもないことになり、コストの効率が最も良いパッシブ運用以外に選択肢はない。

「データを見て考えたい」と言う意見を聞くことがあるが、これは控えめに言っても「賢くない」。「運用時点で最適だと判断したポートフォリオ」よりも「ESGの制約・影響を受けたポートフォリオ」の方が良いと選択することは、選択者の価値判断が自己矛盾を来しているからだ。問題はデータ以前の「論理」にある。データを見るまでもないのだ。

 ここで、読者に注意して欲しいのは、筆者は企業活動にとって「E(環境)」・「S(社会性)」・「G(企業統治)」が重要ではないと言いたいわけではないことだ。これらは何れも、企業にとって真剣な考慮を要する問題だ。必要なコストを掛け、将来に有効な投資を行っているか、ということは経営者が真剣に考えるべき問題だし、企業を評価する投資家も「投資評価の中に十分組み込むべき問題」だ。つまり、投資家にとって、ESGは、投資評価の際に、企業の組織運営・研究開発・マーケティング戦略などと同じように重要なのであって、企業価値に影響するファクターを投資評価に組み込むのは、普通に重要なことだというに過ぎない。これまでもそうだったし、これからもそうだ、という種類の評価項目だ。運用者の側にあっては、経済価値に対する運用判断に加えて、別途料金を取るような特別な行為ではない。「ESGの重要性」と「ESG投資という商品」を混同させてビジネスを作ろうとする運用ビジネス側の戦略に引っかかるのは愚かだ。

 もう一つ理屈を言っておこう。

 仮にESGの評価が良いことが企業の株価の理論的価値の上昇につながるとしよう。読者なら、「現在ESGが良好な会社」(優等生)と「現在ESGの面で劣る会社」(劣等生)の何れに投資するのが有望だと思われるだろうか。

 金融論的な答えは、「市場が十分に機能していれば、どちらも同じ」だろう。試験問題なら、筆者もそのように答えるところだ。「分散投資の観点から、両方に投資することが好ましいケースが多いはずだ」くらいの付記があれば、答案としては「AA」を付けたい。

 だが、敢えて将来の「変化」の可能性を考えるなら、優等生はESG面でもう改善の余地がないのに対して、劣等生はビジネスの収益性が改善しなくてもESG的な側面を改善するだけで株価への評価を上げることが出来るという点で、投資の妙味があるかも知れない。

 投資としての可否は、ESGの優等生・劣等生の株価がどのように形成されているかの判断に懸かっている。運用の効率性としては、ESGの劣等生も買える方が、自由度が高くてより好ましいことは言うまでもない。

 社会運動としてのESGの強調や、ESGの改善のために法律・規制など制度を改善することは重要だし有効だと考えるが、運用にはESGを絡めない方がいい。ESGがなにがしか運用効率の制約になることを考えると、投資家本人が「事情を理解した上で、自分のお金で」ESG投資を行うのは本人の勝手だが、年金基金のような「他人のお金」を効率よく運用することを請け負っている主体が、ESG投資に資金を投じたり、運用に関する追加的な費用をESG投資に支払ったりすることは不適切だ。年金基金の場合は、ESG投資を行って運用効率を損なう可能性について、運用委員会レベルではなく、代議員大会レベルでの加入者からの承認が必要だろう。

 個人の場合は、事情を理解した上で「ESGファンド」のような商品に投資してもいいが、筆者の個人的な意見としては、お金の運用自体は効率的に行った上で、ESGが大事だと思うなら、運動に参加するなり、寄付を行うなりの行動を選択するのがいいのではないかと思う。もちろん、「自分のお金」の問題なので、勝手に決めて何ら問題はない。

 率直に言って、運用会社・年金等の基金・運用コンサルタントなど広義の運用業界にとって、ESG投資は、ここで手間を掛けて報酬を得ることを期待する「ビジネスの種」なのだ。特に年金運用ビジネスは、運用会社間の競争が激しいことに加えて、インデックス運用が普及してフィーを取りにくい、ビジネス的には厳しい、いわゆる「レッド・オーシャン」なので、ESGを商売に利用したいというのがビジネス的な本音なのだと、筆者は理解している。

【4】投資結果の持つ「意味」が投資の邪魔をする

 投資にあった余計な「意味」で、最後に取り上げたいのは、投資の結果に対する「説明的な意味」を投資の途中にあって意識することだ。これが、なかなか厄介な場合がある。

 投資家は、しばしば投資の結果を知人などに対して自慢したいという心理を持っている。また、この気持ちと裏腹に、投資が失敗した場合には、恥ずかしくない言い訳をしたいと考える場合がある。

 例えば、投資した銘柄の業績が悪化し株価が下がって、倒産の可能性が視野に入ってきた場合にどう考えるか。

 冷静になると、既に株価の値下がりでその銘柄への投資金額は小さくなっているのだが、「倒産した会社の株を倒産するまで持っていた、というのでは格好が悪いな」という気持ちになって、「今のうちに売っておこう」と売却するとする。こうした場合に、その会社が倒産せずに持ちこたえて、1、2年後に、株価が大きく上昇している(特に率で見ると)といったことはよくある話だ。

 この場合、これ以上株価が下がる確率が大きいと思って売るのなら問題は無いのだが、「(他人に説明した場合に)格好が悪いから」という理由が影響するのは余計だ。

 事後的な説明が運用している最中の意思決定に影響するという意味では、実は、アマチュアよりもプロの投資家の方がより深刻な影響を受けているかも知れない。

 先の「倒産するかも知れない銘柄を慌てて売却する」といった投資行動は、プロに於いてより顕著である可能性が大いにある。

 例えば、先ほどから何度も例に出すが、仕事として、「年金運用は言い訳のアートである」と言って部分的には間違いでない。運用結果を定期的に顧客に直接説明する必要があるし、その巧拙がその後のビジネスに大いに影響する。運用スキルが同じなら、説明の上手いファンドマネージャーは、説明の下手なファンドマネージャーよりも、ビジネスパーソンとしての価値が遙かに高い。そして、将来あり得る言い訳を先読みできるファンドマネージャーは、あり得る言い訳の内容に現在の運用が影響を受ける場合がある。

 賢い投資家は、倒産しそうな会社、不祥事を起こした会社、ガバナンスの面で嫌われている会社、などに株価が必要以上に下落する投資のチャンスが起こりやすい背景に、言い訳を必要とするファンドマネージャーと彼の運用資金の動きがあることを頭に入れておこう。

 個人投資家にとって、この問題に対する対策は、自分の運用について他人に「自慢」も「言い訳」もしない、つまり一切説明しないことだろう。それでも、人間は、将来の自分自身に対する言い訳を考えたりすることがあるので、投資はつくづく難しい。

 しかし、難しいが故になかなか楽しい、と考えることにしたい。

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