「一律10万円の給付」をどう評価する?

 新型コロナウイルスの感染症拡大に対する経済的対策として、全国民に一律で一人10万円を給付することが大筋で決まった。収入の減少や減少後の所得などに条件をつけて、一世帯当たり30万円の給付を行う案が既に閣議決定されて補正予算に組み込まれていたが、補正予算案の組み替えが指示される異例の展開となった。

 国民一人当たり10万円を単純に計算すると、財源は12兆5,000億円ほどになり、当初の案(約4兆円。何と少額だったことか)の約3倍の金額になる。

 さて、一律の給付金に対しては、「富裕層にもお金を配るのはおかしい」という批判がある。

 確かに、経済的に困っている人に対してのみ、ほどよい金額の給付金を支給することができる方が良さそうに思えるが、「困っている」事情は人それぞれで、単純に直近の所得で線引きができるようなものではないし、対策は、何よりも(1)「早い」必要があり、国民に行動の制限等を求めるに当たっては(2)「公平感」がある方がいいし、なるべく(3)「潤沢」である方がいい。

 従って、政府や自治体が対象者の選別を行おうとしたり、所得証明や申請などの手続きに手間や時間が掛かったりする方策は愚策であり、金額が十分であるか否かは今後の検討材料になるかもしれないが、一律かつスピーディーに給付を行うことが適切だ。

 問題は、富裕層への給付だが、これについては以下のように考えるといい。
 まず、仮に富裕層に現金を配ることが不適切だという合意が形成されるなら、富裕層からより多くの税金を徴収することにして差し引きで調整すればいい。  

 例えば、給付金を所得に合算して課税することにすれば、所得が高い人はより大きな金額の課税を受けることになるから、実質的な給付の額は所得に対して相当程度調整されることになる。

「給付金」単独で効果を見るのではなく、「給付金+課税」で効果を考えるなら、所得や資産の格差に応じた再分配の調整は十分可能だ。「給付」は一律に固定して課税の仕方を工夫する方が、手続きが簡単でスピーディーに行える。「給付」と「課税」の両方で実質的な分配問題を調整しようとすると、明らかに複雑になる。

 今回の給付金に限らず、「〇〇手当」と名のつくような給付金の制度を考える場合に、しばしば「対象者に所得制限を付けるべきだ」という意見を聞くが、上記のように「合計して効果を見る」方法と対照すると、物事を複雑化させる賢くないやり方である場合が多い。

 お金持ちに多く負担してもらうためには、税制を工夫すればいいし、税制が公平にできているなら、給付金を考える際にお金持ちを除外する条件を考える必要はない。もちろん、各種の手続きは大幅に簡素化できる。

 ところで、上記の考えは、主として「今年の」給付と課税でバランスを取ることを考えているが、今年の課税を増やさない場合にはどうなるのか。

 実は、この場合にも問題はない。12兆5,000億円の財源は政府の支出となり、当面国債でファイナンス(=資金調達)されるが、この債務はいずれ将来の納税者によって負担される。

 将来も相対的な富裕者は相対的に多く課税されるだろうから、富裕層が多く負担することになる。「今」の時点の富裕層と、「将来」の時点の富裕層との間には若干のズレが生じるが、相当部分は重なるだろう。

「財政赤字は将来世代にツケを回すことだ」とだけ批判するのも、「合計」をよく見ていない。財政赤字によって、国債、あるいはそれを日本銀行が買って放出した現金が増えると、こうした金融資産を現在の富裕層が多く持ち、相当部分はその子孫に相続されるはずだ。将来税金をたくさん負担する将来の現役富裕層は、それなりの負担能力を相続している。

 また、視点を少々変えるとして、各所得・資産層の国民と政府は、バラバラに存在するのではなく、「政府」は国民の所有物だ。「各所得・資産層の国民+政府」で政策の効果を評価すると、高額納税者は経済的には政府を他人よりも大きな比率で所有している株主のような存在なので、政府に債務を増やして国民に一律の給付を行う政策は、富裕層にとってより大きな負担で実行されていると考えることができる。

 あるいは、仮に、国債の増発が続き、日銀がこれを買い続けると、その経済的帰結はインフレになるはずだが、インフレになった場合に現金・国債などをはじめとする実質価値が減価する金融資産を相対的に多く持っているのも富裕層だろう。財政的なコストをインフレの形で負担する場合にも、相対的に富裕層がより大きな負担を持つことになる。

 そして、現状は、「インフレの行き過ぎが心配」なのではなく「インフレが足りないことが心配」な状況なので、赤字国債に目くじらを立てる必要はない。経済政策の目標としては「一年に2%ほど通貨の価値を落としたい」のだから、有効な給付金は早く実行するといいし、給付と同時期に増税する必要もない。

 コロナ対策の給付金は、「給付金」単独ではなく、「給付金+課税」、あるいは「給付金+課税+インフレの効果」、別の視点では「国民+政府」といった、いわば「合計思考」で、物事の見え方が変わる好例ではないだろうか。

「合計思考」の応用例

 合計で効果を考える思考法は応用例が広い。

 話が細かくなるので詳細は省くが、企業金融論の世界で有名な「モディリアーニ・ミラーの定理」(企業価値は資金調達方法に依存しないことなどを述べた理論)や、公的年金が民間の株式を保有すべきか否か、といった問題を考える上でも、「合計思考」は有力だ。

 例えば、「公的年金は国民の持ち物だと考え、株式の価値は企業や経済のあり様によって決まるのだ」と考えると、結局、国民にとっての公的年金の株式運用の可否は、「公的年金が株主である方が、企業の価値が高まるのか否かに依存する」と分かる。

 筆者個人の見解としては、公的年金の株式保有には反対だ。議決権行使をはじめとする株主としての企業への働きかけも、株式の運用自体も、公的機関よりも、民間の方が立場として適切だし、よりよく行えると思うからだ。かつて「民間でできることは、民間で」というキャッチ・フレーズがあったが、株式運用は「民間の方がよりよくできること」だろう。

個人のお金に応用する「合計思考」

 さて、本連載の趣旨は連載タイトルの通り「投資教室」だ。「合計思考」を、投資をはじめとする、個人のお金の問題に応用できなければ、話にオチが無い。

 実は、個人のお金の問題にあっても、「合計思考」は応用が利き、大切だ。

 簡単な例は、iDeCo(イデコ:個人型確定拠出年金)、NISA(ニーサ:少額投資非課税制度)などの複数の口座にまたがる資産運用だろう。例えば、iDeCoに加入していたり、勤務先に企業型確定拠出年金があったりする場合の確定拠出年金の運用商品選択だが、(1)自分の運用資産全体の合計を最適化した上で、(2)その中で確定拠出年金に適した部分を「割り当てる」と考えると正しく決めやすい。

 よくある間違いは、「確定拠出年金は、老後の備えとなる年金なのだから、ほどほどに安定したもので運用したい」などと考えて、「ターゲットイヤー・ファンド」などと称するバランス・ファンドを選択するようなケースだ。

 今は、債券の利回りがほぼゼロであり、せっかく運用益への課税が繰延される優遇措置がある確定拠出年金の口座の中で、債券を含むファンドに投資することは、税制上も、運用手数料の上でも、「もったいない!」。

 筆者は、確定拠出年金、各種のNISAにあっては、よほど運用資産額が大きくなっていない限り、ほとんどの場合、国内外の株式のインデックスファンドを割り当てたらいいと思っている。

 また、別の例として、NISAと一般の課税口座(証券会社の特定口座など)の両方で株式を運用している場合、NISAは税制優遇期間の途中で保有対象を売却してしまうと税制優遇された運用枠が縮小してしまうため、「将来、相対的に売りたくなりづらい投資対象」を割り当てるのが適切だ。例えば、インデックスファンドと個別株式の投資を両方行っているような場合、NISAにはインデックスファンドを持って、個別株式は一般口座で持つようにするのが正解だ。

 部分だけでなく全体を見る思考法として、個人に有効な別の例としては、「金融資産」と「人的資本」を合計して見る考え方がある。

 例えば、若くて、健康で、安定した職に就いている個人は、自分自身の「人的資本」(将来の稼ぎを割引現在価値として評価した「個人の株価」のような概念)が大きいので、金融資産の運用で大きな比率でリスクを取っても、全体から見ると、そのリスクが取るに足らないケースがしばしばある。

「金融資産+実物資産+人的資本+負債」といった形で、自分の経済的な利害を広く見る考え方も有効だ。個人、あるいは家計の、簡単なバランスシートを作ってみるといい。

 また、別の例としては、「親の資産・負債」と「子供の資産・負債」を合計して考えて、子供が相続する予定の親の資産と子供の資産の「合計」を考えて運用を検討するような発想があり得る。奨学金のような子供の負債を親が有効に利用するといった考え方が有効な場合もあるだろう。

 さまざまな場面で、柔軟に「合計思考」を使いこなして欲しい。