投票せざるを得なかった、米国民の危機感

 みなさん、こんにちは。この度、楽天証券経済研究所の客員研究員に着任しました、加藤嘉一と申します。

 これから、中国の政治・経済、米中関係、および日本が身を置くアジア太平洋地域の国際関係を見通し、マーケットの動静に影響を与えうる地政学リスクを中心に、レポートしていきます。

 私は今現在、米国の首都・ワシントンDC市内で本稿を執筆しています。米国大統領選挙を現地で取材している最中です。

 本稿を執筆している11月3日24時過ぎ(米国東部時間)時点、まだ結果は出ていません。結果を受けた分析は次回に譲るとして、今回は、ワシントンDCでの取材の現場で実感、考察したことから報告したいと思います。

11月1日、ワシントンDC市内は「反トランプ」一色の様相を呈しているように見えた。前方に見えるのはホワイトハウス。

 まず、2020年米国大統領選挙最大の特徴は、なんといっても「コロナ」でしょう。コロナ禍における選挙というのは、もちろん米国史上初めてのことです。

 米国ではすでに950万人近くが新型コロナウイルスに感染し、死者数は23万人以上。市民は室内外を含めて基本的にマスクを着けて生活、移動をしています。

「ソーシャルディスタンス」という言葉も完全に日常化し、人々の生活に浸透しています。選挙投票所でも、マスク着用と合わせて、徹底して呼びかけられていました。コロナ対策の失敗は、トランプ現大統領の選挙戦にとって大きな痛手になったことは間違いありません。

 コロナ禍の選挙ということで、今回、10月5日~11月3日の郵便投票、10月27日~11月2日の期限前投票が実施されました。言うまでもなく、有権者の密集を防ぎ、コロナ感染を拡大させないためです。

 結果、郵便+期限前投票を行った有権者は1億人を超えました。この数は2016年大統領選挙における投票者の約73%に相当します。

 そして、特筆すべきことに、コロナ禍であるにもかかわらず、今回選挙の投票率は過去100年で最高に上る可能性もあると言われているのです。投票率は67%程度に達するのではないかという専門家の予測があります。2008年は61.6%、2012年は58.6%、2016年は60.1%でした。

 私の現場での考察によれば、投票率がこれだけ高くなった理由は、米国民の現状と未来への危機感に端を発しています。

 ワシントンDCは圧倒的に民主党寄りであるため、同市内での考察には偏りが生じることが必至ではあるものの、一言で言えば、「このままトランプに勝たせたら、米国は衰退、劣化してしまう」という危機感です。

11月1日、ホワイトハウス北側。時々「トランプ支持派」が出現することも。目に見えるほど「バイデン支持一色」ではなさそうだ。

二極化する政治と社会。メディアも分断に加担

 いくつか印象的だった場面があります。一つが、投票を呼び掛ける行動です。今回私が取材をした民主党幹部によれば、昨今の政治情勢では、投票率が上がれば上がるほど民主党に有利に働くそうです。

11月3日、ワシントンDC市内。木の板で店舗を守った店舗の中には、「選挙当日店は閉めますが、投票に行ってください!あなたの一票が重要です」と呼びかけるポスターを張っているところもあった。今回の選挙がアメリカの未来にとってどれだけ重要かという市民の政治熱が表れていた。

 バラク・オバマ氏が初の黒人大統領になった2008年の選挙と、ヒラリー・クリントン民主党候補がトランプ候補に負けた2016年の選挙の間には、投票率で1.5%の差があり、これが一つの敗因だった、だから、とにかく有権者に投票所に行くように総動員で呼び掛ける、というのが民主党陣営の戦術だったようです。

 実際に、バイデン候補の応援にかけつけたオバマ元大統領は「VOTE」と書かれたマスクをして登場していました。

 街のいたるところに「VOTE」のプラカードやポスターが掲げられていましたし、民間企業であるグーグルが、選挙当日「GO VOTE」を検索のトップページに持ってきて、UBERも同様に選挙に行くことを呼び掛けると同時に、コロナ禍という事情も考慮したうえで、自宅から投票所への往復を通常の半額で運転するサービスを掲げていました。

 道端でも、当日店を閉めた企業が投票を呼び掛けたり、市民が有権者に無料で食料を提供したりという光景も見られました。バイデン候補、トランプ候補どちらに投票するかは有権者個人の問題ですが、私はこれらの光景から、米国民一人一人の政治への執着心、参加意欲、そしてそれぞれの愛国心を感じました。

11月3日、ワシントン市内の投票所「Omni Shoreham Hotel」前にて。「民主主義はデリシャスだ!」という政治主張をする市民が、投票を促すという観点から、有権者たちに自発的に食べ物を無料で配っていた。

 次に、今回選挙をめぐる一つのキーワードであり続けた「レイシズム」、すなわち人種差別問題です。至る所で見られたのが、「Black Lives Matter」(BLM)です。

 黒人の生命の尊さを呼び掛ける運動であり、ホワイトハウスの北側にはBLMを主張するストリートまでできていました。その付近では、人種差別をするトランプ候補を徹底批判するプラカードやポスターが掲げられ、一つの空間を為していました。

 人種差別・衝突、社会の分断、格差の拡大など、昨今の米国社会構造の変化が政治問題化し、大統領選挙に直接的な影響を与えるまでに深刻になっている現状を肌で感じました。

「分断」は、メディア報道にも露呈されていました。私はこの期間、民主党系では主にMSNBC、共和党系ではFOXを観てきましたが、キャスターもコメンテーターも、最初から結論ありきで、あからさまに味方する候補、政党を応援し、相手候補に対する嫌悪感や敵対心を隠そうとはしませんでした。

 印象的だったのは、MSNBCのリポーターが、「BIDEN、HARRIS」と書かれたマスクを着けながら生中継で話していた光景です。「ちょっとやり過ぎではないか」と感じざるを得ませんでした。

 裏を返せば、それだけ米国の政治や社会が二極化し、経済政策、社会福祉、環境政策、エネルギー政策、とりわけ国内問題においては両政党間、有権者間で合意形成ができなくなっているということです。そして、メディアは疑いなく分断を煽り、米国の劣化に加担していると感じました。

11月3日、ワシントンDC市内、アダムズモーガンにて。コロナ禍の選挙ということで、当日だけでなく、郵便投票と期日前投票も可能であり、その方法も明記されている。このプラカードは市内の至るところで見られた。

中国共産党の「正統性」に有利な、米国の劣化

 ここからは、歴史の十字路に直面しているように見える米国の大統領選挙、およびその結果を、中国がどう見てきたか、というテーマを検証していきたいと思います。
 
 まず、経済、軍事、教育、科学技術、そして政治体制やイデオロギーも含めて、米国は中国にとってライバルであり、中国はすべての分野で米国に追いつき追い越すことを本気で狙っています。

 そうすることによってはじめて、民主的に選ばれたわけではない中国共産党の為政者たちは、自らの国民から認められ、末永く中国の地を統治することを許されるからです。

 中国共産党は、選挙という手続きではなく、政策という結果で、被統治者を納得させるしかないのです。私はこれを「正統性の問題」と表現してきました。今後も頻繁に出てくる言葉だと思いますので、覚えておいてください。

 競争相手であるライバル・米国の分断と劣化を、程度はどうであれ、中国が望まない、喜ばないはずはありません。

 仮に、これから選挙の過程や結果をめぐって、どちらかの候補がそれを認めない、訴訟を起こす、結果米国の統治機構が機能不全に陥ります。

 その過程で、国民が暴動を起こしたり、内乱に陥ったりすれば、中国共産党は間違いなく「米国の民主主義はもはや機能しない」と大々的に宣伝(プロパガンダ)し、逆に、「中国の特色ある社会主義」という自らの政治体制やガバナンスの優位性を強調することでしょう。

 言い換えれば、「米国の分断や劣化は、中国共産党の正統性を強化する」ことにつながるのです。

バイデン、トランプ、どっちが中国にとって有利?

 次に、中国が、どちらの候補が次期大統領になったほうが、自らに有利に働くかと考えているか、という問題を検証します。

 中国といっても、一括りに語ることはできません。いろんなプレイヤーがいろんなところにいます。ここでは、非常に大雑把ですが、国民、市場、政府という3つで考えてみましょう。

 まず国民ですが、意見は政府や市場関係者に比べて、最も多種多様でしょう。トランプの支持者は多いです。
(1)トランプは次々に米国を貶める政策を打っていて、結果的に中国が強くなる
(2)トランプのああいうディーラー的な性格、スタイルが好きだ
という理由をよく聞きます。

 逆にバイデンを支持する人には、
(1)トランプ政権下では米中関係が不安定で、米国への留学や移民も不確実になってしまう
(2)トランプのように品格品性に欠ける人間が大統領をやるべきではない
といった理由をよく聞きます。

 次に市場関係者ですが、トランプ候補の経済政策を好む人はいるようですが、主流な見方としては、トランプ候補がもたらすボラティリティを警戒する向きが強いようです。

 関税引き上げやファーウェイといった中国企業への制裁措置を含め、トランプの対中経済政策は抑圧的で、かついつどのような策を打ってくるか分からない、しかも持続性や安定性にも欠ける、よって、マーケットがトランプの一挙手一投足に翻弄されるという点を懸念してのことです。この意味で、市場関係者の間では、バイデン候補の当選を望む声のほうが多いというのが私の観察です。

 一方で、対中強硬的なトランプの対中政策が、習近平国家主席に圧力をかけることを期待する市場関係者やリベラル派経済学者もいます。

 この圧力が中国国内の市場開放、知的財産重視、規制緩和などを促進することにつながるだろうという希望的観測から、トランプ候補を「応援」するというわけです。しかし、決して主流とは言えませんし、中国国内でこの点を口に出すのはタブーです。

トランプの不確実性に中国も迷惑。日本は板挟みに?

 最後に政府ですが、トランプ、バイデン、どちらが来てもメリットとデメリットがあると考えているようです。

 トランプが当選した場合、米国の国内的な劣化や分断は一層進みます。また、国際的には、TPP(環太平洋連携協定)や気候変動に関するパリ協定、国連人権理事会などから脱退してきたように、米国の影響力や信用力が低下する可能性が高いと言えます。このような戦略的境地から価値を見出しているようです。

 中国の発展モデルや対外影響力を向上させ、コロナ対策を含め、世界的にリーダーシップを発揮していく舞台を整えることにつながると考えているのでしょう。

 この点、バイデンが当選した場合、少なくともトランプよりは国際的な協定や条約を重視し、同盟国との政策協調、ルールや規範、人権や価値観を重視しながら米国のリーダーシップを再構築すべく動くでしょうから、中国にとっては邪魔な存在になるのでしょう。 

 一方で過去の四年間、中国政府がトランプ政権と付き合う上で、最も嫌がっていたのがトランプの言動の不安定性と不確実性です。今回私がワシントンDCで話をした中国の外交官は「米中政府間には現在円滑に意思疎通を図るためのチャネルがない」と嘆いていました。

 トランプだけでなく、マイク・ポンぺオ国務長官やピーター・ナヴァロホワイトハウス通商製造業政策局長のように、中国を名指しで、相手のメンツもお構いなしに批判してくる現政権と付き合うことに疲弊しています。

 民主党マニフェストでも公言しているように、バイデンも経済貿易問題、香港問題、台湾問題、人権問題などを含め、トランプに勝るとも劣らない程度で中国に強硬的に出るつもりでしょう。

 とはいえ、仕事のスタイルとして、少なくとも、トランプ陣営よりはまともに話ができる、表立った罵り合いではなく、政府間交渉を通じて解決策を見出していけると考えているようです。

 まとめると、トランプ、バイデン、どちらが来ても厳しい戦いになると中国共産党は見積もっているはずです。米国はすでに中国を修正主義国家と、対中関係を戦略的競争関係と規定しており、この点は政府、議会、ホワイトハウス、シンクタンクなどを含め、米国内における「最大の戦略・政策コンセンサス」にすらなっているからです。

 ただ、どちらが来てくれたほうが、「予測可能性」と「政策安定性」という2点においてやりやすいか、といえば、バイデンのほうが好ましい、中国政府はそのように考えているというのが私の見方です。

 ここで重要なのは、中国政府と市場関係者が、共にボラティリティという観点からトランプの言動やスタイルを嫌がる傾向にあり、逆に予測可能性と政策安定性という、マーケットにとってもプラス材料になるという観点からバイデンを支持する傾向にあるという現状です。
 
 仮にバイデンが勝てば、通商交渉を含め、中国はこれまでよりも腰を据えて、米国側と争いではなく、交渉を通じて合意を作るんだという対話の姿勢を示してくるでしょう。

 逆にトランプが勝てば、これまで同様、通商交渉やコロナ対策を含め、メンツを前面に出し、両政府間で相手を罵り合い、口喧嘩が双方向の制裁の応酬につながり、両国間のディカップリングが加速化するでしょう。

 この場合、米中双方とビジネスをやってきた日本企業も不可避的に巻き込まれます。同時に、業種や分野にもよるでしょうが、ディカップリングがブロック経済化につながる可能性が高い中、米中どちらか一方を選択し、もう一方との取引は放棄せざるを得ないといった状況に追い込まれるリスクも決して否定できません。

 今回の米国大統領選挙、それを中国がどう見て、どう対応するかという問題は、日本のビジネスマンや投資家が関わるマーケットにとっても、軽視できない不安要素を内包している、故に、注意深くウォッチし、的確な理解・分析を試みる必要があると考えるのです。

11月3日、ワシントンDC市内。選挙後の暴動や内乱を警戒する企業の多くが、木の板で店舗を守る対策を取っていた。メキシコ系労働者などは「仕事が舞い込んできてハッピーだ!」と上機嫌だった。