山崎元の「ビジネスモデル」?

 冒頭から私事で恐縮だが、筆者が本格的に個人の資産運用を自分のビジネス対象として意識するようになったのは2000年くらいからだった(2001年10月に「お金がふえるシンプルな考え方」ダイヤモンド社、という本を出している)。

 それまでは、投信会社、投資顧問会社、信託銀行、証券会社、生命保険会社などで、「機関投資家の運用」に、ファンドマネージャーとして関わったり、研究テーマを設定したりしていた。そこでの中心的な対象は、年金の運用であり、年金運用の世界の考え方が機関投資家の運用の標準を形成していた。例えば、アセットアロケーションを先ず考える手順や、ベンチマークを介在する運用の制御や評価などのプロセスが代表的だ。

 また、今となっては自らの不明を恥じるが、1990年代の後半くらいまで、ビジネスとしての年金運用の拡大の可能性を漠然と信じていた。

 しかし、2000年代に入って、厚生年金基金の代行返上や長引く運用の不調から企業が確定給付年金のリスクを取ることに消極的になるなどの変化、さらには元々の年金運用マーケットの競争の厳しさから来るビジネスとしての「儲けにくさ」(年金の運用フィーは投信よりもずっと安い)など、ビジネス対象としての年金運用の魅力低下を感じた。

 一方、投資信託や確定拠出年金の普及など、個人の資産運用マーケットには成長が大いにありそうに思えた。個人として、自分のビジネス対象を、個人の資産運用の分野に広げる必要があると考えた。

 そして、年金分野の行き詰まり感と共に、世間全体を見渡したときに、個人の資産運用分野の知識整備の著しい遅れに着目した。機関投資家の資産運用の世界での知識やノウハウは、個人の資産運用の世界にアレンジして転用できそうだったし、その分野は未開拓に見えた。

 種明かしというほどのものではないが、2000年代はじめの約10年間程度、筆者個人の言わばビジネスモデルは、機関投資家の運用の考え方を、個人に当てはめて提供することで、両分野のギャップを利用して、個人の資産運用分野で差別化を作ることだった。

 自己評価が甘いかも知れないが、このビジネスモデルは、まあまあ上手く行った。しかし、意外だったことや、上手く行かなかったことが幾つかあった。

 予告になるが、11月28日の「ETFカンファレンス」では、「個人の資産運用で意外だったこと」と題して、個人の資産運用に関して筆者が感じた「意外な事実」についてお話ししようと思っている。

 本稿は、幾つかの「意外な事実」の背景にある事情をご説明するセミナーの話のイントロダクション的な位置づけになる。

「比率の発想」が上手く当てはまらない

 個人の資産運用について「意外だ」と思った事実が数個あり(詳しくは「ETFカンファレンス」でお話しします)、そのうちの幾つかは筆者(及び世間)の事前の先入観によるが、技術的な解決を要する問題で意外に難しかったのは、「比率の発想」が個人の運用に当てはめにくかったことだ。

 個人の資産運用が、世間一般で考えられているよりも難しいことは事前の想定通りだった。

 例えば、「成功報酬型フィーの評価方法」などを理解するためには、それなりに複雑な理論の理解が必要だし、「株式の期待リターン」といった最も知りたい数字の推定の難しさなどは、巨額の公的年金の運用であっても、若いサラリーマンの数百万円の資金運用であっても、共通である。

 一方、運用における「ベンチマーク」の使い方や「マネージャー・ストラクチャー」(複数の運用の組み合わせ方)などの考え方が、機関投資家のものを個人投資家に当てはめて考えるとすっきり整理できることなども予定通りだった。また、アクティブ運用を適切に評価して使うことが難しいのも、それでも運用機関がアクティブ運用を売り込みたがるのも、年金運用の世界と個人投資家の世界で変わりはない。

 これらは、機関投資家の運用と個人の運用とが基本的によく似ているという事例であり、筆者個人としては目論見通りだったのだが、機関投資家の方法がしっくり当てはまらなかったのが、アセットアロケーションだった。運用のプロセスで最も重要な部分が上手く行きにくいのだから、問題は深刻だった。

 年金運用のアセットアロケーションと同じ方法で、個人のアセットアロケーションを決めようとすると、どうにも上手く行かない。

 リスク(標準偏差と相関係数)とリターンの数字があれば、後はリスクに対する態度(数字では「リスク拒否度」)を決めるとアセットクラスごとの比率は計算できるが、個人のリスクに対する態度を決めることが容易でない。一つには、経済事情が個々人によって異なるし、もう一つにはそれが時には短期間で変動するからであり、さらに、そもそも「運用に回すお金」をどう決めるかが個人によってまちまちだからだ。

 他方、企業年金のような資金の運用では、基金のサイズに差はあるし、基金と母体企業の財務的な強さ等によってリスクに対する態度は変化するが、運用資産の額、言わば「元本」ははっきりしていて、あるべき将来のキャッシュフローも相当程度予想できる。アセットアロケーションは、この元本に対するアセットクラス毎の「比率」を計算してやればいい。

 しかし、個人の場合、運用資金の対象額(言わば「元本」)の決定自体が流動的だし、収入の変化も、支出を巡る事情の変化も、運用資産の額に対して比率が大きく、時に不連続的・突発的に起こる。

 年齢や資産額、年収などから形式的に決める方法に適切なものはない。例えば、大昔の米国で言われていたような「(100-年齢)%だけ株式を持て」といった俗流ファイナンシャル・プランニングは不適切だ。この辺の事情を無視して、新聞のボーナス運用特集の記事などで、円グラフ付きの「FPの誰々さんの推奨ポートフォリオ」のような資産配分を載せるのは、ファイナンシャル・プランニングの自殺行為だ。

 また、曖昧な元本に対して、性格テスト的なリスク拒否度の当てはめをやって安直な答えを出しているのが、多くのロボアドバイザーがやっていることであり、当然のことながら役に立たない。筆者がロボアドバイザーを「ボロ・アドバイザー」と呼ぶ所以である。

 上記のような例を見ると、世間の多くは、機関投資家の運用のように「比率」で個人のアセットアロケーションを求める発想を脱していないように思われる。

人的資本、さらにライアビリティ(負債)

 個人のアセットアロケーションを考える場合に、個人の財務的な強さを表現する概念に「人的資本」がある。人的資本は、将来の収入見込みの割引現在価値の合計として個人の経済的価値を評価する、言わば「個人の株価」のような概念だ。人的資本をアセットアロケーションの評価に加えると、例えば、安定した職業に就いている健康な若者は、保有する金融資産の人的資本に対する比率が概して小さく、金融資産で大きなリスクを取っても人的資本を含めた資産全体としては影響が小さい。

 逆に高齢者の場合、人的資本が小さく、金融資産は人的資本に対して大きいので、金融資産に占めるリスク資産の比率を大きくすると、資産全体に占める影響が大きい。

 こうした事情は、企業年金の運用リスクを決めるに当たって、母体企業の財務的な強さが決定的に重要であることと事情が似ている。

 ところが、これだけで話は終わらない。

 先の若者のケースであっても、教育費の掛かる子供が複数いたりすると将来必要な大きな支出が見込まれることになって、潤沢な人的資本の影響が相当程度相殺される。

 また、高齢者の場合、運用を失敗した場合に、これから働いて稼いで失敗を埋めることはやりにくいが、余命が短いということは、将来必要な支出が限られていて且つ見通しやすいということでもあるので、金融資産の運用で損失が発生しても致命的な影響にはなりそうもないと言える場合が少なくない。

 将来必要な支出を現時点の負債のように認識し、言わば「ライアビリティ(liability/負債)」として捉えると、年齢の大小とリスク資産への配分比率の大小について世間的には言われている原則が当てはまらない場合も少なくない。確定拠出年金によくラインナップされている「ターゲット・イヤー型ファンド」はこの理由からも不適切な商品だ(別の理由もあり、利用しない方がいい)。

 人的資本も含めて個人の資産を評価し、さらに将来の支出の必要性をライアビリティとして評価し、個人のバランスシートの純資産に相当するものを割り出して、リスクに対する態度を決め、それから最適化計算を行ってアセットアロケーションが決まる、ということになるとなかなかに複雑である。

「個人の資産運用の方が、企業年金の運用よりも難しい!」と言いたくなる。

ライアビリティの柔軟性

 一方、発想を変えると、個人の資産運用、特にアセットアロケーションに関して「簡単に考えてもいい」と思える側面がある。

 それは、個人の人的資本もライアビリティも、本人の意思によって変化させることが可能だからだ。特に、ライアビリティの柔軟性は、確定給付の企業年金にはない特性だろう。

 企業年金は、母体企業の財務とビジネスに余裕があれば、運用の失敗を掛け金の引き上げで吸収することが出来る。個人の場合は、将来より多く働いたり、条件の良い転職をしたりするなどの本人の意図的な努力で、人的資本の価値を増す努力が可能だ。強気な諺で言うと「稼ぐに追いつく貧乏なし」とばかりに、運用の損失をリカバーすることが出来る場合がある。

 しかし、将来の収入を増やすことが簡単ではないというケースも多々あるだろう(そもそも、簡単にできるなら、既にやっていておかしくない)。ところが、この場合に、ライアビリティを意図的に縮めることができる。つまり、将来の支出を小さくするのだ。確定給付の企業年金の場合、給付の引き下げは簡単ではないので、この点で個人の資産運用の方が、フレキシビリティがある。

  単純計算するなら、余命を50年と見積もる人は、例えば資産運用による300万円の損失は、50年は600カ月なので、今後の生活の支出を一月5千円縮小することで吸収出来る。

 支出を調整する余力と能力は、強力な運用リスクの吸収手段となり得る。「コンパクトな生活」をすることができるノウハウや心構えの価値は大きい。

 もちろん、リスクを取った運用が上手く行った場合には、支出を拡大する余力が生まれる。ライアビリティ、つまるところ将来の支出を伸縮できる柔軟性の価値は高い。

 また、個人のアセットアロケーションの方法に戻ると、運用の損失を、(1)将来の支出の縮小、(2)将来の稼ぎの増加、(3)現在の資産額の余裕、の何れか或いは組み合わせで吸収できる範囲の中で損失額の上限を限定し、この額から逆算される範囲の中でリスク資産に投じる「金額」を(「比率」でなく)直接決めるのが分かりやすい。既存の最適化計算は、リスク資産の効率のいい内訳を決める参考として使うといい。

 個人のアセットアロケーションは、機関投資家のアロケーションと比較して、以下の3つの特徴を持つように思われる。

  1. リスク負担決定の前提となるアセット(人的資本を含む)・ライアビリティ両方の変化が大きく、その分、金融資産のアセットアロケーションを決める際の前提条件を確定しにくい。その分、計算の際の木目が粗くならざるを得ない。
  2. 個人のアセット・ライアビリティ双方の柔軟性は金融資産の運用リスクの吸収の大きな武器となり得る。特に将来支出の縮小によるライアビリティ側の余力は、自分のコントロールが利きやすい分だけ強力な手段になる。
  3. リスク資産の保有額は、「リスク拒否度」を無理に求めて「比率」で計算するよりも、損失の吸収力から限度を逆算して、その範囲の中で、直接的にリスク資産投資の「金額」を決める方が適切だ。

 

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